歯科1万軒の廃業が業界に好循環をもたらす

歯科医院経営にいま必要なのは、一に賃上げ二に社会保障であり、スタッフの雇用環境を整備向上できない歯科医院の淘汰と刷新です。雇用環境が整備できない歯科医院のうち約1万軒余りが廃業して、昭和50年代後半水準の歯科医院数約5万5千軒になれば、1診療所の1日当たりの患者数は約25人確保できます。そうすると、歯科医院はスタッフの賃上げも社会保障加入も可能となり、人材の好循環が回復し、歯科医院の生産性と品質が向上し、社会的評価の高い職業に再生されるでしょう。

「家族にするような治療を患者さんに」とは使い古されたコピーですが、「家族が働くような賃金と社会保障をスタッフに」とは、歯科業界では聞いたことはありません。CTもセレックもあるけれど、任意加入できるにも関わらず常勤従業員5人未満を理由に、スタッフの社会保障に加入していない医院は少なくありません。社会保障に加入し賃上げしなければ、スタッフが集まらないのは自明の理であるのにも関わらず、雇用環境を改善できないのが、淘汰されていく歯科医院の体質です。

そもそも新規開業の事業計画の段階で、従業員の社会保障と定期賃上げを算定することなく、最大限の設備投資をして患者満足を引き出すシナリオが問題です。世の中は急速に変化しているのに、30年前も今もこのシナリオは変わることはありません。ドリル&フィルという歯科医療は、医療機材の進歩こそあれ、基本的には30年前と同じで、歯科医師の思考回路も変わりません。これは歯科医療器材流通と診療報酬制度を基本とした古い枠組みの中に歯科医院がどっぷり浸かっていて、社会には立脚していないからです。

そのために開業して余裕ができたら、法人化したらと思いつつも、医療機材が原価償却すると設備投資を優先して雇用環境に投資することなく、同じことを繰り返す歯科医院。開業して6~7年も経ったら、社会保障に加入することは並大抵のことではありません。医院の経営体質が、一に私財二に医療機材などの設備投資になっていて、社会保障費を払う余裕が財務にはなく、院長には雇用環境を変える気持ちは失せているからです。月に数回しか使わないCTにリースは組めても、毎日顔を合わせて働いているスタッフには、社会保障に加入させることができない厳しい財務と寂しい思考になってしまうのです。

歯科医院は生産性と品質の向上を医療機材導入に偏重しすぎ、機器を使うスタッフに十分な雇用環境を提供できないために、人手を確保できなくなっているのです。地方に比べて歯科教育機関が多いとされる都市部では、マクロ経済状況の改善によって他産業の賃金水準が高くなり、本来ならば歯科業界の人材も他業界に流出して、人手不足は地方以上に深刻です。それでも人よりもモノに投資する歯科医師の思考回路は変わりません。その結果が、JR高架下の倉庫に山のように積まれた最新高額医療機器の中古品であり、応募もないのに求人媒体に費やすコストの上昇です。

いまや都市部コンビニやドラッグストアでは外国人店員は当たり前になり、セブンイレブンに限らず終夜営業の店舗では従業員を確保できずに営業時間を短縮する動きも出始めました。その一方で、AIが多くの分野で人に取って代わるのも近いといわれています。私たちは私たちの社会の人手不足とは、いったいなんなのだと考えたことがあるでしょうか。同様に歯科医師は歯科医院の人手不足の根本原因を考えたことがあるのでしょうか。

歯科業界も日本社会も同じです。少子高齢化で若年層や労働人口が減っているのに、私たちは依然として30年前と同じ量のインフラやサービスを維持しようとしているだけではないでしょうか。人口減、人材減、患者減の社会や業界には、それに見合ったサービスの規模があります。AIの活用やロボットの普及で乗り切れる分野も数多くあるのでしょうが、労働集約型の歯科医院はそうはいかないはずです。労働市場の中での歯科医院の苦戦は、何か一つの原因を取り除けば、人手不足が一気に改善されるような単純な状況ではないでしょう。最初の一手は、夜間休日診療の廃止や残業時間の削減、そして根本的には賃上げと社会保障加入で、人材を確保することが歯科医院の喫緊の課題です。

医療や福祉は、最も求人増加への寄与利率の高い産業です。社会の高齢化に伴い、医療に対する需要が大幅に増加しているのになかなか賃金を上げられない一番の理由は、診療報酬制度により医療サービスの価格が抑制されていることにあります。サービスの需要に合わせて医療費をあげることができないため、なかなか利益が増えずに、賃金をあげることができないのが、今の歯科医院経営環境です。具体的には、医療保険の利用者が増加して財政状況が悪化すると、国は診療報酬全体を低く抑えようとする。歯科医療サービスの利用者が増えることで人手不足が深刻化しても、なかなか診療報酬はあがらないので、スタッフの賃金もあげられないという構造的な問題を歯科医院は抱えているのです。

歯科医院は、診療報酬制度の抑制と医療設備投資偏重によって、スタッフを低賃金低社会保障制度の下で漫然と雇用してきました。長引くデフレも影響して、雇用環境の改善に鈍感になっていた末の人材難です。しかしこれからは、人材難からの生産性と品質の低下の無限ループから脱出できない歯科医院が廃業することで、歯科医院経営全般が上昇することになるでしょう。時代の変化が早いからこそ早い選手交代が求められます。歯科業界全般が、この難局を打開するには、約1万軒の歯科医院に労働者市場から退場してもらうことです。その一方で、個々の歯科医院が退場予備軍にならないためには、一に賃上げ二に社会保障の加入です。医院経営を語るにはそれからで十分です。