テスラとプリウス、そして予防歯科──医療の公共性を問いなおす

テスラとプリウス、そして予防歯科
─医療の公共性を問いなおす

クルマと医療の意外な共通点

今、環境問題の文脈でしばしば比較される2台のクルマがある。完全電気自動車のテスラと、ハイブリッド車の先駆けとして世界中に普及したプリウスだ。前者は「理想」、後者は「現実」として語られることが多い。

実はこの構図、歯科医療──とくに予防歯科の制度的位置づけに驚くほど似ている。

テスラのように理念を体現する“自費型の予防歯科”と、プリウスのように制度内での最適解として広がる“保険内SPT”。この二つの「選択肢」は、単なる技術やサービスの違いにとどまらず、制度設計や医療の公共性といった社会の根幹に関わる問題を含んでいる。

 

理想としてのテスラ=自費予防歯科

テスラは、走行時にCO₂を排出しない理想的なモビリティとして注目されている。一方で、その導入には高額な費用と充電インフラの整備が必要で、現状では限られた層にしか手が届かない。

自費型の予防歯科に代表されるように、高度な診査・支援・専門性を備えた理想的な医療モデルである。しかし多くは制度に支えられておらず、自由診療として患者の自己負担に委ねられている。理念としては美しいが、それだけでは社会全体を変えるには力不足である。

 

現実に根ざすプリウス=保険内SPT

プリウスは、従来のガソリン車の利便性と、モーターによる高い燃費性能を両立した「現実的なエコカー」として世界的に普及した。

保険制度下で行われるSPT(歯周病安定期治療)も同様に、歯科衛生士による定期的なケアを制度として保証し、「予防的支援」が国民皆保険のもとで一定の水準で提供されているという点で、極めて重要な存在である。ただし、点数主義や審査制度の下では、形式的・処置的な対応にとどまりやすく、生活支援や行動変容といった本来の目的にまで踏み込めないという課題もある。

 

予防の“商品化”と社会的共通資本という考え方

日本における予防歯科は、制度上は多くが自費診療として扱われている。しかし実際には、制度の理念から乖離した形で、保険診療の枠組みの中でも“予防らしきもの”が日常的に提供されている。これは、「受けるかどうかは本人次第」という形で提供され、「できる人だけが受ける医療」へと変質しつつある。結果として、医療の“商品化”が加速しているのが現状だ。

経済学者・宇沢弘文は、医療・教育・自然環境を「社会的共通資本」と捉え、それらを市場原理に委ねてはならないと述べている。

予防歯科もまた、経済格差に左右されることなく、社会全体で支えるべき共通財産として再定義されなければならない。そうでなければ、「健康は自己責任」という冷たい構造が固定化されてしまうだろう。

 

制度と倫理のあいだに立つ医療者たち

予防を制度に組み込むべきか。この問いには、肯定と警鐘の両方が必要だ。

制度化により公平性が担保され、予防の普及は進む。しかし、制度が点数主義に偏れば、「形式的な予防」や「算定のための支援」が横行するリスクもある。

求められているのは、制度に適応しつつ、その限界に目を向け、なお理念を貫こうとする実践者の姿である。点数の背後にある患者の人生を見つめ、制度の枠の中に“支援”の意味を取り戻す行為。それが、制度と倫理のはざまで生きる歯科医療者に求められる本質的な役割だ。

 

制度の中で理念を実践する人々へ

ここまで「テスラ=自費型予防」「プリウス=保険SPT」という構図で、理想と現実のズレを見てきた。しかし実際には、保険制度の中でもMTMを実践する歯科医院は存在する。保険制度が提供する診査・指導・SPTの枠組みを最大限に活用し、科学的リスク評価や生活支援と組み合わせた“支援としての診療”を実現している医療者たちがいる。

それでもなお、「支援」は「算定」に圧迫され、「対話」は「文書」に置き換わる。だからこそ重要なのは、制度の内にあっても理念を失わない医療者の倫理的態度である。

自由診療で理想を追求する人と、保険制度の中で支援を実践する人の間には、しばしば理念や手法の違いから対立が生まれる。しかし、彼らが目指している未来は、きっと同じ方向を向いている。

予防を“商品”ではなく“文化”とするためには、多様な実践を認め合う寛容さと、共通言語に基づく相互理解が必要だ。制度の中にいる人も、制度の外に立つ人も、「予防を社会の共通基盤にする」という志を共有することが、未来の医療を形づくる礎になるはずだ。

 

誰のための予防か

テスラの理想も、プリウスの現実も、それぞれに価値がある。だが、社会を本当に変えるのは、その「あいだ」に立ち、理念を実践する人々の選択だ。

予防を“選べる商品”から、“すべての人の共通資本”へ。

いま私たちは、医療の公共性をもう一度問いなおす地点に立っている。