SNS時代に、歯科医院は何を発信すべきか
――エビデンスと公益の聖域を守るための視点

オーストラリアで施行された16歳未満のSNS利用制限、そして日本でも進みつつある未成年規制の議論を見ていると、私は少し奇妙な逆説を感じます。子どものSNS利用を制限しようとする議論そのものには一定の合理性があるとしても、その議論を設計する側が、そもそもSNSを本来の意味で使いこなしているとは言い難いからです。

本来SNSとは、個人と個人が関係を育てるための「ソーシャル」な場であったはずです。ところが現実には、政治の発信も、企業の発信も、多くは整えられた広報文に収斂し、対話より告知が優先されている。少し意地悪に言えば、対話の場であるはずの空間が、巨大な電子看板になりつつあるわけです。その状況を前提にしながら「子どもには危ういから規制を」と言われると、問題は子どもだけではなく、私たち大人が作ってきた情報環境そのものにあるのではないか、と考えたくもなります。

この構図は、不思議なほど歯科医療の情報発信にも似ています。

ここ数年、歯科医院のSNS活用は急速に一般化しました。もちろん、それ自体は時代に即した自然な変化でしょう。ただ、そこに流れてくる情報を眺めていると、時に医療というより「医療を素材にしたマーケティング」のように見える瞬間がある。メインテナンスは定型商品として語られ、症例は結果のビジュアルとして消費され、医院の価値は価格や空間演出と並列で比較される。

もちろん、経営は現実であり、集客も必要です。しかし、本来マーケティングは医療に従属するべきものであって、その逆ではないはずです。ところが両者の主従がひっくり返るとき、静かに失われるものがある。

それは、診断であり、評価であり、リスクの見立てであり、時間をかけた介入設計という、医療の中核にある知的プロセスです。

考えてみれば、歯科医療の価値とは、もともと「見えにくい部分」に宿るものです。だからこそ難しく、だからこそ専門性がある。ところが今のSNSは、その最も重要な見えにくい部分を飛ばし、結果だけを流通させやすい。そこに私は少し危うさを見るのです。

それは知の切り売りに近い。

しかも、この構造は患者側の評価行動にも影響しているように思えます。
Googleマップ に象徴される口コミ文化も、その延長にあります。

もちろん口コミ自体を否定したいわけではありません。入口情報として意味はある。ただ、それが医療評価の代用品になり始めると話は変わる。

待ち時間が短かった、対応が優しかった、説明が丁寧だった――どれも大切なことです。しかし、それだけで医療の質が測れるのであれば、歯周病学も予防歯科学も、ここまで積み上がってはこなかったはずです。

少し皮肉に聞こえるかもしれませんが、本来Googleレビューで測れるものと、医療の本質はかなり違う。

とりわけ予防歯科は、もっと長い時間軸の中でしか価値が見えてこない領域です。数年後、再発していないこと。行動変容が定着していること。歯が守られていること。そうした成果は、短期の印象評価にはなじみにくい。

にもかかわらず、短期評価に医療が最適化され始めると、予防歯科そのものが痩せていく。

だからこそ、歯科医院が発信すべきものは、結果ではなく、その背後にある判断であるべきだと私は思います。

なぜこの治療方針なのか。なぜこの再評価なのか。なぜこのメインテナンス設計なのか。

「何をしたか」ではなく、「なぜそうしたか」。

その説明責任の中にしか、専門職としての価値は宿らない。

これは、メディカルトリートメントモデルが長年扱ってきたテーマとも重なります。考えてみれば、問題はSNSという道具ではなく、そこに何を流し込むのかだったのかもしれません。

そう考えると、最初の問いも少し変わって見えてきます。制限すべきは年齢なのか、それとも根拠の曖昧な情報、対話を伴わない発信、責任の所在が曖昧なコンテンツといった「情報の質」なのか。

私は後者ではないかと思っています。

むしろこれから問われるのは、発信量ではなく発信倫理でしょう。広告的な発信はいくらでも量産できる。しかし、エビデンスと公益に根差した発信は、それほど簡単には量産できない。

そこに価値がある。

最近、歯科界でもブランディングという言葉をよく耳にしますが、本当のブランドとは、ロゴや世界観より、フィロソフィの継続なのではないかと私は思っています。

発信とは、もはや集客の補助線ではない。

医院のフィロソフィそのものになりつつある。

だから私は、この領域を「エビデンスと公益の聖域」と呼びたいのです。

科学を手放さないこと。公共性を忘れないこと。
この二つを守ることは地味ですが、たぶん一番強い。

大学が時に高尚な学問ごっこに陥り、SNSが時に軽薄な人気投票に堕しやすい時代だからこそ、臨床はもっと骨太であっていい。

歯科医院が発信すべきものも、本来そこにあるはずです。

その問いを手放さないこと。

それが、予防歯科の未来を守る最低条件なのだと、私は思っています。