現実を見切る力

3.11震災から2カ月余り、岩手県内に来た。新幹線の車窓から震災の影響は感じられなかったが、A駅に降りると、日本赤十字のつなぎを着た40人程の男女から、非常事態の緊張感が伝わってくる。その姿を見て、「人の力では世の中を変えることはできない」と、思った。赤十字のつなぎ姿の人々の無力感を揶揄しているのではない。世の中は、人の力の及ばない力が作用しないと状況は変化しないものだ、と実感したのだ。


医院経営を変えるのも「院長の志」よりも、「人口が減った」「近隣に歯科医院ができた」という、院長の力が及ばない力が作用した場合がほとんどだ。非常事態にならないと、経営者たる院長の覚悟が決まらないので、スタッフも本気で動こうとしない。当然、支援者も現れない。院長の覚悟が決まらない最大の理由は、現実を見ようとしないからだ。コンサル先の歯科医の大半が、来院者の年齢や地域、キャンセル率、リコール率などを把握していないし、医院経営に関する数字に関心が薄い。


「なんだか患者が減ってきた」とは感じてはいる。しかし、現実を見ようとはしない。見ているつもりでも、都合の良いように見ているだけの場合が多い。何がないから、体調が悪いから、年だからと仕事のできない人間は、常に言いわけを用意しながら現実を見ている。これは、経営が悪化してきている院長が現実を見る目と同じだ。


「あるがままの現実を見る」ことは、経営者として稀有な資質である。作家の塩野七生氏は「ユリウス・カエサルが有史以来最大の政治家である理由は、彼が見たくない現実を見た唯一の政治家だからだ」と言った。反対にできない院長は、見たくない数字を直視する前に、やたらと崇高な「志」を掲げたりする。そのため、医院の経営方針がブレてばかりで、決め打ちが出来ない。


帰りの新幹線の中、今回の原発事故への対応も同様で、菅総理は一国のリーダーとして、見たくない現実を見切ってから打ち手を打たないため、後手の対応に終始しているのではなどと、「郡山」のアナウンスを聞きながら考えていた。


「見たくない現実を見切ること」が、院長が経営者となることだ。