出戻り歯科衛生士が医院を変える

コンサルブログ | 2018年11月21日

復帰後に院長の片腕となった歯科衛生士

都内から横浜郊外を結ぶ私鉄沿線の人口急増地域にP歯科医院はあります。その医院に出戻り勤務する歯科衛生士の湯浅さんは、元々は医院のスタートアップの主力メンバーでした。当時から勉強熱心で利発な湯浅さんは、院内ミーティングでも積極的に発言するタイプ。一方、院長の有吉先生は物事を順序立てて説明することが苦手で、何事も体育会的なノリで上意下達に進めていく経営者タイプでした。ある時、予防歯科業務について、有吉先生はもっと画一的に短時間で進めることをスタッフミーティングで歯科衛生士に命じるように話すと、湯浅さんは「むし歯と歯周病を予防するには、個々のリスクに応じてコントロールすることが大切。画一的に短時間で行う予防業務は儲け主義で、患者さんのことを考えていない」と毅然と主張したのです。面子をつぶされた有吉先生は、「そんなことはわかっているが、経営的に保険でできないことはやらない。俺の指示に従え」と言い放ったのです。湯浅さんの主張は正論ですが、いかにも青臭い正義感から、有吉先生の歯科医師としてのプライドを傷つけたことに気がつくこともありません。片や、有吉先生も自分の不勉強を経営論にすり替え、予防業務の本質を知ろうとすることもしません。年齢的にも近かったこともあり、二人は医療業務以外のことでも何かと反目するようになり、最後は湯浅さんが自主退職することにより二人の確執は幕引きとなりました。

しかしその代償は大きく、湯浅さん退職後2年あまり経っても、P歯科医院では予防業務を推進する歯科衛生士が育たず、子どもとその保護者の姿は医院から激減していました。P歯科がある駅は、平均年収1,300万円程度のサラリーマン世帯が多い新興住宅地。1,300万円といえばサラリーマンとしては高収入の部類ですが、住宅関連費と教育費がかさむ家庭が多く、自費で歯科医療費を賄える人は歯科医師が思うほど多くはありません。ましてや口腔内の清潔な人が多いために修復治療の需要も少ない地域です。予防ベースのかかりつけ歯科以外はニーズがないために、P歯科の経営は低迷する期間が続きました。P歯科でも、湯浅さん退職後に、何人かの歯科衛生士を雇い入れましたが、院長の有吉先生の予防歯科への関心が低く、意識の高い歯科衛生士は長続きせずに退職する始末。そうかといって勉強不足の歯科衛生士を束ねてワクワク系歯科を展開するタイプでない有吉先生は、湯浅さん退職後3年余りで、閉院を検討するほどの窮地に立たされることになります。

そんな時期に、私が中部地区のデンタルショーを見学していると、G社のブースで洗口剤の説明をしている湯浅さんに出会いました。湯浅さんはP歯科退職後、一般歯科医院2軒に勤務しましたが、どちらの医院も自己都合で退職をし、G社の歯科衛生士に落ち着いていました。当時の有吉先生といえば、審美修復を金科玉条とするスタディーグループから距離を置くようになり、予防歯科の勉強をはじめだしていた頃です。そのことを湯浅さんに話すと、「ようやくですか」と嬉しそうに話す湯浅さんに、「カムバック賞を出すように有吉先生に伝えておくので、P歯科に復帰したら」と冗談を言い、G社のブースを後にしました。

そんな湯浅さんとの会話も忘れかけていた頃、有吉先生から「カムバック賞って、なんのことでしょう」と電話が入りました。まさか湯浅さんがP歯科へ連絡を入れるとは思ってもみなかった私は、有吉先生に事のあらましを話し、「メインテナンス専用の個室でも作って、三顧の礼を持って迎える準備をしないと、安定したメーカー歯科衛生士を辞めてまで個人歯科医院には戻らないのでは」と、発破をかけ電話を切りました。すると翌週に有吉先生から連絡があり、日曜日に湯浅さんと医院を個室化する相談をするので来て欲しいとのこと。「資金はどうするの?」と思案しながら、打ち合わせに出向くと「カムバック賞はメインテナンススペースの個室化ということで、湯浅さんに戻ってきてもらうことになりました」と話す有吉先生、その傍で「どうやら本気のようです」と湯浅さん。「歯科衛生士の信頼を得るためには、この程度は当たり前でしょう」と、資金調達の目処も立っていないのに妙に自信ありげな有吉先生。ですがその自信とは裏腹に、P歯科は湯浅さん復帰後も1年半あまり低迷しました。しかし、そこから約4年で、P歯科は歯科衛生士が8人在籍する中規模医院にまで成長しました。湯浅さんは私との「デンタルショーでの再会で婚期を逸した」と言いながらも、P歯科で新しい形の終身雇用制度をつくりあげ、現在も歯科衛生士として活躍しています。

ホームカミングデイの設置

いったんはP歯科を飛び出しただけに「戻るかどうか悩んだ」という湯浅さんの4年ぶりの復帰は、退職後もつながりがあったP歯科の患者Aさんとの会話に後押しされてのものです。パート歯科衛生士が欠勤して、有吉先生が代役としてAさんのスケーリングをし終えた時、「湯浅さんのような人が早く見つかるといいですね」と言われて、「湯浅さんのような歯科衛生士は1,000人に1人いませんよ」と、有吉先生は話したそうです。そのことをAさんから伝え聞いた湯浅さんは、居ても立ってもいられずにP歯科にメールを入れ、その時の有吉先生とのメールのやり取りから「かつて自分が在籍したP歯科にはなかった医院改革への意識」を感じて、これまでとは違うP歯科ならば、自分も新たな歯科衛生士としての挑戦ができるかもしれない。そんな思いから湯浅さんは「出戻り」を決断したそうです。自分の使命は「P歯科の歯科衛生士の働き方に新風を吹き込むこと」と湯浅さんは自覚しています。それは、いったん外の世界に出たからこその視点からのP歯科への貢献と言えるでしょう。その成果の第1弾がホームカミングデイの設置です。

ある時「カムバック賞を制度化できませんか?」と湯浅さんから連絡が入りました。「自分の実力を試したくて飛び出したのですが、転職を繰り返して自分にはP歯科が一番合っていると気づきました。きっと私のように感じている歯科衛生士は少なくないはず」と、湯浅さん。続けて、「私は有吉先生の好意で戻れましたが、それでもなんとなく肩身が狭い気持ちが復帰後にありました。カムバック賞を退職者への制度にすれば、そんな気持ちにもなりづらいですし、戻る人も多いと思います」と話します。実際、転職した歯科衛生士の多くから、「今振り返ると元いた医院は働き方を含めて自分には合っていた」と言う声をよく聞きます。中には戻りたい気持ちはあるけれど「肩身は狭い」との本音もちらほらと混じります。出戻りに踏み出すには、「肩身は狭い」という本人のバイアスを制度で取り除いてあげることが何よりも大切です。一方の歯科医院でも「一度退職したスタッフを再雇用したことがある」と話す院長は意外に多く、出戻りを制度化すれば、多くの医院で歯科衛生士不足解消の一助となるはずです。

湯浅さんの経験からも、退職した歯科衛生士が出戻りを決断するには、元在籍した医院との繋がりを維持することが第一のポイントというこがわかります。多くの歯科院長は案外気がついていませんが、退職者は元勤務先のスタッフと普通に連絡を取り合っています。しかし、こういったやりとりは医院では公にできないために、プラスに転じるコミュニケーションではありません。そこで、あえて退職者との交流を医院公認のものとして、退職者とのコミュニケーションを生かしていくという逆転の発想をしてみました。と言っても簡単なことで、暑気払いや忘年会を現役スタッフと退職者との交流の場と位置付けただけです。そして、その日を「ホームカミングデイ」と命名して、年1回懇親を深めながら転職先医院や他業種の情報を得る機会にしました。これによって、退職者の復職のきっかけになることはもちろんのこと、現役スタッフが退職者の現在の勤務先の話などからP歯科を評価し直す機会ともなり、離職率が下がるという副次効果も出てきました。

ホームカミングパスの発行

ホームカミングデイを設けて退職者との絆を維持しているP歯科ですが、ホームカミングデイに参加できるには「1年以上在籍して労働問題を起こさなかったこと」という簡単な条件を設けています。その上で退職者には「ホームカミングパス」を発行して再雇用を制度化しています。

「ホームカミングパス」の概要は、

  1. 1年以上在籍して退職後5年以内。(復職するまでの期限を定めたのは、辞めてから長期間経過すると、組織が大きく変わって出戻りスタッフとしての活躍が難しくなる場合もあるため)
  2. 退職後2年以内は同一部署(仕事内容)同一賃金で復職。
  3. 退職後2年以上は退職後のキャリアで部署(仕事内容)や賃金を決める。
  4. 再雇用は2回まで認め、それ以上は面談の上決定する。

上記のような内容が書かれたサーティフィケートを退職時に渡しています。

簡単にできることですが、その効果は大きく、P歯科でホームカミングパスを退職者に発行してから、2人の歯科衛生士を再雇用しています。有吉先生は「医院の文化などを理解したうえで戻ることを決めてくれるので、退職前よりも愛着を持って業務に取り組んでくれる」と言い、さらには、採用・教育コストが激減した上に即戦力として活躍してくれます。また、ホームカミングデイなどで交流があったため、現役スタッフとのコミュニケーションもスムーズにとれるとのことです。

ホームカミングパスを利用して、エステティシャンから復帰した歯科衛生士からは、「本当に使えると思っていなかったのですが、制度があったので、別のことに挑戦する時に踏み切りやすかった。もう一度歯科衛生士をやり直したいと思ったときは、P歯科に無性に戻りたくなった」と振り返っています。また、他院から復帰した歯科衛生士は「一度、医院を去ったことで、快く思わない人もいると思いましたが、ホームカミングパス制度があるため、みんなが「おかえりなさい」とあたたかく迎え入れてくれました。P歯科に貢献することで私の存在価値を認めてもらおうと思います」、そう意気込んでいます。このように復帰する歯科衛生士が増えることでP歯科は活性化していますが、スタッフの平均年齢が高くなり賃金比率も上がるという問題も発生しています。しかし採用コストとその労力を考えると、「些細なこと」と有吉先生は話しています。

若年層を中心に起業や転職へのハードルが低くなりつつあるとはいえ、まだまだ日本社会には「終身雇用」の慣行が色濃く残っています。歯科衛生士が母校に帰るような思いで復帰できる制度を用意することが、歯科医院でも取り組みやすい新しい形の終身雇用ではないかと思います。