「千と千尋の神隠し」と歯科の看板

コンサルブログ | 2011年5月6日
連休の最中、夜のジュンク堂に滑り込む。お目当ての本、数冊を求めエスカレータを行ったり来たりする。戦後は、この書店のある当たりは、馬がガードを通過する電車の音に驚くので、ビックリガードと呼ばれたほど辺ぴな場所だったとされる。今でも、池袋の場末の空気が残されている。ところが、この地にここ数年で歯科医院が、雨後の筍のように乱立した。その歯科医院の看板が、節電モードの盛り場に眩いばかりに輝く様は、この書店のエスカレータからの不思議な景観となっている。

 エスカレータを行き来しながら、この景観はどこかで観たことがある、と感じつつ閉店を知らせるBGMを後に、書店を出た。帰りの車の中でも、いつか観た覚えのある景観を、思い出そうとしていた。そうだ、『千と千尋の神隠し』だ。

 『千と千尋の神隠し』の主人公の少女、千尋が迷いこんだ不思議な街は、奇妙な建物とグロテスクな看板であふれている。個々の建物や看板は、時代考察も混沌としていて、現実の街ではありえない不思議さだが、何か懐かしさを感じ映像に引き込まれていく。特に、「肉」「め」「むし」「生あります」といった直接的表現の看板が、目に飛び込んでくる。この看板の一群からは、「伝えたいことより、伝えたい欲望」が強く押し寄せてくる。この街は人間の欲望が渦まき、それがさらに欲望を刺激する。そして千尋の両親は、この街の主のいない店で異常なまでの食欲でカウンターの料理を平らげ、欲望の権化である豚に姿を変えられてしまう。

 「歯科」や「歯」は映画に出てくる眼科らしき看板の「め」に、「インプラント」「審美」「ホワイトニング」「予防」は、「人肉」と書かれている飲食店の看板にオーバーラップする。「伝えたいことより、伝えたい欲望」が強く前面に出ていて、歯科医の常套句である「審美性やQOLの向上」を感じさせるものではない。人々の生活が豊かになり、街並や施設の整備が進み、同時に都市空間の公共性を求められる今日、歯科の看板の下品さは、そのまま歯科医の品性や美意識を問われ、伝えたいことの「審美やQOL」は、見る影もない。

 歯科医は、社会から欲望の権化である豚に姿を変えられる前に、看板の持つコミュニケーションや公共性を考える時期にきている。