哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』(1921年)の中で、こう述べました。
「世界の限界は言語の限界である」。
言葉にできないことは、存在していても認識されず、思考の外に追いやられてしまいます。
この命題を歯科医療に重ねると、患者が「クリーニング」という言葉しか持たなければ、その健康観は“お掃除”レベルに留まってしまう、ということになります。
2000年代初頭──「噛み砕き言葉」が必要とされた時代
2000年前後、日本で「予防歯科」診療の軸としてを掲げる医院はまだ少数派でした。
むし歯や歯周病は「発症してから治すもの」と捉えられ、定期通院やメインテナンスは文化として根づいていませんでした。
この状況で予防歯科を広めるためには、専門用語を避け、誰にでもわかる表現に置き換えることが不可欠でした。
「プラーク=歯垢」
「カリエス=むし歯」
「ペリオ=歯周病」
いかにも漢字による当て字のような翻訳でしたが、当時は普及のために必要な工夫であり、実際に患者さんへの理解を助け、医院経営の面でも有効だったのです。
「クリーニング」という言葉の影響
一方で、「わかりやすさ」を優先した結果、誤って浸透してしまった表現もあります。
その代表例が「クリーニング」です。
「定期的にクリーニングをしましょう」と伝えれば患者さんには響きやすい。
しかし、それは本来の医療行為を矮小化する表現ともいえます。
実際には、保険で算定できる SPT(Supportive Periodontal Therapy=歯周病安定期治療) は、単なる“お掃除”ではなく、歯周病の再発を防ぐための医療的プログラムです。
- プラークコントロールの評価
- 歯周組織の再評価
- リスク因子の確認(喫煙・生活習慣など)
- 将来予測の説明と情報提供
こうした一連のプロセスを含んでこそ、SPTは意味を持ちます。
クリーニングという言葉の浸透力が強く、あまりにも包括的に使われすぎたために、その医療的価値は患者の健康観から抜け落ちてしまうのです。
SPTという仕組みの理解
SPTはアメリカで体系化された考え方を、日本の保険制度に合わせて導入したものです。
もちろん制度の仕組みや背景には違いがありますが、ここで重要なのは優劣を比べることではありません。
大切なのは、どの仕組みであってもSPTが「継続的な管理と情報提供」を意味するという事実を、患者さんと正しく共有することです。そのために私たちができることは、「SPT」「リスク評価」「メインテナンス」といった言葉をきちんと使い、患者さんにも理解してもらうこと。これこそが、健康観を広げる第一歩になります。
目指すべき方向──メインテナンス型歯科医療と患者の自己決定
地域性や患者さんの経済状況によっては、自由診療だけで理想を追求することが難しいケースも少なくありません。
その現実を踏まえると、SPTという保険算定の枠組みは、予防型歯科医療を社会に広げる上で大きな役割を果たしてきたと言えます。
しかし、歯科医師という専門家にとって、SPTを“最終地点”と捉えるのではなく、その先にあるメインテナンスを見据える姿勢が大切だと思います。
保険診療を基盤として大切にしながらも、患者に「違いを感じさせる」メインテナンスを生涯にわたって提供していくことが求められています。そしてそれは、自由主義経済や民主主義という社会の枠組みの中で、患者の自己決定を支え、選択の幅を広げるための営みでもあるのです。
それこそが、歯科医師の責任であり、歯科医療の未来を拓く道だと考えます。
- 再発防止だけでなく、生活習慣や全身の健康まで含めた包括的な支援
- 患者とともに「維持・増進」を目指す長期的な視点
- そして、患者自身が専門用語を理解し、自分の口腔状態を言葉で語れるようになること
患者さんが「クリーニング」という表現だけを知っている段階から、「SPT」や「メインテナンス」を語れる段階へ進むとき、その人の健康観は飛躍的に広がります。
そして医院と患者の関係性も、より強固なものとなるでしょう。
その言葉の共有こそが、予防型歯科医療を次のステージへ導く鍵になるのです。
ウィトゲンシュタインの命題を借りれば、
「患者が語れる言葉の数だけ、その人の健康の可能性も広がる」。
かつては「クリーニング」という言葉で予防歯科を広めた時代がありました。
しかし、予防歯科が成熟段階にある今こそ、次に必要なのは 正しい言葉を共有し、SPTを超えて真のメインテナンスへ移行することです。
――「クリーニング」から「SPT」、そして「メインテナンス」へ。
その言葉の進化こそが、これからの予防歯科を支える礎となるのです。