予防時代の歯科医師の価値とは何か(後編)
——技術職から、未来価値を設計する医療へ

前編では、日本の歯科医療が1990年代から長い時間をかけて歩んできた
“大御所の時代からエビデンスの時代へ”という地殻変動を振り返った。

しかし、この変化は単なる技術や考え方の転換にとどまらない。
もっと深いところで、歯科という職業の重心そのものが移動している。
その影響は「歯科医師の役割」にも、「歯科衛生士の立ち位置」にも、
そして「医院の経営構造」にも表れている。

後編では、その大きな流れを読み物として追いながら、
予防の時代における歯科医師の価値を、経営という視点から捉え直してみたい。


経営が「技術」ではなく「継続率」によって決まる時代へ

治療中心の時代。
歯科医師は、いわば“腕で勝負する技術者”だった。
卓越した技術があれば患者が集まり、
華のある症例を示せば評価が集まり、
それがそのまま医院のブランドとなった。

しかし、エビデンスという視点が医療の中心へと入り込んだとき、
この構図は静かに崩れていった。
医療の価値が、
「すごい技術を持つ誰かの手」にあるのではなく、
“どの患者にも一定の結果を返せるプロセス”に宿るようになったからだ。

その瞬間、
歯科医師の価値は“技術者としての価値”から
“医療システムを設計する価値”へと移動していった。
この変化は、職能の変化だけではない。
医院という組織の価値構造そのものを変えてしまうほど大きいものだった。


技術がすべてだと思われていた時代の終わり

予防型医療が広がりはじめると、
歯科医院の経営は治療件数に依存する仕組みから解放されていった。

安定した継続率が生まれ、
予約が乱れず、キャッシュフローが予測できるようになり、
修復・補綴の自由診療に頼らなくても医院が育つ。

それまで、技術力が“医院の柱”だと信じられていた世界が、
継続率こそ医院の安定性を決める最重要の指標へと変わったのだ。

継続率が高ければ、
医院は時間とともに勝手に強くなる。
継続率が低ければ、
どんな技術があっても組織は疲弊する。

この構造に気づいたとき、
歯科医師の価値はもはや“治療をすること”だけでは説明できない。

患者が継続する医療をどう設計するか
という、より大きな視点が必要になる。
そして、この構造が明確になったことで、
もう一つの劇的な逆転が起こった。


歯科衛生士の価値が「補助者」から「医療の中心」へと転じた理由

1990年代まで、歯科衛生士の立場は低かった。
治療中心の歯科医療では、
衛生士の仕事は“治療の補助”とされることが多く、
その価値は十分に評価されていなかった。
いわば、暗黒時代である。

だが、時代は劇的に変わった。
歯科衛生士が歯科医療の主役へと押し上げられる決定的な要因が、
二つあったからだ。

① 歯科医師の管理下で、患者と直接「予防管理」を担えるようになったこと
検査、説明、リスク評価、行動変容支援。
患者が医院と向き合う時間の多くは、
医師ではなく衛生士によって支えられるようになった。
継続率が経営の核心になる時代に、
衛生士の存在は“医院の未来価値”そのものとなった。

② 歯肉縁下のスケーリング(SRP)が衛生士の専門業務として認められたこと
これは単なる作業範囲の拡大ではない。
歯周治療における核心部分を担うということは、
衛生士が“患者の歯の未来を直接左右する専門職”になったのだ。


この逆転を可能にした「臨床と思想」の中心に熊谷崇先生がいた

この二つの変化を、
理論と臨床の両面からつなぎ合わせたのが
熊谷崇先生である。

MTM(メディカルトリートメントモデル)は、
予防を「やさしいこと」「意識の話」としてではなく、
科学的根拠にもとづく“医療プロセス”として体系化した。

この枠組みの中で、
歯科衛生士は治療の補助者ではなく、
予防医療の担当者として存在することが前提となった。

こうして、
補助者だった衛生士が、
予防医療の主役へと劇的に価値を逆転させたのだ。


衛生士の定着率が“医院の未来価値”を決める時代

歴史を踏まえると、
現代の歯科医院の経営構造は非常に明確である。

衛生士の定着率は、そのまま医院の未来価値である。
・衛生士の力量が継続率を生む
・継続率が医院の安定性をつくる
・安定性が医院の進化を可能にする
歯科医師は治療の専門家であると同時に、
チームを育て、医療を設計する“組織の責任者”へと役割が広がっている。

医院の価値は、
技術力ではなく“仕組みの質”によって決まる時代に入った。
これは、歯科医療が
歯科技工中心の職能から、医療としての機能集団へと進化した証である。


価値の転換点と、これからの医療をどう選ぶか

歯科技工中心の時代、
治療中心の時代、
そして予防管理が主役となった現在の時代。
歯科医療は長い時間をかけて、
患者の健康価値に向かう方向へと確実に進化してきた。

そして今、
この転換点をどう読み解き、
自分の医院にどう活かすかは、
一人ひとりの歯科医師とチームに委ねられている。

その背景を整理し、
次の時代を選び取るための材料として提示することに、
今回の後編の意義がある。