歯科雑誌の憂鬱

毎月第2土曜日の午前中を歯科臨床医向けの月刊誌を読む日としています。それは、週末仕事としている新聞各紙・各雑誌をスクラップする時間に比べて、歯科雑誌を読む時間は私には退屈なため、一度も開くことなく溜まる一方の時期があったためです。これでは仕事上困ることもあり、そのままにしておくと歯科雑誌は重い上にかさ張り保管場所も限られるため、第2土曜日の午前を歯科雑誌の断捨離の日と決め、知識の上でも実在の上でも整理をつけています。

生来不精な上に育ちの悪い私は、雑誌に限らず活字は寝転びながら読むのが習慣になっています。しかし、加齢に伴う筋力の衰えからか、歯科雑誌は仰向けに寝転んで読むことが辛くなってきました。10年ぶりの改訂で140ページ増え3,216ページになった『広辞苑』は、厚さが変わらず軽くなったというのに、230ページ前後の歯科雑誌はますます重量級化している感があります。広辞苑と比べて印刷紙の品質が劣り重いのは致し方ないとして、歯科雑誌は臨床系学術誌と銘打っているにも関わらず、一般商業誌と比べても広告ページが際立って多く、このことが充実して筋肉質になった広辞苑に比べ、散漫に重量級化する原因になっているように思えます。

各歯科雑誌230ページ前後のうち約100ページが広告です。広告の平均ページ単価が約23万円ですから、広告収入だけで各紙月間約2,300万円あることになります。その収支はさておき、代表的歯科月刊誌の公表部数は、『歯界展望』25,000部、『日本歯科評論』17,000部、『ザ・クインテッセンス』21,000部、『デンタルダイヤモンド』17,500部、『アポロニア21』13,000部で、総計93,500部発行されています。この数字は、およそ歯科医師1人につき1冊購読していることになるわけですから、内容の如何に関わらず、歯科雑誌の影響力の大きさを伺い知ることができます。

歯科雑誌の内容は、歯科大学関係者の疫学的見地や各分野からの学際的ものよりも圧倒的に臨床家による経験値からの原稿が多く、その執筆者の多くが所謂スタディーグループを主催していたり所属していたりしています。歯科雑誌の広告主といえば、表紙の後のカラーページは歯科器材メーカーが多く、雑誌の後半はスタディーグループの講演や講習会が占めています。これらの内容をみると、その多くが保険診療に取り入れるのは難しく、もし歯科雑誌の熱心な読者が日々の臨床にその全てを活かそうとすれば、その歯科医師は非保険医になるに違いないと思います。歯科雑誌に出稿している講習会に参加したり、記事を読んで研鑽をしたりすればするほど、その成果を日々の保険臨床に活かすことはできなくなり、保険医でいることが難しくなる、この矛盾を歯科医師はどのように折り合っていくのでしょうか。真摯な歯科医師にとっての憂鬱です。全般的に勉強する歯科医師ほど経営が苦しくなり、疫学に基づく臨床をするほど貧しくなるような経営環境の中で、歯科雑誌は今後どのような方向性を見出していくのでしょうか、出版社にとっての憂鬱です。

翻って、歯科雑誌読者の選択眼はどうでしょうか。歯科雑誌に出稿している講習会に話を絞ると、講習会の内容や演者をみる限りでは、読者の歯科医師は選択眼を磨く必要があります。内容や演者に疑問符がつくものが多く、特に予防歯科系の講習会は学術誌で扱うとは思えない自己啓発的なものが散見され、出版社でフィルタリングできていないのが実態のようです。

分野は違いますが、文芸評論家の中村光夫氏は「時代を超えて生きることは、1世紀に10指にみたぬ天才だけに許された例外であり、大部分の作家は、彼の生きる時代との合作で才能を開花させ、時がくれば席を譲る。しかも、これだけのことを成就するためにも、衆に抜きん出た才能と努力と職業的誠実と、さらに多くの幸運が必要なのは、われわれの周囲をみてもわかることである」(引用)といっています。中村光夫氏の慧眼は、真に学ぶに値する人(モノ)は滅多にいないものだと、現代の私たちをいましめています。歯科界に天才までは求められないでしょうが、中村光夫氏の言を反芻することで、大衆化した講習会の選択眼を磨くことになると思います。

歯科医院の業績不振が叫ばれて久しくなりますが、大半の医院は危機に瀕しているというほどの劇的な苦境ではないと思います。しかし、それだけに歯科雑誌に掲載される記事や出稿される講習会に定見なく救いを求めると、いつの間にか歯科医師の知性も医院の体力も失っていくだろうと、第2土曜日の午前中、どうにか歯科雑誌を見終え、私は憂鬱な気分になるのです。