日本の政治と歯科医療。
一見すると、まったく異なる世界に見える。
しかし近年、この二つの領域には、
驚くほどよく似た「劣化の構造」が進行しているように思えてならない。
しかもそれは、
政治家の資質や、歯科医師一人ひとりの志が失われたからではない。
両者を同時に縛り、
行動原理そのものを歪めているのは、
「短期的な評価でしか物事が測られない構造」である。
この数年、とくにそのことを強く感じている。
政治家は、なぜ軽くなったのか
私が政治に興味を持ち始めたのは中学生の頃だった。
三木武夫、田中角栄、福田赳夫、大平正芳。
いわゆる「三角大福」の時代である。
問題は多かった。
だが彼らには共通点があった。
「国家をどうするか」という問いを、真正面から引き受けていたことだ。
良し悪しは別として、そこには政治家としての“重量感”があった。
ところが、この10年ほど、同じ匂いを持つ政治家をほとんど見なくなった。
政治家は、制度によって「選挙の虜」になっている。
これは個人の劣化ではない。
選挙中心でしか評価されない構造が生んだ劣化だ。
歯科医療にも、まったく同じ構造がある
この話を歯科医療に置き換えると、さらに現実味を帯びる。
歯科医師は本来、患者の健康を守り、地域の健康寿命を支える専門職である。
しかし現実の歯科医療で、最も強い影響力を持っているのは、患者でも、科学でもない。
2年に1度の診療報酬改定である。
改定が近づくたび、業界はざわつく。
議論の中心は、医療の質ではない。
算定できるのか、点数は上がるのか、下がるのか、どこが削られるのか、
この構造が続く限り、「本来どうあるべき医療か」という問いは後回しになる。
政治家が選挙を中心に動かざるを得ないように、
歯科医師もまた、点数を中心に動かざるを得ない。
ここに、政治と歯科医療の構造的な相似がある。
事件が示していたのは「構造」だった
2000年代初頭、歯科界では政治献金をめぐる問題が刑事事件化した。
だがここで問いたいこと本は、事件そのものではない。
点数に影響があると感じた瞬間、業界全体が大きく揺れてしまう
その姿こそが象徴的だった。
行為の是非はさておき、問題は、点数によって医療の方向性が左右される構造が
あまりにも当然になっていたことだ。
事件は、構造の歪みが表面化した結果に過ぎなかった。
劣化しているのは、人ではない
ここで、はっきりさせておきたい。
政治家も、歯科医師も、能力や志が突然劣化したわけではない。
政治家は選挙制度に縛られ、歯科医師は点数制度に縛られ、
考える余地そのものを削られている。
だから、どれだけ優秀な人が現れても、構造が変わらない限り、状況は大きくは変わらない。
これは、個人の資質や能力の問題ではない。
問題なのは、政治家も歯科医師も、
短期評価でしか測られない構造の中に置かれているという事実である。
未来をつくるのは、構造への視線だ
政治も歯科医療も、短期評価でしか測れない構造を変えない限り、再生はない。
歯科医療で言えば、点数中心の思考から、一歩距離を取ることだ。
予防や長期管理の価値は、すぐには数字にならない。
だから評価されにくい。
しかし、その価値を評価しない限り、医療は確実に痩せていく。
予防を前提とした医療、長期管理を支える診療モデル、
専門職が専門性を発揮し続けられる環境、こうした「時間のかかる価値」を
どう支えるか。
そこに視線を向けることが、短期評価の構造から抜け出す第一歩なのだと思う。
点数に振り回される時代は、そろそろ終わっていい。

