小宮山彌太郎先生のセミナーで考えたこと

30代を前に、会社を起こそうときめたとき、法人設立の方法から税務会計の実務書、そして経営者の成功物語まで多くのビジネス書を読み漁りました。ほぼ1日1冊のペースで読んだ経験は、人生でもそう多くはありません。しかし、それから数年経ってみると、その頃に読んだ本がほとんど役にたっていない事実に気がつきました。熱心に本を読むこととその内容が自分の血肉となることは、別であることがわかったことが、唯一の成果でした。

それほどまでに、ビジネス書からは何も残らなかったのです。それも当然かもしれません。本田宗一郎のように、井深大のように成功したい、そんな空想をしているとき、人は無意識のうちに自分自身の欠点や問題点に目を閉じているのです。20代後半の私は、成功者から何かを学ぼうとしていたのではなく、他者の成功物語を読むことで、自分と向き合うのを避けていただけなのです。自分に目を閉ざして、自分らしく成功しようとしていたのですから、ずいぶんと愚かなことをしたものです。翻って今の歯科界をみると、年齢を問わず歯科医師の中には、以前の私のようにビジネスに偏重している人が増えているように感じます。

とはいえ、私のビジネス書中毒の期間は、そう長くはありませんでした。あるとき、急に熱が冷めたのです。成功者を自任する人の言葉からは、ビジネスの規模、売上高を誇るなど量的な実績を声高に語り、ほとんど質的なモノに関心を払わない傾向を感じたからです。また、おもしろいぐらいに共通しているのは、知識を自分の中で熟成させることなく、ノウハウを覚えたらいかに早くやるかに終始していることです。いかにも嘘の匂いがしました。そして成功を語る先行者が「成功とは何か」を問い直しすることなく、ひたすら前進して仕事を広げていく、この単純さに決定的な違和感を持ったのです。

現在の歯科界の学びには、臨床の面でさえも質的なものを問う以上に儲けに直結したセミナーを散見します。平成年間で、あらゆる世界で成功の条件は多くの金を稼ぐことになった趣がありますが、歯科界は特に儲けに傾いたように感じます。歯科医師はあらゆる面で経験が不足している30代で開業するケースが多く、年々経営環境も厳しくなってきて、私がビジネス書にはまったような条件が揃っています。予防・矯正・インプラント・訪問診療など臨床にかこつけて、儲けのノウハウを仕掛けたセミナーが毎週のようにどこかで開かれています。当の歯科医師が儲けの片棒を担ぎ歯科医師を食い物にするセミナーさえ見受けます。歯科医師は働くことと金銭をあまりに深く結びつけているように感じます。そんなことをしなくとも済む職業であるのに、社会の高みから自ら転げ落ちていく様は滑稽でさえあります。

この文章を書いている傍らで、TV から安倍首相の「成長の果実を手にしようではありませんか」と自信に満ちた声が聞こえてきます。そうではないでしょう。インテリジェンスがあるのならば「成長のために深く根を張りましょう」と言うべきです。人は根を張ることが必要なときに、果実を手にしようと躍起になってしまうことがあります。そんな生き方をしていると、疲れて正常な判断ができなくなることもしばしばあります。果実を手にしている人を羨み、自分の手に果実がない現実に落胆し、焦りもがくこともあります。そんな日本全体の焦りに飲み込まれている歯科医師が少なくないように感じます。

小宮山彌太郎先生

ひたすら規模を求める歯科医師にとっての目的は量的な成果ですが、医療の質的なものを大切にする歯科医師はその過程を大切にします。この差が何を意味するのか、ビジネス書と哲学書を比べてみると一目瞭然です。書店にあふれているビジネス書には、どう効率よく働き成果を得るかばかりが強調されていて、働く意味には言及されていません。しかし、医療者ならば逆であって欲しいのです。どう効率よく働くかではなく、働くとは何かを考え、哲学書を手にして社会的成功者になって欲しいのです。

果実を取ることに慢性的に疲れてしまっている歯科医師は、焦らずに自分の根を探し、根を張ることです。その行為は、いつのまにか自分の中にあって小さくなっている医療者の心に、息を吹き込んでくれるはずです。小宮山彌太郎先生のセミナーは、体に眠っている歯科医師の力を呼び覚ましてくれる何かを感じさせるものでした。

小宮山彌太郎先生著 「埋み火」(シエン社)