人間は動物である。声が心地よい。表情が柔らかい。仕草が愛らしい。話し方に落ち着きがある。私たちは、そうしたものに弱い。いくら理性的に判断しているつもりでも、人間のコミュニケーションの入口には、まず「好きか、嫌いか」「安心できるか、できないか」という生理的な判断がある。論理やエビデンスは、その上にかろうじて乗っているにすぎない。
このような考え方を非科学的だと感じる人もいるだろう。しかし、人間の営み全体から見れば、科学的なコミュニケーションのほうが、むしろ例外的である。科学者の言葉は、いわば修行僧の言葉だ。人間の言葉から情緒的な部分をできるだけ取り除き、実証と論理によって物事の価値を決めようとする。科学とは、その厳しい約束を受け入れた人たちの間で初めて成立する、特殊なコミュニケーションである。もちろん、それは極めて重要な営みである。ただし、人類全体が科学者のように会話することはあり得ない。科学者自身も、仕事を離れれば普通の人間である。
だからこそ、ホームページに院長やスタッフの顔を掲載することには意味がある。患者は、診療内容や設備だけで歯科医院を選んでいるわけではない。「この先生なら話を聞いてくれそうだ」「この医院なら安心できそうだ」という感覚も、選択を左右する。誰が診療するのか分からない医療機関より、顔が見える医療機関のほうが安心されるのは当然だろう。しかし、そこには節度が必要である。
最近、歯科界で人気のある長尺のホームページを見ると、院長やスタッフが何度も登場するものが少なくない。最初に院長が笑い、次に患者と話す院長が現れ、その下では治療する院長が写り、さらにスタッフと談笑する院長が登場する。ページをスクロールしても、同じ人物の顔が繰り返し現れる。これは「顔が見えるホームページ」ではない。「顔を売るホームページ」である。情報を丁寧に伝えているように見えて、実際には「この院長を好きになってください」という情緒的なメッセージを、写真によって何度も繰り返している。
一般の商品やサービスであれば、それもひとつのマーケティング手法かもしれない。しかし、医療機関が人間の生理的な好悪に過剰に寄り添い、それを利用して選ばれようとすることには、私は違和感を覚える。医療は、人気商売ではない。患者が選ぶべきなのは、感じのよい院長だけではない。自分の状態をどのように診断するのか。どのような治療の選択肢があるのか。それぞれにどのような利益と不利益があり、治療後には何が必要なのか。医療機関のホームページには、患者が冷静に判断するための材料が必要である。人間が情緒に動かされることを否定する必要はない。むしろ、否定できないからこそ、医療機関の側には自制が求められる。
一方で、科学的な情報だけを隙間なく並べたホームページも、私はよいとは思わない。論文のような説明、専門用語、治療成績、設備や資格。それらをいくら正確に掲載しても、患者の不安や迷いが置き去りにされていれば、言葉は届かない。必要なのは、科学的な正しさだけではない。患者が考え、迷い、質問できる余白である。
院長の顔は、信頼の入口として一度きちんと見せればよい。スタッフの表情も、その医院の空気を伝えるために必要だろう。しかし、そこから先は主役を医療に戻さなければならない。診断の考え方、治療の選択肢、リスクと限界、治療後の経過、そしてメインテナンス。長尺ページの「長さ」は、院長の露出を増やすためではなく、患者が自分で考えるための情報を届けるために使うべきである。
人柄は伝える。しかし、好感だけでは選ばせない。科学を示す。しかし、正しさだけで押し切らない。この両者の間にある節度こそ、医療機関のホームページに必要な品格ではないだろうか。人間は情緒で判断する。だからこそ、医療は情緒だけで選ばせてはいけない。
――バイアス、かかっています。
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