【2026年】予防歯科の「カリスマ」亡き後、私たちはどこへ向かうべきか。

明けましておめでとうございます。 2026年、幕が開けました。

今年は、60年に一度巡ってくる「丙午(ひのえうま)」の年です。
世間では古くからの迷信が語られたりもしますが、歯科界における「60年」というサイクルにはもっと別の、抗いがたい重みがあるように感じています。

大学を卒業し、24歳で歯科医師という免状を手にし、最前線を走り続けて60余年。
歯科医師が「ミスター」と呼び、仰ぎ見てきたカリスマたちが歩んできた時間は、ちょうどこの干支が一周するほどの、長く、濃密な歳月でした。
一人の人間がその知性を研ぎ澄ませ、それを時代そのものへと昇華させるには、それだけの時間が必要だったのでしょう。

さて、新年最初のブログです。
そんな「巨星たちの時代」を経て、歯科医師は今どこに立っているのか。
少しだけ、希望の話をしてみようと思います。

 

■昭和という時代には、各界に「ミスター」と呼ばれるカリスマがいた。

たとえ野球に詳しくないX世代であっても、「ミスター」と聞けば、反射的に一人の顔が浮かぶはずです。

長嶋茂雄。

もはや説明するだけ野暮というものでしょう。
彼のプレーは理屈を軽々と飛び越え、見る者の感情をわし掴みにしました。
「あの人がグラウンドに立っているなら、今日は勝てる気がする」と思わせる、圧倒的かつ根拠のない安心感。 少し大げさで、どこか浮世離れしていて、それでいて時代そのものを背負って立つ。
そんな「華のある怪物」が、かつては確かに存在したのです。

 

■歯科界にも、確かに「ミスター」はいた

この業界も例外ではありません。
予防歯科の世界で「ミスター」といえば、誰もが同じ背中を思い浮かべるはずです。

熊谷崇先生。

「予防」という概念がまだ、どこか臨床家としては物足りない、退屈な公衆衛生の話ではないかと思われていた時代から、科学と臨床という二振りの刀を手に、黙々と荒野を切り拓いてきた存在です。
流行の波に目もくれず、ただひたすらに積み重ねてきた実践。
それは単なる手法を超え、後世が参照すべき「インテリジェンス(知見)」へと昇華され、私たちに伝播していきました。

同じように、各分野にも伝説的な「背中」がありました。
インプラントといえば小宮山弥太郎先生。
補綴といえば藤本順平先生。
彼らは自ら名乗ったわけではありません。
周囲が畏敬の念を込めて、気がつけばそう呼んでいた。
名前がそのまま「正解」を意味し、その存在自体が歯科界の「北極星」だった時代です。

 

■令和になり、ミスターは「勇退」した

そして時代は巡り、令和。
いま、歯科界を見渡しても「ミスター」の称号を一身に背負う若手は、なかなか現れません。

それは誰かの才能が枯渇したからでも、歯科医療の価値が暴落したからでもありません。
単純に、時代が「カリスマ」を必要としなくなったのです。

いま、スポットライトを浴びているのは「人」ではなく、高性能なデジタル機器であり、洗練されたシステムであり、冷徹なまでに正確なデータやアルゴリズムです。
かつての「巨人の背中」を必死に追う時代から、クラウド上で膨大な「インテリジェンス」をシェアする時代へ。
それは非常に健全で、そして少しだけ寂しい、静かな変化です。

何しろ、最新の口腔内スキャナーをどれだけ凝視しても、あの長嶋さんのような「何かやってくれそうなワクワク感」までは解像度に含まれていませんから。

 

■それでも、血肉となって残るもの

ミスターがいなくなったからといって、すべてが更地になったわけではありません。
むしろ、彼らが命を削って研ぎ澄ませてきた「インテリジェンス」は、いまや歯科医療の「OS」として、私たちの足元を支えています。

令和の歯科医療とは、カリスマの完璧な模倣を目指すゲームではありません。
先人たちが残した「歯科医師として、どう在るか」というインテリジェンスを、いかに自分たちのデジタルな日常に実装していくか。
これからは、そんな「知の運用力」が問われる時代なのだと感じています。

 

■新しい年のはじまりに

ミスターが先頭を走る時代は、幕を閉じました。
けれど、長嶋茂雄が、そして歯科界の巨人たちが残した「熱」は、「インテリジェンス」という形を変えて今も私たちの臨床の中に息づいています。

人が変わり、道具が変わり、AIが診断を助ける時代になっても。
「医療の本質」を鋭く突き詰める知見だけは、アップデートで消去されることなく、持ち続けていたいものです。

2026年、丙午の新しい年が、あなたにとって多くの学びと、心地よい対話に満ちた一年となりますように。 本年も、どうぞよろしくお願いいたします。