歯科 開業のコンサルブログ

私たちの力を削ぐ呪いの言葉「8020」と決別しよう!

年が明け、またひとつ歳をとってしまう。「人生経験を積む」と言えば聞こえはよいが、私の場合、ただ世馴れただけのようで年々物事に新鮮味が感じられなくなっていく。流行りの楽曲を聴いても誰かのパクリに聴こえるし、映画を観ればどれも旧作のリメークに思え、SNSで評判の歯科セミナーを視聴すれば「あんなのは90年代にさんざんやった・・」と、ウンチクを垂れたくなる。知らなければ楽しめたのに、知っているばかりにつまらなくなってしまう。

これを「知恵の悲しみ」と呼ぶらしい。若い頃は知恵を身につけることに喜びを感じていたが、知恵がいったんつくと、世の中に新しいものがなく、すべてが虚しい繰り返しに思えてくえる。歯科商業誌はその最たるもので、何かが変わったと感じないどころか、焼き直し企画ばかりで腹がたってくる。こうした傾向は脳の老化現象かもしれないと思い、「毎日脳活・脳ドリル」を手にしてみたが、つまらないことを通り越しセンチメンタルになってしまう。

そういえば日本社会にも同じようなことが。最近は「失われた30年」というフレーズを聞くことが多くなった。最初は「失われた10年」だった。私が歯科業界に足を踏み入れたころで、バブル経済崩壊以降に経済停滞が続いた1990年代を指す言葉だが、経済停滞も私の業界キャリアもとうとう30年まで延びてしまった。日本社会は「失われた30年」の間「成長」も「追いつけ追い越せ」のメンタリティも失ってきたが、歯科業界はさらに深刻で、良い方向に変わっていく感覚さえも失っているように感じる。

一体どうすればよいのだろうか。遠い昔、予備校の授業で、現在では万葉集研究の第一人者となった中西進先生から、万葉集の歌は「読むのではなく詠むもの」「ただ言葉を求めよ。そうすれば感情がついてくる」と教わった。そのときはまるで部活の円陣での掛け声のようだ、と思う程度だった。

感情より先に言葉を求めよということか。例えば、歌を詠もうと花を見てまず感動しようとする。が、感動しない。老化で感性が鈍くなったのか、などと思うことなかれ、感動しなくても「いとおもしろき」と声にして半ば無理やり感情を引き出すのである。おもしろいから「おもしろい」と言うのではない。「おもしろい」と定めて声にしてみれば、おのずとおもしろみを感じてくる(はず)。

さあ、ここから何を始めよう? 「失われた30年」は、AIやDXで「生産性を上げること」や「働き方を変えること」で、良い方向に変えられるだろうか。それさえも工業立国日本のJapan as Number Oneへの見果てぬ夢の匂いがする。もう私たちはノスタルジーから離れて原点に還り「生き方を変えること」、万葉集に倣い「声を出す」ことでしか、何も変わらないのではと思う。

なにはともあれ、まずは「おめでとう」。そう口にして、おめでたい気持ちで年の初めを迎えよう。続いて私たちの力を削ぐ呪いの言葉「8020」と決別し、「KEEP28」と声にして、来年こそは、歯科業界と社会が共に良い方向に変わっていく感覚をもう一度呼び覚ましましょう!

むし歯0から次の価値を生み出すには

むし歯0から次の価値を生み出すには

デフレからの脱却を高らかに謳っていたアベノミクスはあえなくコロナに粉砕され、新しい資本主義と政策の呼び名は変えたものの、改善傾向にあった雇用指標も再び低迷して消費拡大につながる気配は一向にありません。その中にあって食料や家電・家具の『巣ごもり消費』は伸びたものの、政策によってモノが売れないデフレ状況は変えることはできず、変わりはじめたのは経済情勢ではなく私たちの生活様式でした。10年余りの間、為政者は変えるべきものを見あやまってきたことになります。むし歯0からおよそ20年間、歯科医師もこの国の為政者のように、変えるべきことやるべきこと見あやまってはいないでしょうか。

コロナによって変化しはじめた社会の中にあって、歯科はといえば、2022年度診療報酬改定率が、診療報酬全体は+0.43%に対して、歯科は+0.29%に留まり国の歯科軽視の傾向は変わらず、歯科医院(個人)の損益率は-1.2%で、衛生材料をはじめ院内感染防止対策による歯科材料費の前年度比5.1%の増加分もカバーすることができていません。これでは、コロナ対応で疲弊した医療提供体制を立てなおすにはほど遠い状況に歯科は置かれていることになり、経済同様に平成12年以降の停滞トレンドは続いています。

歯科医療費の総枠拡大が見こめない状況からか、歯科医院には国民医療費に含まれない自由診療に突破口を見いだそうとする雰囲気が充満しています。そんな歯科医院では「顧客満足」というスローガンが呪文のように唱えられ、「ネット集客」と「自費の安売り」がおりなす販路拡大の狂想曲が響きわたり、市場原理の中で歯科業界は活路を見いだそうとしています。

ユニクロ栄えて国滅ぶという論考にあるように、デフレと歯科医療費の停滞をエクスキューズにして、その場かぎりの「便利さ」や「安さ」ばかりから顧客満足を追求しようとすると、歯科医院は疲弊してその品質はますます劣化していきます。と言うのも、リスティング広告などのネット集客と自費という市場原理に委ねる歯科医院ほど、生活者との関係性が手軽に作れるために、患者との関係を長期的時間軸の中におくことで、医療の品質は作られるとするヒポクラテスの誓いにあるような医療者意識がうとくなっていくからです。

歯科に限らずどの職業でも顧客満足を図るためには、長期的に生活者側に立ち品質を追求していくことが求められています。よく言われることですが、非常に難しいことです。この20年あまりで、口内の状態は向上し12歳児のむし歯の数は1歯を切り歯科業界は一定の顧客満足をなし得た現在、次に生活者が歯科に何を期待し欲しているのか、本当のところはわかっていないために、自院のあり方を市場原理に委ねて迷走しています。これからの歯科業界には、1本のむし歯治療をふくらませて10の仕事を作る技術やマーケティングではなく、むし歯0を維持する品質管理と保証を抱合できる長期的顧客関係の構築が何よりも優先されます。

ところが近年の日本社会では、歯科業界が品質管理の手本とするべき、著名企業の三菱電機、京セラなどによる品質検査における不正は後を絶たず、製薬や医療など専門性の高い領域の業務にも品質の保証が喫緊の課題とされています。その際、厳格な品質管理の体制や仕くみが整っているだけでは意味がありません。先の著名企業をはじめほとんどの大企業は、詳細な品質管理基準や検査体制を整えていたはずだからです。実際には達成困難な高度な品質管理基準や、経済効率性や納期のプレッシャーから、現場ではルールから逸脱した製造や検査が常態化していたことが報じられています。

言うまでなく歯科医院では著名企業のような品質管理基準や検査体制を持つことはできませんから、専門家としての確たる倫理観が品質管理の要諦になります。信頼しうる品質保証を成しとげるためには、医療現場に関わるすべての関係者が、品質管理の意味を体得し、自身が関わる作業や業務に責任と誇りを持つ必要があります。そのために、専門家として気概ある職業倫理を保持し、かつ常に発揮し続けることが極めて重要なことです。「倫理なき品質管理は寝言」と称しても過言ではありません。

しかし、倫理の定義が難しく往々にして哲学的な議論になりがちであること、倫理観が欠如していると人を見なすのは物議をかもす行為であることなどから、倫理観の醸成はマネジメントの課題として取りあげられることは稀です。米国流のマネジメントでは、従業員のエンゲージメントを高めること/リーダー自らが範をしめすこと/倫理的な同僚と組ませること/倫理指導に投資すること/誘惑的な環境を減らすこと/利他的な文化を育むことなどが挙げられることが多いのですが、倫理観をそんなに大上段に構えて考える必要はありません。詩人の茨木のり子氏の詩の『小さな渦巻』の一節にあるように、「ひとりの人間の真摯な仕事は/おもいもかけない遠いところで/小さな小さな渦巻をつくる」、ひとつの仕事に真摯に向き合う姿勢が自身にも自分の周辺にも倫理観を醸成し、「それは風に運ばれる種子よりも自由に/すきな進路をとり/すきなところに花を咲かせる 」のです。

むし歯0から次の価値を生み出すものは、真摯な仕事から醸成された倫理観に裏打ちされた口内の品質管理で、そこから歯科医療の価値は無限に広がっていくのです。

誰のためのデジタルデンティストリーなのか

誰のためのデジタルデンティストリーなのか

大多数の歯科医師は、日々の臨床やその場かぎりの収益の追求に忙しく、またおおよそ半径数メートルの身辺事項にしか関心をもっていません。医療的判断においても、それは自分が「できるかできないか」「損か得か」の判断になるほかありません。医院経営の損得勘定も、本当は、社会構造の変化、政治経済、技術革新、社会情勢や世論などとつながっているにもかかわらず、そんな複雑系を考慮することなどできません。その結果、若い歯科医師の関心事は、もっぱら最新のデジタル機器を導入してインターネットによる集客といった目の前のことに限定されてきます。そこにはいいも悪いもなく、現実はそういう方向に向かっていっています。

歯科業界の現状を見れば、そのことを嘆きたくなるものの、ただただその現状を嘆いていてもいたしかたないでしょう。問題の根はかなり深く、かつ深刻といわざるをえません。問題の根が深いのは、歯科医師を取りまく環境が「今ここでのこと」にしか関心を喚起させないことを喧伝することに、歯科コンサルタント、ネット業者、歯科ディーラーが総出となり、やっきになっているからです。そうすると若い歯科医師ほど、業界のわかりやすい威勢のいい意見に同調し、自らの臨床や労働のありかたを熟慮することなく、競合と伍していくための集客競争に巻きこまれていきます。その結果がネットで集客して最新のデジタル機器を使っての生産性向上に集約され、知らず知らずのうちに歯科医師としての可能性を失っていくことになります。

歯科医師としての可能性を失っていくもう一つの要因は、近年の歯科医療の進歩において中核的な役割を担ってきたいわゆるデジタルデンティストリーがあげられます。デジタルデンティストリーは、歯科医療の技術革新の枠を超えて、歯科医療のワークフローを根本的に変革してきました。CAD/CAM修復や光学印象の普及により、補綴歯科治療の全工程はデジタル化されつつあり、補綴物の精度・再現性の向上、品質の均一性、技工及び臨床ステップの簡便化・可視化・データの共有統合がなされつつあり、近い将来、デジタル技術による新たなワークフローが歯科業界にも確立されるといわれています。

本来、人間の労働は、構想と実行、精神的労働と肉体的労働が統一されたものです。ところがデジタルイノベーションのもとでワークフローが確立され生産力が高まると、その過程で臨床における構想と実行が、あるいは精神的労働と肉体的労働が分断されていきます。従来、歯科臨床の構想と実行の分離は、診療工程を細分化して、医療従事者を分業させるという方法が広く行われてきました。例えば、一つの充填処置をするまでに、どんな工程があるのか、各工程で具体的な作業が、どの機材を使って、どのように進められるのか、何分かかるのか、ということを観察して、歯科医師1人でやっていた作業を単純作業へと分解していくのです。資料採り・審査診断・応急処置・予防処置・技工・充填処置といった診療工程は、1980年代ぐらいまでは歯科医師1人でになえる能力を有していましたが、1990年代にはこの一連の作業を歯科医衛生士と歯科技工士、歯科医師で分業するようになりました。

ところが近年では、歯科医師と歯科技工士の業務にはデジタルテクノロジーが占める割合が増え、歯科医師がデジタル化による分業システムに組みこまれていき、個々の患者に対して診療構想する機会を奪われている労働環境になってきています。そうなると、本来歯科医師として有しているべき診断力や洞察力が身につかなくなり、治療実行の面でもかつての歯科医師のように豊かな経験を積んで自分の能力を開花させることはできなくなっていきます。つまり歯科医師がデジタルテクノロジーを取りいれた分業システムに組みこまれていくことで、歯科医師としての臨床能力さえも失っていくのです。このような臨床環境の中で何年働いても単純な作業しかできない歯科医師は、もはや自分ひとりでは診療を完了する能力がないために、デジタル分業システムの中でしか働けないので、デジタル化による分業を組織する資本を有する大型医院の指揮監督のもと、マニュアルに従いデジタル機器に従属せざるをえなくなっているのです。かくしてデジタル機器に奉仕する歯科医療者が次々に誕生していきます。

このように診療構想と実行が分離された結果、歯科医師は構想する力を失い、医療者として主体的にふるまうことができなくなっていきます。単純作業へ閉じこまれることで、歯科医師が本来持っているはずの技能という富がどんどん貧しくなっていく一方で、歯科医師が有していた富がデジタル産業へと移行していくことになります。1980年代ごろまでは歯科医師が医療機材を使っていたけれど、デジタル化された現在の大型歯科医院では、歯科医師がデジタル機器に使われるという状況におちいっています。デジタル機器に依存することによって臨床がラクになることさえ、いずれは歯科医師にとっては責め苦になってくるでしょう。なぜなら、デジタル機器が歯科医師を診療実行から解放するのではなく、診療構想から解放するのであって、診療計画の内容を理解しない臨床を強いられることになるからです。無内容な臨床、もっぱら単純作業に従事するということは、自らの手で何かを生みだす喜びも、やりがいや達成感、充実感も喪失していくことになります。その結果、誰とでも置きかえ可能となり、歯科医師の存在はますます弱められていきます。

本来、医療者の診療構想(見立て・診療計画)とは、自分で自由に考え判断する能力を意味します。ですからAIやマニュアルに従って診療していながら、自らの裁量で診療をしていると思っているとしたら、それはすっかりデジタル機器に包摂されてしまっているのかもしれません。例えばウーバーイーツは、スマートフォンを使って、好きな時間に自由に働くことができる新しい働きかた、モノやサービスを共有・交換するシェアリングエコノミーとして注目されています。けれども街中でたびたび見る彼らの仕事は、ただ携帯の画面上に出る指示を追って料理を配達するだけのことです。労働内容は、完全にウーバーのアルゴリズムと携帯のGPS機能によって決められていて、冷めないうちに料理を届けることだけを求められれています。構想を奪われた労働には、創造性や他人とのコミュニケーションの余地はどこにもありません。そこにあるものは思考停止や孤独であり、本来、労働によって何かを生みだす喜び、やりがい、達成感とは対極に労働者は位置することになります。

デジタル化により、診療時間・治療精度・患者コミュニケーション・コスト・労働環境などあらゆる面で恩恵を享受でき生産性も上がると、歯科医療の未来を語る人は多いけれど、はたしてそんなにうまい話ばかりでしょうか? 私には若い歯科医師がウーバーイーツの働き手とかぶって見えてしかたないのですが。

クレセルブログ_歯科経営セミナー私の視点

歯科経営セミナー・私の視点

30代前半、会社を起こそうと決めたとき、多くの起業家と同様に法人設立の方法から経営者の成功物語まで多くのビジネス書を読みあさりました。当時ほど本を熱心に読んだことは人生でもそう多くはありません。しかし、今になってみると、読んだものがほとんど役にたっていなかったことにがくぜんとします。熱心に読んだこととその時間が仕事の糧となることとは別のことと自覚して、今になって冷静に考えてみると、当時、読んでいたものが本当にそのとき必要なものだったかも疑わしいのです。

何も残らなかったのも当然なのかもしれません。この人のように成功したい、そんな空想の中にいたときの私は、無意識のうちに自分自身の欠点や問題点に目を閉じていました。あのころは、先行者から何かを学ぼうとしていたのではなく、他者の成功物語を読むことで自分と向きあうのを避けていただけで、自分の力を推しはかることをしていなかったのです。今、思えば未熟で愚かなことですが、独自であろうとしながら、その方法を他の誰かの真似をすることにしか求めていなかったのです。

30代前半はそのような日々を送っていましたが、ある時を境にしてビジネス書のたぐいに急に興味が失せたのです。一つ一つの本で書かれている事柄は違うのですが、しばらくするとどれもこれも似たような印象しか残らないのです。小説でたとえるなら登場人物のキャラクターは違うものの、ストーリーはどことなく同じ。また、その内容に嘘は書かれていないけれども、閣僚の国会答弁のように言わないという形の虚偽に気づく本もたくさんありました。

そして決定的に成功者を自認する人の本を手にしなくなったのは、成功を語る人は、常に会社の規模、売上高を誇るなど量的な実績を声高に語り、ほとんどは質的な実感に関心を払っていないことも共通していたからです。早く効率的に事を成しとげることを、エクセレントと信じこんでいる米国的思考も、皆おかしなくらい似ていました。そしてもっとも大きな違和感は、成功を語る人が成功とは何か、その成果を改めて考えなおしてみる、私にとっては当たり前のことをしていないと感じたことです。そして、成功とは結果ではなく、大切なことを継続的に成しつつある状態を指すという考えを持ちあわせていないことも違和感を増幅させていきました。

彼らの成功とは、いかに効率的に多くの金銭を手にすることで、働くことと金銭を深く結びつける思考回路には辟易しました。私もこのダークサイドにいた時期があります。いつもいかに儲けるかを考えていると、成功とは継続的な状態であることを忘れがちになるのです。ひとつところで長く働きたい、ひとりの人を喜ばせたい、人と人の間の精神的、物理的な深い関わりを意味するケアという関係性、そんな素朴なことを真摯に思う気持ちが失せていき、「今だけ・金だけ・自分だけ」に傾注していきます。

どんなに多くの金銭を手にしても、どんな規模の大きな仕事をしても、どんなに生産を効率的にしても、働きつづけることへの敬意が持てなかったとしたら、その人は仕事を通じて豊かな人格を築くことはできないと思うのです。

仕事を通じて豊かになるとは、成功して立っている場所を、手にした成果を問いなおしてみて、自分のいる世界を作りなおし続けることではないでしょうか。時として何も生産できなくとも働きつづけることで、自分の中に理性や感情、自信、そして良識を育ててくれるのが仕事というものです。

ところが、歯科経営セミナーの多くは、今まで書いてきたことと正反対のことを喧伝しています。ここで述べていることと違えば違うほど盛況を呈しているようです。規模の拡大、業務の効率化、売上の多寡を追いもとめる一方で、歯科医師の価値観は理性的なもの、質的なもの、継続的なこと、ていねいなことなどから離れていき、歯科医療という仕事そのものが劣化してきています。その結果、歯科大学は凋落し、歯科衛生士学校の定員割れを引きおこしているように、若い人から見むかれない業界になっているのです。

歯科医師のビジネス本好きも出版社はおりこみ済みで、歯に関する特集をビジネス本は連発しています。そんな本を熱心に読んだり、経営セミナーに熱中したりしたところで、それは暗がりに逃げこんでいるだけで、自立して堂々と生きる歯科医師になることはできません。時代が変わっただけで、コロナ禍を経験しているだけで、歯科業界が浮上するような言説も散見します。そんなはずはありません。くさいものの蓋を開け、自分の現実から目を背けず、歯科業界の多数派からズレることを恐れずにいる、そんな歯科医師が増えることでしか歯科業界はよみがえらないと思います。そんな動機づけを真髄とする経営セミナーが今の歯科業界には求められています。

誰もが簡単に確実な方法で年商1億円歯科になるために

「金がすべてに優先する」という考えは、歯科業界の原則的立場になりつつあるようです。経済的基盤がなければ、歯科医師は医療者として社会のために生きようとはしません。

世の中の多くの人は社会正義のために生きているわけではありません。令和の今、それは社会保障の担い手の歯科医師にとってもあたりまえなことなのです。グローバル、グローバルと、市場原理主義が歯科業界にも浸透しだしてから20年あまり、ついに歯科医師は経済的基盤としてではなく、ためらいもなく人前で銭金の話をするようになりました。

最近、知人の歯科医師の記事を読むために、歯科雑誌のページをめくっていると、黄色に縁どりされた「1億円歯科医院の作り方」という記事が目にとまりました。歯科雑誌に掲載されるこのたぐいの記事はビジネス書の焼きなおしが多く読みながしていますが、それにしてもこの記事の内容の薄さ軽さは特筆もので、歯科業界の凋落を象徴しているようでした。

年商1億円を目標にしてコンプレックス広告をネットで拡散し、その費用を稼ぐために審美歯科という美名のもと治療を繰りかえす歯科医師の職業倫理の希薄さ、そしてそれを業界の最先端をゆく人のようにあがめる歯科雑誌の矜恃のなさにも、歯科業界の劣化が内包されているようで気もちが悪くなってきます。

「金が欲しいので、本当は効果が確かでない治療をする」「金が要るので、本当は肯定していないことを記事にする」、どちらも歯科業界は市場経済制度の中に存在しているとする合理的言明です。つまり「金がすべてに優先する」ことが歯科業界の原則的立場ということになります。

ところで、「年商1億円」というタイトルで読者の願望をあおっているつもりでしょうが、見る人から見れば日本の産業構造や市場経済について何もわかっていないことが一目瞭然のタイトルに過ぎません。

というのも、年商1億円程度の規模の会社や商店は世の中にゴロゴロしており、その売上規模はいつ潰れてもおかしくない事業者レベルに過ぎないからです。それにも関わらず、1億円の売りあげを目標にして、私立歯科大に2〜3千万円の学費を投じ、開業初期費用に6〜7千万円をかけて、年商1億円歯科医院をつくって何がうれしいのでしょうか。市場経済システムの中ではあきらかな失敗です。

こういうことを言うと「そういうことはその歯科医師や出版社のように稼いでから言えよ」と冷笑され、そして金もうけを批判するやつは嫉妬しているだけだ、という考えかたが現在の歯科業界には蔓延しています。

いつの間にか自らの経済基盤のよって立つところの承認など、どうでも良いとする業界になってしまったようです。歯科医院の経済基盤を確保するためにも、ここで立ちどまり考えてみる必要があります。

もうかるビジネスに参入者が少ない場合、その仕事の多くは他者の承認を得られない汚れ仕事と見なされているからです。職業倫理が歯どめとなり参入者が少ないからこそ汚れ仕事はもうかるわけです。欲望という底なしの需要に対して供給が限られれば、当然そこには超過利潤が生まれます。品質が高いからもうかるのではなく、その背後には市場原理の必然があるのです。

ところが歯科業界では汚れ仕事への参入者は少ないどころか、増加傾向に拍車がかかっています。しかも歯科雑誌も、歯科コンサルタントも、ネット業者も、こぞって汚れ仕事の需要喚起をビジネスにしています。歯科業界の誰もが他者の欲望のうちに自己の欲望を直観しビジネス化するという構図の中に生き、職業倫理などはどこ吹く風といった感じです。

他者の承認を得るもっとも簡単で確実な方法は、自分の価値観を他者と同じにすることです。
韓流スターのような白くきれいな歯ならびになりたい人の欲望を、タワマンに住み輸入車に乗りたい歯科医師の欲望が汲みあげ、それを金もうけや華やかな世界に憧れて集まったネット系ベンチャーが吸いあげていく。こんな欲望のループに巻きこまれていく歯科医師の群れを連想してみてください。

しかし、もっとも簡単で確実な方法で経済基盤を得ようとする歯科医師のことを誰が非難することができるでしょうか。専門家のことは専門家が批判するしか業界の浄化作用は望めません。倫理観や使命感のある人が過半数を割ると、どの業界も劣化してゆくといわれています。令和の今、浄化作用の効かない業界に歯科はなりつつあります。

市場経済社会では、人々は他人の望むものを手に入れてコミュニティーを形成します。元読売ジャイアンツの清原選手のような真っ白な歯の若者も、恵比寿あたりの雑居ビルの審美歯科医も、渋谷のネット系ベンチャーも、みんなで欲望のループを形成しています。

欲望は、私たちの社会で価値があるとされるどんなものにも置きかえられてきました。歯科医師の欲望は他人の欲望であり、ネットベンチャーの欲望は歯科医師の欲望です。つまり歯科医師の幸福は他人の幸福なわけです。と、すると歯科医師自身の価値はどこにあるのでしょうか?

あらゆる経済活動は恒常的な交換サイクルを創りだし、それを維持することを通じて人間の成熟を支援するしくみです。歯科医師自身の価値もそこに見出すことができます。治療・再診・メンテナンス・リコールといった価値交換機会をサイクルとして数多く持つ医院ほど歯科医師(院長)の価値が高く成熟しており、一方で新患獲得にやっきになる医院ほど問題を抱えているものです。

交換活動において安定的で信頼できるプレイヤーとして認められるためには、約束を守る、嘘をつかない、利益を独占しない(もうけすぎない)といった人間的資質=倫理観をそなえている必要があります。

しかし、市場原理を規範にした社会を目ざし始めた2000年以降、日本では金もうけの能力と人間的成熟の間のリンケージは切れてしまいました。頭でっかちのベンチャーでも詐欺師まがいの半グレでも強欲なエゴイストでも勢いに乗れば経済的に成長することができます。その延長線上に「1億円歯科医院の作り方」という記事はあります。

歯科医師も読むに足らない記事を読まなくても年商1億円の歯科医院なんて簡単につくることができます。1.立地に最大限の時間と資金を投じ2.初診集めの広告宣伝費として300万円程度を集中的に投下して3.予防風歯科で患者にお愛想を振りまき継続的に通院させることです。医療者の使命や倫理観などしちめんどうくさいことを考えずに、この3点だけで誰でももっとも簡単で確実な方法で金もうけだけならできるのが、市場原理社会での歯科医院経営なのです。

最後に小むずかしい注記をしておきますが、ヘーゲルの言葉を借りれば歯科医師は社会的承認を「個人(歯科医師の)の生存・幸福・権利が、万人の生存・幸福・権利の中に編みこまれ、それを基盤として、この連関のうちでのみ現実的になり、証される」 この美しい言葉の中にこそ歯科医師が市場原理主義から脱却して、社会に幸福に存在し医療者の権利を認められて年商1億円の歯医者になれる力が宿っていることを念のために付けくわえておきます。

コロナ不況の今こそ戦略的に縮もう
〜もう政治家も歯科医師も夢見る少女じゃいられない〜

コロナ禍で日本の多くの業種で否応なしに需要が縮んだ現状は、人口激減後の日本の姿と想像することができます。国内需要の減少による経済規模の縮小、労働力不足、国際競争力の低下、そして医療・介護費の増大など社会保障制度の給付と負担のバランスの崩壊、財政の危機、基礎的自治体の担い手の減少などさまざまな社会的・経済的な課題が深刻化するのが2040年代の日本といわれています。その日本の姿が、私たちの日常にこつぜんと現れてきたのがコロナ禍の現在です。

この1年あまりで歯科業界への影響も明らかになってきました。全国保険医連合会の調査で、学校検診後の2020年度の未受診率は歯科が62.3%で、医科診療科目の中では最も高いことがわかりました。予防管理にシフトすることに歯科業界が将来展望を描いている中で、この現状を漠然と不安視するのではなく、近い将来起こることしてとらえ、歯科医院経営の転機とすることです。縮むのにもエネルギーが必要です。医院に体力、経済に活力が残っている今こそ、経営モデルを人口減少に耐えられるようにする絶好のタイミングとするべきです。

政府も経済界もコロナ不況で傷んだ経済のV字回復の起点として、東京オリンピック開催に舵を切りました。さて、どうでしょうか。V字回復を目ざす必要はあるのでしょうか。V字回復を実現したとしても、遠からず人口減少によって経済規模は縮小するからです。2008年以前の経済規模に戻すエネルギーを、縮小した中でも利益が上げられる縮小均衡のビジネスモデルに多くの業種は切りかえることが必要とされ、歯科業界も例外ではありません。

インターネットを媒体として患者を集め、レセプト枚数を積みあげる歯科医院に人気の平成版ビジネスモデルは再考する時期にきています。平成30年度の国民医療費は43兆4,000億ですが、そのうち歯科医療費は3兆円、わずか7%でしかなく、昭和53年から昭和63年までは国民医療費とほぼ同じ増加率でその10%以上をしめていましたが、平成4年以降増加率は小さくなり、平成8年以降の歯科医療費の増加率は横ばいで 推移しています。歯科医療経済が縮小している状況で、インターネットで集客して自由診療の安売りをするビジネスモデルは、歯科医療経済の実態と均衡を欠いたバブルを作りだすのがおちで、2040年代にあるべき歯科医院経営からは乖離するばかりです。歯科業界の現実と近い将来起きることから目を遠ざけ、遠まわりをしている時間はないのです。

歯科医療費のパイは平成4年以降29年間も横ばいが続き、一方で歯科医院数は増加し、人口減少が始まるアンバランスな状況の中、拡大路線を唱える人は前例を踏襲して惰性で医院経営を考えているにすぎません。ビジネス本によくある「成功事例に学ぶ」に学び、成功しないパターンから抜けだせない中小企業の社長の群れそのものです。人口減少という事態を私たち世代は知りませんし、日本国民の誰も知りません。歯科業界でも人口減少社会の中で歯科医院を経営していくことを誰も想像できない、初めての時代を体験するのです。初めてのことに直面するのに、売上1億、レセ1,000枚、ユニット10台といった従来の拡大路線を当てはめようとするのは竹槍精神論で、自分たちだけは生き残れるという希望的観測に過ぎません。

菅総理がコロナ禍で開催するオリンピックの意義を、高校生時代にテレビを通して見た東京オリンピックで胸を熱くし、その感動を今の子どもたちにも味わってもらいたいという個人的なエピソードは、単なる懐古主義で日本社会にとっては最たる危機要因と断じていいでしょう。コロナ禍という危機状態で、希望的観測を述べる政治家の思考回路と人口減少社会にあって拡大路線を唱える歯科医医師の発想は同一線上にあり、その無思慮に絶望感を覚えます。もう政治家も歯科医師も夢見る少女じゃいられないのです。

横ばいから縮小するマーケットでは、薄利多売で売上高を競うビジネスモデルから、従業員1人当たりの利益高のアップと顧客生涯価値を訴求することが求められ、歯科医院も例外ではなく、スタッフ1人当たりの生産性の向上と高付加価値化に医院体制を転換することが必要です。歯科医院は自院の強みを再評価して、残すものと捨てるものを取捨選択すること、つまり戦略的に縮むのです。残すと決めたことには人材も資本も集中し、他院の追随を許さないように磨きをかけ、特化していきます。その他大勢の歯科医院と異なるサービスを提供することができれば、患者ロイヤルティーは高まり、それだけで競合歯科との直接の競争を避けることができます。ユニークなポジションをとりながら患者に価値を提供することで、歯科医院はサスティナブルなビジネスモデルを展開できるようになります。

国民皆保険制度が制定された1958年当時から人口減少が始まった2008年の50年間で築かれた歯科業界の価値感のままでは、歯科医院の伸びしろはなくなってきています。歯科業界の患者価値とは国民皆保険制度の均衡が保たれている上に築かれてきたもので、この価値の転換こそが戦略的に縮むことを意味します。

戦略的に縮むには、健康保険診療を大量生産して大量消費を促進する歯科医院と患者の関係から、歯科医師と患者が共同して作りあげていく医療本来の価値に回帰することが求められます。臨床を通じて歯科医師が患者の満足を喜び、患者が歯科医師に感謝するという個別的な関係は、健康保険診療の大量生産大量消費といった時代の中で希薄になってきました。大量生産大量消費の健康保険制度の時代、歯科医師にとって患者は点数であり記号でしかなくなる傾向が強く、投入した資本の回収、つまり利潤だけがクローズアップされてきました。この古びた価値観を人口が減少して国民皆保険制度の均衡が維持できなくなった今こそ転換するチャンスです。

生活者個々の健康状態、ライフスタイル、将来展望を細分化し、歯科医師の時間を切りきざんで、歯科市場の窓口を大きくする以外には歯科業界は需要を維持してゆくことは原理的に困難になります。高付加価値とは点数や記号ではなく、歯科医師の誠意と技術や知見といったものが微細な差異となって臨床に結晶したものであり、微細な差異を感知するところまで成長した患者との間に生まれるものなのです。

人口が減っていくのに、大規模化させて経済を拡大させていくという発想は、それ自体が矛盾しているため、崩壊に向かう拡大といってよいでしょう。これからの歯科医院経営に求められるのは、拡大・縮小の視点ではなく均衡するかどうかなのです。経営がうまく回れば、大規模でも小規模でも構わないのです。経営的均衡には歯科医師の誠意や知見と患者の満足や知識を均衡させることが求められるようになります。「拡大から均衡へ」歯科医院経営のキーワードはコロナ不況の今、変わったのです。

予防歯科セミナーを売りさばく人たち

世の中には、プレゼンのうまい人、資料をまとめるのがうまい人、先人のセミナーや講演内容をモディファイして話すのがうまい人というのがいます。歯科業界ではコンサルとか、海外学位を売り物にセミナーをする歯科医師といった人たちです。

もちろん彼らはそれなりに優秀です。リサーチ・分析能力に優れ、全体を見て物事を一般化し、抽象的な概念や目新しい論文を参加者のレベルに合わせて、上手に組みたててわかりやすく資料を作りあげる能力にたけています。「なるほど、そういうことなのか」と聴く人をうならせるプレゼン力もあります。タイムリーなキャッチーコピーをちりばめて、参加者のテンションをあげて、その気にさせます、あおります。

海外仕こみの専門知識を駆使し、著名人の言葉を引用しながら、歯科全般にわたっての質問をそつなくさばきながらそれなりの答えを出す。そういう汎用性の高いテクニックを身につけています。安価で受講しやすいオンラインセミナーが主流になる中、歯科医師たちが海外仕こみセミナーに傾注する気持ちも理解できます。

歯科メーカーやセミナーポータルサイトにとって、彼らは実にありがたく重宝する存在です。メーカーなど主催者側からすれば、大衆化する歯科医師にわかりやすい資料を作って経営提言までしてくれる存在は、集客のために喉から手がでるほど欲しい人材です。

彼らは日本の歯科医師の海外事例を無批判に受けいれやすい体質を熟知している上に、業界の作法もこころえています。近年は歯科医師とコンサルの境目も流動化して、特に技術力が問われない予防歯科では、一見ソフトタッチで実は慇懃無礼な歯科医師なのかコンサルなのかわからない行動様式の人がばっこしだしています。

かくして歯科医師とコンサルの共生関係が生まれます。「歯科医師主導」「コンサル主導」のもと、彼らが模倣した予防歯科プランが華々しく打ちあげられて、海外模様にラッピングされ歯科途上国の各地域の野心的歯科医師に下げわたされていきます。受けいれる側にあるものは洋モノだったりアカデミカルだったりすることへの憧憬で、どこかの新興宗教団体のお下げわたしのように無批判に受けいれる精神の惰性におちいっています。

しかし実行するのは経営母体の小さい歯科医院です。上手な作文で空中楼閣を描くような彼らのプランに果たして実効性はあるのでしょうか。ほとんどないことは目にみえていますが、結果を出そうと四苦八苦していると、結果が出る頃には彼らはしたり顔で別の新しいことを声高に話しはじめています。彼らは結果に責任を負うことはないのです。大衆歯科医師がインプットする前に目あたらしいことを矢継ぎ早にアウトプットすることが彼らの習いなのです。彼らのソフトタッチで慇懃無礼な声は、耳をかすめて空気に消えていき、決して歯科医師の意識の底に届くことはないでしょう。

かくして作りかけの予防歯科が不良資産のように歯科業界に山づみになっていきます。後始末はすべて受講歯科医院に押しつけられ、貴重な社会資産の健康保険財源は効果が定かではない予防歯科に食いあらされていきます。赤字国債が毎年度30兆円以上発行されている日本にはそんなゆとりなどありません。まあ、そんなことは知ったことではないでしょう。そしていつの時代も最後にババをひかされるのは患者であり、国民です。

そういえば、プレゼン上手なサンデル教授「ハーバード白熱教室」の必読図書とされているジョン・ロルーズ『正義論』の中で「社会の制度が何はさておき実現すべき価値は、効率性や最大幸福ではなく《正義》にほかならない」と言及しています。巷の予防歯科セミナーでは聞けない一節ですが、なにかいい感じがしませんか。

売れる職人型歯科医になるために

かかりつけ歯科医機能強化型歯科診療所(以下「か強診」)の施設基準は、生活者が「かかりつけ歯科医院」を選ぶ際の技術的インジケーターの意味もあると聞きます。というのも生活者が歯科医院を選ぶときの項目として「わかりやすい説明」「院内が清潔」「スタッフの対応がていねい」など定性的なものが上位をしめており、「歯科医療の専門性や知識」「技術力の高さ」など、制度の建てつけの意図の一つである医療費削減に結びつく「知識・技術」に関する回答は下位に低迷していたからだそうです(参考「「かかりつけの歯科医」についての意識調査結果」日本歯科総合研究機構)。そこで歯科医院の「知識・技術」をおしはかるために制定されたのが「施設基準」ですが、これは一考を要します。それは「か強診」の施設基準は歯科医院に新たな広告材になるために、かえって生活者の「かかりつけ歯科医院」の選択眼をまどわすことになることが懸念されます。そして医療者に求められる基本要素の「知識・技術・経験」の中の「経験」をはかる制定がなく、むしろ経験がある歯科医師の施設では届出が困難な項目が並べられています。ことの良し悪し、制度のあらを探せばキリがありません。それにしても私が7年前にスタディーグループ塩田義塾に寄稿した『売れる職人型歯科医になるために』は「か強診」の施設基準を前に時代錯誤なコラムに感じ、改めて歯科業界の時代の進みははやいと感じます。

『売れる職人型歯科医になるために』

「あそこは、入れ歯が下手だからインプラントをやっている」と歯科医によく聞くことがあります。以前から、インプラントに限らず「あそこは、治療は下手だけど金儲けは上手い」といったような思いは、技術には自信は持っているけれど経営はもう一息の職人型歯科医に潜在的にあるようです。こんな思いの背景には、技術を収益として最大化する意識が歯科界に育っていないことにもあると思います。こんなことを言うと「うちの技術は凄いから放っておいても口コミで患者がくる」というステレオタイプの指摘が決まって返ってきます。本当でしょうか?年々技術力の低い歯科医がインプラントなどを主力に広告宣伝し、従来の入れ歯とは違う先端医療の担い手のような顔をしている様を、職人型歯科医ほど苦々しく思っているのではないでしょうか。そんな思いから解放され、技術力も経営力も伴った“売れる職人型歯科医”に変わるためには、「売れるものとは何なのか」を考え直してみる姿勢が必要です。

~偽ベートーベンに見る、売れる仕組み~

数ヶ月前に世間を騒がせた偽ベートーベンこと佐村河内氏の所業に着目してみると、ことの善悪とは別として「売れるもの」の仕組みが見えてきます。問題とされた佐村河内氏の手法は、芸能界ではタレントをプロデュースする時には従来から行われている手法そのものでした。この問題を単純化すると、佐村河内氏の偽善的振る舞いとゴーストライターを使ったプロデュースを、マスメディアが見誤り美化した結果、佐村河内氏は売れっ子になったが、全ては嘘でメディアは一杯食わされたという図式になります。

ゴーストライターの存在が発覚しても、佐村河内氏の曲が本質的に素晴らしかったのであれば、現代のベートーベンの称号はゴーストライターに移り、評価されたはずです。しかし、ゴーストライター自身も認めているように、あの程度の曲は現代音楽を勉強した人ならば、誰にでも作れる平凡なものとのこと。つまり佐村河内氏の曲が売れた理由は、彼自身の背景に感動ストーリーを作り上げた偽善的プロデュース力によるものが大きかったわけです。このことは、必ずしも世の中は「よいものが売れる」わけではないことを象徴的に示しているのではないでしょうか。

~プロデュース力って、何だ~

歯科界にも佐村河内氏的な歯科医はネット上にウジャウジャしています。10万円インプラントを売りにする歯科医などはその典型です。彼らは技術の低さをプロデュース力によって、職人型歯科医よりも顧客満足を得ている向きもあります。ここでのプロデュース力とは、提供するモノからビジネスの仕組みを作り上げる力です。提供するモノと消費者ニーズのバランスをとる力と言い換えることもできます。法則化すると「価値提供(提供される入れ歯の質)」×「患者(消費者)ニーズ」のバランス感覚がプロデュース力になります。

ここで職人型歯科医のハードルとなるのは、「患者(消費者)ニーズ」、つまり消費者が「よいもの」と感じるモノを捉える力の弱さです。一概に「よいもの」といっても歯科医を取り巻く環境によって様々に変化します。しかしマーケティング定理として欲しいことは、歯科医の考える「よい入れ歯」(=技術的に優れたモノ)と患者の考える「よい入れ歯」(=そこそこの費用でそこそこの性能を持つモノ)には、ミスマッチが存在していることです。このような消費者としての患者心理や感情を理解することが、“売れる職人型歯科医”への転換には必要とされます。

~売れる歯科医に、法則あり~

“職人型歯科医”と“プロデューサー型歯科医”の違いを法則に数字を入れてイメージしてみます。プロデュース力の構成要素の「価値提供」と「患者ニーズ」は、前述したので説明を省きますが、「力量」とは歯科医の信用(評判や評価)と資金力(良い設備と材料を使える)、そしてネットワーク(レベルの高い人材と技工所との連携)などの総合力を意味します。

【職人型歯科医】

入れ歯には自信があるが、プロデュース視点がないため儲からない。その結果、最近では高い技工料が負担になりつつある上に、コミュニケーション力の高いスタッフを雇用できないことから価値提供も下落傾向。

法則を数値化すると、
「価値提供8」×「患者ニーズ3」×「力量5」=120

【プロデューサー型歯科医】

入れ歯は苦手だけれど、患者ニーズの把握に優れ経営は順調なため、技工料は高いが技術力の高い技工所が苦手の入れ歯をカバーしてくれる。結果として、まあまあの入れ歯を提供できるようになってきて価値提供も上昇傾向。

法則数値化すると、
「価値提供7」×「患者ニーズ9」×「力量7」=441となり、総合力では技術力の劣るプロデューサー型歯科医の方が優位になります。上記法則に落とし込んだ数字はイメージに過ぎませんが、昨今の歯科界のトレンド、臨床バカ(失礼!)な歯科医ほど経営難になる傾向を表しています。

 本拙文が、ぜひ昨今の歯科のトレンドを変え、「よいものを作れる」塩田義塾の方々に、“売れる職人型歯科医”の範となっていただく契機になって欲しく思います。

予防歯科生産性の限界

歯科医院の予診表には、その時々の地域の歯科医療ニーズがあらわれています。およそ10年前に20医院400枚の予診表の来院理由を整理したことがあります。予診表欄にチェックされた主訴はといえば、むし歯由来が6割、歯周病由来が1割、検診・予防由来が1割、補綴由来が2割で、来院者の大半がむし歯かそれに関する修復治療という印象を持ち続けていました。

それでも8020達成率50%を達成した2016年ごろには、さすがにむし歯6割に対して歯周病1割ということはないのではとは思ってはいましたが。当時から4年経過した昨年、ある組合健保に歯科医療費比率の説明を受ける機会がありました。「歯周病由来」が10に対して「むし歯由来」の治療費支出が1という説明を受け、「そんなことがあるの?」と違和感を覚えました。別の健保組合で歯科医療費の科目比率の質問すると、同じような数字でした。

以前の予診表の主訴比率が頭にあるために、歯周病由来が10に対してむし歯由来が1という数字は、にわかに信じがたいものでした。予診表の数字から10年、8020達成率50%から4年がたち、国民の意識も口腔状態も変化してきたのでしょうが、それにしても歯周病10に対してむし歯1という数字は、国民の口腔内の実態をあらわしているとは思えません。

そこまでに歯周病のニーズが上がっているのなら、Google の検索キーワードのボリュームにも反映されているのではと思い、調べてみました。すると、1位歯列矯正 2位ホワイトニング 3位むし歯 4位歯周病 5位インプラントという順の検索件数。ネットではニーズとウォンツが混在して表出されているのでしょうが、3位のむし歯は月間で約100,000アクセスに対して4位の歯周病の約94,000アクセスは、市場経済を反映したものでしょうが、健保組合の数字のような不自然さは感じません。

ネット上の数字の非合理性を差しひいても、健保組合の歯科治療費の歯周病とむし歯の比率10:1という数字は、やはり違和感をぬぐえません。このことを何人かの歯科医師に聞いてみると、意外そうな表情をしながらも、しばらくすると納得した感じで、なにやら不可解なようす。

不合理を感じたときは、うがった見方をするにかぎります。そこで、素人目線で疑ってみました。予診表やネット上に顕在した数字以上に、生産性を上げるために潜在する何かを歯科医療者が掘りおこした結果が10:1であると想像してみると、なんのことはない、10:1という数字は、歯科医療者の労働者としての”意見”で国民の口腔内の実態とはいい切れない側面を表しているのです。保険点数・算定要件・施設基準を合理的に運用したのは明々白々で、10:1という数字は歯科医療者のウォンツと考えるべきでしょう。それはルールにのっとって活用したのですから、目くじらをたてることではありませんが、歯科医療の未来が少し気になります。

保険点数が高くなれば、より少ない人数で今までと同じ保険点数を生産することができます。その場合、経済規模が同じなら、院内失業者が生まれてしまいます。一方で現行の労働法のもと、院内失業者をむやみには解雇することはできませんし、統制経済の健康保険制度のもとで保険医は、制度が有利な時に稼げるだけ稼いでおきたいのが人情です。こうして、雇用を守るため、可処分所得を増やすために、絶えず経済規模を拡張していくような強迫観念にかられて、外部環境の変化に弱い大型化やチェーン展開する医院になる傾向があります。

そうやって保健点数の大量生産へと舵をきった歯科医院は、生産性向上のループから抜けだすことができない。人口減少が進もうと、労働力人口が減少しようと、大型化・チェーン展開に突きすすみ、近年の急速な高齢化と人口減少による患者減に加え就業者不足という外部環境に起因する生産性の限界にはまっていきます。近年では、高度成長期に人口密度が高くなった都市部周辺地域に展開した法人分院の廃院が、人口減少の影響を受けての廃院が目につきはじめています。これなどは装置産業化した歯科医院が、生産性の限界に落ちた典型といえます。都市部でも、集客力の高い施設に集中展開する医療法人歯科が、ベンチャーキャピタルから経営支援を受けて、実質的乗っとりにあう事例があります。これは、限りない生産性の向上を目指して、限界突破に失敗したけ結果といえます。

規模に関わらず医院内部で起きる生産性の限界に「生産性の罠」があります。保険制度のタスクを分解し単純化(マニュアル化)することで、業務習熟度を向上させ生産性を上げるという大いなる勘ちがいです。マニュアル化することにより、働く人の意識までも単純化が助長されていくと、何事にも楽をして考えなくなり仕事が単純作業化していきます。作業化された診療体制に患者満足度は落ち、その結果、生産性が下がっていくことになります。

そもそも歯科医院は「生産性の罠」におちいりやすいのです。それはその根本原因が歯科医院の内部環境と外部環境によることよりも、現行の健康保険制度の欠陥にあるからです。歯科医師が、医学的見地からみて最適な診療行為をおこなったときに、それが歯科医院の経営的観点から、必ずしも収支のバランスをもたらすものではないということ。医学的最適性と経営的最適性の乖離は、一方では医の倫理という深刻な問題を内包しています。歯科医療に投下された希少な保険財源の配分は「生産性の罠」によって著しく歪められるという状況を生み出しています。

例えば、老朽化した施設、耐用年数を過ぎた医療機器、診療目的や内容を充分説明しない、消毒滅菌は国際水準に満たないなど、なにもしない歯科医院ほど生産性は良くなるのです。こんな逆進性からも、歯科医院の「生産性の罠」は他の産業では考えられない統制経済がもたらす弊害といえるでしょう。

ここまで書いてきて、本ブログはあまりタイピングが進みませんでした。

というのも、統制経済下の国民皆保険制度は、社会保険医療機関として歯科医療を通じて公益性を守り、公助を行うことで機能を発揮します。ところが、近年の新自由主義的な政策に引きずられるように、歯科医師全体が経済的に自由になれば社会の利益が最大にできるという考えに傾斜し、公益の柱の一つである社会保障から離れていっているからです。

歯科業界で日常的に生産性という言葉を使う事態が、その傾向を端的に表しています。歯科医院が「生産性の限界」から逃れるには、国民皆保険制度の原点に戻りひたすら公益を追求して生産性を求めないか、財源のリスクを国民皆保険制度に求めることなく、産業化して品質と信頼性をとことん追求するのか、どちらかに舵をきることしかないでしょう。さて、あなたの医院はどちらの針路を選びますか。

今こそ、歯科医師に哲学を。

宇宙、自然、歴史、芸術、法律、政治、経済など、そして医学も哲学として論じられることは珍しくありません。それはあらゆる学問や仕事を動かす根本原理であり、哲学には専門領域はないからだと思います。例えば医学は医療の知識と技術でなりたっていますが、哲学があるからこそ医療職も含めて人々の心に訴え、人を動かし、医療的成果をあげることができるからです。

歯科医療に哲学はあるでしょうか。「歯科診療とはどういうことなのか」「正常と異常の違いはどこにあるのか」「健康と病気の違いはどこにあるのか」という問い。これらはすべて、歯科医療の哲学の領域と考えています。あらゆる分野で、それを成立させるための基礎論として哲学があるのです。ところが歯科業界に関わりだしたころから今にいたるまで、歯科医療ではそこのところがほったらかしにされているように感じています。むし歯の治し方は歯科医療の知識と技術の領域ですが、「どうしてむし歯になったのか、どうすればむし歯にならないだろう」と考えることは歯科医療の哲学の領域です。哲学なくして、歯科は医療として成立しませんし、歯科医師は歯科医療の理想像を持つことができないのです。

しかし、歯科医師は歯科医療を根本的に成りたたせている問いを突きつめることよりも、もっぱらテクニカルなことや経営などの枝葉末節をうんぬんし続けています。いくら技術的にすぐれた歯科医師であっても、他の領域や業界のプロと呼ばれる人と組まなければ何ひとつ物事は成しとげることはできません。広く人を動かすのは経済的要素だけではないのです。歯科医師の考えていること、大げさなようですが哲学が人を自発的に動かすのです。こんな現象は、日経MJ(流通新聞)などを読んでみると、大手企業が中小零細他業種の考え方に動かされて協業する記事がひんぱんにでていて実感できます。一方で歯科医師はどうでしょうか、経済基盤で一連托生な歯科産業を動かすことにとどまっています。

そうはいっても「歯科医師に哲学」とは、的はずれなことを言っているのかと思う向きも多いはずです。しかしどうでしょうか、どんな仕事においても一流の人は哲学を持っています。歯科業界にも哲学を持つ一流はいるはずです。私が歯科業界に飛びこんだとき、はっきりと持っていた価値観がありました。それは「歯科医療以外の話ができる歯科医師から学ぶ」ということです。それまでいくつかの業界で、ルールの運用やハウツーを要領よく使いこなし一流と呼ばれている人とはたくさん出あってきましたが、時代や社会を見る時、総じて経営畑の人であれば経済的な側面からしか見ていないし、技術畑の人であれば技術的な観点からしか見ていないのです。自分の存在する領域や業界の枠ぐみを超えたところから全体を見わたそうとしない人の仕事は、広く人を巻きこむことができないため、時代や社会のエンジンになることはないのです。

歯科業界に人脈もなく医療の知識もない私は、大学の専門家からは臨床家の、臨床家からは専門家の評価を聞き、「この人なら社会へメッセージを発する力がある」と感じる歯科医師に講師をお願いして、セミナーをひんぱんに開催していた時期がありました。こうして歯科業界のスペシャリストと目される人のセミナーを主催して収入を得ながら、自分は門前の小僧として歯科医療全般を繰りかえし学んできました。儲けながら学び、そして歯科医師でない私が社会参加する意識を持てる仕事を歯科業界で得るには、こんなしたたかとも思われるしわざしか方法がなかったのです。

それはビジネスとして成りたっていましたが、歯科業界の中ですべてが帰結していくばかりで、次第にやりがいもなくなり自分の仕事に理想を求めなくなってきました。なぜなのか今になって考えると、門外漢の私には分不相応な優秀な歯科医師ばかりが講師をつとめてくれていましたが、その話には同時代性や社会に対する問題意識、私にとっては哲学を感じるものがなかったのです。それは講師の歯科医師からだけではなく、受講する歯科医師の姿勢からも感じることはありませんでした。このような状況は長く続き、唯一シンパシーを持つことができたのが予防歯科の講師をつとめてくれた歯科医師の話でした。もう業界に入って10年近く経っていました。

その歯科医師はむし歯の治療方法以前に、歯の自然治癒について、自然治癒できるむし歯の段階について、自然治癒の促進方法を文献と自院データにもとづき科学的に論証していました。そしてむし歯にならないための生活習慣とそのモチベーションのつくり方、さらには予防的歯科医療を展開するための方法論や組織論まで開陳していました。この予防的歯科医療を突きすすめる歯科医師の姿勢から、歯科医療の理想を求めるための哲学を感じたのです。今でこそ予防的歯科医療は常識となりつつありますが、修復補綴の自費治療セミナーが全盛の時代に、きわめて社会的なアプローチをする歯科医師の登場でした。当時の私は日本プレスセンタービル内の日本記者クラブ会員でしたが、医療保険改訂以外では、その歯科医師が記者クラブに呼ばれて講演をした初めての臨床家だったと記憶しています。それほどその歯科医師の登場は、狭い歯科業界の枠を突破するインパクトのあるできごとだったのです。

その歯科医師の言動に歯科業界以外の人も動かされたのは、「現在の歯科診療は口腔を健康にしているのか」という根源的な問いを持っていたからにほかなりません。多くの歯科医師はスタディーグループに参加したり、文献を読んだりして知識を得て歯科医療ロジックやテクニックを身につけていきますが、歯科医療で最も大事なことは「なぜ」と問うセンスなのではないでしょうか。患者をみていて「これはおかしいのでは」と問うセンスが、現在の歯科医療のあり方や社会を見ていて「これはおかしいのでは」という問いにつながっていくのです。口から人へ、人から生活へ、生活から社会へと横断的に「なぜ」を問いなおすセンスが、発症後の治療から発症の予防へと歯科業界の意識を変え、治療重視から予防重視へと生活者の健康意識をも変化させていくのです。

しかし、近年は「なぜ」と問うセンスが、人から数字そのものに向けられてきて、少しの異常を見つけては治療や予防処置をする傾向があります。こういった傾向は、検査をして病気ではないことがわかり安心する患者の気持ちを理解していないこと、そして予防歯科は検査を繰りかえすのではなく、患者の行動や家族の行動を変える教育をすること、この理想から歯科医師が離れていることから起きているのではないでしょか。

歯科医師はもっと社会の真ん中に出て行き、歯科医療の理想を哲学することが必要です。哲学を持なければ理想は語れません。今のままでは、歯科医師は社会の中で予防医療を中途半端に妙に小賢しく知っている人にとどまり、他の領域や業界の人と組んで物事をなしとげることはできません。今こそ、歯科医師に哲学を!

マニュアル化とデジタル化は歯科医を幸せにするだろうか?

「院長なんて言われていい気になって、若いスタッフを使い、気苦労していたことを考えると・・・こうやってタクシーの運転手になってホッとしていますよ」
たまたま東京駅から乗ったとき、そう話しかけられてビックリしました。

11月中旬のこと。初老のドライバーは、私の携帯にかかってきた歯科医師との会話を聞いてか、私を歯医者と勘ちがいしたようです。「年とともに売上は落ちる一方」「衛生士はいつかない」「もうアナログの時代じゃないから」「マニュアルなんて信用できない」云々。

「労働基準法というのは徒弟制度を認めませんからね。技術を教えてあげているのに、勤務医にボーナスまで払え、その上に残業代だ、有給与えろ。仕事を身につけて一本立ちさせているのに、払うどころか、もらいたいくらいですよ。もう歯医者は個人ではやっていられない時代になりました。ねえ、そうでしょう」。あいまいに相槌を打つ私に「診療所のデジタル化で踏んぎりがつきました」と。20分たらずの乗車でしたが、歯医者という仕事は世の中からなくなりつつある仕事だということを実感したでき事でした。

もちろん今はまだ稀なことですが、専門職の歯科医師が雇用調整弁とされるタクシー運転手に転職することも不思議ではない時代は刻一刻と近づいてきています。歯科医師(勤務医含む)の収入を時給換算すると平均時給は3,000円です。平均時給1,800円のタクシー運転手に転職して、くだんのドライバーのように気苦労や法律の矛盾に腹を立てない働きかたを選ぶこともあり得るほど、歯科医師の経済的アドバンテージは低下しているのです。そして経済的なことだけではなく、職業としてのやりがいも歯科医師よりドライバーの方がよほどあるようすでした。

専門職で高収入のように思われてきた歯科医師という職業ですが、時給比較図からは「どうもそうでもなさそう」な感じです。最近開業した歯科医師ならばわかるでしょうが、開業歯科医師の生活費は月額50万円程度の生活水準の事業計画でなければ、よほど資産家でない限りは銀行はお金を貸してくれません。それにはわけがあり、年収600万円程度ならば歯医者の倒産リスクは1%程度と読んでいるからです。厚生労働省の調査からは平均的サラリーマン程度の収入しか見こめない職業の歯科医師が、派手な生活をしたり、あるいはするための手段として高額な医療機材を購入したりすることが、歯科医院経営のリスクと考えているのです。患者が少ないことよりも、収入に見あわない生活をしたがる経営ー歯科医師の姿勢が経営の最大のリスクということなのです。

話を働きかたに戻します。たとえば日本の開業歯科医師の平均年間労働時間は、ゆうに年間3,000時間は超えているはずです。予防型歯科医院が規範とするスウェーデンの平均年間労働時間は約1,600時間ですから、日本の開業歯科医師の約1/2の労働時間です。日本人歯科医師がスウェーデンの人々のような口腔環境を作れたとしても、当の歯科医師のワークライフバランスはスウェーデン並みに改善されるのかは疑問です。働きかたと仕事の質はおおいに関連するため、スタディーグループに参加する時間があったら、今は歯科医師みずからの労働環境を考える方が良い仕事ができるようになるはずです。いくら高邁な理想を掲げてみても、歯科医師みずからの働き方が過酷では、よほど強靭な意志と体力を持つ人でないかぎり、過労やストレスからスウェーデン並みの口腔環境をつくる理想は絵に書いた餅になるでしょう。

図の左側の仕事ほど、長時間労働をしなければ収入が増えず、そしてマニュアルワークに適した仕事であることが見てとれます。チェーン展開する大型医療法人から、マニュアルワークとデジタル歯科が進み、診療のオートメーション化が加速しています。そしてこんな歯科医院ほど技術が容易に習得できるからと若手スタッフは集まり、患者は患者で高度な歯科診療が受けられると思っています。歯科業界全体も産業化を望む傾向があります。それはパターン認識による保険診療の大量生産ができる医院ほど、現行制度の歯科業界では経営優位に存在しやすくなってきているからです。

オートメーション化は歯科医業には追い風ですが、一方で歯科医療としては必ずしもそうとは言えません。こういった考えは時代に逆行すると思う向きもあると思います。確かにIBM Watson Healthのように診断に関しては、人よりもAIの方が優れているようになるでしょう。しかし、患者がどのような社会環境の中に、どのような暮らしかたをしているのかを知ること、同時に患者の個性を理解することが治療や予防を進めるには求められます。そしてそれによって診療のオートメーション化では求められない医療の品質を担保することができるのです。

マニュアル化やデジタル化がもたらす生産性という呪縛から離れてみると、これから歯科医師がするべき仕事がみえてきます。図を見ていると左側の仕事ほど「誰かを幸せにする」という意識がなくても生産性が上がる、さらに言えば幸せなんてことを考えないほど生産性が上がりもうかる仕事です。つまり大量生産のベクトルに乗りやすく誰にでもできる仕事です。

歯科医院のマニュアル化やデジタル化は、歯科医院の生産性を上げる一方で、そこで働く歯科医師の医療専門職という特性を消滅させ、単なる歯科労働者となっていくことが明らかです。要は「人間が本来するべき仕事」からは離れていくのです。その結果、低賃金長時間労働で非人間的な仕事にたずさわるならば、「タクシードライバーの方が気楽でやりがいもある」という歯科医師が出現し、歯科医師会に代わって労働組合が歯科医師の幸せをになうことになるような気さえします。

そう考えてみると、マニュアル化やデジタル化は、「歯科医師を幸せにするのでしょうか?」その先にいる「患者を幸せにするでしょうか?」 マニュアル化やデジタル化による生産性の向上を追いもとめると、歯科医師の専門家として希少性は薄れ、単純労働化は加速して、銀行の見こみどおりに歯科医師は年収600万円の単純な労働力として産業化した歯科医院に存在する日はそう遠くはないでしょう。

売る気ゼロの歯科医師はなんともカッコ良い

歯科医院のホームページから飛びこんでくるものは、科学的医療者の言葉ではない。生活者目線の歯科医師の言葉でもなく、一語一語が収益を産むための言葉、お金のにおいを発しています。治療結果よりも収益。目先の集客、当座の金欠問題を解決するためのキャッチコピーがほとんどで、そのさまは沈みかけた船での座席争いの狂騒曲が極みに達しようとしている感じです。古くは「インプラント」から、今では「マウスピース矯正」「かみ合わせ治療」「予防歯科」から“買って! 買って!”のキャッチコピーの狼煙があがり、その火炎は医療人のインテリジェンスを焼きつくし、残ったものは歯科医療のビジネス化という気がします。

こんな状況はどこからきているのか、真剣に考えたことがあるでしょうか。歯科業界はグローバル化! デジタル革命! と騒がしいのですが、それによって浮上するのは歯科関連企業と一部の商売上手な歯科医院です。従来の良心的歯科医師が得意としていたリレーションシップ医療は、産業構造の改革によって新しい分野を開拓しなければ、商売上手な医院の一人勝ちになるのは明らかです。その理由は簡単に言えば、歯科医療をビジネスと割りきれる歯科医師と同じ市場で競いあうことになるので、大型化やデジタル化の差は歴然と利潤利率にあらわれるからです。つまり医療人を貫くことは、一将功成りて万骨枯る覚悟がいること、商売上手は栄えて医療人は疲弊する歯科業界で生きていくことになります。

こんな状況は新自由主義を標榜し、グローバル化! デジタル革命! を推進する政界ではすでにおきています。大胆な金融政策、機動的な財政政策、成長戦略を柱とする「3本の矢」の行方はどうだったでしょうか。名目GDPや出生率の実績は目標に遠く及ばないそれは、マウスピース矯正でまさかの歯根吸収で揺らぐ感じの不安な社会でしょうか。「3本の矢」の眼目の金融政策も物価上昇率2%目標の的を大きく外して7年半、その矢もつきる顛末はマウスピース矯正でかみ合わせまで崩され、根拠希薄な「かみ合わせ治療」のコンサルテーションを聞かされる退廃した社会の出現です。

それもこれも、グローバル化! デジタル革命! と国民受けを狙うあまり実現を裏づける根拠にとぼしい目標を立てて、その達成が危ぶまれると、「地方創生」「一億総活躍」「全世代型社会保障」といった内実の伴わない新たなキャッチフレーズを次々に繰りだし、目先を変えて7年半の史上最長不倒は、コロナ禍の中、保険点数改定でなんとなくハッピーエンドな「予防歯科」といった感じです。

しかし歯科医療はそうそううまくはいかないでしょう、生活者は甘くはありません。金融政策や財政政策と比べて、歯科診療は生活者にとって身近で切実な問題です。キャッチコピーやイメージで7年半もまどわされはしません。たとえ歯科リテラシーが少なくとも、グローバルやデジタルにうとくとも、生活の問題として怪しいものを察知する嗅覚が人々にはそなわっているからです。

歯科医療も政治もSNS時代の潮流に合致したタイムリーなコピーで、生活者に清新な印象や最先端な印象を与えるだけでは到底いいわけがありません。歯科と政治のどちらも根拠と結果に真価が問われているからです。自分の身に起きたことの根拠と結果を知る権利が人々にはあり、人々の身に起きたこと起きそうなことへの説明責任が、政治家にも歯科医師にも職責としてあることは言うまでありません。

さかのぼればインターネット黎明期に、マーケティングやマネジメントといった活動が利益を生むことをわりとまじめに学んでいましたが、当時はキャッチフレーズ(言葉)の良し悪しで収益が何倍も違いを生むなんていう話は、聞いたことがありませんでした。しかし、その当時たまたま参加した読書会で手にしたジョン・ケーブルズの『Tested Advertising Methods』は、天野祐吉さんの広告論を世相論として読んでいた私には衝撃的でグローバル化の洗礼を受けた思いでした。

それは、うまくいく広告とうまくいかない広告がなぜあるかを突きとめた書籍で、3ステップ方式で広告をクリエーティブで効果的なものにすることを目ざし、それまでのコピーライティング、デザイン、テストの仕方を大きく変えるものでした。ケーブルズの広告システムはインターネット社会になった今、より効果的なレスポンス・マーケティングになった一方で、大きな弊害も引きおこしています。この頃から「思い」を伝えるキャッチフレーズは、「利益」を誘導するキャッチコピーへと変わっていきました。

今ではケーブルズの広告方式をベースにしたレスポンス広告はネット上を草刈り場として、新聞・TVなどの広告審査ならばはじかれてしまうコピーを毎日のように生活者に送り続けています。生活者の関心を引くことを目的としているため根拠やデータの真偽など二の次で、誘引的で誇大なキャッチコピーの洪水がネット上にあふれ、レスポンスの高さやアクセスの多さが言葉の価値になってきました。このことは政界や歯科業界だけのことではなく、どの業界でも同じで、ドナルド・トランプのTwitterがいい例です。

インターネットの普及によって出版不況は加速しましたが、当の出版社自体がネット上でのマーケティングに傾注するさまは痛々しくさえあります。古くは本の書きだしの数ページが売るためのツボでしたが、それがインターネット黎明期には装幀のデザインに代わり、インターネットの普及にともない本の帯にあるキャッチコピーが売るためのツボになっていきました。あげくのはてには装幀や帯のコピーから、出版関係者が書きこんだネット通販の口コミへと誘導して拡販へとつなげていくのが、売れる本の鉄則となってきています。帯のキャッチコピーからアマゾンの口コミへ誘導、本屋は本屋で平積みされた本のポップからレジカウンターへ誘導することが、販売促進のセオリーとなってきています。

気がつけば、政治も歯科業界も本屋も“買って! 買って!”のシュプレヒコール。気のきいたキャッチコピーは一時的に人々の耳目を集めても、社会にまんえんする物事の本質に至らず、各業界の根本的な問いから目をそらすことにならないでしょうか。過剰な作りこみや内実のないキャッチコピーがあふれるホームページに食傷気味の私には、売る気ゼロの歯科医院のホームページはなんとも頼もしくカッコ良く見えます。

イタチごっこのマーケティングに呆れた私の心情を射る一文に出会いました。
「当時の岩波文庫の棚は暗かった。裸本に帯を巻いて、その上を透明なグラシン紙で覆っただけの装幀だった。そのグラシン紙が店頭でどんどん劣化して茶色くなっていく。だからどの本がどれかわからなくなる。そうした売る気ゼロの岩波文庫が中学生の僕にはたまらなくかっこよく見えた。」

(早稲田大学教授の都甲幸治さんの『「街小説」読みくらべ』から引用)

さすがに今では岩波文庫はグラシン紙でおおわれてはいませんが、ごくシンプルな装幀で良書に過剰な宣伝は不要とする矜恃があらわれています。

政治家のキャッチコピーやSNS、歯科医院のホームページ、本の帯コピーは、ひと息で発音できる心地よさを社会に吐きだし続けています。彼らは見出しだけですべてがわかった気になる言葉が、優れたキャッチコピーと考えていて、中身は問わない。しかも、そういった思考停止のキャッチコピーを多用すればするほど、政治家ならば支持され、歯科医院ならば自費が増え、本ならばベストセラーになると思いこんでいる節があります。

問題は、思考停止のキャッチコピーを安易に流布させると、そのコピーが指ししめすところの内容についてその言葉を発する彼ら自身を磨きあげていくことが次第に困難になることです。キャッチコピーによって場あたり的な対応に終始しなければならなくなり、社会には内実が伴わない政治家や歯科医師、そして書籍があふれかえっていくように感じます。

どうやらケーブルズの提唱した広告は、今の世の中には歪められて広まってしまいましたが、ケーブルズの慧眼は現代社会を予見していたかのように「広告とは教育である」といった趣旨を著書の中で説いています。以前はケーブルズに刺激を受けたものですが、今では正反対の売る気ゼロの岩波文庫のような歯科医師の出現が待望久しいこの頃です。

迷走する予防歯科から「自助努力」をアラートする予防歯科へ

新総裁に就任した菅さんは「自助・共助・公助」をスローガンとしています。その意味するところ、「まずは個人が自助努力し、それで足りないところは家族やご近所など身近なコミュニティーで助け合う。それでも困った場合に、政府や自治体など行政が出動する」という、社会保障の世界では昔から言われている考え方です。このスローガンを指してあまりにも新自由主義的ではという声もありますが、さしたるイデオロギーも感じない菅さんのこと、自由主義国家の社会保障制度の基本理念を踏襲しただけのようにも思えます。

ところで、この「自助・共助・公助」を基幹とする社会保障が依って立っているこの国の社会の仕組や価値観、理念、哲学といったものを、社会保障制度の一翼を担う歯科医師は理解しているでしょうか。察するところ形式理解に留まり実質理解に至ってはいないようです。そのためか、知らず知らずに非社会的なおこないをする傾向があります。このような歯科業界にとって、業界支持政党の新総裁のスローガンは、業界の社会性を質すに千歳一隅のチャンスです。今一度、社会保障制度の実質について、ざっと学び直しをしてみてはいかがでしょうか。

歯科医師の非社会的おこないの一例として、予防歯科セミナーを俎上にのせてみます。「ユニット3台で年商1億円の予防型歯科医院の作り方」などと銘打たれた、よくあるヤツです。SPTで患者を管理して位相差顕微鏡と唾液検査を絡めて体系的なカウンセリングを試み、患者のモチベーションを高めて自費治療が出来る仕組み、こんなで年商1億円!と、なんだかやけに景気のいいコピー。ところがなんのことはない実態は予防をかくれみのにした“予防は保険で治療は自費で”といった古臭い金権歯科養成セミナーにすぎません。

このようなを推奨する予防歯科セミナーに歯科医師が群がるのも、日本の公的医療保険制度の理念「自助・共助・公助」を理解していないからで、そのことが無自覚ながらご法度破りをしてしまう土壌をつくっているように思います。

公的医療保険の理念を理解するには、その基となる自由主義の理念の説明が必要になります。近代社会の理念は、個人の自由と基本的人権を普遍的な価値とすること。これは中学校の社会で誰もが習うが誰も覚えていない自由主義国家の基本理念です。簡単に言えば人間はみんな自由に行動し、自分の望む人生を選べることが尊いとする考えです。

一方で自由に生きる前提として、一人ひとりが自分の責任で生きていかなくてはならない社会を認めることを求められています。病気や怪我、失業、被災といった人が生きていく中で起こり得る事故については、必然的に自分の責任で対処するのが基本となってきます。これが、菅さんが強調する「自助」の意味であって、「共助・公助は社会保障制度では当たり前のことではないの?」と質問したら、「それは全くあたらない」と一蹴されるはずです。

このことは社会保障制度審議会勧告の中で、「国民が困窮に陥る原因は種々であるから、国家が国民の生活を保障する方法ももとより多岐であるけれど、それがために国民の自主的責任の概念を害することがあってはならない。その意味においては、社会保障の中心をなすものは自らをしてそれに必要な経費を醸出せしめる社会保険制度でなければならない」と明確に定義されています。

参考:社会保障の財源は保険料60%・公費(税金)30%・資産運用10%で医療は都道府県が中核になり運営している。
制度は国が作り、運営は都道府県が行い、医療サービスは主に民間が提供する。

上の社会保険制度のあり方で言わんとすることを整理すると以下のようになります。

  1. 自助―自ら働き稼ぎ自らの健康は自ら維持する
  2. 共助―自助できない場合は生活のリスクを相互に分散する「共助」が補完する
  3. 公助―「自助」「共助」で対応できない困窮などの状況に対して生活保障を行う

社会保障制度のあり方を単純化したところで、その哲学に基づいた公的医療保険制度の実質に「年商1億円の予防型歯科」セミナーのセンテンスを照らしてみます。「SPTで患者を管理して」は、いつまでも管理するのではなく「自助努力=ホームケア」で健康を維持できる状態に患者を導いて「共助」「公助」をできるだけ発生させないようにすることが、社会保険医療機関の実質に合致することになります。「共助」「公助」で患者をいつまで「自助」に導かずに管理することが、公的医療保険制度に準じた予防歯科ではないのです。なぜなら、形式=診療報酬制度は、「自助」を第一とする社会保障制度の哲学に基づくものでなければならないからです。

「位相差顕微鏡と唾液検査を絡めて・・・・・・・自費治療が出来る仕組み」このセンテンスには、内閣官房健康・医療戦略室次長など多くの役職を務める江崎禎英さんの見識に照らしてみます。

先般発行された日経MOOK『ヘルスケアの未来』紙上での江崎さんの見識は、今後の公的医療保険のあり方を示唆する上で非常に興味深いものです。その概要は、「生活者が病気になってから病院に行くのではなく、生活者の医療・健康データをかかりつけ医が管理して、疾患の可能性がある場合には治療に来院するよう通知したり、データに変化があった場合は予防のために患者に運動や食事をアドバイスしたりするのが、患者と医療機関の関係になる」となります。さらに「ある程度のデータ量が蓄積されれば、AIを用いたビッグデータを解析して発症リスクをアラートする、つまり自覚症状が出る前に医師が患者にアプローチする医療が基本」になると続きます。

オーラルフィジシャン・チームミーティング2019(山形県酒田市開催)にて講演を行う江崎禎英さん

日経MOOK『ヘルスケアの未来』:日本経済新聞出版

「年商1億円の予防型歯科」セミナーが推奨する「共助」「公助」を使い続ける次世代型予防歯科は、江崎さんの示唆する「自覚症状が出る前に医師が患者に発症リスクをアラートする医療」と比べて、重症化を前提としていてどこにも先進性がありません。本来の次世代型予防歯科とは重症化して「共助」「公助」が継続発動されないように「自助努力」や「適切な受診時期」をアラートするデータベース予防医療を社会に提供するものです。どちらがとして社会と歯科業界の未来を明るくするか論ずるまでもありません。

予防先進国のスウェーデンを規範として、そう遠くない将来に「自助努力」「適切な受診時期」をアラートする次世代型予防歯科の出現が待たれます。予防歯科の泰斗である日吉歯科診療所の熊谷崇先生の下で学ばれた徳島県開業の川原博雄先生の論文http://www.sat-iso.net/kawahara/index.htmlを読むと、江崎さんの提言に応じられる実力を有する予防歯科も既に存在していることが実感できます。その一方で、このような歯科医院がなかなか増えていかないことも事実です。生活者と社会が本物とそうではない予防型歯科医院を見分けることができないからでしょうか?それもあります。しかし、根本的な問題は医療者側にあるのではないでしょうか。「歯科医師が本物を評価して目指す意識」「歯科業界が本物を見出して社会に知らしめる気概」そのどちらも希薄なことが、本物の予防歯科が社会に広がっていかない要因になっているのだと思います。

コンサルタントにご用心!2
集患対策の見せかけの経営効果にだまされないために

歯科医師が歯科コンサルタントに求めているのは、結局のところ何をすれば医院経営の業績が上がるのだろうか、ということにつきると思います。
そのために歯科医師は医療者でありながらビジネス書を読みあさったり、経営セミナーに参加したりするわけです。

ところがです。歯科医師の期待に反して、歯科業界に進出しているコンサルタントやホームページ業者の主張している「効果」は、彼らが強調しているほどにはたいしたものではありません。それどころか、場合によってはその方策や戦略は、本来業績や中期業績には悪影響をもたらすのに、あたかも良い効果があるように見えているだけのことすらあります。

念のために、歯科コンサルタントやホームページ業者が意図して歯科医師をだまそうとしている、といっているわけではありません。実は当の本人たちですら、そんなことに気づいていない可能性があるのです。つまり単に勉強不足で、思慮不足な場合が多いのです。そうでなければ、たとえば「6ヶ月で業績が120%アップ」などといった誇大妄想なキャッチを平気で並べたてることができるはずはありません。

そうはいっても、「ある経営手法を導入した予防型歯科医院と、導入していない保険診療をおこなっている予防型歯科医院を比較すると、年間売上げが120%も違った」などというある歯科コンサルタントのホームページのコピーを見たら、その手法がわかるDVDを導入したくなるかもしれません。

あるいは、あるホームページ業者が推奨するSEO対策の効果を見せられて、グラフの片方の軸には複数の歯科医院の業績を、もう片方の軸にはそれらの歯科医院がとった方法を示して両者の関係を図示することで、そのSEO対策はいかに効果があったかとわかるイントロダクションには、思わず飛びつきたくなる気持ちもわかります。

はたまた、歯科業界トップクラスの歯科医院がどういう先進的な取りくみをして高い業績を上げているかベンチマーク調査をして、その取りくみをグループ学習するセミナーにも参加したくなるはずです。

このような経営効果分析の結果は、データらしき数字を見せられることも多いだけに、一見すると説得力があります。しかし、歯科医師の中には「ほんとうにそうなのだろうか、なんだか眉唾だな」と疑った経験もあるのではないでしょうか。実は、そんな直感はまちがっていないことがほとんどです。

話は横道にそれますが、大学で産業組織論を教えている友人からの、
「うさん臭い経営セミナーが散見される歯科業界にあって、本当に歯科医師はその内容を了として受講しているのか?歯科医師はその内容ではなく、セミナー講師から誘導テクニックや話術を学びたいだけではないのか」という言葉さえ耳にします。

そのために、歯科医師が経営効果に関する誤った情報をうのみにしないためにはどうすればいいのかを考えてみます。ここでは、歯科コンサルがよく提案する経営戦略や方策を例にして、その意味するところを解説しながら、歯科医師が「見せかけの効果」にだまされないための考えを示してみます。その思考回路こそが医院経営の基本にもなりますから、枝葉末節に拘らずおおざっぱに書きすすめてみます。

それでは先に挙げた予防型歯科医院の120%収益率向上を俎上にあげて説明してみます。

「ある経営手法を導入した予防型歯科医院と、導入していない保険診療をおこなっている予防型歯科医院を比較すると年間売上げが120%も違った」

たとえば「ある経営手法」を「リコール手法α」と仮定します。「リコール手法α」を採択している歯科医院のサンプルを集めます。仮に100医院のサンプルに対して「リコール手法α」の実施度合いと利益率のデータを収集します。さらに「リコール手法α」以外にも影響を及ぼしそうな要因である
・医院の規模
・医院の開設年数
・患者の年齢層
・歯科衛生士数
・地域の特徴
・景気動向
などのデータを収集します。そして「リコール手法α」が歯科医院の収益率に与える影響を回帰分析し統計的に検証するのが従来の経営学的なアプローチです。

しかし、多くの予防歯科経営セミナーでは、ベンチマークにする優良なサンプル(予防型歯科医院)が少ないために、収益に影響を与える要因の洗いだしはできないケースがほとんどです。ですから「リコール手法α」のような経営手法が、幅広く予防歯科医院に当てはまるかどうか回帰分析ができていないのです。したがって経営学的に「リコール手法α」は収益率に影響を与えたかの判断できないのが実際です。そのためこの手のセミナーは、マネジメントサイエンスからは程遠く、ベンチマークとなる予防型歯科医院を範にするセミナー参加歯科医院の営業コンテストのようになる傾向があります。

さらに近年の経営学では、回帰分析による効果検証からさらに進み、そもそも予防型歯科医院は「リコール手法α」を採択することになぜなったのか、その意思決定に影響を及ぼす要因が収益率を劇的に向上させた真の要因ではないかと考えられています。経営学では「内生性の問題」といいます。どういうことかと言えば、歯科衛生士の採用が難しいために、その予算を優秀な受付スタッフを採用するために使い、力量の高い受付スタッフが雇用できました。その受付スタッフが「リコール手法α」を実施したところ、収益が劇的に向上したとします。そうなると収益が向上した因果関係に「リコール手法α」は弱い影響しか及ぼしていないことになります。収益が向上した要素の多くは「優秀な受付スタッフの雇用」ということになるのです。(図1)こんなことは、歯科医院経営を数年していれば、「そういえばあれは結果オーライだった」と思い当たる節はあるはずです。ですから「コンサルタントにご用心!」、自分の直感を信じようと声を大にしているわけです。

【図1】

さらに、今や当たり前に使われている「ビッグデータ」や「IoT」など、さまざまなデータを集患に活用して医院経営を加速させようとする動きをPRしているホームページ業者もいますが、そんな「ネット集患対策は厳重にご用心!」です。ホームページ業者も生活者の日常生活の関連データなどの入手コストが下がり、より歯科医院サイドに立った施策の検討が可能になっていることは確かです。しかし、データアナリストと言われる、データ調査 / クレンジング / 変換 / モデリング/ 分析 / 有用な施策の導出 ができる人材は現在の日本では希少で、ニッチな歯科業界にそういった人材がいるとは考えにくいのです。仮にそんなデータアナリストが、歯科医院のネットマーケティングに関与したとすると、そのコスト負担をできるほど収益が高い医院は日本にはほとんど存在しないため、本末転倒な結果になるはずです。

現に歯科ホームページ業者は統計学的に正しい広告効果測定ができているかどうか怪しいのが実情です。統計学では(疫学でも)交絡因子による影響と呼ばれていますが、歯科ホームページ業者は、このことを理解しているようすがないのです。(図2)


【図2】

図2を例に説明します。月間アクセス数が500の歯科医院サイトに業者XがSEO対策をすると6ヶ月で月間アクセス数が2,500になるとの説明があったとします。この場合、差分の2,000は業者Xの施作による純粋な効果として対価が設定されていることが通例です。

しかし差分の2,000は、もしかすると、3~4月の転入転出の引越しシーズンと入学入社の時期で歯科検診に対する生活者のニーズが高まっているトレンドの影響かもしれません。特にアクセス数の増減は、視認性・視界性といった立地要因と人口数に負うところが多いというのが私の認識です。SEO対策においてはトレンド要因・人口・立地要因が「交絡因子」になり、エリアマーケティングをしていないホームページ業者では効果的なSEO対策は難しいのではないかというのが私の見解です。

毎日のように送られてくるホームページ業者からのFAX・DM、ネットを開けばページ上部を占拠する歯科コンサルのリスティング広告、これらのほとんどは「内生性の問題」や「交絡因子」を顧慮しない「見せかけの効果」を誇示したものです。現代の経営学では、過去の統計分析の結果をさらに統計的に総括する手法をとり、「見せかけの効果」を排除していきます。その結果、ある法則が一般に広く当てはまるかどうか検証しています。真摯な予防型歯科医院が、何百、何千、何万という群の個人口腔データを集め統計分析して臨床に落とし込むのと同じです。その一方で、そんなことは気にもかけずに「統計分析がなんぼのもんじゃい」とばかりに「見せかけの効果」をネットでPRする者が儲け上手なのは歯科もコンサルも同じです。令和になってもコンサルタントにはご用心!です。

ビジネススクールでは学べない歯科医療の経営学

現代において歯科医師をする意味を答えられますか

「歯医者って何をする人ですか?」
予防歯科を標榜する歯医者が患者のEPARK君から不意に聞かれた。
「むし歯を治したり予防をしています」
するとEPARK君はさらに突っ込んでくる。
「予防をする意味って何なんですか?」
歯医者は答えに詰まり、「だから予約サイトの患者は面倒なんだ」と呟きながら、悪意の口コミも頭をよぎる。

歯医者と聞けば、予防歯科と聞けば、どんな仕事をしているかはだいたい想像がつきます。
でもそれは、本当にわかったと言えるのでしょうか?
現代において歯科医師をする意味を答えられなければ、たとえ「予防歯科を標榜している」としても、歯科医師の仕事を理解しているとは言えないと思うのです。

特に「歯医者」という誰もがイメージしやすい分類パターンに当てはまる仕事は、歯科医師自身がなんとなく自分の仕事を理解した気になってしまうものです。
ですから、歯科医療の本質とその未来を考えている人は、ほとんどいないのが現状です。

歯科医師が無意識のうちにパターン化してしまっている歯科医療の本質と未来を考えること。その考えを練り直す機会が必要です。

同じ部屋の歯科医師ばかりでトライ&エラーするよりも、そのエネルギーを使って外にアイデアを取りいったほうが、未来は開けてくるのでは。
限られたリソースは、領域外の人や歯科医療人と会って、アイデアを集めることに使うべきでは、と考えています。

外にアイデアを取りいくプロジェクトとして「歯科医療の未来年表を語ろう!」が企画されています。8.21スタートアップセミナーでは、ジョセフ・シュンペーターの古典「New Combination」の世界が再現されることが期待されます。

現代において歯科医師をする意味を答えられるようになるかは、定かではありません。
しかし、悪意の口コミなど目先のことは気にならなくなること請け合いです。

興味のある方は8.21オンラインセミナーへ
URL:https://www.keep28-cloud.com/seminar/20200821/

標準予防策からPR材とインテリアを見直す

「目あたらしさ」だけではPRにはならない

人はしばしばまちがいをおかしますが、初動でのまちがいは将来を規定することになります。窮状を訴える歯科医院の相談を受けていると、いろいろなまちがいのうちでいちばんやっかいなまちがいは、ものごとがスタートしたときに起こることがわかります。開業時にはまちがいという認識がないまま、日々の診療に追われ「医院経営はこんなものか」と、問題点はそのまま既成事実化していきます。すると開業当初のまちがいは内在し続け、数年後に表面化してきます。

1990年代ごろまでの開業当初のまちがいは、会計・財務と家族による経営干渉がほとんどでした。会計業務と組織づくり、どちらも公私混同していることから端を発する問題で、当時はよくある話でした。それに加えて、2000年以降は歯科医院の競合激化により、歯科医院の広告宣伝の材料(PR材)による経営問題が増えはじめました。

1990年以降、歯科医院が乱立して、臨床スタイルや治療技術ではPR材としての効果は弱くなってきました。その後、インターネットの営利目的利用についての制限がなくなり、2005年頃から、インテリア、費用、機材設備などが歯科医院のPR材として使われはじめました。これらをPR材にする手法は、先行して飲食や美容、小売などで行われていましたが、他業界のインテリアデザイナーやマーケッターが淘汰され、新たな仕事場として歯科業界に流入してきました。その時期とインターネットの商業化が重なり、種々雑多なPR材が歯科医院に広まっていったのです。

当然、他業種で効果がなくなった手法ですから、歯科医院でも長くは続きません。ましてや、こういったPR材は必然的に生まれたものではなく、「なにか目あたらしいものを」という商業的視点から発想されたために、生活者の意識に深く根づきません。さらに、高度成長期につくられた社会システムの不適応が表面化した2000年以降、人々はあせり、いらだち、不安を抱えて生活しています。「目あたらしさ」ばかりを打ちだせば、人々の感情を逆なですることにもなります。そんな中、コロナの感染拡大は一気に「目あたらしさ」から「本質的なこと」へと生活者の意識をシフトさせています。

特にこれから開業する歯科医師は、コロナ後の数年の世の中の空気を読まなければなりません。開業後、数年経っても経営が軌道に乗らない歯科医師ほど、歯科医院経営の本質的なことに着手できないまま、依然として「なにか効果的な宣伝はできませんか」と聞いてくる傾向があります。そんなときに思うのは「開業する前に、社会状況や世の中の空気をもう少し考えられなかったのかなぁ」ということです。この数年は「どうしたら、こんなにひどい勘ちがいをするのか」と、あきれることも多くなりました。そんな歯科医師の医院経営のまちがいは、PRの仕方にあるのではなく、世の中の情勢を読みちがえていることにあるのです。

近年の開業する歯科医師の傾向は、診療システムや治療技術を突きつめることにはあまり関心がなく、新機材などの「目あたらしさ」をPR材にすることに執着していることです。それだけ長期的展望を持てない業界になったのかもしれません。こういった傾向は一部の歯科医師だけではなく、歯科業界全体の体質のようにも思えます。それは歯科医院のウェブサイトを見れば明らかです。この数年間で、デンタルショーなどで歯科メーカーがPRする製品を、歯科医院は自院のウェブサイトに載せ、歯科メーカーに代わり生活者にPRするという図式が目だちます。集客のためにモノを誇示するわけです。1960年代高度成長期さながらの物質至上主義で、歯科業界が社会情勢とギャップがある証左で、懸念されることです。

インテリアが歯科医院の体制を変える

他業界のPR材の効果は大きく変化してきていて、例えば、もはやインテリアでは人は呼べないのが常識です。いまの大学生ぐらいまでの世代にとって、スマートフォンやパソコンという道具は小さなころから当たり前に存在していたために、新しいバージョンが出てもさほどインパクトはありません。若年層ほど目あたらしさには感覚が麻痺しているので、店舗インテリアに多額の資金を投入しても「あ~そんな感じね」とうい程度にしか感じていません。歯科業界でも、10年程前にはやったデザイナーズやテーマパークのような子ども向けインテリアはもはや陳腐にさえ感じられています。加えて、そういったインテリアほど感染対策が難しくなり、医療機関レベルの安全から遠い環境になることをコロナはあきらかにしています。

1980年代、飲食店はじめ小売店舗ではポストモダンなインテリアが全盛期でしたが、バブル崩壊から1900年代末まではありとあらゆるインテリアが台頭して生活者にとって目あたらしいものはなくなってしまいました。このblogを書くにあたり、当時の店舗建築専門雑誌の『商店建築』を見なおしてみると、飲食店や小売業は有名なインテリアデザイナーやアーティストと呼ばれている人を用いて、内装をPR材にしていたのがわかります。それだけ宣伝効果があったということです。しかし、2000年代になると有名デザイナーなどの手によるインテリアは時代遅れになり掲載が減りだします。

すると歯科医院などの医療系の内装が『商店建築』によく掲載されるようになってきます。当時、『商店建築』に紹介された歯科医院のいくつかに私は関与していたので、当時のインテリア業界の様子は仔細に覚えています。掲載された医院のその後も知っています。当時は「インテリアは10年持てばよい」といわれていましたが、まさにその通りでした。実際はそのPR効果は10年続かず、歯科医院が乱立する都市部ではせいぜいインテリアで患者を呼べるのは、2~3年というところです。典型的な例が先に挙げたテーマパークのようなキッズデンタルパークで、それにかける設備投資をPR費用として考えるのでしたら、投資利益率はきわめて悪いことを認識しておくべきです。

2000年からの20年間、歯科医院のインテリアはデザイナーズとアミューズメント化といった「目あたらしさ」に傾いてきました。これからの歯科医院のインテリアは、スタンダード・プリコーションに準じたものが基本となり、PR材とするにはそこをクリアしてからの話です。また景気低迷が常態化してくると、しっかりとした医療機関としての大黒柱を立てる必要があります。リラックスできる診療室やおしゃれな空間を否定しているわけではありません。スタンダード・プリコーションという大黒柱のない歯科医院は、情勢変化に弱く中長期的に生活者からの支持をえることはできない、ということを指摘したいのです。

これからの歯科インテリアを考えてみると、キーポイントは「扉」にあります。遮断できる箇所が多い医院ほど安全な環境を整えることができます。待合室と診療室の扉、消毒コーナーの扉、診療室を個室化する扉、機械室を分離する扉などです。2000年以降の歯科医院では扉の役割を過小評価してきました。デザイン性や効率性を考えると、どれだけ扉をなくせるかが歯科インテリアの課題となってきましたが、これからは遮断する機能を持つ扉を正当に評価することが求められてきます。

“他の室と明確に区画されていること。【例】待合室と診察室とは明確に区画すること。診察室が他の室への通路となるような構造でないこと。”
“待合室と診察室の区画は、患者のプライバシー保護等に配慮し、扉が望ましい。”
などの保健所の施設基準があるにも関わらず、都市部の歯科医院では、開放感やスペースを理由に扉はつけられない(施設検査後に外される)傾向がありますが、それはこれからの時代に逆行する行為になります。

日本の歯科医院(大学・病院・企業歯科を除く)の平均ユニット台数は約4.5で、この数をパーティションで仕きった診療所にするには、約30坪の広さが必要になります。この平均的平成年間の歯科医院を、飛沫感染や観血的処置を顧慮し、スタンダード・プリコーションに準じた診療所にゾーニングするには、まず「扉」で各室を遮断していきます。待合室と診療室の間、消毒コーナーに扉をつけると通路幅を約200mm広くする必要があります。パーティションタイプから個室タイプにすることで、1台のユニットの設置幅が約2,200mmから約3,000mmになり、800mm広くしなければなりません。扉に加えエアロゾル対策として、機械室内で排気をするバキュームと反対に吸気をするコンプレッサーを分けて設置すると、従来の機械室の約2倍のスペースが必要になります。さらに診療室の3密を避けてソーシャルディスタンスを守ると、3密の元凶スタッフルームでの人と人の距離を厚生労働省推奨通りに2mほど(最低でも1m)取ると、都市部ではスタッフルーム用に別のスペースを用意するようになります。こうなると3密、ソーシャルディスタンスを守りぬくということは現実的ではないので、スタッフルームを除いて考えてみます。

4.5台のユニットを必要とする歯科医院でしたら、パーティションタイプならば6~7台設置していた40坪のスペースが必要になり経費が増えます。あるいは面積を基準に考えると、30坪で3台のユニットで歯科医院経営をしていくことになり、収入が減ります。そうなると、歯科医院経営を根本から見なおすことになり、取りもなおさず臨床システムや治療技術と真剣に向きあわなければならなくなります。コロナ後に安全安心な歯科医院づくりに取りくむと、医院の診療体制と経済を見なおすことになります。すでに開業している歯科医院にとっては相当な覚悟が必要になりますが、スタンダード・プリコーションという大黒柱を歯科医院に建ててこそ、歯科医療の本質的は進化ではないでしょうか。

人々の安心構造と歯科医療のコモンズ

「安心・安全」。医療機関でよく使われる言葉です。歯科医療者は医療事故の分類でインシデントレベル/アクシデントレベルを学び、「安全」の具体的な形は知っていますが、人々の「安心」の素になっているものは何か、知っている人は少ないのではないでしょうか。ヒヤリハットの学びが医療者と患者の安心の素になっているとする教条主義的な考えもありますが、歯科医院は社会の一部分にすぎません。ですから全体=社会の安心の素を知らなければ、ヒヤリハットの学びも机上のものとなってしまいます。机上の知識は現実を常に後追いします。コロナによって人々の衛生意識は格段にあがり、歯科医院を評価する目も標準予防策への欲求も変わった現実を知り、医療者は自らの意識をアップデートしなければなりません。

これまで危機感のない歯科業界の現状は「ゆでガエル」のようでした。「ゆでガエル」の目をさますにはヘビが必要で、それはデジタル専制主義かあるいはベンチャースピリットに溢れたファーストペンギンかと業界は期待していましたが、なんとそれはコロナだったのか、と。そんなコロナ禍の中で、政治経済の動き、メディアの報道、身近な歯科院の情報を大量に眺めていくと、危機に際しての人々の安心に対する欲求の構造がみえてきました。

歯科医院の安心構造

第一層は、歯科医師自身の安心

保持することや装備することで自らを守りささえるものです。そして医院経営を維持するための経済装備や情報装備でまず自分自身と医院経営を守ることで安心をきずいていきます。

第二層は、歯科医師のまわりの安心

歯科医師のまわりにいるスタッフ・患者さん・医院関係者の健康と経済を守ることで安心をきずいていきます。

第三層は、しくみをつくる安心

地域や社会を守るためのマナーやしくみです。

たとえば、エコバッグを持つことで、自転車で通勤することで、自分たちが生きる地球を守ることになるように。家庭菜園で野菜をつくることで食料自給率をあげ、日本の地力をあげること。それが社会の安心につながるという姿勢です。歯科医院では、アポイントとアポイントの間の清掃・消毒時間を十分にとること、一人の患者さんの診療時間を十分にとること、歯科医院へ来られないときのホームケアの方法を教えること、患者さんを教育する時間を十分にとること、といった姿勢です。こんなしくみが歯科医院を取りまく地域、ひいては歯科業界(社会)への安心につながっていきます。

改めて私が集めた2020年2月からのコロナに関する情報ファイルを俯瞰すると、今までボヤっとしていた人々の安心の実像が重層的であることがわかります。

はからずもその安心の構造は、WHOの健康の定義(1948年)に似ていることに気づきます。「健康とは、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態であり、単に病気がないとか虚弱でないということではない」(Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity)に通じているのです。人々の安心もWHOの健康の定義の身体的・精神的・社会的な三層構造とほぼ同じようにきずかれているように思えます。健康とは安心をアップグレードしたものなのか、その逆であるのかは、その人の年齢やおかれた社会環境によって違いますが、近似形であることはまちがいありません。

今が歯科業界の分岐点です。コロナ禍でよくわかったことは、利潤をあげる、生産性をたかめるというデジタルやベンチャーの論理が通用しないのが健康や医療であって、しかもそれが人々にとって何よりも求めている安心の素だということです。健康と医療はデジタルともベンチャーとも正反対の価値観の世界なのです。ひるがえってみると、歯科業界はデジタルを駆使して、なんでも短時間で、能率的にやるイノベーションを待望しているようですが、それは人々が求める安心の素に立脚しているようにみえません。

14世紀にペストが流行った後に、ルネサンスがおきてヨーロッパ社会はよみがえりましたが、コロナ後に歯科業界にデジタル・イノベーションがおきたとしても、それが人々にとっても歯科医師にとって豊かさにつながるかどうかはかなり怪しい。むしろデジタル・イノベーションに対抗できる価値観であるルネサンスをみつけないと、歯科業界はよみがえれないようにさえ思えます。

歯科業界に押しよせているデジタル専制主義とベンチャーキャピタルに対抗する基軸を確立するときは、コロナ禍の今をおいてありません。「アナログ」か「デジタル」か、といった二元論などというのは狭い話で、もっと大きな枠ぐみで考えるべきなのです。例えば国民皆保険は最近マイナスばかりを指摘されますが、ベーシックインカムと解釈すれば、それはたしかに人々に安心を与える日本独自のコモンズでした。同じようにコロナ禍のいま、歯科医療者と生活者のコモンズを模索することで歯科医院に生活者は戻ってくるのです。

世界の歯科医療者と共有する基軸を確立すること、それがいままで業界になかったコモンズで、生活者が求めている安心の素もそこにあるのではないでしょうか。コロナ禍において、歯科を中心として社会の中でみえた安心を意味する写真や記事を集めて分類してみると安心の総体がみえてきます。その先にあるものが、歯科業界のコモンズになるように思えます。歯科医療のルネサンスとは1948年に定められたWHOの健康の定義に立ちかえること、人々の安心を求める気持ちに立脚することにほかなりません。コロナ禍の人々の写真は歯科医療のコモンズを教えてくれています。

※写真は、院内感染予防対策に熱心に取り組む埼玉県上尾市のホワイト歯科様提供(HP:https://www.whitedc.info/
本文の内容にはホワイト歯科様は関係ありません。

予防歯科の知的資本論
新型コロナ禍を生き抜く歯科医院の対策(4)

「グローバル、デジタル」って、いい加減ウンザリしませんか?

政府の専門家会議が打ち出した『新しい生活様式』の中で、『食事は対面でなく横並び』『食事の際は料理に集中し、おしゃべりは控えめに』と聞いたとたんに、森田芳光監督の『家族ゲーム』の食事のシーンが脳裏に蘇りました。

医療者は自然科学に基づく事実を語ると、時として人の本質から離れた映画の世界のようなになってしまうことがあります。その典型が先の専門家会議の記者会見の模様です。『新しい生活様式』の内容は、“新しい”と銘うちながら人権標語のようで、居心地がよさそうではありません。それは専門家会議の提言は、ミクロの視点からパンデミックを平時に近づけることに向いていて、生活者の日常や社会経済に対してのアイデンティティーがないために居心地を感じないのです。

しかし、歯科医院はそうはいきません。歯科医師がミクロの視点でこれからのことを考えると、医院経済は縮み、脆弱な財務基盤は崩れていきます。そうかといってコロナ以前の体制を続ければ、診療自粛を経験した生活者は、それをすんなりとは受けいれてくれません。いずれにしても、コロナ後に生活者のアイデンティティーを掴みきれないと、歯科医院の経済回復は難しくなります。こんな話も、緊急事態宣言解除後も依然として人の流れが元には戻らない都心を歩いていると、決して杞憂ではありません。つい3ヶ月前、インバウンド拠点として賑わっていた銀座は不気味な静けさに覆われていました。コロナ後の不況は現実となりつつあります。

不況時には、生産性の低い企業から生産性の高い企業に人や資金が移ることで、新たな経済成長の原動力になります。この予兆が歯科業界にも起きています。4月から5月にかけて、歯科業界の中で歯科衛生士の雇用調整と解雇が行われましたが、それは水ぶくれした歯科医院経済の証です。今は、そのしわ寄せは歯科衛生士に向かっていますが、延長線上には歯科医院が存在しています。コロナ禍で離職・求職に転じた歯科衛生士の動向が、歯科業界の未来を左右します。彼女たちが介護や医科その他の業界に流出するようになると、水ぶくれした一歯科医院の経済問題では済まず、それは業界の人的資産の流失という問題です。歯科業界は「グローバルだ。デジタルだ」って、喧騒に包まれていますが、足元の資産が流失している現実に、業界が抱える矛盾を感じなければなりません。

コロナで世の中のさまざまな無駄が浮き彫りにされています。歯科業界も例外ではなく、平成以降、歯科医院の経済を下支えしてきた予防歯科は、国(厚生労働省)により不要不急、つまり「今は無駄」とされました。そんなレッテル貼りがなかったとしても、デフレが続く世の中では、予防歯科の供給過多に、生活者はうすうす気がついていました。端的にいえば、飽きられてきていました。それは社会保障制度上で、歯科衛生士を配置する装置産業化していく予防歯科への問題提起でもあります。いい前例があります。1957年以降、狂犬病清浄国である日本で、依然と続く狂犬病予防接種を季節キャンペーン化した獣医師業界の生産方式です。狂犬病予防接種は装置産業化に成功しましたが、今ではさまざまな無駄に気がついた飼い主は、年々犬の予防接種をしなくなってきています。

社会保障制度の合理的な活用はミクロの視点からなされますが、その理念や価値の理解はマクロの視点が必要です。社会保障制度を担う仕事の意義、つまりマクロ視点が、歯科医療者にはあまりありません。本質的なことを知らない歯科医療者の言葉は軽く、おきまりの歯科的な言葉に少しのお愛想では生活者の深いところにまでは届かないのです。このことは、歯科医療者のミクロとマクロの視点のバランスが崩れた結果です。社会保障制度の合理的活用が限界点を超えた時、歯科業界に何が起こるのか、コロナ禍は明らかにしています。

コロナ以前の歯科業界ではマクロの視点をもつことは、生産性の低い歯科医院になる傾向がありました。一方でミクロの視点をもつことで生産性の高い歯科医院になることができました。しかし、コロナはこの相対的評価を一転させる感があります。コロナ後はマクロの視点を持ち、社会の基盤システムに関わる歯科医院に人や資金が移る機運を感じます。その一例として、産業界は従来の歯科医師とは異なった観点を持つ歯科医師の出現を歓迎し、必要としています。コロナ後の社会で大事なことは、時代や人々に本当に求められている予防歯科のあり方を目ざすことです。今現在の状況と関わっていなくても成立すること、いつの時代でも通用すること。量の拡大ではなく質の向上を目ざすことです。

不況が不況ではなく平時となる時代に歯科医院が生きるには、経済苦を時代や制度のせいにしない。むしろグローバルとデジタルの速度に流されない予防歯科の普遍を確立して、社会から長く必要とされることを目的にしたいものです。顔の見えない大きな数字に終始しない、具体的な誰かのことを考える予防歯科を当たり前にする。嘘がなく誠実で、手間と時間をかけること。その最初には「人の役にたちたい」「社会に必要とされたい」というシンプルで純粋な動機が予防歯科の普遍性に通じていきます。

こんな話をすると「何を洒落臭い」と思う向きは多々いるでしょう。確かにそうなのですが、洒落臭いことができる100年に1度のチャンスがパンデミック後の今です。資本主義社会の日本では、社会は生産力と生産関係からなる下部構造と、その上に築かれた理念やイデオロギーなどの上部構造から形づくられています。社会ができる過程で下部構造は上部構造に先行して存在しているため、上部構造は下部構造によって規定されます。ですから身も蓋もない言い方をすれば、どれほど高尚な理念やイデオロギーであっても、基本的には経済という金勘定の都合に左右されるのです。ホスピタリティーと100万回唱えたところで、歯科医院もまったく同じ道理の中で生きているのです。

ところが、固定化されている下部構造にコロナという激震が走り、社会構造にあつれきが生まれ変化がおきています。その一端が、国から降りてきた『新しい生活様式』なわけです。これは日本社会の上部構造、つまり精神性の変化と解釈しています。歯科医院も国民皆保険制度施行から59年間でつくられた下部構造の上にのる精神性を変えなければ、社会との同時代性にズレが生じてきます。歯科業界は三種のデジタル神器がイノベーションを引き起こすと信じているようですが、それはまったくの錯誤です。デジタル神器は単なる生産方式のデバイスにすぎませんから、それだけではイノベーションは起きません。歯科医師の精神性の変化が、イノベーションを引きおこす原動力になるのです。

確かにコロナ以前の日本社会、ひいては歯科業界を前進させるためのキーワードはグローバルとデジタルでした。この言葉を私たちは多用して、時代の推進力と信じてきたきらいがあります。私もその一人です。ただそうした認識を持ちながらも、それだけでいいのだろうかとも思ってきました。それだけで人々は豊かな日常をおくることができるのだろうかと。そこには人々の気持ちという視点が抜けています。気持ちというロジカルな説明をしづらいものの中にこそ、イノベーションが生まれる可能性があるのではと考えています。

そんなことから、コロナ後の社会の前進力を図るキーワードは、『居心地』ではないだろうかと。「こんなあいまいな言葉は、イノベーションにそぐわない」とMBAホルダーには言下に退けられそうですが、パンデミック対策から使われはじめたソーシャルディスタンスという言葉は、居心地のよさという人々の気持ちにも通じています。シアトル系コーヒー店は座席間の狭さから敬遠してきた私ですが、コロナ禍で隣席との距離が広がり、今は居心地がよく感じています。これもソーシャルディスタンス効果です。

よくよく考えてみると、人々の時間と距離を縮めてきたグローバル化とデジタル化は、居心地のよさを人々に提供してきたでしょうか?それらは、そうした人々の要求を顧慮するものではなく、そもそもベクトルが違っているのです。グローバル化とデジタル化をつくりだしてきたのは、社会の財務資本であって、ソーシャルディスタンスや居心地のよさは、社会の知的資本によって生み出していくものではないでしょうか。

平成以降、歯科医院の財務資本となってきた予防歯科ですが、コロナ後には社会の知的資本に転換してはどうでしょう。社会を居心地よくする予防歯科です。予防歯科を診療室の中の生産方式から、社会の基盤システムにすることで、予防歯科は不要不急から必要不可欠な存在になります。グローバルやデジタルのような高揚感を歯科業界にもたらしはしませんが、それは、静かな、しかし確かなイノベーションです。
予防歯科で居心地の良い社会を!予防歯科を社会の知的資本に!

診療自粛を憲法の視点で考える
新型コロナ禍を生き抜く歯科医院の対策(3)

ステークホルダー主義への転換

新型コロナ感染拡大抑止のために、社会的距離をとることが求められています。社会的距離とは「人と人の間隔を2メートル以上とること」とされていますが、歯科医院で人と人の間隔が0メートルになることは頻繁にあります。さらにエアロゾルを発生させる診療行為も避けられないために、常に感染リスクと隣りあわせです。このような仕事環境を考慮して、感染拡大防止のため休診にしたり、スタッフを休ませたりしている歯科医院も少なくありません。しかしこのままでは、なんらかの社会的対応をしている医院から、患者離れやスタッフの離職が起こるリスクにさらされ、経済的窮地に追いこまれていくように思えます。これでは、歯科医院は診療しても地獄、休診しても地獄です。

この窮状は、「緊急性がないと考えられる治療については延期することなども考慮すること」という厚生労働省の4月6日の事務連絡に端を発しています。まさか国(厚生労働省)から医療機関である歯科へ診療自粛要請が出るとは思ってもみませんでした。私は物事を考えても道筋が見えないとき、学生時代の習いで憲法を読み返しています。それは、日本の憲法の待つ理想主義が、ポジティブな考えに導いてくれること、そして何よりも憲法には国の基本方針が示されているために、この国でおきたことへの解決の糸口を見つけることができるからです。

現在、新型コロナウイルスの感染拡大による経済への影響をめぐり、内閣は衆議院予算委員会で、1929年に始まった世界恐慌の時よりも厳しい状況だとした上で、感染の終息に全力をあげる考えを強調しています。世界恐慌と言われても歴史の中での出来事で実感がわきません。当時の政治経済の政策資料を読むと、アメリカ合衆国連邦政府はニューディール政策の中で、農業の減産補助金、学校教師や地方公務員の給与の肩代わり支払いなどさまざまな大胆な施策を行い、大恐慌の時の国民を救済しています。この施策は単なる経済指標の回復ではなく、国民の雇用を回復させて全国民に資金を回すという公共政策の意味合いの強いものでした。90年後の今、同じような歴史的事態が歯科医院に(もちろん日本社会に)起きていることがわかります。とすると、診療自粛要請の次なる措置として当時のアメリカ合衆国連邦政府が施策したいわゆる「補償」が示されるのではと思えてきます。さらに憲法29条を読みといていくと、「補償」はきっとあるのでは、という考えに至ります。

日本国憲法第29条

  1. 財産を持つ権利を侵してはならない。
  2. 財産の内容は、国民ぜんたいの幸福も考え合わせて、法律で決める。
  3. 個人の財産でも、正しい対価を払えば、公共の用に充てるために使うことができる。

(作家・池澤夏樹さんの著書「憲法なんて知らないよ」による新訳から引用)

憲法29条1項で、「財産を持つ権利を侵してはならない」としています。その内容は「国民ぜんたいの幸福も考え合わせて、法律で決める」とし、3項では「個人の財産でも、正しい対価を払えば、公共の用に充てるために使うことができる」と定めています。逆に言えば個人の財産は「公共の用に充てる」ことができるが、その目的のために個人の財産に損害が生じた場合には、正当な補償をしなければならないということになります。

この私の考えに対して、知己の法律家のほとんどは、財源の問題もあり財産権を根拠に国が減収を補償するのは難しいとする見解でした。

それでは次に、国民皆保険制度の基となっている憲法25条に照らしあわせてみるとどうでしょうか。

日本国憲法第25条

  1. すべての人に、最小限でも健全で文化的といえる生活をする権利がある。
  2. 社会ぜんたいの、幸福と、安全と、健康が実現するように、国は生活のあらゆる面に対して努力を重ねなければならない。

(作家・池澤夏樹さんの著書「憲法なんて知らないよ」による新訳から引用)

憲法25条では、「社会ぜんたいの、幸福と、安全と、健康が実現するように、国は生活のあらゆる面に対して努力を重ねなければならない」としています。しかし、それにより国民に障害や後遺症が残った場合どうするのか。判例検索システムで調べてみると、その場合は故意や過失がなかったとしても国は補償をしてきました。

今回は、新型コロナウイルスによる感染を防止する目的のために、国は歯科医院に診療制限を求めています。それによって歯科医院の財産に障害や後遺症が起き犠牲が生じることになるので、憲法25条の趣旨をふまえれば、国が政策として補償でないとしても最大限のセーフティーネットをはることになります。この論には、くだんの法律家たちも異論はありませんでした。憲法を読みとく限りは、決して歯科医院は今の事態に慌てる必要はないことになります。しかも保険医療や公費負担医療は憲法の精神を反映した政策ですから、医療機関の生存はしっかりと憲法で保障されなければならないため、国の施策により経営破綻を起こすことなどあってはならないのです。歯科医院は下手の考えはやめて、もっと目線を高くすべきです。

診療制限をしている今、歯科医院ができることは、患者・スタッフ・取引先・地域社会・業界・学会に分けて、それぞれに対してはステークホルダーとしてのコミュニケーション手段を再考し窓口を明らかにすること。経済的には新型コロナウイルス感染症特別貸付、持続化給付金などを利用してキャッシュを中心に会計・財務を計画・管理していくこと。さらに公的資金を運転資金にあてるだけではなく、コロナ危機で鮮明になった自院の問題解決とコロナ後の新しい医院の基盤づくりの資金とすることです。そして社会的にはコロナ危機克服への貢献を身近なことから始めることが求められます。

社会貢献に関してはぜひ参考にしてほしい声明が、ダボス会議を開催する世界経済フォーラム(WEF)から「コロナ時代のステークホルダー方針」として公表されています。「財務的な備えがなく、政府から資金援助を受けている企業も多い。・・・(略)危機が去った後、資金を返済するだけではなく、社会に何かを還元してほしい。そのためにも企業は株主第一主義からステークホルダー主義に移行し、環境や従業員、顧客などに配慮するようにならないといけない」。自由主義経済圏の欧米イデオロギーは、主に個人の自由や権利に、企業においては株主利益に重きがおかれています。一方、ステークホルダー主義とは集団や社会に重きを置くことを意味しており、正反対のベクトル上にあるように思えます。ところが、この声明では、これからは個人の権利や株主の利益は社会に寄り添うものでなくてはならないと主張しています。この考えは、74年前に施行された日本の憲法の理念に近づくものです。

どうやらコロナ危機後には欧米社会は大きく変わる気配がします。これに習い歯科医院もタコツボ的業界思考から脱皮して、広義なグローバルスタンダード医療、つまり社会と共に生きる存在を目指す時です。ステークホルダー主義の歯科医療の在り方を模索するのは、今をおいてありません。ピンチをチャンスに変える。そう考えてみると、少しは気持ちが軽くなり、心に風が吹いてくるはずです。

コロナにあぶり出された歯科の根本課題
新型コロナ禍を生き抜く歯科医院の対策(2)

「今、オリンピック、パラリンピックを口に出す時ではないと思う。スポーツは平和があってのもの・・・新型コロナ危機が終息した後にスポーツの価値が出てくると思います」車いすテニスプレイヤー国枝慎吾さんの発言です。すばらしい素心の持ち主だと思うと同時に、この数週間の社会の変容ぶりから歯科医療もスポーツ同様に平和あっての医療と痛切に感じています。

そんな中、東京都知事は新型コロナ危機が起きて以降もオリンピックの「中止はありえない」「無観客も考えられない」と各メディアから発信し、その理由の最たることは「長い間準備を重ねてきた選手の方々を思うと・・・」といった情緒的なもので、行政区画を統轄する官庁の首長としての資質に疑念を持たざるを得ませんでした。

渦中にあって歯科院長が範とするべきは、国枝慎吾さんの素心と米ニューヨーク州のクオモ州知事のリーダーシップです。クオモ州知事の矢継ぎ早の決断に市民がついてくる理由は、データに基づいた透明性にあります。「私は医師、米連邦捜査局(FBI)、米疾病対策センター(CDC)などの専門家と毎日話している。そしてデータに従って、感染拡大の推定をしている。『どう思うか?』と聞く人がいるが、『思う』ではなく『認識している』ことを伝えている」と3月31日の会見できっぱりと言い切っています。東京都知事とニューヨーク州知事ではどちらが、危機に対する考え方やマネジメント能力が長けているか言うまでもないことです。

翻って歯科医院の危機管理はどうなっているのでしょうか?
現在の新型コロナ禍の危機は、院内で感染者が出ること、そして新型コロナ禍によって患者数が減少することです。それに対して自院の感染への安全基準・安全対策をどのレベルにするのか、そのために経済性はどこまで抑えるのか、言い方を変えれば、経済性を追求するためにどこまでのリスクを許容するのかは、医院財務と医療に対する思慮の問題になります。歯科院長の責任は、左に感染拡大を止める安全性、右に患者数を制限する経済性の重りを乗せた天秤のバランスをとることで、そのバランスには正解というものはありません。問われているのは、院長の医療者としての危機管理能力なのです。

さらに今回の危機で顕在化した問題は、スタンダードプレコーション基準に満たない安全環境、ソーシャル・ディスタンシングという概念の希薄さ、脆弱な財務基盤といったことです。しかし、これらは日本の多くの歯科医院に元々内在していたことで、新型コロナ禍によってあぶりだされただけです。新型コロナ禍による『危機』を『機会』に変えるのは、不安に対する消極的解決ではなく積極的解決です。さらには望まれることは、『歯科医療は平和な社会があっての医療』と肝に命じて自院のあり方を問い直す姿勢です。

このような医院の根本課題を問い直し解決することで、「感染した場合に労災認定されるのか」「感染が発生した場合に歯科医院の安全配慮義務違反は問われないのか」これらの危機が浮かび上がってきます。新型コロナ禍の中で歯科医院は改めて自院の危機管理を見直す必要があるのではないでしょうか。

新型コロナウイルスに感染した場合に、労災認定されるのか

感染理由が、診療業務が原因だったと認定されれば、労災が適用されます。
外来でしたら発症した患者と接した、また訪問診療先が集団感染した施設や感染者がいる家庭だったというように感染経路が特定されれば労災認定されます。
しかし、労災認定されるかどうかは、スタッフの行動によりケースバイケースです。

院内で新型コロナウイルスへの感染が発生した場合に、歯科医院の安全配慮義務違反は問われないのか

感染の原因が診療業務である、あるいは診療業務と思われる場合でスタッフが重症化、死亡に至った場合は、歯科医院はスタッフや遺族から安全配慮義務違反を問われる可能性はあります。このようなケースでは、労災が認定された場合と認定されていない場合とで別れます。

ア.労災が認定された場合
労災では、治療費と休業補償や遺族補償しか出ません。
遺族や労働者から安全配慮義務違反で、慰謝料などを請求されることもあります。しかし、請求された全額を支払うのか、あるいは0円になるのかは、ケースバイケースです。
歯科医院が指示した安全衛生指示にスタッフが従わなかったので感染した。歯科医院が当然すべき安全衛生対策を行っていなかったから感染した。それぞれの責任の度合いに応じて、慰謝料額などが算定されることとなるでしょう。
イ.労災が認定されない場合
労基署が「感染と業務は関係ない」と認定したことになります。
この時点ではスタッフの感染は診療業務と関係ないので、歯科医院に責任はなく、安全配慮義務違反もありません。しかし、スタッフや遺族がこれを不服と思えば、まずは労基署の認定を覆すための訴えをおこすことになります。

コロナ禍を乗り切る3つのフェーズ
新型コロナ禍を生き抜く歯科医院の対策(1)

新型コロナウイルス感染拡大で世情が不穏となり、生活者の笑顔が消え感情は尖る社会になりつつあります。ドラッグストアの店員に「マスク云々」と毒づく中年男性を横目に歯科医院へ向かい、「ウチは今のところ、影響はほとんどありません」と話していた歯科医師から、その夜に連絡が入り、「午後からキャンセル電話が殺到しました」とのこと。こんな歯科医師からの声が4月11日の夜にはいくつか届きました。

4月11日の昼のワイドショーでの「歯科受診リスクレポート」の放映後から首都圏の歯科医院への風向きが一転した感じです。ヨミドクター記事(1)で気づき→Yahooニュースで拡散→ワイドショーで逆風→ヨミドクター記事(2)で窮地となりつつあり、来院予定者のおよそ40%がキャンセルになっているのが、4月11日以降の歯科医院の現状です

  1. 緊急性のない歯科治療は延期考慮を 新型コロナ感染防止で厚労省
  2. 手すり・ドアノブ消毒は徹底したのに院内感染…盲点だった「タブレット」

感染拡大が先行している欧米で、感染拡大の原因となる業種を行政が特定して、世論の槍玉に上がる状況に陥れることなど聞いたことはありません。業種によるリスクを示しても、行政の首長の器量の広さが国民感情をコントロールしているのです。ドイツのメルケル首相のコロナ対策の演説を聞いた方も多いでしょう。その中でメルケル首相は、感染拡大の中でも働き続ける医師や介護従事者、普段あまり感謝されることのないスーパーのレジ打ちの労働者への感謝と、そういう人たちがいてこそ市民生活が成り立っていると述べ、国民に感染防止へ団結を呼びかけていました。

日本はどうでしょうか。行政の首長の発言は場当たり的にヒステリックな発言をするために、世情の不安を煽り、夜の商売に続き歯科医院が感染拡大の犯人のようになる様は、国民の一致団結には程遠い感があります。こんな世情の中、歯科医院は自院のコロナ感染対策を明らかにすることを何よりも優先するべきです。人は知らないから不安になるわけで、歯科医院に対しても不信感を抱くのです。こんな時に一時的な損失を恐れて、歯科医院の内実を明かさないのが一番の愚策です。まず、医院の体制を社会に明らかにすることです。

続いて歯科医院は各種の支援制度(下記参照)を利用して自院の財務基盤の安定を図ることです。コロナ感染の動向を見ながら9月頃を目処に、来院を中断している患者のリカバリー対策をしていきます。そして12月頃までにポストコロナ時代の歯科医院経営を見据え医院体制を刷新していくステップを踏む必要があるでしょう。この感染拡大はいつかは終息します。しかし、歯科医院の収益は、コロナ以前に戻ることはないと思います。一度小さくなったパイはコロナ以前と同じ体制・方針・方策では回復しないのが市場経済というものです。現在の歯科医院経営の足元を固めて、ポストコロナ時代の歯科医院を考える必要があるでしょう。(続く)

P.S.メルケル首相の演説を読み気持ちを奮い立たせましょう!

コロナ感染拡大を機に3つのフェーズで医院体制を整える

4~5月
院内感染防止対策・従業員の雇用調整・財務基盤の安定化

9月頃
患者リカバリー対策・従業員の雇用再調整

12月頃
医院体制・方針・方策の刷新

新型コロナに関する支援制度

困りごと 制度 内容 相談先
中小企業向け貸付 雇用調整助成金 従業員の休業等雇用対策。 政策金融公庫
感染拡大防止協力金 休業に協力した企業・店舗へ助成金。 東京都のみ(4月13日現在)
事業継続緊急対策助成金 人材確保・職場整備。 各自治体雇用環境整備課
生活費 緊急小口資金 休業者向け。無利子で最大20万円借りられる。 各市町村社会福祉協議会
総合支援資金 失業者。単身は45万円、2人は60万円。無利子。
仕事 傷病手当金 けがや病気。報酬の3分の2を受け取れる。 健康保険者
休業手当 勤め先の指示で休業。賃金の6割以上を受け取れる。 勤め先
小学校休業等
対応助成金・支援金
勤め先に日額上限8330円。フリーランスには日額4100円。 厚労省コールセンター
住まい 住居確保給付金 住まいを失った、失いそうな人向け。3ヶ月分の家賃を受け取れる。 各市町村生活福祉課
税、公共料金
社会保険料
支払い猶予 税、社会保険料、電気、ガス、水道料猶予あり。 各請求先に要相談
全般 生活保護 基準以下の収入しかない場合。 各市町村生活福祉課

歯科医院の新型コロナウイルス感染症対策

新型コロナウイルスの流行が終息する気配がありません。米国や欧州に続き、東京でも感染拡大が続き、この数日で都内の歯科大学病院の歯科医師、一般歯科医院のスタッフも感染したという一報が入りました。2020年4月1日時点で国内のPCR検査陽性者数が2,000人を超えたというのですから、歯科医療関係者が感染したとしても不思議はありません。そもそも医療現場なのですから、今まで感染者が表に出てこなかっただけと考える方が妥当でしょう。

この新型コロナウイルスの問題は、まったく未知のウイルスという点にあります。政府の発表もマスメディアの報道も、識者の発言さえも、何が真実か本当のことはわからないわけですから、どれほど歯科医院に脅威になるのかもわからないわけです。新型コロナウイルスの出現はリスクではなく、不確実な現実が出現したということです。こんな時に頼りになるのは、歯科院長のリーダーシップと医療者としての良識しかないでしょう。政府に依存して、マスメディアの報道に右往左往するよりも、現時点で院長自ら確かな情報は何かを判断して、自分の信念に基づいて行動するしかありません。

現時点で歯科医院にとって有益な情報として以下の文書を参考にしてください。

企業連携がもたらす予防歯科のAnother story

企業との連携による予防歯科推進プロジェクトの一環として、富士通社の社員向け健康セミナー 「令和時代の予防歯科」が、去る1月30日に富士通株式会社 東北支社で開催されました。

「企業との連携」とは、端的に言えば、これまで歯科業界の論理で繰り広げられてきた予防歯科フレームを、もう一度社会の論理から徹底的に見つめ直す試みです。

社員セミナーの1ヶ月後、富士通健保組合、富士通ヘルスケアグループ、富士通関連の健康支援企業ベストライフ・プロモーションの面々から富士通社員の健康管理と予防歯科への取り組みについて話を聞く機会に恵まれました。その中で、歯科関連ではない企業内部で予防歯科のAnother storyが育っていることを知りました。そこで煮詰まりつつあるのは、むし歯と歯周病を集団でアンダーコントロールする新たな試みです。このようなプランが、ICT企業の中で着々と進められているのは驚きですが、その一方で歯科業界は業界関係者で鬱々としていて新しい試みもなく、「内向きだなあ」という思いも抱かずにはいられません。そんな忸怩たる思いも忘れて話を聞き入ってしまったのは、富士通社の面々の口腔の健康に対する問題意識の高さ、社会変化の中で予防歯科を捉える複眼思考によるものでした。

歯科業界の予防歯科を捉える視点は、学校歯科健診から地域歯科医院へ、そこから地域社会へ落とし込んでいく流れです。この昭和から平成にかけて敷かれてきた予防歯科の動線は、人口減少が始まる2004年以前は有効に機能してきたとされています。ところが「8020」のスローガンの下「生涯自分の歯で・・・」と考えると、ここには決定的な矛盾があることに気がつきます。第一には、生活者は小学生から中・高・大と学校教育を経て成長する過程で予防歯科への関わりが逆進的に薄くなること。続いて、社会人へのスタートラインに立った青少年の大半は生まれ育った地方自治体から離れ、その瞬間から「どこの歯科医院へ行けばいいの?」か、わからない歯科難民になり、食べログで飲み屋を探すように歯科医院を検索しだすこと。そこで運が悪いと、地方自治体が育てた青少年の健全な口腔内は破壊され、歯科業界全体の信用不安になることもあります。

健康な口腔の青少年は、社会人へと成長するに従い「歯医者なんてサービス業だ」と思い、むし歯と歯周病のアンダーコントロールは弱くなっていくのが、現在の地方自治体が敷いた動線です。昭和・平成で敷設されたこの動線は、生活者が半径数キロメートルの範囲の中で「家-地域公立校」を中心として生きてきた社会には適合してきました。しかし、総人口がドラスティックに減少して、「地域公立校」の減少に象徴される地方自治体の崩壊、さらに女性の社会進出による従来の「家」が変化しつつある社会では、学校歯科健診だけでは用をなさなくなってきています。

歯科業界の「8020」というスローガンはよしとしても、未だに社会人となり80歳までの歯科医院への動線を社会変化に準じて敷けていません。そのため50歳以降は2年に1本強のペースで歯を喪失していきます。そんな現状の中、メディアを通じて「8020」をPRすればするほど歯科業界は、学校歯科健診に代わる社会的インフラづくりの無策を忘れていくようにさえ思えます。

「8020」を達成するためには「8020」の数字を逆にした20歳から80歳への予防歯科への動線「2080」が肝心要であることを見過ごしています。青少年が社会人となってから60~70歳の定年まで活動する世の中は、GDPの7割を占めるサービス業が主となる企業社会です。ですから、社会構造が変化した世の中で「8020」をPRしたので、「あとは自助努力でよろしく」では、相手が企業だけに一歯科医院では手に余るわけです。何かと患者とのコミュケーションが大切とうるさい歯科業界ですが、社会全体とのコミュケーションは明らかに失敗しています。

玉石混交の情報が錯綜し、崩壊しつつある地方自治体を抱える社会の中で、「8020」への合理的な動線を示せなければ、生活者が真っ当な歯科医院に辿り着く道理はないのです。「8020」を政策として機能させるには、学校歯科健診から他の地方自治体や中央に繋げる新たな動線づくりが重要になることは確かなことです。

それだから企業連携と言われても、そんな空疎な概念に振り回わされるのではなく、もっと身近な地域の人のために歯科医師として生きると言う人もいるでしょう。デジタルデンティストリーに代表されるテクノロジーで口腔の健康と審美性を向上させると言う人もいるでしょう。ローカリズムもテクノロジーも大切なことは百も承知しています。しかしその価値と成果は、青少年が社会人になるまでで完結するわけではなく、「家~学校歯科健診」以外の「つながり」を築き、80歳までの動線を示して初めて完結するのです。このつながりは企業以外でもいいのですが、歯科医院にある健康保険証の写しには、組合健保と協会健保のものが少なくないことからも、企業というコミュニティーへの動線は極めて合理的な一手であると思います。

今、歯科業界がやるべきことは何を差し置いても「8020」を達成するための動線の敷設です。学術論文を読み、データの数字をエビデンスとする真摯な歯科医師ほど、社会構造の変化そのものが、生活者の口腔に与える影響が大きいことを認識しているはずです。しかし、学術の話と社会の話は全く次元が違うものですから、歯科医師は歯科業界の外から、社会の変化を受けとめてみるといいでしょう。そんな観点からの企業連携という新たな動線づくりは、予防歯科のAnother storyを歯科業界に示そうとしています。

新型コロナウイルスによる医院経営問題

新型コロナウイルスの猛威が止まらない。つい3週間前までは対岸の火事だったが、今では日本国内の各地で社会不安を引きおこし始めている。弊社の首都圏クライアント医院でも、「この時期だから控えます」と、高齢者の受診控えが広がりつつある。また、訪問診療では施設への出入り自体が制限されるケースが出はじめている。歯科医院の労働環境にも影響が懸念される中、厚生労働省がスタッフの時差出勤・在宅勤務・休む場合の措置などに関するQ&Aを公表している。

ネット上では、不安を煽ったり医学的根拠の怪しかったりする情報が飛びかっている。WHOはこの状況を「インフォデミックス」として、信頼できる情報の入手が困難と警告している。こんな時、歯科医療者としては、ネット上にある感情による情報に影響されることなく、知性による判断を求められる。現実の医院経営に関してケアしておくことは、労務問題と医院での感染対策。歯科院長はこの2点を知性により対策をしていかなければならない。

経済基盤が弱い歯科医院にとって、この状況が3ヶ月も続くと深刻な事態を招くところも少なくない。とにもかくにも早期の政府による財政的な措置が待たれる。

厚生労働省の新型コロナウイルスに関する労務上の措置はこちらのサイトを
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/dengue_fever_qa_00007.html?fbclid=IwAR3mH_nUlAlsCb5Z0nSNa5FqeqOfuCjUZFSOV5b18MIrpo49ZOkGlPBHEOw

日本感染症学会の医療者として感染症の対応はこちらのサイトを
http://www.kansensho.or.jp/modules/topics/index.php?content_id=31

歯科衛生士を肉体労働から解放して知識労働者に変えよう
~いつまでキャバ嬢のような競争原理にさらしておくのか~

“市場は、競争を促し、競争はそれに携わる者に効率と生産性を分かち与える”
この一文を金科玉条として、30代の頃は経営修士を取得するためのゼミで、競争原理に基づいて企業戦略をいくつも策定していたものです。

“結果、市場の試練を経た商品や労働力は、生産性と品質の向上を果たし、社会は豊かな果実を手にいれ同時に企業はより優れた組織体となる。”とゼミでは、今ではほとんど価値のないMBAホルダーになるために帰納させてきました。この空論が修士課程では一応真実としても、実社会では、対象となるモノが市場競争に最適化されている場合に限られるのが現実です。

市場競争の根本は淘汰の過程にあります。品質の低い製品や割高なサービスは、市場を通じて淘汰されていきます。これは競争原理では正しい過程です。淘汰という過程を経て、市場はより先鋭化し、製品やサービスは高い競争力を身につけていき、社会全体の生産された財の付加価値が高まっていくわけです。

しかし、淘汰の対象が歯科衛生士である場合は、ことはそう単純ではありません。歯科業界が飽和している状況の中、アメリカからいきなり競争原理が入ってきたために、歯科業界は喜び勇んでシンプルな労働市場と同じように売り上げ測定で競争原理を働かせてきました。その結果が、「安売りインプラント」などに代表されるように、世間からの歯科業界に対する信用不安を引き起こし、その周辺には「ワーキングプア」「歯科大定員割れ」「歯科衛生士不足」などの問題も連なる惨状を招いています。

最もシンプルな労働市場を想定すると、優秀な人材が浮上して、不良な人材が市場から淘汰されていくのは特に理不尽な過程とは思えません。例えば、営業マンの売り上げ、水商売の指名数などのソーティング可能な数字であれば、労働力といえども市場競争にさらされることで、その会社や店の業績は向上していくでしょう。

しかし、歯科衛生士の労働生産性は、単純に数値化できるものではなく、標準化も序列化もシンプルな労働市場のように売り上げだけを考えてできるものではありません。しかし現実は、院長も歯科衛生士も担当患者数が増えたか、保険点数をどれだけ積みあげたかということに意識が向くようになり、単純な売り上げ競争になっていく傾向があります。それは、歯科衛生士を知識労働者から肉体労働者へと逆行させる蛮行とさえ言えます。なぜなら担当制や歩合制などは、確実性と安全性とその品質を問わなければ、現行の保険制度下では売り上げを伸ばしていくことは容易で、その業務は歯科衛生士の知識の発揮を制限し、肉体労働に近づく行為だからです。

超音波スケーラとハンドインスツルメントの使いわけができます。患者説明ソフトを使い患者に説明します。これでも肉体労働でしょうか? 肉体労働です。機械を使って肉体労働の生産性を上げたにすぎません。歯科衛生士業務の産業革命黎明期の次元です。肉体労働とは、一連の作業を個々の動作に分解し、再度まとめあげることができる作業、つまりプログラミングできる作業のことです。歯科医院で言えばマニュアル化できる業務は肉体労働なのです。新人歯科衛生士でも一定のトレーニングを積めば、先輩歯科衛生士と同じ作業ができるようになる。業務に慣れてくれば、作業時間は短くなり、担当患者数は増え、保険点数が積みあがる。生産性が上がる機械設備やソフトを導入して、労働装備率を高めれば、歯科衛生士の生産性は向上する。一見、知識労働のようでいて、これではもっぱら量を問題にする肉体労働の生産性と同じなのです。

歯科衛生士の仕事は、個々の患者に直面する中で、個別的に発生する業務をより多く含んでいます。その仕事の当事者以外が、担当患者数や保険点数で一律に評価をすることは不可能に近く、担当患者数や売り上げ査定での淘汰という措置が歯科医院の現場を活性化するとは考えにくいのです。これが水商売の世界なら、数字の上がらない年増のキャバ嬢を淘汰して若いキャバ嬢を増やすことにも、一定の妥当性はあります。お金を稼ぎに来ている人が集まる業界では、市場原理が停滞を一掃して、より高いモチベーションを生み、売り上げ競争が全体の発展につながるからです。

しかし、歯科医院のような医療の現場に市場原理だけを持ち込んでも、売り上げに準じて全体の発展の評価指標となる治療成績が伴ってくるとは考えにくいのです。先般、ある大手企業の健保組合の人と2時間余り話す機会がありました。その企業では2012年から現在まで8年間、25歳~40歳の従業員を対象に毎年約4,000人~5,000人に、「従業員の歯周病予防」を目的とした歯科検診を実施していますが、歯科治療費の増減に変化はほとんど見られないそうです。期間が短いこと、検診から治療・予防への紐づけデータが不明なためはっきりはしませんが、歯科医院の場合、患者個々に発生する症状に対応した説明や業務でなければ、品質を伴わない証左のように思います。つまり歯科検診でしたらその品質は受診者の行動変容です。歯科医院では、むしろ売り上げ=量に重心が傾くと品質は相反すると考えるのが妥当な論ではないでしょうか。

物販や水商売の場合は、売り上げによる淘汰により市場は磨かれ、商品やサービスは高い競争力を身につけていき、業界全体の財の付加価値が高まっていきますが、歯科医院の場合は、業界全体の財の付加価値の低下に作用していく傾向があるように思います。身近なところで、肉体労働の市場原理だけを持ち込んだ歯科医院では、面従腹背の歯科衛生士が増えて、より陰険なカタチの怠業を蔓延させ、歯科衛生士が定着しなくなるのはよくあることです。

歯科衛生士の成長と歯科医院の生産性の向上を同一化するには、歯科衛生士を知識労働者としなければなりません。歯科雑誌を読んでいます。カリオロジーの抄読会に参加しています。素晴らしいことですが、その多くは肉体労働をしている歯科衛生士よりも情報量が多いだけに終わっています。そんな情報だけなら大学の図書館やwebにはかなわないわけですから、一歩も二歩も踏み込まなければ時間の浪費に終わります。知識とは歯科衛生士業務の品質向上を達成するもので、患者の行動変容をもたらすものでなければなりません。その上で、歯科衛生士を労働集約的な仕事から解放して知識集約的な仕事へ導くのが令和の歯科医院のあり方です。

錯覚しがちなことは、患者情報をデータ入力することは知識労働ではなく肉体労働だということです。生産性の低いデータ入力はできる限りパターン化するか、外部の人にアウトソーシングする仕事です。その上で、歯科衛生士には統計処理された患者データを読み解かせて、知識労働者として自覚を持って顧客満足に直結する仕事に集中させれば、多くの歯科医院は生産性の高い組織へ生まれ変わるはずです。知識労働者となった歯科衛生士は、頭の中の専門知識を使って、患者(人)、機械・ソフト(モノ)、保険点数(カネ)を生産手段として使い、付加価値を創り出す主体になります。こうなると、診療室でのマニュアル作業を生産要素としている肉体派歯科衛生士とは本質的に異なり、知識という無形の経営資源を持って顧客満足を創り出す医院資産として歯科衛生士は位置づけることができます。

歯科衛生士に肉体労働をさせている限り、院長は、夜の天気と当日の売り上げばかりを気にするキャバクラ店長と同列なのです。歯科衛生士に知識労働をさせて単月売り上げからリピート回数と行動変容を、保険診療だけでなく保険のルールに知識が縛られない自費予防業務も、そういうことが顧客満足の証と考え、知識労働者に歯科衛生士を変えるのが令和の予防型歯科医院の院長ではないでしょうか。

Amazonよりも「いい歯科医院」になるために

AIがおすすめの本を教えてくれる便利な世の中ですが、休日になると神田神保町界隈の本屋を徘徊しています。本屋の空間に身を置くことで、日常の垢を落とし、新たな好奇心を呼び起こしに行くといった感じです。出版流通機構はAmazonやネット書店が席巻し、街場の本屋さんは見る見るうちに減っていますが、それも無理からぬところです。自宅からでも職場からでも三省堂、旭屋、ジュンク堂などの大手書店に、自転車で行ける距離の私でさえもAmazonを度々利用しているぐらいですから。

ネットで便利にお目当ての本は買える世の中ですが、神田神保町界隈の本屋のハシゴをすると、頭の中が整理されシャキッとしてきます。私は、ネットではすでに読みたいと決まっている本を買い、街場の本屋には読むべき本の気づきを求めて出向きます。ですから思いもしていなかった本をついつい買ってしまうのが、私にとって「いい本屋」になるのです。

AIがどんどん教えてくるおすすめの本は、すでに私の中で顕在化された欲求の押し売りのような感じで、ノイズ以外の何物でもありません。一方、馴染みの本屋ではまだ顕在化されていない欲求を知ることになり、自分がどんな本が読みたかったのか、何に興味があるのかを啓示してくれる存在です。

平積みされた本の装丁と帯のコピー、書棚に並んだ本の背表紙のタイトル、短時間で人間社会を俯瞰できるのが本屋の魅力です。およそ人間社会を構成する要素が本屋の書棚には反映されています。文芸、歴史、科学、政経、哲学、音楽、スポーツ、恋愛、サブカルなど、多様な情報を短時間で浴びることができ、自分の中の潜在的欲求が刺激されます。購買以前の知的好奇心が高揚されるのです。しかし、このインスピレーションは全ての本屋で起きるわけではありません。

知的好奇心を高揚させる本屋はそうはありません。多くは駅ナカ書店に代表されるように、ベストセラーとタレント本と文庫、コミックばかりでインスピレーションが起きることもなく、どこに行ってもつまらないのです。それならば、新書、古書、洋書、電子書籍と4種類の選択肢があり、一読者のとんちんかんなレビューと明らかにプロの編集者のレビューが混在するのも面白いAmazonを利用した方がましなわけです。

出版物購買額の比率(2018年)はリアル書店(街場の本屋・駅ナカ書店・コンビニなど)69%とネット書店(Amazonなど)31%で、この数字を反映してリアル書店は2006年に14555軒あったものが2018年には9692軒にまで減少しています。Amazonの年商は1500~2000億円ぐらいと言われ、最近の年間の書籍の販売額は6996億円ですから、日本の書籍の4~5冊に1冊はAmazonを経由しているということになります。それでは、この10年あまりで廃業した約4800軒の本屋は、Amazonの影響を受けたことが原因だったのでしょうか。

Amazonは遠因にはなっていますが、直接的な原因ではないでしょう。それはAmazonがネット書店として、便利さだけで生活者に受け入れられてきたわけではないからです。Amazonが日本に上陸する以前、丸善や紀伊国屋でもオンライン書店(当時はそう呼んでいた)を展開していましたが、品揃えも悪く購入手続きが面倒で私は使った試しがなく、周囲も同じような感じでしたから、おそらく街場の本屋の売り上げにはほとんど影響はなかったように思います。

ところがAmazonが日本に進出してからの20年余りで本屋は激減しました。それは流通システムの便利さだけで生活者の利益に応えたのではなく、顧客最優先というAmazonの理念が反映されたサービスが、街場の本屋のサービスを上回っていたからに他なりません。街場の本屋が世の中の変化にどう対応するかを考えているうちに、Amazonが新しい変化を創りあげて社会に受け入れられたため、廃業へと追い込まれて行ったのでしょう。

既存の本屋が社会の方向を見て業態変化しなかったことは、メディアからの情報で容易に想像がつきます。自分が置かれている状況が悪くなると、以前はブックオフを槍玉に挙げ、現在では電子書籍や活字離れ読書離れに因を求めています。自ら変わろうという姿勢がないのです。どこの本屋も同じような品揃え、同じような店舗構成になっていて、社会が進む方向や生活者にとって何が有益になるかよりも、取次店制度という護送船団の中でなるべく競争が起きないように、変化を起こさないようにとしている感じです。顧客よりも自分たちの業界都合を優先していただけのように思えます。例えば欲しい本がなかった時、街場の本屋では1週間程度は当たり前に待たされますが、Amazonでは2~3日で自宅にまで届きます。これでは本屋の取次店制度とは何のためにあるのかと思わない方が不思議です。こんな業界体質がAmazonの出現によって社会に浮き彫りにされた結果、本屋の大量廃業となったのではないかと思います。

廃業する本屋の中で、先に伝えたように生活者のインスピレーションを引き起こし、Amazonとは違う価値を持った小規模の本屋が出現してきています。その中には取次店制度から外れ、独自で本を仕入れるために、入手できない出版社の本も少なくないのですが、店主の世界観を持って生活者に気づきを与えてくれます。ひと昔前の取次店制度下の本屋では、本を売ることに軸足を置いてきましたが、これからは高い志が問われています。本屋が社会と一体になって、どう世の中を幸せにするのか。幸せになる気づきを手渡せるのか。本やサービスの上にそのビジョンが必要になってきます。

出版社業界はAmazonが進出したことで、取次店制度という護送船団方式の業界が劇的に変化しました。制度に従属してきた街場の本屋は、目の前の本を売るという仕事に追われ、その水に馴染んでしまった結果、かつては見えていた世界の動きも、社会の流れも目の前で霧散霧消し、「顧客だって本屋はそういうものだと納得している」と思考を停止してしまうのです。伝統もあり一等地で多くの顧客を抱えている本屋ほど、信じられないほど大きな時代のズレも、閉じられた環境の中で感じなくなっているのです。その結果の大量の廃業ではないかと思います。

長々と出版業界のことを書きましたが、出版業界は生活者の利益を優先することなく、出版社と書店の経営、そしてその経営を守るための取次という制度を守ることで、時代に置き去りにされたのです。こんなことはどこの業界でもありそうなことですが、10年余りでおよそ1/3の本屋が消滅するというのはかなりの激震で、歯科業界も他山の石としなければならないでしょう。歯科業界は歯科メーカー→一次卸・二次卸→歯科医院という流通機構の枠組みの中で、「患者様」とは口では言いながら、その実態はお寒い限りではないでしょうか。せめて生活者利益に目線があるAmazon、できれば本そのものだけ売るのではなく、生活者のインスピレーションを引き起こす小規模の本屋のように、「業界ではなく時代を見る」歯科医院、「社会に幸せになる気づきを手渡せる」歯科医院の出現が待たれます。

聖夜から大晦日の夜に思う
誰もがスティーブ・ジョブズにはなれない。
あなたはAndroidでいいのでは!

スタディーグループ全盛の日本で歯科医師の一つの欠点は、あまりにそのスタディーグループなどで得た形式(システム・術式・審査診断様式など)のみに執着することにあると思います。それは「癖」のようなもので、私は密かにデンティスト原理主義と呼んでいます。この原理主義には2つの弊害が伴います。第一にシステムを改革しない以上は、何をやっても上手くいかないし、そんなものは駄目だと考えがちなことです。

歯科医院には目前になすべきことが山積しているにも関わらず、デンティスト原理主義者の眼は常に一つのシステムのみに囚われています。第二にはシステムのみに重点を置くために、改革を考える場合にはそのシステムの否定や変改のみに意識が向いて、現状を見失う傾向があることです。むしろそこに歯科医院経営の危険があることを知らないのです。

過去、私には年間約80回の各分野のセミナーや講演に参加していた時期があります。そのうち歯科関連は20回程度です。この10年間は、その回数も随分減りましたが、参加してきた各分野のセミナーなどの中で、スティーブ・ジョブズは変革者の理想像として、うんざりするぐらい何回も登場してきました。歯科セミナーも例外ではなく、ジョブズ語録がたくさん登場してきました。健康保険という規定路線が敷かれ、低迷する現状を自力ではなかなか解決できない業界のため、なおのことジョブズの生き様は痛快で理想的に映るのでしょう。

確かにジョブズのように、古い秩序をたたき壊しゼロから何かをつくり、新たな秩序の中で新たな価値を作り上げていく才能は世の中には必要です。その一方で、目の前にある古い秩序(と見えるもの)を壊すことが早急に求められている分野はそんなに多くはないのです。歯科業界もその一つです。イノベーションというユートピアが歯科セミナーなどで語られていますが、実はこれで万事OKというような理想郷などどこにもありません。

そういうフィクションに頼るのではなく、歯科医師の理想と歯科医院の置かれた環境や社会の現状を少しずつたぐりよせながら、現状を少しだけ変えて、理想に向かって匍匐(ほふく)前進をしていくことでしか、一歯科医院の経済力と組織力ではイノベーションは起きないのです。私はそれを『だましだましのイノベーション』とあえて呼んで、大事にしています。

スティーブ・ジョブズは変革者の理想像として各分野の原理主義者に崇められています。ですが、ジョブズが創業したAppleのiPhoneはスマホの元祖でありながら、その世界的シェアといえば20%以下です。後発のGoogleのAndroidが約70%のシェアを占めている現実を原理主義者はどう見るのでしょうか。

GoogleはAndroidのOSを各メーカーに提供して、その機能やデザインと価格設定を自由にさせて、メーカーに市場で競わせています。一方、iPhoneはどのシリーズも同じロゴで統一的なデザインと機能を固持しています。シェアだけで評価はできませんが、最近はスマホ自体の品質でもAndroid搭載機種の方が優位との評価が、専門家の間でももっぱらなようです。

90%の歯科医師はAndroidのように、新しいシステムを成長させる側にいて、そこで求められるのは、新しいシステムを生活者や時代環境に合うように調整し、メンテナンスしていく才能です。つまり『だましだましのイノベーション』です。それは、既存の仕組みをゼロベースで考え、必要であればそれを否定できる大胆さと柔軟さを持ちながらも、目の前にあって自分たちにできることにも同じくらい心を傾けることです。そうしなければ、自らの良さも失ってしまった上に、新しい地点にも到達できない危険性があるのです。

聖夜から大晦日の夜に人は哲人気分になり、新年を迎えて気分一新、新しいことに取り組もうとする向きもありますが、「誰もがスティーブ・ジョブズにはなれない」ことを心してください。

今年は歯科医院の経営不振や破綻が目立つ年でした。年の終わりに、長く歯科業界を見てきた目から、愛情を持って辛口blogで歯科医師を批評してみました。本年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

歯科医師は「虫歯」表記をやめて仕事の価値を高めよう

元議員でタレント杉村太蔵のおもしろさは「何をどれくらいまで考えているのか」見当がつかないところにあり、かの長嶋一茂の魅力と同類と言っていいでしょう。杉村も長嶋も熱く語るほどに墓穴を掘るタイプですが、そんなことに動じる風もない「今時の人」です。この手の人は総じてディベートに弱く、TV局もそれを見越していて、彼らの話、とりわけ討論では想定通りの論理破綻が起こります。論理破綻する人は物事の本質が見えていないものです。しかし、そんなことはどこ吹く風が彼らの真骨頂で、明るい困惑ぶりが並のタレントにはない育ちの良さを感じさせ、彼らの生命線となっています。そういえば今時の人、杉村太蔵は代々続く歯科医師の家系です。

今時の歯科医師も杉村太蔵タイプが増えてきたように感じます。最近、子息が歯科医師になった私の小・中学校の先輩の整形外科医にそのことを問うと「うんうん」と相槌をうちながら、「タレントなら“底知れぬ見当のつかなさ”は魅力だけれど、歯医者が見当のつかないことを言っては困るよね」と、なにか切実な感じ。子息の歯科医師は、噛み合わせ治療を専門に開業して、隣接する父親の医院のCTを使っては、噛み合わせと全身のウンチクをレントゲン技師に語っている様子。そんな子息の言動に“底知れぬ見当のつかなさ”を感じたのか、探偵事務所にするかのように「息子に探りを入れて欲しい」と言われ、子息の歯科医師(私の小・中学校の後輩)に会うことになりました。

その後しばらく連絡はありませんでしたが、突然連絡が入り「思うことがあり診療方針を変えた」ので、ついてはホームページをリライトして欲しいと頼まれました。
「研修医から2~3年の歯科医師が『噛み合わせ』から全身改善を臨床で取り込むことは危ういことだ」と、本心を言えば臆面もなく若い歯科医師が「全身」のことを知ったように語ることは滑稽ですらあるのですが、2年前に診療方針の変更を促した手前、彼の依頼を無下に断ることもできませんでした。再会して彼の話を聞くと「噛み合わせと全身」が終わったと思ったら、次亜塩素酸機能水による歯周病治療で予防歯科に取り組みたいとのこと。「全身」が終わったと思ったら「水」療法では、麻疹が治ったら風疹にかかったような感じです。どちらも一足飛びに成果を求めたり起死回生を意図したりする歯科医師がよくかかる感染症です。なぜこの歯科医師はこの若さでこうも亜流、傍流を歩もうとするのか不思議でしたが、この時は日本歯周病学会の機能水に関する見解などを示し、歯科医師として、しかもその若さで安易な方法に飛びつくのではなく、患者が歯周病になった原因を考え、根本原因を除去する臨床を優先することを勧めると、不承不承なんとかおさまった感じでした。

歯科医師が根拠薄弱な「全身」や「水」療法を臨床に取り入れると、患者への影響以前にスタッフからの信頼が落ち、人が集まらなくなること、やがて経営が立ちいかなくなることを説明し、そんなことならば商業施設で便利な歯科医院を目指した方が、まだ“世のため人のため自分のため”になると話すと、「それだけはプライドが許さない」とのこと。非合理な治療方法を棚に上げて“底知れぬ見当のつかなさ”です。そんなやりとりを繰り返し、歯科医院経営の基本に戻り予防のあり方を考えながら、歯科医院の方針を考え直すことになりました。歯科医師に口述してもらいテキストを起こし、それを私がリライトして本人に確認してもらいました。

しばらくして戻ってきたリライトした予防ページを確認すると、文体と内容は元のままでしたが、テキストの全ての「むし歯」表記が「虫歯」になっていたので問いただしました。すると「SEO対策」です、とのこと。どういうことか説明すると、Googleでは「むし歯」よりも「虫歯」で検索される確率が20倍も高いのです。つまりネット検索する人が「むし歯」より「虫歯」で検索する場合が圧倒的に多いため、歯科医院のホームページも「虫歯」表記にした方が、生活者を自院のホームページに誘導しやすいという論理です。ホームページを「虫歯」だらけにするのはSEO業者の勧誘テクニックの“いろは”です。立地的に便利な歯医者として経営することはプライドが許さないと言いながら、インターネット上では検索されやすい便利な歯医者になることを目指すとは、“底知れぬ見当のつかなさ”です。

古語に「虫嚙歯 (むしかめば)」という語彙があり、植物の葉が虫に食われるように、人の歯も黒く溝ができたり穴が開いたりすることを指しているのを「虫に噛まれた歯」「むしばむ」「虫歯」と、なったと物の本にあります。そのことを「虫が歯を食べることでむし歯ができる」と子供達が誤解する恐れがあるために、全国小児歯科開業医会が日本学校保健会や日本学校歯科医会と協力して「むし歯」表記が世の中で広まってきた経緯があります。歯科界の先進が正しい医療的見地を社会に伝えてきた流れを、後進の歯科医師が自院の経営のためなら逆行することも厭わないとは。“底知れぬ見当のつかなさ”では済まない、世の中を欺く行為ではと話すと、わかったような、わからないような表情です

彼の主張をまとめると、SEO対策だけのことではなく、「虫歯」の字体そのものが「むし歯」の存在をよく表現しているというのです。つまり彼の頭の中のむし歯には「齲窩」がドーンとあって「齲蝕」にはアイデンティティーがないのです。専門家の歯科医師に対して、それ以上むし歯について説明するのは控えましたが、彼は今時の歯科医師にして昭和の歯医者なのです。そういえば長嶋一茂も、eスポーツをスポーツでないと断言して、「スポーツとは全身を使って筋肉痛が起きたりして全身を進化させていく行為」といった概要のことを言っていましたが、この発言は歯科医師が「齲窩」を「虫歯」とするのと同じで、スポーツの本質が見えていないのでしょう。

歯科医師が「むし歯」を「虫歯」と表記することは、専門家が正しい医療的見地を社会に示していないことになります。習慣的に「虫歯」と書いている人もいるでしょうが、ホームページのSE0対策のために「虫歯」表記をする今時の歯科医師は、杉村太蔵が衆議院議員に初当選した時に「グリーン車乗り放題、料亭に行ける」と発言したのと同じレベルです。自分の仕事の本質が見えていないのです。そんな今時の歯科医師を指して“見当のつかなさ”と形容するのは適当ではなく、正しくは“見当違いもはなはだしい”と言うのでしょう。
歯科医院のホームページから「虫歯」表記なくしてインターネット上でも「8020」を目指して欲しいものです。

アポイントの少ない日には歯科医師の幸せについて考えよう

1961年に国民健康保険事業が始まり、「誰でも」「どこでも」「いつでも」保険医療が受けられる体制が確立した頃、日本経済は高度成長期を迎え、歯科医師も「誰でも」「どこでも」「いつでも」開業すれば、患者が来院する時代を迎えました。バブル景気の頃には、夜間や休日診療をしたり、便利な場所に目新しいデザインの歯科医院を開設したり、インターネットプロモーションをしたりすれば、依然として歯科医院経営は成功する時代でした。振り返って見ると、この頃までは社会はキャッチアップに必死な時代で、“便利さや新しさ”そのものが差別化要因であって、歯科医院もその流れに乗ってさえいれば、盛業することは難しくはなかったのです。当時から20年経ち令和元年、歯科医院は全国に68,522施設に増加し、年間歯科医療費は約2兆9,646億にまでなっています。

飽和状態の歯科医院の引き合いによく出てくるコンビニエンスストアは、1971年に誕生してから50年近くなった現在、約58,000店舗、1日の利用者は約5千万人、年間売上高は約12兆円に達しています。今日、コンビニは社会において商業施設以上の存在となり、医療機関の歯科医院よりも遥かに生活者に必要とされる役割を担っています。納税、住民票の取得、各種支払い、銀行機能、書籍の受け取りもでき、子ども110番や、公衆トイレ機能も持ち、御用聞きや配達まで行うコンビニも出現しています。高齢者や単身者にとってのコンビニは、コンビニエンスを超えてライフラインとなっているのです。

コンビニ業界は高度成長期から現在に至るまでの豊かな日本社会で、生活者が持つ便利志向に対して、24時間営業に代表されるサービスを拡大し続けて成長してきました。ところが、この数年は大きな転換点を迎えています。便利という価値を獲得するにも費用がかかり、限界効用逓減の法則がコンビニ業界を包み込んだ状況です。つまり小さな便利さを獲得するためには、より大きな費用がかかるために、コンビニ利用者が便利になるほどコンビニ店主の費用負担は増え、耐えられなくなってきたのです。まさに誰かの便利は誰かの不便で賄われている様が如実に表れています。豊かな時代には負担できていた費用も、時代が大きく変わり低成長時代となり、人口が減る中でも増え続けたコンビニは飽和状態になり、労働力不足に加えて従業員の時給も3年前に比べ1割近く高くなり人件費高騰に悲鳴をあげています。こういった状況はコンビニ業界の話であり、私たちに関係のないことでしょうか。コンビニで起きていることは日本の産業、とりわけサービス業で起きていることの縮図であり、コンビニより飽和が進み、設備投資が過剰で、人件費の高い歯科医院では、さらに酷い状態になっても不思議ではありません。

コンビニは地域社会が崩壊した現代社会では、便利な商業施設から地域社会のインフラの一端を担う公共空間として地域社会蘇生の処点となる可能性を秘めているように見えます。一方で公的医療機関の歯科医院は、なぜか公益性が薄れてきて天真爛漫にも便利さを追求し続けています。便利さを追求することで、医院スタッフは疲弊し医院の費用負担が増加する限界効用逓減のリスク以上に、健康保険制度には経済的アドバンテージを得る手段があるのでしょうか。あるとしても、汚れ仕事を続けることで、自責の念にかられていては幸せとは言えません。そんなことよりも他者の承認を得ることで経済的に自由なることが、歯科医院だからこそ可能なもっと簡単で確実な方法です。他者(=社会)の価値観を歯科医師の自分の価値観と同じにすることです。他者、さらには社会から承認を得ることが、医療者としての矜持を保ちながら経済的に自由になり、幸せになることができる唯一の方法のはずです。

歯科業界を俯瞰して感じることは、歯科医師は社会の本質を見誤っているということです。モノやサービスが行き渡り、技術革新が進んでモノやサービスのレベルが上がれば上がるほど、人々はプリミティブな理念や共感を感じる何かを求めはじめます。そんな気配が社会に満ちてきているにも関わらず、そこを見逃している感じがします。モノやサービスが不足している社会では、共感のようなものは必ずしも必要はありませんでしたが、成熟した現代社会はそうではありません。例えば佐川急便の『佐川男子』の存在は、宅配便が社会インフラとなった現在、同じ物を同じ値段で同じ時間で運ぶドライバーにも拘りを持つのです。以前ならば佐川急便のドライバーに生活者は共感を求めませんでしたが、今は違います。『佐川男子』はアイドル的な要素まで求められていますが、その根っ子には、ドライバーはどういう考えを持つ人なのか、どんな思いで仕事をしているのか、自宅にまで来るドライバーには、単に物を運ぶ人では済まなくなり、生活者自身が承認できる人でなくてはならないのです。

歯科医師ならば尚更です。歯科医院のウェブサイトを分析していて気がつくことは、生活者は何よりも歯科医師の医療に対する考え方に関心があることです。このことはGPだけではなく専門医にも当てはまり、いくら歯科医師が、高度な治療方法について説明しようと、最新の医療機器をPRしても、アクセスの便利さを伝えようとも、生活者は歯科医師の考え方の承認を最優先とします。この傾向は夜間人口比率の高いエリアの歯科医院ほど顕著ですが、歯科医院全般に当てはまることです。生活者は共感できない歯科医師のオフィスに、CT・マイクロスコープ・CAD/CAMが設備され、便利な場所にあったとしても選択することはないでしょう。

低成長時代の今でも社会にはモノやサービスがあふれています。このような時代に生活者は歯科医院に何を求めているのでしょうか。『佐川男子』の事例からも、歯科医院ウェブサイト分析からも、生活者は歯科医師の理念や医院のコアバリュー、ミッション、ビジョンに共感を覚えて、歯科医院を選択していると考えていいと思います。生活者は歯科医院が持つ大義に共感できるかどうかで、歯科医院を選択しているのです。大義とは「真っ当」という言葉に置き換えられます。真っ当とは、相対的なもので時代とともに緩やかに変わっていきますが、少なくとも今の時代に多くの人に共感される基盤を持っていることです。歯科医療サービスを提供する医院が心から納得して、一点の曇りもないほどにそのことを固く信じていることが大事なことです。これをすれば患者が増えるだろな、と思っている程度のことでは、生活者から共感を得ることはありません。歯科医師もしくは歯科医院がそうしたい、こうありたいと強く望む診療方針を、数字・ファクト・ロジックに照らして生活者に丁寧に説明することが真っ当な歯科医師です。このような医療者としての姿勢を、社会が評価しないはずがありません。

アポイントの少ない日は、コンサルティング的な対応を忘れてみることです。そうすると時代の大きな変化が見えてきます。この変化は歯科医師に新たにこうありたいと強く望む意識と可能性を与えてくれるはずです。必要なことは、意識を固める数字とファクトとロジックです。空白の多いアポイントノートを見るたびに、実は私は歯科医師が幸せになるチャンスだとずっと考えてきました。

歯科医師はいつまで、旧い価値観にとらわれているのか?

~歯科大9校の定員割れが意味するもの~

歯科業界の旧い価値観を壊す学生たち

学生向け進学ガイドの歯学部特集の中で、女子学生に向けて「歯科医師は国家資格で“手に職”を持つ技術職ですから、出産・育児などで休職しても十分な技術と臨床力があれば、復帰や再就職も難しくありません」と、あります。「手に職を持つ」という文言に加え「医療職」ではなく「技術職」と断定していることに違和感を覚えます。周囲の何人かに意見を求めると、「わかりやすいじゃない」「何かおかしい?」といった反応が全てでした。手に職を持つ、技術職、つまり「職人」という歯科医師の価値評価は、令和の世の中においても、どうやら一般的なもののようです。私には時代錯誤と感じる価値観ですが社会に植え付けたのは他ならぬ歯科医師自身で、それはとりも直さず「むし歯洪水」時代の1960年頃の価値観から、歯科医師が抜け脱せないことを意味しています。旧い価値観にとらわれている人は、その価値観の中に存在している限り幸せならば、その価値感を壊すことはありません。歯科医師にとっての旧い価値感とは、技術職として国民皆保険制度に依存することです。国民皆保険制度がひび割れ旧い価値感になることを、サービス業化して凌ごうとする歯科医師もいますが、それは弥縫策に過ぎません。いつの時代も旧い価値観を壊すのは若い人たちです。歯科業界も例外ではなく、歯科大学への受験者である学生たちが、旧い価値観によって創られた歯科大学を壊し始めています。

歯科大9校の定員割れの背景

日本の大学の淘汰が始まっています。18歳人口はピークだった1992年当時から4 割減ったのに、大学数はほぼ同じ期間に1.5倍に増え、10数校が募集停止や廃校に追い込まれています。専門教育をする歯科大学・学部も例外ではなく、1960年代から大幅に増加した歯科大学・学部では、むしろ学生不足の先例を示す結果になっています。「むし歯洪水」といわれた状況が1960年代に起こり、歯科医療の需要の増大とともに歯科大学・学部は1961年から18年間で22校(学部)が急増。歯科医師不足という社会的要請とは言え、1960年代当時に比べ約4倍の急増は、歯科医師過剰という皮肉な状況を生み出して現在に至っています。この状況は、生活者に良質な歯科医院を選択する幅を広げる一方で、不良歯科医院の増加と歯科医師のワーキングプアという現象も引き起こしています。それは歯科の社会的評価の凋落の引き金となり、学生離れに拍車をかけるきっかけになりました。現役歯科医師が様々な弥縫策をもって旧い価値観を取り繕うほどに、足元が崩壊していく様の象徴が、歯科大学・学部9校の定員割れです。

「むし歯洪水」時代の価値観を払拭する

定員割れの歯科大学・学部は国立2校私立7校、入試偏差値が30~40台(国立除く・河合塾調べ)、留年率が30%前後(国立除く・文部科学省資料)、直近2年の国家試験合格率が30%台(国立除く・文部科学省資料)、という傾向があります。近年、一般大学も地方大学は定員割れが顕著ですが、歯科大学・学部は首都圏においても定員割れを起こしています。元来が私立歯科大学・学部は縁故・推薦入学枠があるために定員割れする要素は少ないはずですが、約3割の歯科大学・学部が定員割れを起こして不合格者のいないFラン大学となっています。日歯連事件による負のイメージ、マスメディアによる歯科バッシングなどが、このような状況の引き金になったことは確かです。しかし、一番の原因は1960年当時の社会的需要によって増えた歯科医院が、2019年現在の社会的需要に見合ってないことです。それにも関わらず、この状況から抜け出せない歯科業界の後進性に学生がそっぽ向きFラン大学化しているのです。その最たる例は身内から起きています。歯科医師の子弟が歯科大学・学部に進学しなくなっています。以前から高学力の子弟の場合は医学部へ進学するのはお決まりでしたが、普通の学力の子弟までも歯学部を選ばなくなっています。歯科大学・学部では国家試験を通らなかった場合に選択できる職業が少ない、歯科医師になったとしてもそれまで投資した資金を回収できる目処が立たない、といった現実的問題も横たわっていますが、問題はそれだけではありません。ある進学校では私立歯科大学・学部へ進学することは敗者を意味し、「こんな成績では歯科大しかいけないよ」と当たり前に言い交わされているそうです。こんな状況ですから、今の歯科業界では再び社会の評価を取り戻すことは難しいと、学生たちが感じても無理はないのです。まず取り組むべきことは、歯科業界に身近な歯科医師の子弟が業界に再び飛び込んでくるように、1960年代の業界価値観を現役世代の歯科医師が払拭することです。

サービス業化して自爆する歯科業界

業界全体が低迷しているためか、若手歯科医師も歯科大生も「歯科医師として医療職らしく働き、能力的にも人間的にも成長して、社会に貢献しよう」といった人は少なくなってきています。本来「歯科医師として社会から尊敬されたい」といった承認欲求は、能力向上による自立や社会的・道義的責任を高めることで満たされるものです。しかし、近年の若手歯科医師の承認欲求は、「お金持ちになりたい」といった幼い形で発露されています。その矛先は必然的に臨床へと反映されます。例えば、社会の予防医療の需要は歯科へも押し寄せてきていますが、歯科医師は医療職としてその需要に誠実に応えようとはしていません。メンテナンスならば、口腔と生活習慣を考慮することなく、何も考えずに毎回3~4ヶ月おきと決めたり、治療ならば、その時の来院患者数次第でアポイントの間隔が延びたり、反対に毎日通わせたりと受付の裁量任せです。これは社会が求めている予防医療でしょうか。本来ならば口腔管理をする予防の担い手の歯科衛生士も、サービス業のCRMの担い手となってアポイント管理をしているに過ぎません。患者教育ツールもだ液検査も営業ツールとなっているのが現実です。予防医療が社会的気運となり、歯科医師は技術職から医療職へと進化することが社会的要請であるのに、歯科医師はサービス業化して成功することで承認欲求を満たそうとしています。この様は業界全体で社会的需要を読み違えて自爆しているとしか見えません。

医療のサービス業化という錯誤

サービス業化する歯科医師は、学生たちからそっぽを向かれるだけではなく、患者からは怒鳴られ、スタッフからはなじられる、こんな光景も珍しくなくなりました。社会が医療職へ持つ尊敬の念はサービス業化という弥縫策が進むに従い薄れてきている証です。この発端となったのは、2011年に厚労省が発表した「国立病院・療養所における医療サービスの質の向上に関する指針」として「さま付け」が、国民の信頼確保と質の高い医療の提供を目的として、国立病院などの体制を整える具体的な方法の一例として示されたことにあります。指針には、あくまでも「さま付け」は丁寧な対応をする心得の一例と明記されています。ところが一部のマスメディアが「患者さま」は厚労省勧告で、医療施設のスタッフは患者を「患者さま」と呼ばなくてはいけなくなった、というゆがんだ解釈を国民に向けて発信したのです。これを鵜呑みにした歯科コンサルや歯科ディーラーらが、いわゆる「患者さまセミナー」や出版を通じて、歯科医院に表層的なサービス業化を浸透させていったのです。しかし、厚労省通達を受けた国立病院では、呼称の変化により患者からの暴言や暴力が増えたために、本来の医療サービスが提供しづらくなったことを理由に、ほとんどの医療施設では「患者さま」から「患者さん」へ戻しています。然るに歯科業界では、依然としてサービス業化が歯科需要を拡大すると錯誤してか、この10年あまりの時間を無為に費やしてきました。それも現役歯科医師が、「歯科は特殊だから」という常套句をもって業界価値観を変えようとする意識をぼやかしてきたからです。

歯科産業の進歩から歯科医療の進化へ

以前、私が欠損補綴やインプラントのセミナーを開催するたびに、「医療とは症状を治すのではなく、病気を治すことで、そのための診断能力が医師の基本的能力。そのことを君はわかっていない」と、現在でも私の医療論拠の支柱とする心臓外科医から苦言を呈されたものです。それから10数年経った今、彼の言わんとしていたことが、現実のこととして理解できます。審美性を追求することも、新素材を利用することも、最新の機材を使用することも、新たな修復のテクニックを駆使することも、歯科産業の進歩であって歯科医療の進化には繋がらないのです。技能進歩に向かって歯科医師が努力することは、歯科業界に新しい局面を開くことはなく、歯科医師の医療的評価を高めることもないのです。そのことはこの10年あまりの歯科医師への社会的評価が物語っています。歯冠修復物の適合状態、補綴物の形態や精度、歯内療法後の根菅充填状態、それができることは技能として必要なことですが、歯科医師の医療の尺度をそこにおいていては、歯科業界の旧い価値観は何も変わりません。歯科業界の目標が8020の達成とするのならば、歯科医師として求められることは、抜歯や抜髄、歯冠修復、欠損補綴といった技術行為の優劣にあるのではなく、むし歯と歯周病という病気を治すための診断能力こそが歯科医師の基本的能力であるべきです。さらには、口腔の健康とその保持、病気からの回復方法を生活者に理解させることに、歯科医療の評価価値を変えていかなければ、社会的需要に応えることはできないでしょう。一歯科医院においてもそんな歯科医療が生活者から評価される時代がもうそこまで来ています。産業界の予防歯科受診に対する補助金制度は、その息吹なのです。

シンプルに歯科の医療価値を伝える

歯科医師が世の中から「医療職」ではなく「技術職」と認識されているのは、当の歯科医師が歯科の医療的価値を理解していないことが原因です。歯科医師の医療的価値は、むし歯と歯周病という病気を治すための診断能力に現れます。この診断能力をSPTとメンテナンスという行為に紐付けていくことが、歯科医療で最も重要なことではないでしょうか。歯冠修復や欠損補綴は、障害によって機能が低下した生活者のハンディキャップを補うことですから、歯科医師はサポート役に徹することが医療職としての心得です。元東京医科歯科大学教授の安田登先生は「疾病に対しては医者として積極的に! 障害に対しては患者の意思を尊重して謙虚に!」と述べています。まさに至言です。技術職化した歯科医師は「疾病に対しては医者として謙虚に! 障害に対しては医者の意思を尊重して積極的に!」となっていないでしょうか。「歯科医師とは、むし歯と歯周病という病気に対して、あらゆる知識を駆使して治癒に導く医療職」とシンプルに社会に伝えていきませんか。このことが歯科医師の新しい価値観になることで、歯科業界は社会から「医療職」と認められ、学生も憧れる職業になるはずです。

「エリートとは何か」と若手歯科医師向けセミナーで考える

最近、若手歯科医師を対象にしたセミナーが各所で開催されています。この手のセミナーの草分けは、日吉歯科診療所の「若い歯科医師のためのオーラルフィジシャン育成セミナー」ではないかと思います。2005年から始まり今年の8月で30回を数え、日吉歯科診療所での開催は最後を迎えました。

このセミナーの凄さの一端は、15年の間に年2回定期的に開催され、特に広告宣伝することなくクチコミのみで毎回1~2年待ちの人気を博してきたことでもわかります。それは“日吉歯科診療所・熊谷崇”(敬称略)という知名の高さによるものだけではなく、若手歯科医師を引き寄せる磁力のような何かがそこにあったからに違いありません。背後にスポンサー歯科医院を募り、リスティング広告で集客する若手歯科医師向けセミナーとは、一線を画す価値が日吉歯科診療所でのセミナーにはあります。

一体どういう価値があるのでしょうか、改めて考えてみました。東北地方の一歯科医院が行う若手歯科医師向けセミナーが、誰も予想もしないような働きを持って歯科医師の考えを変えていく現実。実際に私は受講者した歯科医師の何人もから「歯科医師人生を根底から覆された」と話すのを聞いたことがあります。そして、その数%が自院の収益を上げながら、歯科の「業界価値」をも上げるエリート歯科医師へと成長していることが、このセミナーの凄みに繋がっているのです。

日吉歯科診療所の若手歯科医師向けセミナーで見る20年30年と一本の線になった臨床例を見て感じる、予防歯科が紡ぎ出す審美性にもその凄みは宿ります。術前術後の点と点を示す臨床例を賛辞する審美歯科グループの茶番とは次元が違うことを目の当たりにできます。この予防歯科が内包する審美性に歯科医療の結節点を見つけ、歯科医師としての方針を再考した人も少なくはないはずです。

2005年に始まった「若い歯科医師のためのオーラルフィジシャン育成セミナー」に先駆けて、私は2004年に「若き歯科医師に贈る医療と経営」と銘打ったセミナーを企画して熊谷崇先生にも講師として登壇してもらったことがあります。もちろん、日吉歯科診療所での若手歯科医師向けセミナーのように歯科医師の人生を変えるような力はなく、今考えると冷や汗が出てくるような企画意図でした。

私が若手歯科医師向けセミナーを企画した理由は、仕事をする上での自分自身の精神的なバランスをとるためでした。2000年当初、私は大手総合商社などと組んでは、大規模集客施設などにファミレス歯科(サービス業的歯科医院)を企画・リーシングしていて、仕事自体はとても順調でした。しかしそこに集まってくる歯科医師は、歯科の「業界価値」を上げることには無関心な小利口なタイプが多く、彼らとの話は「便利な場所で国の制度を合理的に使いどれだけ売り上げをあげるか」に終始して、歯科業界の在り方とか社会の豊かさとか本質的なものがない軽薄なものでした。このような便利な歯医者を金太郎飴のように作る幼稚な仕事に嫌気がさしていたのです。このような歯医者を大量生産してきた私には、若手歯科医師向けセミナーを企画して禊(みそぎ)とすることで、自分の気持ちを鎮めたかったのです。

日吉歯科診療所の「若い歯科医師のためのオーラルフィジシャン育成セミナー」の紹介文には“生まれたばかりの雛鳥は、最初に見た動くものを親と思ってついていくそうです。歯科医師も然りで、ライセンスをとってはじめの数年でその人の診療スタイルが決まってしまうと言っても過言ではありません。”と、ありますが、まさにその通りで、私には身にしみてわかります。今まで関与してきた便利な歯医者は、経験を積み経済的にも十分満たされた余裕を、歯科業界の向上や社会への還元といった「業界価値」をあげることに向ける人はほとんどいませんでした。

幾つになっても関心の第一は「初診者数」にあり、見た目のシワは深くなるのに社会人としての考えは一向に深くなりません。各界のエリートの40代といえば、視点が「自分と社会」に向かい、50~60代でその考えは「自分の業界の社会的価値」に広がるものです。しかし便利な歯医者の視点は何歳になっても「自分の目の前の利益」にしかなく、精神的に未成熟なままです。然るに歯科業界の若手は、便利な歯医者=成功者と思う傾向があり、そこを頂点として目指す人が少なくありません。業界全体でエリートのあり方を考え、エリートをつくり出す余裕がなくなっているのです。歯科業界の価値が低下していること、歯科医師が不人気職業になっていること、その因果はこんなところにもあるのではないかと思います。

現代歯科医療においてエリートとはどうあるべきかと考えながら、「若い歯科医師のためのオーラルフィジシャン育成セミナー」の最終回を見学してきました。日吉歯科診療所での最後のセミナーに数人のオーラルフィジシャン歯科医師の方が駆けつけていました。長きにわたり本セミナーを支えてきた歯科医師・太田貴志氏(山形市開業)と歯科医師・佐々木英夫氏(山形市開業)、オーラルフィジシャンとして活躍する歯科医師・福田健二氏ご一家(函館市開業)と歯科医師・早乙女雅彦氏(栃木市開業)、各人を私の好きな随筆家・若松英輔氏の言葉を使い紹介してみます。


歯科医師・熊谷崇氏

人生の師は、しばしば試練を伴って私たちの前に顕われる。
むしろ、そうした人生の問いを伴って顕現する者のみが、師と呼ぶにふさわしいのかもしれない。全身を賭して向き合うことを求めてくる、そうした人生の問いは、次第に生きる意味へと変じていく。それを精神科医の神谷美恵子は「生きがい」と呼んだ。

若松英輔

歯科医師・熊谷崇氏を知れば知るほど、しばしば試練を伴って私たちの前に顕われる。「なんと厄介な!」と、感じたことがある歯科医師は少なくないはず。


歯科医師・佐々木英夫氏(写真左)

苦しい出来事があって、立ち上がることが困難なことでも、私たちは一つの言葉と出会うだけで、もう一度生きてみようと感じられるときがある。別な言い方をすれば言葉は、人生の危機において多くの時間と労力を費やして探すのに、十分な価値と意味のあるものだともいえる。言葉は、心の飢えを満たし、痛み続ける傷を癒す水となる。言葉は、消え入りそうな魂に命を与える尽きることなき炎にすらなる。

若松英輔

歯科医師・佐々木英夫氏の癒し。満たされることないスタッフとの関係に疲れ、時として厳しい熊谷崇氏の言葉に傷む。佐々木氏の言葉は「心の飢えを満たし、痛み続ける傷を癒す水となる」に違いありません。


歯科医師・早乙女雅彦氏(写真中央)

人は、根が必要なときに花を集めることがある。果実を手にしようと躍起になっていることもある。むしろ、そんな生き方をして、疲れていくこともしばしばあるように感じられる。さらに、花々を手にしている人を羨み、自分の手に果実がない現実に落胆し、失望したりもする。

若松英輔

歯科医師・早乙女雅彦氏の見識。キャリアを重ねても若手に混じりノートをとり、根を深く張ろうとする。口癖は「私にはそんな力がないから」。こんな歯科医師が果実を手にするに違いない。


歯科医師・福田健二氏(写真中央)と幹久氏(写真左)

仕事をしていて確かに感じられるのは、信頼できる人物とは、成功を誇る人よりも、鷹山のように挫折を経てゆっくり歩こうとしている人であるということだ。そういう人たちは人間が何かを誇るときの愚かさと同時に、本当の意味で立ち上がることの意味を知っている。立ち上がった経験を持つ者は、ひとたび転んだことのあるものだけだからである。

若松英輔

歯科医師・福田健二氏、幹久氏ご家族の振る舞い。何を声高に誇るわけではないが医療者に求められる「信頼」を醸し出している。一つ事に「ゆっくり歩こうとしている人」が持つ安定感がそこにはある。


歯科医師・太田貴志氏(写真右)

成功を誇る人々は常に、会社の規模、売上高を誇るなど量的な実績を声高に語り、ほとんど質的な実感に関心を払っていないのも共通していた。・・・・・・
そしてもっとも大きな違和感は、成功を語る人々が「成功」とは何かを改めて考え直してみるという、当たり前の道程を経ていないのが明らかなことだった。

若松英輔

歯科医師・太田貴志氏の矜持。大規模診療所に関心が向かう歯科業界にあって、「大きくしない拘り」を持つ。その意志に臨床家としての理想が見える。これからの社会で歯科診療所に求められる原点。


デンツプライシロナ渡辺正義氏(写真中央)は
15年間「若い歯科医師のためのオーラルフィジシャン育成セミナー」の運営面でサポート。
東北人の謙虚さと我慢強さを感じます。


よい仕事をするには、自己の能力を高めるだけでは足りない。自分をねぎらい、いたわることを忘れてはならない。それが労働という言葉の本当の意味だろう。
「労わる」と書いて「いたわる」と読み、「労う」と書いて「ねぎらう」と読む。
仕事はいつも他者との間に生まれる。働くとは、他者とともに生きていくことである。いたわりとねぎらいが、自己だけでなく他者にも向けられなくてはならないことを、「労働」という言葉は教えてくれる。

若松英輔

随筆家・若松英輔氏の言葉には、歯科業界が見つけることのできない「エリートとは何か」への解があります。「労働」を「臨床」に、「他者」を「患者」「スタッフ」「業界」「社会」に置き換えてみると、エリートへの階段になります。歯科業界で人気の便利な歯医者の目線は、「患者」か、せいぜい「スタッフ」までですから、エリートたり得ないのです。目線が「業界」「社会」まで届く歯科医師がエリートであり、社会から評価される対象です。このクラスの歯科医師を輩出していくことが、若手歯科医師向けセミナーの価値ではないでしょうか。

2019年8月をもって終了した日吉歯科診療「若い歯科医師のためのオーラルフィジシャン育成セミナー」は、東京と福岡のPre Oralphysician Seminar(プレ オーラルフィジシャン セミナー)に継承されています。
http://www.keep28.org

歯科医院そんな立地調査でいいの?(2/2)
三軒茶屋をウォッチングする

三軒茶屋駅周辺エリアの特徴

私が学生の頃の三軒茶屋といえば、沿線のバンカラな大学生が酒を飲んでは暴れる街で、現在のおしゃれな暮らし世田谷というイメージとはだいぶ違い、the昭和という印象でした。そんなイメージが変わるきっかけになったのは、駅周辺の再開発で96年に開業した文化施設も入るオフィスビルのキャロットタワーの存在でした。三軒茶屋のランドマークとして、地域のイメージを一新させると同時に人の流れも大きく変えました。国道246号線を渋谷方面から直進してくると道の分岐地点に建つ高層のキャロットタワーは、先行すること約20年渋谷道玄坂下の分岐点に登場し、どこか隠微な感じの道玄坂をファッショナブルな印象に変えたSHIBUYA109を彷彿させるものでした。

実際に現地を歩いてみると思ったほど渋谷化されてなく、下町っぽさを感じる街並みです。駅西側の仲見世から映画館に至る通りの雑然さ、東急、西友、肉のハナマサと中流向のスーパーマーケット、点在する低価格小売のマイバスケット、路地につながる商店街、駅周辺の民度は90年代の頃と変わらない庶民的な印象でした。その中にあって下北沢に通じる茶沢通りは、小売店や飲食店がずらりと並び、地域生活者のおしゃれな散歩道でもあり通勤通学道路で、当時とは随分と変わった印象を持ちました。

生活感のある渋谷といった感じの三軒茶屋は、若い歯科医師にも人気があり、2000年代になり歯科医院が乱立した結果、1次2次診療圏内に55軒の歯科医院が存在しています。日本歯科医師会・歯科医院経営実態調査(H27)によれば全国の1歯科医院の1日当たりの患者数は17.4人ですが、診療圏ソフトの算定では三軒茶屋駅を起点とした徒歩15分エリアの1歯科院の1日当たりの患者数は9人とされます。また東京都福祉局の施設接近度調査によれば東京23区内の歯科医院は295mという数字が出ていますが、この地域では人の流れが活発な茶沢通り、世田谷通り、国道246号線沿いでは、歯科医院の目算接近度は50m毎に1軒ある感じです。

このような過密な診療圏にあって、競合歯科より少し便利な場所であったり視認性に勝っていたりすることは大したアドバンテージではありません。それよりも開業志望歯科医師の診療方針に見合った診療圏であるかどうかの見極めが重要です。自院にどのエリアからどのような生活者が来院してくるのか、そのイメージを持てるかが開業成否のポイントになります。そんなことを念頭にして診療圏を観察してみました。

診療圏ソフトを疑ってみる

現地調査をするための最初の作業は、ソフトウェアで設定された診療圏を疑ってみることです。不思議に思われる向きもあると思いますが、ソフトウェア診療圏を補正する理由は、歯科医師がその立地で医院経営をしていけるかどうかを判断できる現実に基づいた診療圏でなければならないからです。例えば今でも歯科業界で使われる円商圏は、エリアポテンシャルの目安にはなりますが、実際の診療圏とはだいぶ違います。ある地点を起点として徒歩7分で到達できる地点が全方位同じ距離ではないからです。丘陵や坂などの土地の高低、線路や幹線道路、あるいは河川などのバリアを円診療圏は計算していないのです。

土地の高低やバリアを計算しているアメーバー診療圏もありますが、これも円診療圏に比べて実態に則してはいますが、地下道や顧客誘導施設などが多い都市部では補正が必要になります。ソフトウェア診療圏と現場観察をして補正した診療圏では、そこに存在する人口と歯科医院軒数が違ってきますから、事業計画の根拠とする1医院当たりの患者数が違ってきます。患者数の読み違いが開業後の診療方針や経営に影響する場合もあるのです。口腔内の外科処置の際に、X線などの画像情報と口腔粘膜を切開してわかる情報が違い、治療計画を変更するケースもあることと同じです。

【ソフトウェアのアメーバー診療圏】

近年の開業志望歯科医師は、自らの診療方針をイメージできる立地を探すのではなく、便利で目立つ場所探しに終始する傾向がありますが、都市部ではもうそういう立地はほとんどありません。最初に立地ではなく、自らの診療方針が実現できる診療圏を見定め、その中で適正立地を探していく気持ちが必要です。そのために診療圏の補正は、現地調査の基本となるのです。“木を見て森を見ず”ではなく、森も見定めることが大切です。

今回は東急世田谷線(以後世田谷線)三軒茶屋駅前のA地点で歯科医院を開業すると仮定してみます。世田谷線三軒茶屋駅を起点として徒歩7分のエリアは、「太子堂4丁目」から時計回りに「太子堂2丁目」「太子堂1丁目」「三軒茶屋1丁目」「三軒茶屋2丁目」が1次診療圏。2次診療圏を徒歩15分と設定すると、診療圏ソフトでは幹線道路の国道246号線を診療圏バリアとして、A地点南側の診療圏は小さく表示されます。2次診療圏は「若林2丁目」「若林1丁目」「太子堂5丁目」「太子堂3丁目」国道246号線を挟んで「太子堂1丁目」「三軒茶屋1目」「下馬1丁目」、国道246号線と世田谷通りの間の三角地帯「三軒茶屋2丁目」「上馬2丁目」と表示されています。

A地点の診療圏を通勤通学時間帯に現地調査に行き人の流れを見ると、ソフトウェアの診療圏は実態と違っていることがわかりました。A地点を起点とした徒歩15分診療圏の南側は国道246号線で分断されており、西側は世田谷通り沿いの歯科医院がバリアとなり分断されています。さらに東側の池尻大橋側は淡島通り沿いに集中する歯科医院がバリアとなっています。また世田谷線三軒茶屋駅の乗降客のほとんどは改札を出て地上を歩く距離は数十メートルで地下道に吸収されます。世田谷線乗降客の多くは東急田園都市線三軒茶屋駅へは地下通路を利用しています。そのため世田谷線沿線の生活者が地上にあるA地点を認知することは多くはないでしょう。立地Aは駅前ロータリーに面していながら、人の流れは地下道に吸収され、国道246号線沿い、淡島通り沿い、世田谷通り沿いの歯科医院がバリアとなり生活者を分断するために、実際の診療圏は西北側の「太子堂4丁目」「太子堂5丁目」「若林1丁目」「若林2丁目」が補正した1次診療圏になります。A地点での開業はこの現実を踏まえた診療圏を基に考えなければなりません。

診療圏ソフトは便利な道具ですが、実態とは違う場合も少なくありません。ソフトウェアが示したものと現地調査をして補正したもののA地点の診療圏の違いは、下記の【図1】を見れば明らかです。

【図1】

このように実際の診療圏は西北側の「太子堂4丁目」「太子堂5丁目」「若林1丁目」「若林2丁目」になり、立地Aのターゲットエリアになります。次に調べるのはターゲットエリアに沿うロードサイドに集積する競合歯科の力量です。

競合を測る物指しと調査の視点

私はマーケティング・リサーチを

  1. Customer=診療圏生活者
  2. Competitor=競合歯科
  3. Company=自院診療方針

の要素に分けて考え、診療圏調査のフレームにします。前回のブログで包括的に机上調査としていた診療圏ソフト、検索数予測ツール、Google map、総務省データ・市町村人口世帯データなどが、Customer=診療圏生活者や市場性を洗い出す篩(ふるい)です。Customer調査で篩にかけた立地や物件を現場調査してCompetitor=競合歯科を洗い出し、その力量測った上で、この立地で競合歯科に伍してCompany=自院診療方針の実現をイメージでき、診療圏を開拓できるかどうかを開業志望歯科医師に問うことになります。

Competitor=競合歯科の評価には4P分析(図参照)を使います。

  1. Product=得意分野・サービス
  2. Price=治療費
  3. Promotion =広告宣伝
  4. Place=立地・自院訴求エリア

の項目が4Pです。競合歯科と目する医院を4Pで分析して、医院の力量の構成要素を解明していきます。開業志望歯科医師の立地が4P分析をした競合歯科の立地に比べて優位かどうかを比較検討します。

また診療圏内の駅の乗降客数が5万人前後の地域でしたら、地域歯科医院の立地の中でBest4に入れるかどうかが立地選択のポイントになります。Best4を指標とする理由は、地域生活者は通院経験のあるなしとは別に、地域歯科医院の中で4~5軒の歯科医院を認識しているからです。地域生活者が潜在的に認識している4軒の歯科医院の中に割って入ることができない立地の場合、損益分岐を突破して経営が軌道にのるまでに相当な時間と資金がかかります。

近年の歯科開業の失敗は、地域Best4に入る立地でないにも関わらず、過剰な設備投資をして運転資金がショートするケースが大半です。すると商業的アプローチに終始し、自院の価値を下げるという悪循環に陥っていくのです。地域Best4に入る立地かどうか、こんな視点を持って診療圏を歩きまわることも現地調査では重要です。

三軒茶屋駅前で歯科開業をする?

立地A周辺店舗は世田谷線の三軒茶屋駅前ロータリーにありながら、“便利さ 手軽さ 無難さ”を売りにする店舗が少ないことが特徴です。「スターバックス」「サブウェイ」食パン専門店の「銀座に志かわ」「無印良品」など、一定のブランド力のあるチェーン店が多く、こだわりのある人を顧客とする店舗が並んでいます。この特徴は周辺の生活道路にある店舗になるとさらに顕著になり、第5次産業的な店舗が点在しています。第5次産業とは、ザ・リッツ・カールトンホテルやオリエンタルランドなどを代表格とする新たな価値や感動を創り出す企業を意味します。三軒茶屋駅周辺の小規模ながらも第5次産業的な店舗や施設の代表格が、現代演劇と舞踏を中心に上演するシアタートラムです。店舗や施設は地域生活者の民度を写す鏡で、開業志望歯科医師が診療方針を立てる上で認識しておかなければなりません。

このような特性のある店舗や施設が多い立地Aで歯科医院を開業した場合、「太子堂4丁目」「太子堂5丁目」「若林1丁目」「若林2丁目」がターゲットエリアになります。世田谷線の三軒茶屋駅前ロータリーの東側にある西友側から立地を観察するとほとんど人の流れはありません。そもそもこのロータリーに大きな人の流れはなく、茶沢通りからの人の流入も非常に弱いものです。このロータリーでは、「太子堂4丁目」「太子堂5丁目」方面の生活道路から滲み出るような人の流れが主なものです。立地Aの目の前の通勤通学時間帯の世田谷線の乗降客の流れのほとんどは、改札から数十メートル歩き田園都市線に通じる地下道へ吸い込まれていき、ロータリーに流入することはありません。

立地Aの競合歯科の多くは茶沢通り沿い(周辺)に在ります。茶沢通り入り口から下北沢方面まで約300mの間に通りに沿って8医院が存在しています。このエリアでは最も生活者の流れがある茶沢通りですが、そこにある歯科医院のほとんどは飲食店に埋もれてしまい視認性は弱く、アプローチも良くありません。各歯科医院は生活者からの利便性を期待しての立地選択だったのでしょうが、わずか300mの間に歯科医院が乱立してしまい、生活者からの視認性が高いどころか、歯科医院同士の接近度が50mを切り、業態価値を低く見られるアナジー作用が起きている立地になっています。その一方「太子堂4丁目」「太子堂5丁目」の生活道路に面している立地Aの競合歯科6軒は、地味ながらも自宅1階開業とアプローチも良好で、一定の来院者を確保していると予測されます。【図2】

【図2】

世田谷線三軒茶屋駅前立地Aの現地調査をまとめると以下のように、診療圏(エリア)はいいけれど、立地は平凡という結果になり判断に迷うケースです。

  1. 診療圏の人の流れは地下道が中心
  2. 診療圏は外食チェーン、コンビニ、美容院も多くエリアポテンシャルは高い【図3】
  3. 診療圏の生活者の民度は総じて高い
  4. 診療圏は西・北西方向に広く北東から南西方向に向けて狭い
  5. 診療圏は歯科接近度が目算50m程度で業態価値が下がっている
  6. 診療圏の競合歯科の4P分析は標準的
  7. 診療圏検索キーワードは「三軒茶屋・歯医者」で約1600回と低い
  8. 立地Aは人口量も多く人口動態も良好だが人の流れは少なく視認性は弱い
  9. 立地Aのターゲットエリアの歯科医院は利便性の面では強い
  10. 立地Aに競合する茶沢通り集積歯科医院はアナジー作用を起こして弱い

【図3】

こういった場合、三軒茶屋で1か月当たりの歯科のキーワード検索回数を調べて、判断の補助線にします。「三軒茶屋・歯医者」で約1600回、「三軒茶屋・矯正歯科」で約200回、「三軒茶屋・インプラント」で約20回、と各キーワードの検索回数は多くはありません。新規開業の際にネットで認知してもらうには時間のかかる診療圏と予測されます。

さて、あなたなら三軒茶屋駅前で開業しますか?
私なら運転資金が固定費の12か月分用意できたら開業します。
その理由はエリアポテンシャルも生活者民度も高い割には、A地点の競合歯科が平凡だからです。

歯科医院そんな立地調査でいいの?(1/2)
120分で人気スポット三軒茶屋を調査する

立地と開業資金の関係

この2~3年、開業後1年も経過していない歯科医師からの相談が多くなってきています。主な相談内容は、患者数が増えないために事業計画の下振れ案からさらに低迷する現状への不安です。こういったケースは、ほとんどが立地選定の甘さによるもので、加速度的に経営は悪化して、経営不安が経営不振に、そして経営破綻となるケースさえあります。

その理由の一つには、開業資金の按分に問題があります。開業時の設備資金の比率が多いあまり、経営不安を早期に解消する資金が十分に持てないことにあります。開業地のエリアポテンシャルが高く、さらに資金調達が可能であれば、エリア内での立地選定をやり直し、早期移転を奨める場合もあります。そこまで決断できない場合には、商業的施策を提案することになります。それさえも資金的に難しいとなると、診療時間を増やして訪問診療もする、スタッフを減らし人件費を削る、といった持久戦しか打つ手がなくなります。手持ち資金がないために、ずるずると負の連鎖に巻き込まれてしまう典型例です。

開業資金の按分は、後から手当てしづらいものから分配していくのが鉄則で、

  1. 立地
  2. 運転資金
  3. 人材
  4. 設備(医療機器・内装)

といった優先順位をつけて考えます。ところが歯科界では習慣的に設備から資金配分をしていくために、立地選定や運転資金の予算が十分でない場合も少なくありません。そのためにエリアポテンシャルの低い立地で開業したり、経営再建する資金がなかったりして低迷を続けていきます。開業は二期で考えて、一期でビジネスの仕組み(人が集まる場所選びと仕組み)を作り、二期で医療方針を確立するための設備資金を投入するのが良いでしょう。ビジネスの仕組みができていないと、どんな高邁な医療方針を掲げたところで、常に経営に圧迫された商売臭い歯科医院運営を続けていくことになります。

よほど知名度の高い歯科医師でない限りは、設備資金を優先する習慣は改め、ビジネスの仕組みができる資金配分をするべきです。またネットによる患者集めも必要な時代ですが、ネット頼りの起業には無理があります。それは実際に開業している歯科医院の検索キーワード分析や患者アンケートからも明らかで、歯科医院の前を通ってその存在を認識しホームページで医院の内容を確認し来院してくる人が圧倒的に多いからです。一般歯科医院ではどんなSEO対策よりも立地効果の影響の方が大きいのが現実です。

120分立地調査の流れ

立地調査は机上調査後に現地調査を行いますが、首都圏では約90%の物件が机上調査段階でオミットされます。机上調査は鳥の眼で診療圏全体を俯瞰して客観的評価に活用しますが、それ以上のものではありません。「木を見て森を見ず」の「森」の大きさを知るための利用です。現地調査は虫の眼で、森の中に入って「木」を見ていきます。診療圏に密着して人の流れを調べたり具体的な患者像をイメージしたり、さらに臨床や経営のヒントを見つける作業です。歯科のように飽和している市場では、現地調査の精度が開業後の臨床や経営への成果に結びついていきます。この段階で、経営のアイディアが浮かばない立地は、診療圏ソフトのデータ内容が良くても見送ることにします。あくまでも診療圏ソフトは立地調査の効率化に役立つレベルのものだからです。

机上調査では、診療圏ソフト→検索数予測ツール→Google map→総務省データ・市町村人口世帯データの順で候補物件を篩(ふるい)にかけていきます。下記【都市部の立地調査のポイント】の1~4が机上調査に当たります。現地調査は住宅地図とGoogle mapを使用して、初回は通勤通学時間帯に5~7を調査します。都市部の狭い診療圏、今回の三軒茶屋などでは、この一連の作業約120分で、おおよその候補物件の可能性がわかります。机上調査を1次評価、現地調査を2次評価、そして2次評価で評価が高かった物件を比較評価して開業物件を絞り込んでいきます。

都市部の立地調査のポイント

1.市場規模と質

  1. 徒歩7分~10分、または半径1km程度の1次診療圏とした人口量
  2. 一次診療圏人口の年齢・家族構成・世帯居住状況

2.顧客誘導施設

駅・商業施設・公共施設・交通量の多い道路や交差点など

3.視認性

通行人やドライバーの目線に入るか入らないか

4.webマーケティングリサーチ

「地域名or駅名と歯医者」での検索件数量

5.動線

顧客誘導施設への通行人/交通量が多い道路の把握

6.建物/アプローチ

  1. 原則1階、または視線の届くエレベターのある低層階
  2. 施設への入りやすさ入りにくさ
  3. 駐車場のあるなし・台数

7.競合

  1. 競合歯科の立地環境
  2. 競合歯科の規模
  3. 競合歯科のネット検索件数

相乗りマーケティングリサーチ

歯科医院のような小規模な事業体では、大手チェーンの店舗開発部隊のような商圏調査は不可能ですし、歯科関連業者の診療圏調査も精度が高いものではありません。そこで、調査力の弱い歯科は、他業種のマーケティングリサーチに相乗りして、診療圏調査の精度を上げることをお勧めします。

私の場合、行政データを噛み砕いた上で診療圏調査の補助線にするのは、セブン-イレブンとマクドナルドの出店状況です。セブン-イレブンの店舗開発は一貫して人口量重視で、ローソンやファミリーマートと比べてその基準がはるかに厳しいことが、セブン-イレブンの強さと言われています。そのため他のコンビニに比べてセブン-イレブンは、人口量の多い地域にはそれに比例して店舗数が多いという相関関係が顕著です。時に歯科開業立地でコンビニ跡地が出回っているのを見受けますが、セブン-イレブンの跡地はほとんどありません。それぐらいに人口量には厳しい店舗開発をしています。

マクドナルドも人口量重視の出店が顕著です。2010年にマクドナルドが店舗の再編をした時には、約400店舗を閉店し、約600店舗を立地のよい場所に移転しました。店舗が長く売上げを維持していくには立地しだい、売上=立地という単純明快な基準を企業の生命線にしています。

セブン-イレブンもマクドナルドも人口量が多く人口が減少傾向でない場所を選択し、その上で生活者から認知されやすい場所に出店しています。生活者が「どこに行く」のタイミングで思い出してもらうには、記憶に残っているかどうかにかかっているからです。よい立地にあること自体が看板を出していること、ネット検索の上位にいることと同じことだからです。

立地の力は日経新聞や週刊ダイヤモンドのアンケートからも明らかです。生活者が飲食店を選ぶ理由の約8割が「そのお店が便利な場所にあるから」で、味や接客の良さを大きく上回っているのです。歯科医院は単純に飲食や物販とは比べることはできませんが、便利な場所=安全な場所という生活者意識は、医療サービスである以上無視することはできないでしょう。

おまけのマーケティングリサーチ

自由診療収入が見込める歯科医院経営では、地域生活者の平均所得は気になるところです。東京23区において、平均所得1位は約1,126万円の港区で最下位は約340万円の足立区です。それならば平均所得の高い港区で歯科医院を開業した方が経営上は優位になるようですが、そうとも言い切れません。港区の平均所得を釣り上げているのは超高額所得を得ている企業経営者などで、多くの生活者の所得は400~500万円台です。足立区の平均所得は23区内で最下位ですが、23区のうち12区は足立区と同じ平均所得300万円台ですから、足立区が突出して低いわけではありません。所得の場合は平均値ではなく中央値で見ることが生活者の直感により近くなるデータの見方です。健康保険収入を主とする歯科医院経営では、人口量が所得以上に経営インパクトになるために、人口が港区(歯科605施設)の2.7倍ある足立区(歯科379施設)で開業する方が、歯科医院にとっては優位といえるでしょう。因みに今回現地調査した三軒茶屋のある世田谷区は、人口順位東京23区内で1位の約90万人、人口上昇率0.8%で12位、平均所得554万円で7位、歯科742施設となり、歯科経営ポテンシャルは港区よりは高いけれど足立区よりは低いといえます。

23区 平均所得(万円) 人口(万人) 歯科医院数(軒) 歯科1軒あたりの人口(人)
1,126【1位】 25【17位】 605【2位】 403【21位】
世田谷 554【7位】 90【1位】 742【1位】 1212【13位】
足立 340【23位】 68【5位】 379【9位】 1794【2位】

ついでのマーケティングリサーチ

私が現地調査の補助線にするセブン-イレブンはコンビニの雄ですが、そのコンビニより店舗数が多い業種で常に挙げられるのが歯科医院と美容院です。全国のコンビニ数は約57,000軒、歯科医院は約69,000軒、美容院は約247,000軒です。美容院の店舗数は飽和市場の歯科よりも約3.5倍も多く、都心では「10歩あるけば歯科、3歩あるけば美容院」といった状態です。それでも美容院がなんとか経営していけるのは、美容師1人につき最低30人の顧客を持ち、客単価の高い女性に月1回来店してもらい、しっかりと顧客を回しているからです。また、設備投資は極端にいえば、鏡とシャンプー台、そしてハサミがあれば材料もほとんど使わないために、立地に資金投下できるのです。その特徴は居抜き開業が非常に多く、開業に資金をかけないことに現われています。つまり美容院経営の肝は、設備投資を抑えて立地に資金を投入し、限定した顧客を確実に回していくことにあります。これは歯科医院の現地調査の補助線になるような気がします。

よけいなマーケティングリサーチ

「年金だけでは老後資金が2,000万円不足する」と試算した金融庁の市場ワーキンググループの報告書を巡り、世の中は騒然として政府が火消しをすればするほど現実味が増して、私たち社会の未来像が浮き彫りにされました。日銀の金融広報中央委員会によると、70歳以上の金融資産の平均値は1,768万円ですが、中央値となると680万円です。厚生労働省「国民生活基礎調査」で年齢別の貯蓄金額を見ると、貯蓄額を2,000万円以上保有している70歳代の割合は18.6%となっていますから、金融庁の言うことは的を射ています。これでは歯科医院経営の頼みの綱の自由診療比率の向上は、極めて厳しいように思えます。現地調査の要素に自由診療の補助線を安易に入れることは控えなくてはなりません。

人気スポット三軒茶屋をウォッチングする

次回のコンサルblogは、今回紹介したマーケティングリサーチをベースに東京の三軒茶屋をウォッチングして、歯科医院開業の可能性を探ってみたいと思います。

予約サイトにおもねり 口コミに怯える歯科医師の心性とは

歯科界を席巻しつつある予約サイト。そこに表明されている「口コミの品質・公平性への取り組み」の内容たるや、片腹痛いことこの上ありません。そこに示された運営方針をまとめると、「都合の良い口コミ、都合の悪い口コミを集中させたりしないようにID認証などを行い、信憑性の高い口コミ情報発信に努め、中立・公正な運営を行います」となります。このサイトの口コミは自発的なものではなく、アンケートという体裁をとり、回答者には飲食店などのクーポンを渡すことでアンケート=口コミへと誘導しています。

ところがアンケートが予約サイトへの口コミという体裁へとすり替えられると、何故か予約サイト契約医院の口コミは軒並み高評価なものばかり並び、自らが表明する中立・公正を欠く始末。歯科医院が嫌うGoogleの口コミは、その約38%が歯科医院に手厳しい内容(弊社調査)であるのに対して、この予約サイトの口コミには歯科医院に厳しい内容はほとんど見当たらないのです。さらに掲載されている口コミが「だ・である」調の文体の時期と「です・ます」調の文体の時期が分かれて存在しており、アンケートの文体を見慣れている筆者には不自然きわまりなく感じます。

予約サイトのテキ屋とサクラのようなビジネススキームを信用して、歯科医院を選ぶバカにつける薬はないとしても、サイト運営会社が、品質やら公平性などと云々言う厚顔さには腹が立ちます。ID認証などの浅知恵で品質やら公平性やら能書きを言う前に、口コミ投稿者に一言「名を名のれ」、実名以外は受け付けない、匿名をやめると伝えれば、事は簡単に解決するはずです。

元来、口コミとはその内容以前に語る人の信用の上に成り立つものです。その肝心な語り手を匿名にしたり、ハンドルネームを使ったりする人の考えや評価が、口コミに価するはずがないのです。ましてやクーポンで餌付けされた人の評価をもってして、品質やら公平性を表明するインテリジェンスは噴飯ものです。とは言っても、こんな例は、歯科界にはごまんとあります。中立的・科学的な第三者機関と錯覚させるようなナンチャラ評価機構なる医療評価をする組織がいくつもありますが、くだんの予約サイトと仕組みは同じで信憑性はなく、口コミを評価基準に置き換えた巧妙さが違うだけです。

今から遡ること15年、東京のとある矯正歯科医院が自院で口コミを書き込むアルバイトを雇い、推奨書き込み7割:注意書き込み2割:文句書き込み1割と按分を決めて自作自演口コミで患者誘導の導火線をつくり、多くの矯正患者を集めていましたが、数年後には医院の弱みを握ったアルバイトたちから際限のない賃上げを要求され続け、最後には廃院して始末をつけたのです。まさにネット社会の闇を象徴する出来事でした。

予約サイト運営会社も評価機構も、そしてそれらの媒体と契約する歯科医院も、それぞれがそれぞれの事の本質に向き合うことなく、目先の利益のために組織ぐるみで15年前と同じ轍を踏んでいるわけです。そうは言っても歯科界での生き残りをビジネススキーム、つまり商売に依存しなければならない時代になったという外野の声もあるでしょう。「どうあるべきかという観念論」よりも「どうすれば儲かるかという経済合理性」を優先するならば、予約サイトにしがみつきながら口コミに一喜一憂する歯科医師は、YES高須クリニックの高須医師のように潔く保険医を返上してビジネスの論理で生きていくべきです。まあ、その覚悟は持てないでしょうが、そうすれば経済合理性だけの世界で商業医療としてスッキリと生きていけます。

次にネットの口コミに汲々としている歯科医師に問いたい、あなたの医院からビジネスの骨組みを取ったら何が残るのでしょうか? と。そこに確たるものがあれば、口コミに一喜一憂することはないはずです。歯科医師が「歯科医院経営をする目的」から「ビジネスの目的」を引いたとき、歯科医師になった目的が無限にあれば、口コミの誹謗中傷はどうでもいいことのはずです。気になるのは、ネットからの患者が減って利益が減ることを恐れるからに他なりません。あなたが口コミに怯える歯科医師人生を送りたくないのならば、歯科医院経営の目的を利益の最大化に置いているあなたの考えを変えることです。

顔も名前も伏せたままネットに口コミを書く人の意図は、自分を守ることだけではく、他人を攻撃することです。自分は匿名に守られながら他人は攻撃したいという、この小心にして卑怯な心性がネット口コミの姿です。本当に知らしめたいことならば、実名で書けばいいのです。実名で書くと攻撃が怖いのならば、そんなことはやめればいいだけです。そういうどっちでもいいことしか書いていないから、匿名でしか書けないのです。

こんな愚にもつかない意見や考えを集め診療予約を代行する未熟なネットビジネスに歯科医師人生を託すことは、筆者が歯科医師だとしたらまっぴら御免です。診療予約サイトを選択することで、歯科界のラットレースから抜け出せると思っているのでしょうが、そんなことはありません。むしろネット上でのラットレースに新たに参入することになり、ますます本質と向き合うことなく歯科医師人生を終えていくことになるでしょう。

歯科医院のデザインを考える

知人の産婦人科医から改装の知らせを受け、お祝いを兼ねて見学に出向きました。
その医院は、ユニセフとWHOの提唱する、母乳による育児の奨励、母親の腕にできるだけ乳幼児を置くスキンシップなどの育児指導を実践しています。改装後の医院のデザインは、木と布の特性を調和させた天然素材の温もりから、医院の医療に対する考えが明確に伝わってきます。大げさな脚色も患者に迎合した厚顔さもない空間は、そのデザインの率直さゆえに、歯科医院の空間に慣れた私を清冽な気分にさせます。

件の産婦人科病院のデザインに触れ、改めて歯科医院のデザインを考えてみます。
デザインに詳しいわけではありませんが、素人目にも歯科医院のデザインは生活者の差別意識を刺激しようとする意識が過剰に思えます。ヘルスケアの時代に歯科医院で時間を過ごす人はいわゆる病人ではありません。清潔でやさしい空間であれば歯科医院デザインとしての十分条件を満たしています。一方、循環器や脳神経外科などの病院であれば、少なからずぴりっと張り詰めた空気があって、信頼できる高度な医療技術がそこにあるという安心感が、大きな不安を抱える患者にとっては何よりの安心材料になります。歯科医院なら、例え外科的治療が主であっても静謐な空間であれば十分で、厳しい緊張感のある空間は求められません。このような歯科医療の特性は、その本質を生活者に伝えることが、存外に難しいのかもしれません。

ここかしこにひしめき合い、厳しい競争環境におかれる歯科医院のデザインは二極化が進んでいます。ひとつは技術の高さや治療内容の希少性を演出し、ブランドとしての評価を高め、利益率の高い自費診療などを歓迎する患者層をつくり出す方向です。もうひとつは安心と家族的な雰囲気をことさら強調し、患者と医院の共感性を高める方向です。どちらにも通底しているのは、既存の歯科医院のイメージを古くして時代遅れへと変容させる意識です。モデルチェンジを繰り返すクルマや家電などと同じく、スタイルチェンジをしてその存在を主張し、生活者の関心を高めていくマーケティングがそこにはあります。これもプロダクツデザインの一つの技量ですが、バランスを失うとデザインの陰に経営が見え隠れし、その生々しさに興ざめます。

実態とそのデザインのバランスをとることがデザイナーの能力と考えています。その意味で、歯科に参入しているデザイナーの多くはマーケティングが先行しすぎています。デザイナーの力とは実態(歯科医師・医院)を過剰に表現することではありません。実態をみる批評的精神と良心的表現などというと、いかにも倫理的にすぎるかも知れませんが、歯科医師の考えと市場性をバランスさせていくしなやかな理性がデザイナーに求められていることは確かだと思います。そういった配慮とつつしみの中で表現された歯科医院が、おそらくは現代を生きるあらゆる人々の心を動かすに違いありません。デザインの同時代性こそが、生活者の希求にあった合理的デザインといえます。すぐれたデザインとは、デザイナーの個性や技量が抑制された上に成り立つのだと思います。

歯科を席巻しつつあるデザインはどうでしょうか。例えばウェブサイト、トップページをナラティブ仕立てのランディングページにして、そこにアニメーションを使用するデザインが人気ですが、いかにも市場に迎合したあざとさを感じます。(よもやハイスタンダードな歯科医師が世間に示す程ではあるまいと思いますが、実際はそうでもありません。)ものの本質を見えづらくして生活者を惑わす術は、もはやそれは医療とはいえません。技量のない歯科医師が経営と引き換えに医療を売ったとするか、自費主体の歯科医師のマーチャンダイジングアプローチと解釈するしかありません。

インテリアはといえば、白を基調とした内装を清潔に保つというコミュニケーションが、歯科医院では十分にして最上のデザインだと思います。メーカーの示すユニット展開図面より縦横20%広げて、そこに白い壁を建てたシンプルな空間を組み合わせていくことが基本です。あとは汚れやすい白い内装を常に清潔に保っていることが、最上の清潔さを患者のために確保するという表明になります。やさしい空間は、バリアフリーやユニバーサルデザインの施作、ましてやデザインのディテールがもたらすものではなく、インテリアの素材とそこで働く人が醸し出すのだと思います。白を基調にした内装を常に清潔に保つ人の存在が、最上のホスピタリティーを患者に示します。ファーストクラスのレストランのテーブルクロスがシミひとつなく真っ白な状態で客を迎えるように、歯科医院の清潔さとやさしさを率直に伝えることが、インテリアデザインの品質で、それ以上でもそれ以下でもありません。

インテリア、ウェブサイト共にモダンで医療機関としての品位を感じる「このは歯科医院様・静岡県静岡市」
【HP】https://www.223-ohc.com/

歯科医院経営を中期長期の視点で真剣に考えるのならば、医院デザインはその本質だけをぴしりと押さえたものにすることが重要です。医院デザインは北を指す方位磁石のように医院の基本方針と価値観を示すものです。デザイン(情報)は質を高めることによって、情報の受け手の理解力が加速しますが、嘘や脚色があるデザインからは、情報の受け手の理解力は高まることはありません。歯科医院は物事の本質を正直に伝えるデザインについて考える時期にきているのではないでしょうか。

歯科衛生士のいない国で予防歯科の講演を聴く
~理想を掲げなければ現実は変わらない~

のうのうとしているうちに平成が終わり令和となり1ヶ月が過ぎました。思い返せばバブル経済が終わり、すべてに貧乏くさくなった平成の終盤、「疾病予防と重症化予防を推進し、重症化予防などに向けた保険事業との連携の視点から、診療報酬を検討する。口腔の健康は全身の健康にもつながることから、生涯を通じた歯科検診の充実、入院患者や要介護者に対する口腔機能管理の推進など歯科保険医療の充実に取り組む」と、内閣府からの降って湧いたような通達。歯科関係者はざわめきたつと思いきや、「か強診」や「SPT」の保険算定で満足したのか意外と冷めています。

平成当初に起きた予防歯科ブームは一過性のものではなく、ムーブメントとして30年余り続き、以前とは思考の型式(かたしき)が違った歯科医師が日本に育ってくるまでになっています。スマートで内科医のようにエビデンスを主張する歯科医師の出現は、修復技術を競っていた当時とは、歯科医療の基盤がすっかり変わった感があります。予防関連の保険算定に一喜一憂することのない新しい型式の歯科医師が、古い型式の歯科医師では考え得なかった“新しい価値”を目指す時代にようやくなったのです。

その一方で、平成から令和に時が移る中で露出したのは、歯科医師の社会観の小ささです。旧態依然として、歯科医師の頭にある社会は自院が存在している地域以上に広がりがありません。地域消滅時代に土地に縛られない企業や団体組織といった部分社会との連携を視野に入れることが、個々の歯科医院にとっても歯科界にとっても重要になってきます。社会連携を見誤れば、予防歯科のムーブメントは新しい価値にたどり着かないかもしれません。

先に揚げた「経済財政運営と改革の基本方針2017」は、ヘルスケアを支える医療の先端へと歯科を押し出すインパクトのある内容です。歯科は千載一遇の機会を迎え、この流れの中で企業の「健康経営」という社会的要請も起こり、ヘルスケアは国策となりつつあります。こういう状況に歯科医師は疎く、自らがポイントゲッターになれる位置にいることが見えていません。それもこれも歯科医師の社会観の問題で、業界の価値にどっぷりと浸かっているから仕方ないのか、などとつらつらと考え台北へ向かいました。

台北行きの目的は、歯科衛生士のいない国で予防歯科の講演を聴くことです。こんな酔狂とも思える遠大な試みをする歯科医師は熊谷崇先生で、そのお膳立てをしたのが富士通社のヘルスケアソリューション事業部です。これも熊谷先生と大企業の社会観の大きさが呼応した故に成せる業です。平成当初は予防を説く気鋭の歯科医師だった熊谷先生ですが、平成が終わる頃には歯科医師のスケールでは収まらなくなり、富士通社をはじめ大企業とのプロジェクトが多くなっています。これで社会への扉が開いたようですが、熊谷先生が一人奮闘している感は拭えません。古い価値観を棄てる覚悟を持って、社会への扉を通り抜け、新しい価値観を取りに行く、そんな社会観の大きな歯科医師の出現が待たれます。

ここであれこれ語るより大きな社会観を持つ人たちの仕事ぶりを画像で見てください。(※画像をクリックで大きく表示されます。)

国立台湾大学牙医専業学院第八講堂にて大学病院院長はじめ勤務歯科医師と学生に演題「Creation of new value / Innovation of Dental Treatment」を講義する熊谷先生

国立台湾大学牙医専業学院第八講堂にて大学病院院長はじめ勤務歯科医師と学生に演題「Creation of new value / Innovation of Dental Treatment」を講義する熊谷先生

講義のあと大学病院歯科医師との質疑応答

講義のあと大学病院歯科医師との質疑応答

講義のあと大学病院歯科医師との質疑応答

講義のあと大学病院歯科医師との質疑応答

講義のあとの記念撮影

講義のあとの記念撮影

病院長から記念品を贈られる

病院長から記念品を贈られる

国立台湾大学病院 病練前で富士通株式会社第二ヘルスケアソリューション事業部の同行メンバー

国立台湾大学病院 病練前で富士通株式会社第二ヘルスケアソリューション事業部の同行メンバー

国立台湾大学牙医専業学院校門

国立台湾大学牙医専業学院校門

台湾工業技術研究院 ITRI

台湾工業技術研究院 ITRI HP

ITRIショールームで熊谷先生、ITRI 研究員、富士通株式会社第二ヘルスケアソリューション事業部の面々

ITRIショールームで熊谷先生、ITRI 研究員、富士通株式会社第二ヘルスケアソリューション事業部の面々

ITRI会議室入口の熊谷先生講演ポスター

ITRI会議室入口の熊谷先生講演ポスター

ITRI会議室で講演する熊谷先生

ITRI会議室で講演する熊谷先生

ITRI会議室で講演する熊谷先生

ITRI会議室で講演する熊谷先生

ITRI会議室で講演する熊谷先生

ITRI会議室で講演する熊谷先生

ITRI会議室で企業理念、事業指針を説明する富士通株式会社第二ヘルスケアソリューション事業部

ITRI会議室で企業理念、事業指針を説明する富士通株式会社第二ヘルスケアソリューション事業部

ITRI会議室で企業理念、事業指針を説明する富士通株式会社第二ヘルスケアソリューション事業部

ITRI会議室で企業理念、事業指針を説明する富士通株式会社第二ヘルスケアソリューション事業部

ITRI会議室で企業理念、事業指針を説明する富士通株式会社第二ヘルスケアソリューション事業部

ITRI会議室で企業理念、事業指針を説明する富士通株式会社第二ヘルスケアソリューション事業部

講演後記念品をITRI所長より贈られる

講演後記念品をITRI所長より贈られる

講演後記念品をITRI所長より贈られる

講演後記念品をITRI所長より贈られる

受講したITRI所員との歓談

受講したITRI所員との歓談

このような予防歯科の理想を描くプロジェクトを落としこむ台湾の現実はどうかと思い、市中の歯科医院を見て回りました。現実の台湾の歯科医院はといえば、日本人の感覚からは成金趣味のオフィスが多く、国民からは歯科医師はお金持ちと認識されています。健康保険患者負担比率は1割で治療患者には困らず、週末は中国本土に出稼ぎにいく歯科医師も多いと聞きます。このような状況に加え歯科衛生士制度がない国で、どのような予防歯科が行われるのか興味にかられます。

台北の歯科看板

台北の歯科看板

台北の歯科看板

台北の歯科看板

オフィス前にポルシェを停めている歯科にアポイントなしで行き、「May I check–up only ?」と尋ねると「Of course …」とのこと。シロナのチェアに座ると歯科医師自らが超音波でスケーリングをしてくれましたが、バキュームワークが下手で息苦しくなり20分程度でギブアップ、おまけに着ていたシャツはビショビショ、お代は自費で千元(日本円で約1万5千円)也。この費用を聞いた時おもわず笑ってしまいました。と言うのも、台湾行き前日の午後、前歯のスティンが気になりだしましたが、かかりつけのオフィスは休診日。そのため物は試しと、患者予約サイトからオススメ予防歯科医院にネット予約してみました。オフィスではパントモを撮られて「問題ありませんね」と言われるや否や排唾菅を口に掛けられ、院長自らがスケーリングをしてくれました。「汚れは取れました」と手鏡を渡されて、お代は健康保険で結構ですとのことで、〆て1,265点、自己負担金3,800円也。その時間およそ20分。歯科衛生士がいる国でも、いない国でも内容も費用もさして変わりません。

オフィス前にポルシェを停めている歯科

オフィス前にポルシェを停めている歯科

シロナの3DなどをPRする看板

シロナの3DなどをPRする看板

台北の自由診療主体の歯科看板

台北の自由診療主体の歯科看板

魔法のような審美性をPRする看板

魔法のような審美性をPRする看板

台湾でも日本でもこのような現実を目の当たりにすると、現実を超えて理想に向かって努力する人間は素晴らしいと実感します。これまで歴史の中で人類が進化できたのは、理想を現実化しようと努力した人がいたからで、歯科界も同様です。厳しい現実を変えるには、業界の枠を超えて一般企業などと連携し、新しい型式の歯科医師を増やすことに地道に取り組んでいくしかないと、再認識した台湾視察でした。

健康保険の価値観を変えるために

「金儲けがなぜ悪いんですか!」物言う株主として企業経営者にプレッシャーを与えていた、いわゆる村上ファンド代表の村上世彰氏は記者会見で叫んだ。その映像を見て、「この人、なに言っているんだ」と思ったのは、“失われた10年”と世の中で言われていたころです。日本経済の回復について喧々囂々としているとき、新時代の旗手みたいに世間でもてはやされていたのが、ライブドアの堀江貴文氏です。この2人の出現によって、金を儲けるのは凄いことだという価値観に傾斜する人が増えてきました。生きるために金儲けをするのではなく、金儲けをするために金儲けをする人が大っぴらになったのが平成でした。

市中の書店で、お金についてのビジネス書が平積みされたのもこのころです。歯科界では、予防歯科を語りながらもビジネス書まがいのことを発信する歯科医師が登場したのもこの時期です。「こんなものは嘘八だ」とすぐにわかりましたが、予防歯科の一派はビジネス書などと相まって営業的予防歯科として混然と広がっていきました。

それは、営業的自費治療以上に業界の汚点といえます。自費治療の場合は治療結果と治療費の出どころがはっきりしています。消費者庁や厚生労働省がなんと言おうとも、結局は合意した歯科医師と患者の問題であり、治療費も個人責任で完結しています。一方、営業的予防歯科の場合、その効果と結果がはっきりしません。費用の出どころの多くは、社会の財産である公費です。さらにリスクコントロールの名目での定期的リコールは、患者との合意形成が曖昧な場合が少なくありません。社会が健康保険の財源確保に汲々としているときに、定期的リコールによって公費の蛇口を開け放しにすることは、社会の方向とコミットメントしていません。疫学的根拠、医療経済的効果、公益性など、すべてがボヤっとしているのです。

平成はバブルの絶頂で幕を開けましたが、平成元年をピークに日本経済は長い下り坂を経験することになります。歯科界はといえば、下り坂になった経済の影響を受けることもなく、むしろ一般企業の雇用調整弁として人材採用も活発になり、歯科医院経営は堅調でした。健康保険制度のもとで、ドリル&フィルをベースに営業的予防歯科を行い、気の利くスタッフさえいれば、まだマーケティングやマネジメントなどと小難しいことを考える必要はない時代でした。経営に関わるステークホルダーとして税理士がいれば事足りたのです。生活費=専従者給与、遊興費=交際費・福利厚生費・旅費交通費・研究費、所得隠し=貯金等、といったように勘定科目をいかに歯科医院の都合に合わせて会計で付け替えるかが、このころの一般的歯科医院の経営的ニーズだったからです。まあ、まだ儲かっていたということです。

しかし、その後の“失われた20年”と呼ばれる時期になると、歯科界も減速感が明らかになりました。それは経済や景気の外的要因よりも、歯科界の内的要因である過当競争の結果、生活者の権利意識の高揚による歯科医院選別の影響を受けてのことでした。歯科医院経営が下り坂になると、私は多忙を極めました。というのは、フリーアクセスの健康保険制度のもとでは、歯科医院が過当競争になるほど、便利な場所での医院経営はアドバンテージが高くなります。そのため、都市開発や商業施設に医療機関のリーシングをしていた私に、目端の効く歯科医師が殺到してきたからです。そういった歯科医師の多くは、短期間で黒字化し節税対策を兼ねて3~4年で分院展開していました。

便利な場所を求めて分院展開をする歯科医師の多くは、財力にまかせて企業買収や経営への介入によって金儲けをしていた村上氏や堀江氏の縮小コピーのようです。当時、世間の多くは村上氏たちを喝采していましたが、今では経済界をはじめ世間から排斥されてしまいました。彼らの「会社は株主のもの」という主義は、経済理論としては正しいことですが、社会を不安定にします。情緒力に欠ける人が駆使する論理は、自己正当化に傾くために、世間から反発を買うのです。ほとんどの株主はキャピタルゲインを目的にしていて、その会社自体には愛情をもたない人たちです。儲け目的の株主の方が、会社に愛着を持って働く従業員よりも重要とする主義が席巻すれば、世の中は暗澹たる雰囲気に覆われるでしょう。翻って、便利な場所で分院展開をする歯科医師の主義は村上氏と堀江氏の系譜に位置するように思えます。歯科医師という職業に対する愛着よりも、ビジネス展開すること自体への関心が勝るからです。

当時はMS-Windows95が発売され10年経ったころで、世間の仕事にはIT化が当たり前とされていました。それにともない経営革新や戦略戦術といった言葉が経済誌に踊り、歯科業界ではパラダイムシフトという言葉がよく使われていました。ですが、営業的予防歯科が都市開発や商業施設で盛業するさまを見ていて、決して歯科界で経営革新や戦略戦術などが本気で必要とされることはないと思っていました。歯科医院経営は健康保険制度の微調整に準じていれば安泰で、少なくとも平成前半に180もの金融機関が破綻したような事態はありません。健康保険制度をより習知し、よけいなことは考えない・しないことが、盛業するための鉄則です。健康保険の出来高制やフリーアクセスを知れば知るほど、わざわざ経営革新を起こす気持ちがなくなるのは、当たり前のことです。目端の効く歯科医師ほど、健康保険制度に準じた臨床とリコールをして、便利な場所で大規模化したりチェーン展開したりしていたのが平成年間でした。

営業的予防歯科と便利な場所でチェーン展開することが、平成の歯科界のロールモデルでした。このような医院を方々で見てきましたが、どれも一見斬新なようでしたが、結局は昭和の発想から脱却していませんでした。人口減に立ち向かうための生産性向上を怠り、昭和の頃と同じ人手のかかる組織を漫然と抱え続け、健康保険ベースの経営で今に至っています。

このような歯科医院をいつまでもロールモデルとして崇める業界の傾向には辟易させられます。金をたくさん儲けている、ただそれだけで、「凄い」「偉い」と持ち上げられ、挙句の果てにはYouTubeにまで登場しています。「このセミナーに参加して売り上げが倍増しました・・」などと、世間に業界の恥と自らの無教養さを撒き散らしているにも関わらず、誇らしげな様子には絶望的な気持ちになります。「金儲けがなぜ悪いんですか!」と叫んだ村上氏と同じ穴のムジナです。あなたたちの金儲けがいいか悪いか「自分の胸に手を当てて聞いてみな」と、村上氏や堀江氏に、そして件のYouTubeの歯科医師には、あなたたちの臨床がいいか悪いか「自分の胸に手を当てて聞いてみな」と、問いたい気持ちです。

金儲けが悪いことだとは思いません。生活するために金儲けをする。世の中のために金儲けをする。人が生存するため、社会を発展させるため、未来を切り開くために金儲けをすることは、正当なことです。何のための金儲けか、金儲けをするための金儲けではないか、その動機や目的を自らに問い質してみることが、歯科医師には必要とされます。この当たり前のことを、昭和、平成を通じておろそかにしてきたことが、歯科界の不人気、凋落につながっているように思います。

YouTubeで「売り上げが倍増しました!」と言えば、何のために健康保険医をやっているのかと、生活者は感じるのです。金儲けをするために歯医者をしているのかと、思われるのです。このような振る舞いから、歯科界は世間からバッシングされ、社会からの疑問はさらに深まりました。その結果、世の中は“失われた20年”からめきめきと力を取りもどしましたが、未だ歯科界は“失われた30年”の中で迷走しています。

健康保険をベースにする歯科医師は、本来は経営のことを考えなくていい職種です。さらにいえば、金儲けのことなど知らなくとも余裕のある生活が保証される仕事でなければなりません。そのための国家資格です。しかし、歯科界・厚生労働省・文部科学省のパス回しからオウンゴールを連発して、“失われた30年”を作り出してきたのです。しかも、失点をするたびに、そこが既成の事実となり、今の状況はこうだと言うことが前提で、その前提の内側で論議を重ねてきています。その中で進歩的な意見を言うか、保守的な意見を言うかという差だけのことで、歯科界には考え方に普遍性というものがないのです。ですからいかさま師のようなコンサルタントと一緒になって、現状脱却のための金儲けの仕方に躍起となり、インターネット上で成績発表までする浅はかな歯科医師が出てくるのです。

歯科医療がヘルスケアやウェルネスサービスの価値生産に方針を切るのであれば、健康保険の疾病保険というあり方から問い直すのが普遍性というものです。ロビー活動の前に、健康保険法のあり方を国民に問い直すべきです。個々の医院でヘルスケアやウェルネスサービスの価値を生活者に伝えることが、その第一歩です。いわゆる予防のスタディーグループなどは、企業や団体にヘルスケアやウェルネスサービスの価値を伝え、大きな生活者集団から健康保険の価値感を変えていくべきです。普遍性を追求するための基本的なこともしないで、患者誘導心理学まがいのことや、自費治療導入の作法を学んでも、それは競合歯科とイタチごっこしているだけで状況は何も変わりません。

「健康保険の価値感を変えるなんて途方もない」と思うでしょうが、ここをどう考えるかが歯科医師としてのスケールです。その方法は先述したボヤっとしている疫学的根拠・医療経済的効果・公益性を明らかにして、世に問うことがスタートラインです。そうは言っても人の頭の中は99%が利害得失で占められていますから、歯科界のため、世のため人のため、そんな余計なことはしたくないのが人情というものです。しかし、残りの1%を何で埋めるかが、非常に大切です。例えば、この1%を「健康保険の価値感を変える」ために考え行動できないか、そんな歯科医師が真のエリートだと思います。

残りの1%を金儲け以外のことで埋めることのできる歯科医師が増えることで、世の中から選ばれる歯科医院が増え、歯科界は地力をつけて、健康保険の価値感をも変えることができるのではないかと思います。もうぐずぐずと考えている余裕はありません。元号の変更を機に、世間の健康保険の価値観をパラダイムシフトし“失われた30年”の負の記憶から抜けだす一歩を踏み出す時です。

歯科1万軒の廃業が業界に好循環をもたらす

歯科医院経営にいま必要なのは、一に賃上げ二に社会保障であり、スタッフの雇用環境を整備向上できない歯科医院の淘汰と刷新です。雇用環境が整備できない歯科医院のうち約1万軒余りが廃業して、昭和50年代後半水準の歯科医院数約5万5千軒になれば、1診療所の1日当たりの患者数は約25人確保できます。そうすると、歯科医院はスタッフの賃上げも社会保障加入も可能となり、人材の好循環が回復し、歯科医院の生産性と品質が向上し、社会的評価の高い職業に再生されるでしょう。

「家族にするような治療を患者さんに」とは使い古されたコピーですが、「家族が働くような賃金と社会保障をスタッフに」とは、歯科業界では聞いたことはありません。CTもセレックもあるけれど、任意加入できるにも関わらず常勤従業員5人未満を理由に、スタッフの社会保障に加入していない医院は少なくありません。社会保障に加入し賃上げしなければ、スタッフが集まらないのは自明の理であるのにも関わらず、雇用環境を改善できないのが、淘汰されていく歯科医院の体質です。

そもそも新規開業の事業計画の段階で、従業員の社会保障と定期賃上げを算定することなく、最大限の設備投資をして患者満足を引き出すシナリオが問題です。世の中は急速に変化しているのに、30年前も今もこのシナリオは変わることはありません。ドリル&フィルという歯科医療は、医療機材の進歩こそあれ、基本的には30年前と同じで、歯科医師の思考回路も変わりません。これは歯科医療器材流通と診療報酬制度を基本とした古い枠組みの中に歯科医院がどっぷり浸かっていて、社会には立脚していないからです。

そのために開業して余裕ができたら、法人化したらと思いつつも、医療機材が原価償却すると設備投資を優先して雇用環境に投資することなく、同じことを繰り返す歯科医院。開業して6~7年も経ったら、社会保障に加入することは並大抵のことではありません。医院の経営体質が、一に私財二に医療機材などの設備投資になっていて、社会保障費を払う余裕が財務にはなく、院長には雇用環境を変える気持ちは失せているからです。月に数回しか使わないCTにリースは組めても、毎日顔を合わせて働いているスタッフには、社会保障に加入させることができない厳しい財務と寂しい思考になってしまうのです。

歯科医院は生産性と品質の向上を医療機材導入に偏重しすぎ、機器を使うスタッフに十分な雇用環境を提供できないために、人手を確保できなくなっているのです。地方に比べて歯科教育機関が多いとされる都市部では、マクロ経済状況の改善によって他産業の賃金水準が高くなり、本来ならば歯科業界の人材も他業界に流出して、人手不足は地方以上に深刻です。それでも人よりもモノに投資する歯科医師の思考回路は変わりません。その結果が、JR高架下の倉庫に山のように積まれた最新高額医療機器の中古品であり、応募もないのに求人媒体に費やすコストの上昇です。

いまや都市部コンビニやドラッグストアでは外国人店員は当たり前になり、セブンイレブンに限らず終夜営業の店舗では従業員を確保できずに営業時間を短縮する動きも出始めました。その一方で、AIが多くの分野で人に取って代わるのも近いといわれています。私たちは私たちの社会の人手不足とは、いったいなんなのだと考えたことがあるでしょうか。同様に歯科医師は歯科医院の人手不足の根本原因を考えたことがあるのでしょうか。

歯科業界も日本社会も同じです。少子高齢化で若年層や労働人口が減っているのに、私たちは依然として30年前と同じ量のインフラやサービスを維持しようとしているだけではないでしょうか。人口減、人材減、患者減の社会や業界には、それに見合ったサービスの規模があります。AIの活用やロボットの普及で乗り切れる分野も数多くあるのでしょうが、労働集約型の歯科医院はそうはいかないはずです。労働市場の中での歯科医院の苦戦は、何か一つの原因を取り除けば、人手不足が一気に改善されるような単純な状況ではないでしょう。最初の一手は、夜間休日診療の廃止や残業時間の削減、そして根本的には賃上げと社会保障加入で、人材を確保することが歯科医院の喫緊の課題です。

医療や福祉は、最も求人増加への寄与利率の高い産業です。社会の高齢化に伴い、医療に対する需要が大幅に増加しているのになかなか賃金を上げられない一番の理由は、診療報酬制度により医療サービスの価格が抑制されていることにあります。サービスの需要に合わせて医療費をあげることができないため、なかなか利益が増えずに、賃金をあげることができないのが、今の歯科医院経営環境です。具体的には、医療保険の利用者が増加して財政状況が悪化すると、国は診療報酬全体を低く抑えようとする。歯科医療サービスの利用者が増えることで人手不足が深刻化しても、なかなか診療報酬はあがらないので、スタッフの賃金もあげられないという構造的な問題を歯科医院は抱えているのです。

歯科医院は、診療報酬制度の抑制と医療設備投資偏重によって、スタッフを低賃金低社会保障制度の下で漫然と雇用してきました。長引くデフレも影響して、雇用環境の改善に鈍感になっていた末の人材難です。しかしこれからは、人材難からの生産性と品質の低下の無限ループから脱出できない歯科医院が廃業することで、歯科医院経営全般が上昇することになるでしょう。時代の変化が早いからこそ早い選手交代が求められます。歯科業界全般が、この難局を打開するには、約1万軒の歯科医院に労働者市場から退場してもらうことです。その一方で、個々の歯科医院が退場予備軍にならないためには、一に賃上げ二に社会保障の加入です。医院経営を語るにはそれからで十分です。

「王様は裸だ!」と叫ぶのは誰?

出会いと別れの季節の春。私たち社会人にとっては年度替わりとなり一つの節目です。今春は『令和』への改元があり、例年になく新生への期待感が溢れる新年度になりました。さらに、弊社クレセルのある東京都文京区小石川界隈は、NHKの大河ドラマ『いだてん』の舞台となっていて、街中を行けば、ここかしこの掲示板に貼ってある横尾忠則氏の三脚巴の『いだてん』のポスターから、時代のうねりや高揚感が伝わってきます。慢性的に退屈を感じている中高年の日常から、学生の頃に横尾忠則氏デザインのカルロス・サンタナのアルバムジャケットを手に取った時と同じ高揚感が蘇ってきます。

歯科界にも“時代のうねりや高揚感を感じる”セミナーがあります。技能やノウハウを教え、さぞや退屈だろうと思うセミナーが目白押しの中で、歯科界の次代の人材を発掘するPre Oral Physician seminar は別格です。このセミナーは「ものごとの見方」、つまり新しい思考軸を持った歯科医師を発掘する目的があります。もちろん、これが正しいという思考軸はありませんが、そこに集う人が、従来の歯科の思考軸とは違う、『新しい思考軸』を持つことで、いびつさを内包して成長してきた歯科界を、正常な姿に戻してくれるという期待感をヒシヒシと感じます。

『令和』の考案者とされる学者・中西進先生は、私の学生の頃の古文の教師です。当時、中西先生は授業で「現代文訳にとらわれて読んではいけない」と、繰り返しおっしゃっていました。今となっては、中西先生の授業で覚えていることは、その言葉だけですが、それは『新しい思考軸』を持つ大切さを教えてくださったように思えます。

歯科界にもデジタル機器など新しい道具を使う技能は導入されましたが、その技能を身につけた歯科医師の思考軸は旧いままです。これでは、業界が古くなることは抑えられても、イノベーションは起きるはずはありません。今、歯科界に必要なことは、技能優先から思考優先へのパラダイムです。技能の成果を話す歯科医師に、「王様は裸だ!」と言える、『新しい思考軸』を持つ歯科医師の出現が待たれます。

プレOP東京主宰 歯科医師 畑慎太郎 氏

詐欺師に騙され、実際は裸なのに服を着た気になって意気揚々と行進する王様を指して、「王様は裸だ!」と叫んだのは一人の子供でした。王様の家来にも、パレードを見物している人々の目にも王様は裸だったにも関わらず、誰一人として「王様は裸だ!」とは、口にしませんでした。

それは、家来も市中の人々も閉じられたコミュニティーの一員だったからです。コミュニティーの内部で波風立てずに生きていこうと思ったら、たとえ多少の理不尽さを感じていようとも、従来の価値観や常識を受け入れ、同化・適応するのが賢明な身の処し方と、多くの人はそう思っているのです。

そういった思いはいつしか、世間との大いなる矛盾や違いが発生しても、見て見ぬ振りをして、ついには裸の王様を見ても、「素晴らしい服だ」と賞賛の拍手をすることにも疑問を感じなくなっていくのです。マスメディアが報じる政治の世界からもわかるように、小さな閉じられたコミュニティーの内部に取り込まれてしまった人に改革を期待しても、しょせん無理な話なのです。

クレセルでは、一昨年から患者情報をアップロードできる富士通社クラウドの代理店をしています。この仕組みをある補綴専門医に話したところ、「補綴専門医にとって症例写真がどんなに価値のあるものかわかっていない」と、一蹴されました。わかっていないのは補綴専門医の方で、閉じられたコミュニティーの内部での旧態依然とした思考軸からの典型的発言でした。世間では、症例写真はカルテ同様に患者自身の情報であることに価値が移行しているのにも関わらず、補綴専門医は症例写真を自分のコレクションとして価値を置くのですから、旧態依然の思考軸を権威とする歯科版の裸の王様です。

では、どうして子供だけが「王様は裸だ!」と指摘することができたのでしょうか?それは子供が既成概念にとらわれない『新しい思考軸』をもっていたからです。王様の権威もコミュニティーの分別も、子供には関係ありません。だからこそ、自分の見たままを率直に言葉にすることに、なんのためらいもなかったのです。

その子供の一言で、大人たちは呪縛を解かれたように、口々に「王様は裸だ」と真実を語りはじめました。閉じたコミュニティーに変革を起こすことができるのは、内にいながらもその価値基準に染まり切らない、『新しい思考軸』をもった人だけなのです。Pre Oral Physician seminarから、物語の子供のような歯科医師が出ることを期待しています。

本年度、クレセルでは、Pre Oral Physician seminarと生活者との患者情報共有支援サイトCommunication Gearから、『新しい思考軸』を持つ歯科医師の出現を見据えて取り組みをしていきます。

歯科暴露記事のウラ側

「歯医者のウラ側」と大きなキャッチコピーがついたビジネス誌「プレジデント」が2週間前に発行され、すでに重版がかかっているとのこと。この手の暴露記事は、各週刊誌からも度々発行されていて「またか」、と食傷気味の向きも多いのではないでしょうか。それにしても、暴露記事の発行が止む気配はありません。その理由は、歯科医師と出版社のもたれ合いの関係と歯科医師の職業に対する自信のなさに起因しているように思います。

私は2000年代初頭の頃から何冊かの本を発行してきた経験があります。最初の出版は「医療・病院経営」の分野から。薬剤師業界で著名な経営指導者 松江満之氏に導かれ、共著者として数冊の単行本を出版しました。続いて、現在、読売新聞の「ヨミドクター」にコラムを連載している医師でジャーナリストの草分け富家孝氏と、2000年当時の新書ブームの時に共著で新書を。とはいっても共著とは名ばかりで、ほとんどが富家氏のページでした。この本はとてもよく売れて、当年の新書ベスト10に入ったほどでした。

こんなことからか、週刊誌の医療ページ企画やTVのコメンテーターの仕事も舞い込んできました。しかし、二人のカリスマ的医療者に引き上げられての商業出版をした経験は、マスメディアで仕事をすることよりも、医療と経営、そして医療を取り巻くメディアの実態を学んだことの方が、自分のキャリア形成には大きかったと思っています。このような経験を経た私の眼には、歯科暴露記事の存在は、歯科医師が自信を喪失して自爆した結果に映ります。

かつては産婦人科・パチンコ店と並んで脱税御三家とよばれていたほど利益を上げていた歯科医院も、今や年間1,600件以上が廃業し、そのうちの2~3割が実質倒産とされています。一方の出版業界も1990年代のピークから売り上げは1兆円減少し、電子書籍を入れても現在の売り上げは1兆5千億程度の市場規模に縮み、不況業種の代表格です。本が売れない時代、出版社は良書を世の中に送り出す本分の前に、経営を維持していかなければなりません。そこで眼をつけられたのが、出版界ではペイドパブの代表格となっている「名医本」に群がる医師たちでした。ペイドパブとは、ペイドパブリシティー(Paid Publicity)の略で、取材記事の体裁をした有料広告のことです。

歯科界では出版社の出す名医本から、大手新聞社が出す雑誌風単行本のムック本が主流となっています。それも今ではドクター紹介を中心とした医療情報サイトなどの記事風の有料広告にとって代わられてきました。型式は変わってきていますが、いわゆる名医本の類は、不景気とはいっても国民医療費は増え続け、個人事業主が多く高所得者が多い業界だから成り立つトレンドといっていいでしょう。出版するのに個人事業主や高所得であることは関係ないようですが、実はここが一番のポイントです。一般生活者には売れなくてもいいのが、名医本のカラクリです。実際に一般生活者はほとんど購入しませんが、出版経費は医師からの記事広告費を当て、さらに医師が名刺代わりに自院掲載本を購入する売り上げが利益となるのですから、書店で本は売れなくても出版社は御の字なのです。

医師が自腹を切っても本を出したい理由は、医療広告規制に抵触しないで、信頼性を高めブランド力をつけること、その結果が集客につながり売り上げが増えることを見込んでのことです。自費出版で社会学分野の本を出す奇徳な医師はそうはいません。一般生活者への啓蒙のような体裁で出版されている本も、根拠希薄な治療をPRする集客目当ての自費出版本がほとんどです。

とりわけ歯科医師の一般書籍(以下、歯科本)の場合は、99%が自費出版と思って間違いありません(歯科商業誌は除く)。医科に比べて自費診療の範囲が広い歯科は、医科よりも新技術の保険導入が遅いために、出版から自費診療の集客の流れをつくることが自費主体の歯科医院の常套手段でした。集客面からは、同業が購読層の歯科商業誌に出したところで意味はなく、インターネットでの記事や広告もネットリテラシーの高くなった一般生活者から信頼を得るのは簡単ではなく、勢い一般書籍となるわけです。ところが現実は、歯科本は歯科医師が思っている以上にニッチでほとんど売れません。出版取次の仕切りと広告経費などに左右されますが、歯科本でしたら3,000部も売れれば成功の部類です。

しかし重版が見込めない3,000部では出版社は採算がとれないために、歯科医師の出版は99%の確率で自費出版になります。私も歯科医師から頼まれて出版社に商業出版を依頼したことは何度もありますが、大抵は自費出版となり、うまく交渉が進んでも経費の数十%分の本の買い取りとなります。歯科医師が期待する出版ブランディングは、仮に有力出版社から出された本だとしても、書店で平積みされている期間は2週間程度ですから、数回重版されて平積み期間が延長されなくては、ブランディングなどできるわけがありません。集客面でも売れたとしても3,000部では、その数字から来院してくるのは1%程度ですから、自費出版は大抵の歯科医院で採算ベースにはのらないのが常です。

こんなことから、ページを切り売りして歯科医院の集客原価率を下げて、新聞社や出版社の名前でブランディングできるムック本が流行ってきたのです。ムック本のページ単価は80万円~ですから、歯科医院では自費患者が2人も来院すれば費用対効果はマイナスにはなりません。果たして、自費出版できない歯科医師が飛びつくことになったわけです。それでも乱発されるムック本の広告効果が漸減してくると見るや否や、今度は歯科暴露記事を出し市場に火をつけるのです。マッチポンプです。ここでいう市場とは、一般読者よりも約10万4千人の歯科医師に比重が置かれています。

「歯医者のウラ側」と銘打ち特集を組んだ「プレジデント」の公称発行部数は約32万部ですから、約10万4千人の歯科医師とその関係者や学生の関心を煽ることは、極めて効果的なマーケティングになるのです。その他の雑誌各社も同じことで、発行部数の少ない雑誌ほど刺激的なタイトルを打ち、歯科医師に絞って関心を煽り雑誌の購入を目論むことになります。その記事手法もイギリスのジャーナリストが唱えた「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛んだらニュースになる」を地で行くものです。世間では「高学歴高収入高倫理」と思われている(以前は)歯科医師が、実は「偏差値30~40台の歯科大を出てワーキングプアに陥る寸前で悪徳診療を繰り広げる」という古典的ストーリー仕立てに記事を起こしているだけで、ジャーナルの社会問題の解決意識は微塵も感じません。

このようなストーリー仕立てはすでにマンネリ化していて、一般読者は大した関心を示すことはありません。ちなみに自院のスタッフに暴露記事が出ている雑誌を購入したか、聞いてみてください。購入したスタッフは、そうはいません。一般生活者ならば、なおの事です。かように、暴露記事に反応しているのは、ほとんどが歯科医師とその周辺の人だけなのです。こんなことは、出版社は先刻承知です。それは名医本やペイドパブの記事広告に飛びつき、自作自演をすることに費用を惜しまない歯科医師の特性《=職業に対する自信のなさ》を出版社は知っているからです。費用を出して書籍でPRすることと、批判や誹謗に過剰に反応して暴露本を購入することは、一見相反するようですが実は同根です。それは、歯科医師が自身の職業に自信を喪失してきていることの証のように思えます。

1996年度から2009年度まで歯科医療費は、ほぼ2兆5千億円台の横ばいで推移してきましたが、2010年度に2兆6千億円となり2017年度には2兆9千億円台になりました。この歯科医療費の増加分の幾ばくかが、出版社やインターネット広告企業の広告費となっているとしたら本末転倒で、歯科界は自爆しているとしか言いようがありません。歯科医師はジタバタと広告を打って、他業界に歯科医療費の増加分を消費するのではなく、その分を歯科医療の品質向上に費やすべきです。そのことが、歯科医師の自信回復を通じて歯科界に好循環をもたらすはずです。

ところで、「インプラントなら◯◯歯科」のどデカイ看板を高速道路で見る度に「歯医者って、いったいなんだ・・・?」と思わずにはいられません。

ためらいのアンチエイジング

久しぶりに神宮外苑に行き、年甲斐もなく勇んでバッティングセンターのバッターボックスに立つ。すると、バーチャル映像の投手の手元がかすみ、かすかにしか見えない。初めの5~6球は以前なら苦もなく打っていた130kmの球速に空振りどころか、構え遅れてバックスイングさえできない情けなさ。動体視力以前の問題です。

このことを知り合いの医者に話すと、マスメディアでは有名な都内開業の眼科医を紹介してくれたので、ものは試しとカウンセリングを受けてみることにしました。神宮外苑での事の顛末を眼科医に話すと、「まあ、年相応というところですね」「普段から何の予防もしていないのだから仕方ありません」と、にべも無い答え。続けて、「見えないのは、眼の老化だけでなく、脳の問題の場合もあります」とのお告げ。なんだか穏やかではない、どういうことかと聞くと、「見えるということは、物体から反射した光が網膜上で像を結び、それが脳の視覚野で認識されることで・・・」という科学的な感じだがカンに触る説明に、「だから?何なの」と内心の声を漏らす。

最近は、眼鏡をかけたまま遠くを見るとき、上目遣いの鼻眼鏡になる仕草が、すっかり板についてきた。ひたひたと寄せてくる黄昏の気配に抗う気はさらさらない。そんな私に、「眼の健康には予防が大切。眼科医の仕事は検診と予防指導が基本です。それと・・・積極的予防指導というかアンチエイジング、うちの大学がレーシックを広め、高齢者の生活も眼医者の生活も豊かになった。高齢社会はブルーオーシャンになれば・・・」と宣い、そして私の仕事のフィールドを知ってか知らずにか「歯医者の予防やインプラントも同じでしょう?」とニヤリとする眼科医。

確かにレーシックは歯科のインプラントに似ています。レーシックは保険診療ではないために過剰宣伝や価格競争に走り、感染症や過誤が頻発していて消費者庁からも勧告が出されています。だからこそ知り合いの医者に適当な眼科医を見繕ってもらったのです。彼の眼科のオフィスでは、大学と連携して再生医療を用いた角膜移植もすでに数千症例の実績と聞くと、感嘆するよりもためらいが先に来てしまいます。アンチエイジングといえば、叶姉妹を思い浮かべるような下世話な私。「数千症例の移植」と聞くと、それだけレーシックの失敗症例があったのでは、とも思えてきます。
「入れ歯でいい」と思っている患者が、インプラントを熱心に勧める歯科医に捕まっている心理がわかるような気がします。眼科医に熱心にカウンセリングしてもらうほど、「メガネでいい」「べっ甲の上等なヤツが買える」と思えてくるのです。

レーシックは団塊の世代が高齢者となり加熱し、今はそのブームもひと段落しています。それでもアンチエイジング市場は、美容外科を筆頭に眼科、皮膚科、そして歯科にまでも、高齢者の「若く健康にすごしたい」という思いが潮流となってきています。この先、高齢社会になるほど医療はアンチエイジングへと傾注していくのは確かなようです。しかも、美容的外科処置だけではなく、サプリメントや化粧品の類も医療機関の受付カウンターに当たり前のように置いてあり、この状況を見るにつけて保守的な私は首を傾げてしまうのです。

この状況を斜めから考えると、いわゆるアンチエイジングという類の商品は、同一個体で追跡検査ができないことにつけ込んだモノではないかと思えてくるのです。この商品を使えば10年後の若さと健康に差が出るかどうかということを、いったい誰がわかるというのでしょう?使った10年と使わなかった10年を同一個体で比較することはできるはずもありません。人生は2度生きられないからです。それにも関わらず、新聞一面を使った広告では「科学的な・・・」「数千人のデータに基づいて・・・」などと確信的コピーを見ると、さぞかし効果がある医薬品のように思えてくるだけに、アンチエイジングはあざといと感じるのです。

そもそも美容整形やサプリメントなどで加齢に抵抗して、いつまでも若く健康でいたいと切実に願うこと自体、気恥ずかしく思えてきます。同じように、行き過ぎた審美歯科も軽薄な感じがします。額縁症例写真を得意げにしている歯科医師には、その技能と審美眼以前にその文化度を疑ってしまいます。人生を生きるとは、加齢すること老いることそのもので、若さの快楽と引き換えに精神的に深みを増すこと、文化的になることでは、と思うのです。若さのみを価値として老いを反価値とするアンチエイジングなる商品や医療は、ふつうの人の生き方を否定しているようにも思えてくるのです。こんなことを考えている目の前で、大型4KTVに映し出される高齢者と思しき芸能人を見ていると、仕事とは言え、作り物の若さには快楽どころか痛々しささえも感じます。

歯科の場合、アンチエイジングといっても、その実態は審美歯科そのものです。ならば、わざわざアンチエイジングといわなくとも良さそうなものですが、審美歯科を求める層がバブル経済期前後の20代30代OLから、今ではエイジングして50代60代の男女にまで移行することを期待してのネーミングでしょう。なにか商業的な感じもしますが、これによって審美歯科を求める層が厚くなるのならば、業界として歓迎すべきことです。あとはアンチエイジングを提供する歯科医師の文化度が、エイジングして深みを増すのを願うばかりです。それには、若さと美の土台となる健康をどのように維持するのか、咬合と予防歯科を極めていかないと、耐震偽装をしている建物のような歯科医療に生活者からは見えてくるはずです。

高齢社会になり、歯科医師に求められるものはますます多義にわたると感じます。さしたる根拠もありませんが、これから選ばれていく歯科医師は、医療全般の知識や歯科理工学的知識と技能は当然のこととして、文化的素養のある教養人ではないかと思います。それは若さや美しさ以上に、老いることの内省と思索を楽しんでいる高齢者で、美術館などの文化施設や劇場、飲食店などが賑わっているからです。アンチエイジングというコピーだけで、かような高齢社会の歯科市場がブルーオーシャンにならないことは、確かなことだと思うのです。

子供1人に大人10人の高齢社会、さあ歯科医院はどうする?

歯科医師の頭をやわらかくしてくれる本

江崎禎英氏の著書『社会は変えられる~世界が憧れる日本へ~』を読むことを日吉歯科診療所・熊谷崇先生から勧められ、その2日後には早くも感想を求める電話をいただきました。ITにより本を早く入手することはできるようになりましたが、読む速度まではITで変えることはできません。実は、その時点では全体の2/3ほど斜め読みをした程度だったために、「現役官僚の人が書いている本とは思えないリアリティーとアイディアを感じる」とお伝えするに留めました。

読むのが非常に遅い私がようやく読み終えると、「この本はすごい!」自分の頭の硬さをもみほぐしてくれるようで、とても気持ちがいい、熊谷先生のご慧眼は相変わらず、と感じる内容でした。最近では、広井良典氏の著書『定常型社会~新しい「豊かさ」の構想~』と共に、ポスト成長時代の方向と幸福を示してくれていて、グローバル化の先にあるものが、生き生きと見えてくるような気になる本でした。

社会は変えられる
社会は変えられる

『社会は変えられる~世界が憧れる日本へ~』
江崎禎英 著

カッコいい年寄りになるための羅針盤

江崎禎英氏の著書を読み終える2週間ほど前に、キネマ旬報ベスト・テン、文化映画ベスト・テン第1位の『人生フルーツ』を観ていました。東京大学卒業後、日本住宅公団のエースで数々の都市計画を手がけてきた建築家の津端修一さん90歳と英子さん87歳の夫妻の暮らしぶりのドキュメント映画です。

修一さんは公団在籍中の1960年代、雑木林を残して自然との共生を目指したニュータウンを計画。しかし、経済優先の時代はそれを許しませんでした。その後、修一さんは公団を退職してかつて手がけたニュータウンの一隅に土地を求め、平家を建て、雑木林を育てはじめました。それから50年の人生模様は、江崎氏の著書『社会は変えられる』の特に第4章《世界が憧れる日本へ》・生きがいの場としての農業・「サ高住」から「シ高住」へ・人生の完成に向けて、などへの解があります。

人生フルーツ

2025年問題を前に、私たちの周りには「今後このままだと・・・になっていく」「年をとると・・・な生活が待っている」、といった気持ちが暗くなるような情報が渦巻いています。ところが、社会状況や制度に左右されない江崎さん夫妻の生活からは、高齢社会の本当の豊かさが伝わってきて、なんだか気持ちが明るくなってきます。90歳の夫に87歳の妻が「おとうさん、いい顔になったねぇ」といえる高齢者夫妻の生活は、まさに人生はだんだん美しくなる、私たちの人生の羅針盤です。スタジオジブリがカッコいい年寄りを描くとこんな感じになるのではないでしょうか。昨年亡くなられた樹木希林さんの呪文のようなナレーションも、ファンタジーを感じさせるものでした。

ふたりからひとり
ふたりからひとり

『ふたりからひとり ~ときをためる暮らし それから~』
つばた 英子・つばた しゅういち 著

今のところ残念な高齢者歯科の実際

江崎禎英氏の著書を読み、『人生フルーツ』を観たあとに高齢者社会を考えると、高齢者歯科には大きな可能性があると思います。と同時に実際の高齢者歯科をみると暗澹たる気持ちになります。それは、高齢者歯科のあり方を、私が身内のこととして経験していることも関係しています。

私の母は膠原病を発症してドライマウスに悩まされていましたが、約10年前の市中の歯科医院では、口腔乾燥にほとんど対処することができませんでした。それどころか、その知識も怪しく、日常生活の管理・指導さえもできない様子でした。ところが、耳鼻咽喉科を受診すると、唾液量が減るためのむし歯予防対策や、唾液分泌を促す耳下腺・顎下腺・舌下腺マッサージの指導、マウススプレーなどの処方もしながら外来で管理してくれました。また、父の晩年は誤嚥性肺炎に悩まされましたが、口腔衛生管理や睡眠時の枕の高さと食事の姿勢などの予防指導は総合内科によって管理してもらいました。このように高齢者の口腔機能管理は健康管理の一環として、医科では積極的に取り入れる姿勢がみられました。

しかし、歯科ではどうでしょうか。外来での対応には失望しましたし、訪問診療には怒りさえ覚えることがありました。7~8年前に東京近郊の介護施設で、高齢者歯科の実態を見学していた時のことです。高齢者や健康弱者を食い物にしている歯科の実態は、聞きしにまさるものでした。ある施設では、就寝時に入居者の入れ歯を外し、その入れ歯を誰彼無しにバケツに放り込み一緒に洗っているのです。外した入れ歯の持ち主を間違わないように、入れ歯にイニシャルを入れる事も歯科医師の大事な仕事でした。イニシャルは、入れ歯の入れ間違いを防ぐためのものです。

入れ歯は歯科技工の段階では、アクリル・レジン・金属といった物質としての物に過ぎませんが、一度、人の口腔に入れば、物質から存在としての物に変わります。存在とは人の体の一部を意味します。こんな当たり前の道理を、この時の歯科医師は持ち合わせていなかったのです。

本来なら厚生労働省の「在宅歯科医療推進」からも、高齢者に対する介護予防や口腔ケアは、比較的すぐに対応できる市中の歯科医院が主体的に取り組むべきですが、この分野を歯科医師は都合のいい労働力の調整弁、あるいは単なる収益源としてみているから、非人道的な入れ歯の扱いをするのです。このことは、一部歯科医師のモラルの問題とは思えません。それは、高齢者歯科や訪問診療といえば、受診先の開拓と請求書類の書き方のノウハウセミナーには殺到するが、地域包括ケアシステムには関心を示さない歯科医師が多いことが図らずも物語っています。

未来を考えると高齢者歯科は、生活者にとっても歯科医師にとってもブルーオーシャンになるはずです。修復を主とする歯科師から健康管理もできる歯科師へと変わることで、社会にとっても歯科にとっても、暗い時代をひっくり返す起爆剤にしなければなりません。

巣鴨地蔵通りのマックを占領する高齢者

高齢者歯科を語る前に、私たちは高齢者のことをどれだけ知っているのか、とハタと考える場面に出くわしました。自宅から十数分歩いたところに、「おばあちゃんの原宿」といわれる巣鴨地蔵通り商店街があります。商店街の入り口近辺にあるマクドナルドには、お年寄りが吸いこまれるように入っていくのです。最初はたまたまと思っていたのですが、こういう場面を数回目撃しました。ある時、興味本位に店内に入ってみると、高齢者がレジ前に行列して座席のほとんどはお年寄りが占めているのです。決してこの商店街に飲食店が少ないわけではなく、高齢者の嗜好にあった飲食を提供するお店もたくさんあります。地蔵通り商店街マップをみると、約800mにわたる通りには、商店会加盟店が195店舗あり、それ以外の店舗も入れば200店舗は優にあるはずです。それなのになぜかマックなのです。有名な鰻屋や塩大福の店など押しのけて、どうひいき目に見ても飲食店ではマクドナルドが一番繁盛しています。

グローバルスタンダードの老舗マックに飲み込まれていく高齢者

ここから高齢者の実態を考察(想像)してみます。

  • 鰻重も、塩大福も、ビッグマックも、どれもおいしく、美味しさに順位はない。美味しさに柔軟な価値観を持っている。
  • 自由に使える時間は増えたが、飲食が提供される時間を悠長に待つほど時間を持て余してはいない。他の楽しみに使いたい、忙しいのには慣れっこの世代のため待つのが苦手。
  • 味、サービス、価格のバランスのコストパフォーマンスに敏感。高度成長期で見積もり入札が当たり前の時代を生き抜いてきたので、価格にはうるさい。

マックを占領する高齢者からは、こんな高齢者像をイメージできます。

豊かさを測るモノサシには「カネ」「ヒマ」「ココロ」があると思いますが、「ココロ」は面倒臭いのでここでは除外して、「カネ」「ヒマ」で現代の高齢者の豊かさを測ってみます。現代の高齢者は高度成長期からバブル崩壊の時代を現役(労働者人口)として頑張ってきた方達です。「24時間戦えますか」のCMソングのようにモーレツに働いてきて、取引先での口癖もPTAでの保護者の挨拶も「貧乏暇なし」で事が済んだ時代です。いつかは「金持ち暇あり」になれると思い、わき目もふらずに突き進んできたらバブル崩壊。あれよあれよと言う間に高齢者となり、「金持ち暇あり」にはなれず「少し貧乏少し暇あり」となり、世の中に高齢者デビューした方が大半なのではないかと想像します。

こんな熾烈な時代を生き抜いてきた人たちを、診療室に来院する姿から、口腔を診察して、高齢者とはこういうもので、保険点数はこうだから高齢者歯科はこうしようと決めてかかる前に、高齢者から社会全体を見直してみることが、賢い歯科医師のスタンスです。

山形で作って巣鴨で売って60年『幸福の赤いパンツ』は高齢者の運気と健康の源
(山形の工場 : https://www.sugamo-maruji.jp/honobono/akapan-koujou-w850.jpg)

1人の子供に10人の大人の社会を考える

『人生フルーツ』を観て、巣鴨地蔵通りのマックの高齢者を見て、訪問診療の実態を見学して、その上で江崎氏の著書を読んでみると、ものの見方が変わってきます。新しい視点が、これまでの常識を改めてくれたり、気づきを与えてくれたりするわけです。

その上で、国勢調査上の年齢区分をみると、0歳から14歳までが「年少人口」、15歳から64歳までが「生産年齢人口」、65歳以上が「老年人口」とされています。なんだかこの区分も現実の光景をみているとズレてるなと感じますが、ざっくり言うと、15歳未満が子供で、15歳以上が大人ということになります。この統計指標をもとに、子供と大人の比率を算出してみました。例えば、マクドナルドが日本に初出店した1970年代の日本は、子供1人に対して大人が約3.2人の社会でした。それが現在では子供1人に対して大人が約7.3人で、そのうち高齢者が約2.7人の社会です。2045年には大まかに推計すると、子供1人に対して大人が約10人で、そのうち高齢者は4人の社会になります。日本中のマクドナルドが、これから20年後には巣鴨地蔵通り店のような光景になってもおかしくないのです。

そうなると、もうマクドナルドはファミリー(0~64歳)主体のマーケティングでは成り立たなくなり、高齢者、特にシングル高齢者を視野に入れた店舗展開をしていくようになるでしょう。さらには、生産年齢の人たちが高齢者を支えていく社会も成り立たなくなり、(『人生フルーツ』の)津端さん夫妻のように自立した高齢者が当たり前の社会になっているのではないでしょうか。

このまま行けば、歯科医院も近い将来は「1人の子供に10人の大人(うち高齢者4人)の社会」の中で存在するようになるのです。歯科医院が、いつもでも小児歯科と成人歯科の枠組みで医院運営を考えていることは、あまり賢い仕業とは言えません。これからの歯科医院にとって、小児歯科・成人歯科・高齢者歯科(外来の)の3本の柱で、医院全体の仕組みを考え直していくことが重要な視点になるのではと思います。

平成年間で廃業が相次ぎ今では見ることのない帽子屋。全長800mの地蔵通りには、まだ2軒残っています。因みに歯科医院は7軒もあります。アンパンの有名店・喜福堂は大正時代は和菓子屋。

小宮山彌太郎先生のセミナーで考えたこと

30代を前に、会社を起こそうときめたとき、法人設立の方法から税務会計の実務書、そして経営者の成功物語まで多くのビジネス書を読み漁りました。ほぼ1日1冊のペースで読んだ経験は、人生でもそう多くはありません。しかし、それから数年経ってみると、その頃に読んだ本がほとんど役にたっていない事実に気がつきました。熱心に本を読むこととその内容が自分の血肉となることは、別であることがわかったことが、唯一の成果でした。

それほどまでに、ビジネス書からは何も残らなかったのです。それも当然かもしれません。本田宗一郎のように、井深大のように成功したい、そんな空想をしているとき、人は無意識のうちに自分自身の欠点や問題点に目を閉じているのです。20代後半の私は、成功者から何かを学ぼうとしていたのではなく、他者の成功物語を読むことで、自分と向き合うのを避けていただけなのです。自分に目を閉ざして、自分らしく成功しようとしていたのですから、ずいぶんと愚かなことをしたものです。翻って今の歯科界をみると、年齢を問わず歯科医師の中には、以前の私のようにビジネスに偏重している人が増えているように感じます。

とはいえ、私のビジネス書中毒の期間は、そう長くはありませんでした。あるとき、急に熱が冷めたのです。成功者を自任する人の言葉からは、ビジネスの規模、売上高を誇るなど量的な実績を声高に語り、ほとんど質的なモノに関心を払わない傾向を感じたからです。また、おもしろいぐらいに共通しているのは、知識を自分の中で熟成させることなく、ノウハウを覚えたらいかに早くやるかに終始していることです。いかにも嘘の匂いがしました。そして成功を語る先行者が「成功とは何か」を問い直しすることなく、ひたすら前進して仕事を広げていく、この単純さに決定的な違和感を持ったのです。

現在の歯科界の学びには、臨床の面でさえも質的なものを問う以上に儲けに直結したセミナーを散見します。平成年間で、あらゆる世界で成功の条件は多くの金を稼ぐことになった趣がありますが、歯科界は特に儲けに傾いたように感じます。歯科医師はあらゆる面で経験が不足している30代で開業するケースが多く、年々経営環境も厳しくなってきて、私がビジネス書にはまったような条件が揃っています。予防・矯正・インプラント・訪問診療など臨床にかこつけて、儲けのノウハウを仕掛けたセミナーが毎週のようにどこかで開かれています。当の歯科医師が儲けの片棒を担ぎ歯科医師を食い物にするセミナーさえ見受けます。歯科医師は働くことと金銭をあまりに深く結びつけているように感じます。そんなことをしなくとも済む職業であるのに、社会の高みから自ら転げ落ちていく様は滑稽でさえあります。

この文章を書いている傍らで、TV から安倍首相の「成長の果実を手にしようではありませんか」と自信に満ちた声が聞こえてきます。そうではないでしょう。インテリジェンスがあるのならば「成長のために深く根を張りましょう」と言うべきです。人は根を張ることが必要なときに、果実を手にしようと躍起になってしまうことがあります。そんな生き方をしていると、疲れて正常な判断ができなくなることもしばしばあります。果実を手にしている人を羨み、自分の手に果実がない現実に落胆し、焦りもがくこともあります。そんな日本全体の焦りに飲み込まれている歯科医師が少なくないように感じます。

小宮山彌太郎先生

ひたすら規模を求める歯科医師にとっての目的は量的な成果ですが、医療の質的なものを大切にする歯科医師はその過程を大切にします。この差が何を意味するのか、ビジネス書と哲学書を比べてみると一目瞭然です。書店にあふれているビジネス書には、どう効率よく働き成果を得るかばかりが強調されていて、働く意味には言及されていません。しかし、医療者ならば逆であって欲しいのです。どう効率よく働くかではなく、働くとは何かを考え、哲学書を手にして社会的成功者になって欲しいのです。

果実を取ることに慢性的に疲れてしまっている歯科医師は、焦らずに自分の根を探し、根を張ることです。その行為は、いつのまにか自分の中にあって小さくなっている医療者の心に、息を吹き込んでくれるはずです。小宮山彌太郎先生のセミナーは、体に眠っている歯科医師の力を呼び覚ましてくれる何かを感じさせるものでした。

小宮山彌太郎先生著 「埋み火」(シエン社)

歯科のホームページと検索サービスの因果関係

Good-byeウソつきサイト・Hello佐川急便サイト

最近流行りの患者送迎を目的した予約サイトですが、法に抵触しなければ何をやってもいいわけではありません。この運営会社のトリッキーさは、ビジネスの論理を持ち込んではいけない医療や教育などの領域に、市場経済の価値観を持ち込んでいることにあります。歯科医院は、このような業者に自院ホームページの“庇を貸して母屋を取られる”愚を犯すべきではありません。見習うべきは、身近なところにあります。かつては体育会のイメージが強かった佐川急便が、ホームページを使ってイメージチェンジを図り、業務を拡大してきた過程です。歯科医院ホームページの検索順位上位化へのキーポイントは、「ウソ」がないこと。これに、つきます。さらに医療機関としての「振る舞い」を感じさせることです。佐川急便ホームページは、きっと、歯科医院ホームページに何が足りないのかを気づかせてくれます。

Good-byeウソつきサイト

「いまさらホームページ(Webサイト)の話ですか」という声が聞こえてきそうです。
いまさらながらですが、生活者視点から見て不愉快なホームページが蔓延しているのが歯科界です。

はじめに、無節操で不愉快なホームページの歴代の流れを追ってみます。自作自演の口コミポータルサイト。歯医者が運営するシークレットブーツ型ポータルサイト。被リンクを張りめぐらした張りぼてサイト。他のサイトをカンニングするWELQ型サイト。そして患者送迎を目的とするアッシー君サイトと、これら全てがソーシャルネットワークの普及してきた約20年あまりに、歯科界を席巻してきたホームページのスタイルです。

私はホームページ自体に詳しいわけではありませんが、多少マーケティングをかじった人ならば、歯科界のこの惨状を知ると、誠実さの欠片もない業界だと思うはずです。それは、これらのホームページスタイルに通底しているのは「ウソ」だからです。

常識的に正しい検査診断を使命とする医者が、よもやウソをつくとは思いません。それも検査診断以前、患者との関係性を築く入り口でウソをつくのでは、「安心・安全」どころか、世間の信頼を集められるはずもありません。

コンタクトレンズを売るのが上手い目医者に限って、「目医者(商売人っぽい)ではない眼科医(医者っぽい)だ」と、どちらでもいいことに拘るように、患者の誘導が上手い歯医者ほど「私は歯科医師です。歯医者さんではありません。」とばかりに、ウソを覆い隠すように、意味のない肩書きを並べたホームページを持つのです。

こんな歯科医師が勝ち組(嫌な言葉ですが)の業界であって、いいわけがありません。それでは、医療人としてまっとうな歯科医院の情報の発信とは、そして患者さんに求められるホームページはどうあるべきか、という話をしていきます。

医療情報の真贋

新聞、テレビ、インターネットなどで医療記事や医療番組を見ない日はありません。それだけ医療は多くの人の関心を集めるキラーコンテンツだからでしょう。ホームページやソーシャルメディアなどインターネット情報のあり方を考える前に、各メディアの医療情報の特徴をまとめてみます。

医療情報で最もスタンダードな見識を有しているのが新聞でしょう。新聞は確かな情報を伝えることを重視しているように思います。そのため医療記事についても、冒険せずに医学会の主流派の意見に依拠することが多い傾向があります。そのために、総じて新聞の医療記事は事なかれ主義で書かれていて面白みに欠けます。それでも、最近では購買部数の減少で経営の屋台骨がゆらいでいるせいか、「受けたい歯科医院2019」などとキャッチーなタイトルの医療ムック本を定期的に発行しています。そのために、本体の新聞記事の内容とは実態がそぐわない歯科医院を掲載し、墓穴を掘る結果になっています。それもこれも、掲載されているほとんどの歯科医院は、ムック本のページを買っている広告主ですから、新聞社としての社会正義と利益の狭間でジレンマに陥るのは当然のことです。

新聞に対してテレビはどうでしょうか。確かな論拠よりも視聴率を重視しています。つまりビジネスありきです。ですから医療番組などでは病気の恐怖をあおり、視聴者の関心を引くのが常套手段になるわけです。その典型が、芸能人の体調を質問して、病気の可能性などを探る番組です。その内容も薄く医学的根拠も曖昧なものが多いため、あくまでも医療エンターテイメントと位置づけられます。

次に週刊誌の医療記事の特徴は、何といってもセンセーショナリズムです。今までの常識が間違っている、というような「目からウロコ」的な記事が目立ちます。それだけに医学界の主流とは外れた内容になるわけです。それが行きすぎたのが少し前に話題になった週刊現代の医療キャンペーンの記事です。歯科界を知る人からすれば、この歯科医師は誰だろうと思う人が登場して、あたかも先進医療のような誇大な表現をして、現場の歯科医院の揚げ足をとったかのような記事はその典型です。

最後にインターネットの医療情報ですが、これが一番問題です。まっとうな内容から間違った内容まで混在しています。それは、医療機関自体が情報発信できるメディアになれるから当然のことといえます。明らかにビジネスのため、人の関心を引くための「釣り情報」を発信している医療機関や医療サイトも少なくありません。こういった問題のある医療情報にたどり着く方法として、検索サービスが存在しています。そこに欲とビジネスが絡みつき問題をややこしくしています。

いずれのメディアに対してもいえることは、「座して得られる情報に玉はなし」ということですが、ネット社会になり、人は親指一本の検索の便利さから逃れられないのが現実です。

検索サービスの変遷

私の古いスクラップ(2007年・朝日新聞)にある、当時グーグル株式会社日本法人代表取締役社長であった村上憲郎氏のインタビュー記事を読むと、「なぜ検索サービスは必要か」といテーマの中で、村上氏は「私たちグーグルは、『世界の情報を整理して、世界中の人がアクセスでき、使えるようにする』というミッションを掲げ、求める人が本当に必要な情報にたどりついて欲しいと考えています。」と述べています。

続いて、ここからがインターネットメディアと新聞や週刊誌などの紙メディアとの違いが鮮明になる部分です。少し長くなりますが引用してみます。
「インターネット上にあふれている情報は、玉石混交です。ウソも真実も、美しいものも醜いものも、道徳的に善いものから、道徳的にいかがなものかというものまで、もうこれは人類社会をそのまま映し出したような情報があふれかえっているわけですね。しかしグーグルはその内容の価値判断をしていない。『真・善・美』といった価値判断、そんな恐れ多いことを行う立場にありません。ただひたすら、キーワードに対して関連度の高い順から検索結果を提示していくだけです。」
と述べています。

村上氏の話の根っこは、1998年に創業したグーグルは基本理念の1つ「ウェブ上の民主主義は機能する」につながっています。どういうことかというと、あるサイトの重要度を評価する際に、他のユーザーが張った被リンク数を指標にしているのです。他サイト(ホームページの外部)からの被リンク数が選挙の投票数というイメージです。

グーグルの基本理念は合理的で、村上氏の話も潔いと思います。しかし、こういったグーグルの方針を悪用したサイトが続出します。それに対応してグーグルは、「『真・善・美』という価値判断はしない」という姿勢は保持したまま、2010年代になると品質の高いコンテンツ(ホームページの内容)とは、検索キーワードと関連性の高い情報が(ホームページの内部に)分量として豊富に提供されているものを指すと主張するようになったのです。要は、グーグルは、お友達評価(外部評価)から本人評価(内部評価)へと舵を切ったのです。

すると件のDeNAは、この仕組みに沿ってWELQを検索上位に押し上げるために、冗長で内容の薄っぺらな記事や他のインターネット上の情報をコピーした記事を大量に掲載したといわれています。これを不正とされ、社会的責任の高い大手企業の健康サイトであったWELQは、社会から糾弾され制裁を受けました。しかし、同じく社会的責任の高い歯科医院のホームページはどうでしょうか、今でも不正は少なくありませんし、歯科ポータルサイトはウソの温床といえます。

この事実から検索サービスの問題の本質は、機械(検索ロボット)には情報の正しさは判断できないということだと思います。つまり現時点ではグーグルの取り組みも、検索順位を上げるための手法であるSEOを逆手にとったような不正確な情報を排除することはできないということです。歯科医院のホームページの検索順位の動きを見ていてグーグルの(評価)できることは、

  1. 他の優良サイトからリンクを多く張られている
  2. そのトピックに関する専門性が高い
  3. 文章量が多い

ホームページを評価していること。その一方で、

  1. 作為的なサイトからリンクされている
  2. 他サイトのコンテンツのコピー
  3. 文脈に沿わない検索キーワードが羅列されている

ようなホームページは評価しないことです。要は、グーグルは「ウソっぽいこと」が嫌いということです。

「振る舞い」を感じさせるホームページ

インターネットメディアの登場以降、生活者や患者さんが感じ取れる情報には、歯科診療の根元にある医院の理念や振る舞い、院長やスタッフの思いなど、より深い部分に及ぶようになりました。歯科医院の人格や院長とスタッフの人柄といったものが、患者さんの医院選びに大きな影響を及ぼすようになってきたのです。

歯科医院の振る舞いから本音が透けて見えているのに、それを無視してひたすらメッセージを発信したところで、生活者や患者さんの気持ちは動きません。例えば「治療よりも予防が大切だ」と発信したところで、常勤歯科衛生士がいなかったり、しょっちゅう代わっていたりでは、発信に行動がともなっていないことになります。

発信を行動で裏付ける振る舞いとして、歯科衛生士を長期間雇用していていること、地域公共施設での予防歯科教室を開催したこと、このような行動がホームページを通して伝わってくることで、情報発信にリアリティや価値がでてくるのです。

そもそもホームページは発信から始まるものではなく、行動をベースとし、医院活動や診療トピックなどを患者さんや生活者に伝える経営媒体だと思います。歯科診療の先にある院長やスタッフの思いをいかに伝えるか。歯科医院の人格、スタッフの人柄をいかに形成しコントロールするか。歯科医療従事者である以前に生活者としての姿が求められているのです。

1つの旗よりは100の旗を振る

例えば歯科医院を選ぶ理由を、ある人は「先生のウデがいいから」と言うかもしれませんし、またある人は「駅から近くて便利だから」と言うかもしれません。あるいは「歯科衛生士がたくさんいて予防に熱心だから」と語るかもしれません。初診の段階では、人それぞれの選択眼があるのです。そうなると1つの旗よりも100の旗を振ったほうが生活者から見つけてもらう確率は高くなります。

院長が発信する情報は、自院の強みや得意な領域、自費の先進歯科医療などに偏りがちで、情報をキャッチするのは特定の人たちだけになる傾向があります。例えば、どこの医院も「CT・マイクロ・CAD/CAM」の平成3種の神器の話ばかりで、生活者からすれば、同じ情報ばかりで気持ち悪いし、つまらないのです。そもそも多くの人は平成3種の神器の必要性を理解できていません。このことはクレセルで運用管理しているホームページのアクセス解析から推測されることです。生活者が歯科機材の理解を深めるには、かなりの歯科体験が必要です。このような人は、いったいどれだけいるでしょうか。

院長にとって臨床上重要な機材と、大多数の生活者が医院情報として重要視していることは違うのです。ですから1つの旗ではなく多くの旗を振ることは、歯科医院のホームページの備えとして大切なことなのです。院長の振る旗(平成3種の神器)に関心ない生活者も、歯科助手が振る旗には興味を持つこともあります。そこから何かが始まるのです。

いきなり平成3種の神器を通じて、生活者とは親友にはなれないのです。そこで、スタッフの発信力が求められるのです。医療機材だから医療従事者以外は情報発信できないのでは? ということをよく聞かれますが、そんなことはありません。例えば、平成3種の神器の触り心地やデザインの斬新さなど、自分自身の等身大の目線で旗を振ることができます。歯科機材のデザインに関心(体験)を持った生活者が、次に歯科機材の機能に興味を持つこともあるからです。

歯科医院の情報発信で多くの旗を振るには、ブログ、フェイスブック、ツイッター、インスタグラムなどソーシャルメディアへの投稿が主になります。ここで気をつけなくてはいけないことは2点あります。1つは等身大の情報発信を心がけることです。歯科医師ならば歯科医師の目線で、歯科衛生士ならば歯科衛生士の目線で、受付や歯科助手ならば受付や歯科助手の目線で発信することが、それぞれの立場での行動や思いがホームページに滲み出てきて信頼を得るのです。

次に、何をするにも院長からスタートすることです。スタッフ任せにしておくと、情報発信が単なる作業になってしまうことが多いからです。院長が定期的(1年に1回でも定期です)に発信することで、スタッフは「ああ、こういう情報でいいのか。」と安心して発信できるようになるものです。

クレセルで運用管理しているホームページのアクセス解析を見ていて気がつくことは、オフィス、繁華街、住宅地、地方、都市の別に関係なく、患者さんと生活者が見ている人気コンテンツの上位には常に「スタッフ(院長も含む)」になります。例えば「診療科目」は、オフィスや繁華街では上位になることのないコンテンツですが、住宅地では上位にランクインします。忙しく時間を過ごしているオフィスや繁華街では、本質的(医療)サービスよりも便利さが優先される傾向が出ています。

このような地域性などの条件に関係なく上位にランクされるコンテンツが「スタッフ」なのです。このことから学ぶことは、いかに歯科が生活に密着した医療であるかということです。命に関わるよりも生活に関わる医療である歯科は、「何をする」かよりも「誰がする」かが、患者さんと生活者には重要なのです。生活者は心臓外科よりも歯科の方が、情報格差を感じていないのです。その結果、スタッフの振る舞いを通じて、その歯科医院を選んだり好きになったりすることもあるのです。このことは、歯科医院の診療そのもの(本質的サービス)に好意的である以上に、等身大で生々しい価値であることは否定することはできません。

今月の佐川男子×佐川女子

佐川急便は貨物輸送からスタートしたため、かつては体育会のノリで男臭い印象がありました。そのイメージのまま宅配事業に進出して、オフィスのOLや商店主の主婦から敬遠され、そのために佐川急便は宅配事業が伸び悩む時期が続きました。モノを運ぶのですから料金と時間が同じならば、ドライバーは誰でもいいのではと考えがちですが、ルートが「倉庫から工場へ」から「お店から家庭へ」となり、「誰に運んでもらうか」が重要になってきたのです。物流のルートが生活に近くなればなるほど「誰に」が重要になるのです。あらゆる仕事は、生活に近づくほど「誰に」が重要になります。歯科医療も同じことなのです。

以前からmixiでコミュニティーが立ち上がるなどインターネット上では密かな人気を集めてきた佐川急便ドライバーですが、ブレイクのきっかけはマツコ・デラックスが「運ぶアーティストよ」と“佐川萌え”を吐露したことにありました。その後は、さまざまなメディアで紹介され、求職者が変わり、ドライバーの質が上がり、ビジネスの領域が広がっていったわけです。

私は歯科医院のホームページは数え切れないほど見てきましたが、今は新たな学びのあるものはほとんどありません。デザインに凝ったホームページも増えましたが、フランクミュラーの時計を普段使いする人は、そうはいません。道具として生活デザインに立脚していないからです。歯科医院ホームページのデザインは、実用や生活に根ざしていることが大切なのです。

その点、佐川急便のホームぺージからは、学ぶことはあります。そこには急性期医療の需要がなくなりつつある歯科医院が、人々の生活の中に入り込んでいかなければ成り立たなくってきた今、参考にすべきことがあります。会社の振る舞い、従業員の行動といったリアリティーから発信される情報が人と社会の感情を動かしていることを実感できます。そこには歯科医院のホームページに広がりつつあるウソや見せかけのデザインがないからです。現場力と医療者の魅力が求められる歯科医院の方々、百聞は一見にしかず、下記URLをご覧ください。

今月の佐川男子×佐川女子:http://www.sagawa-exp.co.jp/company/sd/

現実を知ってスマートになる

この四半世紀で最も私たちの生活を変化させたのは、やはりITでしょう。ITが普及する以前の私たちの生活や仕事の基本となってきたのは、グーグルが苦手とする「実在するかどうか、真実かどうか」、「あるのかないのか、ウソか本当か」ということです。しかしインターネットの世界では、「実在するかどうか、真実かどうか」よりも、多くの人々に承認されることに高い価値がおかれています。「クール」なのは、再生回数が多い動画であり、多数の「いいね!」がつく写真です。

だからといって、ネット社会の中で「クール」だけを歯科医院に持ち込むことは、医療の本質的サービス「真実や正確さ」が初期段階で壊れる可能性があります。それでも、実際の歯科医院経営の側面からもネット社会と折り合いをつけていかなければなりません。そうなると、まず歯科医院とネット社会を接続しているホームページのあり方をSEOとかデザインとか小手先のことだけではなく、根本から問い直すことから始めるべきです。グーグルは「実在するかどうか、真実かどうか」を苦手としていますが、それでもコンテンツの品質を順位づけに強く反映させ始めています。品質の高いコンテンツとは、検索キーワードと関連性の高い情報が分量としても豊富に提供されているものを現時点では指しています。

クレセルで運用管理しているWebサイトを分析した結果、「どのようなパーソナリティーを持った歯科医師とスタッフが、どのような環境と費用で、どのような方法で処置を行い、どのような結果を期待でき、新しい快適や豊かさを得ることができるのか」といったストーリーを患者さんと生活者は求めています。ここでも、真っ先に必要情報とされるのは、歯科医師とスタッフのことです。歯科医院は、どこまでも“人的サービス”を求められていることがわかります。

それでも、よく「ホームページは、診療圏を広げ自費率を上げる」と言われます。このことを生活者視点で言いかえると「ホームページは自由診療への関心を高めて、理解も深める」となります。この本質的な意味を理解することなく、過剰な演出や紛らわしい表現やデザインで自由診療へ誘導する歯科医院のホームページは、生活者に最も嫌われます。リアリティーがないからです。それでは「自由診療への理解を深める」といった生活者視点で表現されているホームページならどれだけの効果があるのでしょうか。それでも、実際の1・2次診療圏(首都圏で徒歩7~15分)以外からの自費来院者は自費患者数の30%を超えることはありません。

また、初診患者の15%~30%程度がホームページを来院動機としており、そのほとんどは1・2次診療圏からの来院者です。多くの歯科医院では、患者さんの60~70%は1・2次診療圏からの来院者ですから、ホームページの検索キーワードも1・2次診療圏の環境を意識したものにするべきです。ホームページで診療圏を広げるのではなく、診療圏を深掘りする発想が必要なのです。

それではネット社会に折り合いをつけて、医院経営の参謀にもなるホームページとはどういったものか、そろそろまとめてみます。繰り返し伝えてきましたが、鉄則は「ウソをつかない」こと、その上で「文章の質量×情報の網羅性×専門性×振る舞い×診療圏」という方程式を運用していくことが、検索順位も上昇して医院経営にも効果があるホームページを形成していくはずです。もちろん患者満足も得ることができるはずです。

歯科医師の顔

数年前のこと、ある医療法人理事長に頼まれ、東京郊外にある商業施設に立地する歯科医院の分院長の相談にのる機会がありました。相談は、「あまりに多いキャンセルと中断を減したい」というよくある内容でした。その分院長の歯科医師は、40代前半の国立大学歯学部出身で有能でウデも良いと聞いていました。受付のスタッフに来院の旨を告げると、仕事の手を休めることもなく、ちらりと私を見て「お待ちください」とのこと。程なくしてマスク姿で待合室に出てきた分院長に案内され、スタッフルームに通され、挨拶を交わし相談を受けました。その間、マスクを外さない歯科医師に若干の違和感を覚えていましたが、マスクを外した瞬間には唖然とさせられました。鼻に大きめのピアスをしているのです。私のイメージする「歯科医師らしさ」とはかけ離れた外見に、相談を受ける気持ちが萎えてしまいました。

医療同様にコンサルティングなどのサービス業は、相手を知って理解することが仕事の大半を占めます。私が持っている歯科医師のイメージの枠にその分院長は収まらなかったのです。こうなると余計なことを詮索してしまい、相談を受けることに集中できなくなるのです。立場を変えて、その分院長が患者さんから口腔内の相談を受けるとしたらどうでしょう。患者さんがイメージする歯科医師像との違いが、警戒心を起こさせないでしょうか。警戒心とまでいかなくとも、患者さんが思う医者らしさに収まらないため安心感は持てないでしょう。

患者さんの信頼を得たいのでしたら、初診の段階で素直に患者さんのイメージの枠に入ることが医療者の作法なのです。「歯科医師らしさ」があることで、「この人だったら大丈夫」と思ってもらいやすいわけです。身支度などは自分の個性を発信する一端と考える人も多いのですが、仕事となれば相手を安心させるための手段にすぎないのです。身支度は自分の個性や好みを抑えて「歯科医師らしさ」を演じて安心感を与えるべきです。患者さんに安心を提供するのは医療サービスの基本ですから、当たり前のことです。この分院がキャンセルや中断が多い原因の一つは、分院長の身支度といった個人の教養に因があるのです。そして医療法人理事長が何をもってこの分院長を有能とするのかわかりませんが、私には仕事の身支度に私情を抑えられない無能な医療者としか思えないのです。

身支度の劣化は歯科医師の顔の劣化にも通じています。こう感じるのも、歯科医師の顔から得られる情報は精度が高いからです。仕事柄、私は歯科医師の経歴書やプロフィールが送られてきてから会うことが多いのですが、いつも経歴書などはざっと見る程度であまり気に留めません。経歴書がない場合でも、インターネットでこれから会う歯科医師のことをわざわざ調査したりすることもありません。それは、鼻ピアスの君は特例としても、これまで多くの歯科医師に会ってきましたが、経歴や事前情報からはその人の人格や力量はわからないことを経験してきたからです。このことは、何も歯科医師に限ったことではありませんが、特に歯科医師の場合は、事前情報と初対面の印象が一致しないことが少なくないのです。そんなことから、初めて会ってその人から感じる「歯科医師らしさ」をその人の実像として大切にしています。「~らしさ」こそが、私にとってはその人の「してきたこと・していること・していくこと」を伝えてくれる経歴書以上の情報と言えます。

「~らしさ」が顕著に現れるのが、その人の外見にあることは一般的にもよく知られています。アメリカの心理学者アルバート・マレービアン博士の“見た目・身だしなみ・仕草・表情・声質などが、人が他人を判断する90%以上の判断材料になっている”とする研究結果をベースとした本「人は見た目が9割」がベストセラーになったことは記憶に新しいのではないでしょうか。つまり、大半の日本人は見た目で人を判断する傾向があるのだと思います。ノンバーバル・コミュニケーション情報の中でも、私はとりわけ顔と身支度が現在の歯科医師には気になります。子どもの頃、「人を見た目で判断してはいけない」という教えを誰もが受けてきたと思いますが、その教えに背き現在に至っている私の感性には、歯科医師の顔の劣化は尋常ではなく映るのです。

先日、資料棚を整理していると、およそ20年以上前のデンタルショーやセミナー風景とそこにいる歯科医師の写真が出てきました。その中にスタディーグループの草分けCongenial Dentists Clubの冊子があり、改めてページを追ってみると1950年代にアメリカの先進的歯科医療を貪欲に吸収していった歯科医師面々の写真がありました。その顔の好いことといったらありません。この冊子に出ている歯科医師は、進取の気性に富んで、希望と自信が漲っていたこともあるからでしょう。それに比べて現在のウェブサイトや歯科雑誌に頻繁に登場するスタディーグループ中核の歯科医師の顔は、1950年代のCongenial Dentists Clubの歯科医師の顔に比べると魅力的でないのは何故でしょうか。著名な歯科医師だけではありません。90年代以降の一般的な開業医の顔と1990年代以前の開業医の顔を比べると、断然1990年代以前の歯科医師の方が好い顔をしているのです。1990年代以降、歯科医師の顔は魅力が低下してきています。

歯科医師の顔の劣化は、歯科医師の収入の低下といった経済的背景があるように思います。「貧すれば鈍する」、交流する社会的クラスの低下から身支度と学びの環境の低下を引き起こし、教養が貧困化して顔が劣化してきているように思えます。その最たる例が、歯科コンサルタント会社の経験事例で登場してくる歯科医師の顔です。一様に情けない顔の歯科医師が「ここでの学びが・・・変えた」とか「患者様が倍増して・・・」とか、よくも人前でそんなことを医療者がぬけぬけと言えたものだと思うのですが、その程度の学びしか経験してこなかったのでしょう。コンサルタントから学べることは、お金に結びついた医療経営であることが多いのは仕方がありません。所詮コンサルタントは、歯科医療の周辺をなぞることしかできないからです。コンサルタントは歯科医院を確立する労苦を身をもって経験しているわけではないので、そこから学べることは底の浅いものです。そんな浅い学びをお手軽に取り入れた歯科医師が、コンサルタントと一緒になって他の歯科医師に浅い学びを伝えていく、この負の連鎖が歯科医師の顔の劣化に拍車をかけているのです。

顔や身支度に関する「歯科医師らしさ」は、患者さんの安心のためにつくって見せてあげるものかもしれません。しかし、それは患者さんのためだけではなく、結局は歯科医師自身の安心へとつながり、歯科医師を取り巻く社会的クラスが上がり、歯科医師の顔を一流へと変えていくのではないかと思います。

出戻り歯科衛生士が医院を変える

復帰後に院長の片腕となった歯科衛生士

都内から横浜郊外を結ぶ私鉄沿線の人口急増地域にP歯科医院はあります。その医院に出戻り勤務する歯科衛生士の湯浅さんは、元々は医院のスタートアップの主力メンバーでした。当時から勉強熱心で利発な湯浅さんは、院内ミーティングでも積極的に発言するタイプ。一方、院長の有吉先生は物事を順序立てて説明することが苦手で、何事も体育会的なノリで上意下達に進めていく経営者タイプでした。ある時、予防歯科業務について、有吉先生はもっと画一的に短時間で進めることをスタッフミーティングで歯科衛生士に命じるように話すと、湯浅さんは「むし歯と歯周病を予防するには、個々のリスクに応じてコントロールすることが大切。画一的に短時間で行う予防業務は儲け主義で、患者さんのことを考えていない」と毅然と主張したのです。面子をつぶされた有吉先生は、「そんなことはわかっているが、経営的に保険でできないことはやらない。俺の指示に従え」と言い放ったのです。湯浅さんの主張は正論ですが、いかにも青臭い正義感から、有吉先生の歯科医師としてのプライドを傷つけたことに気がつくこともありません。片や、有吉先生も自分の不勉強を経営論にすり替え、予防業務の本質を知ろうとすることもしません。年齢的にも近かったこともあり、二人は医療業務以外のことでも何かと反目するようになり、最後は湯浅さんが自主退職することにより二人の確執は幕引きとなりました。

しかしその代償は大きく、湯浅さん退職後2年あまり経っても、P歯科医院では予防業務を推進する歯科衛生士が育たず、子どもとその保護者の姿は医院から激減していました。P歯科がある駅は、平均年収1,300万円程度のサラリーマン世帯が多い新興住宅地。1,300万円といえばサラリーマンとしては高収入の部類ですが、住宅関連費と教育費がかさむ家庭が多く、自費で歯科医療費を賄える人は歯科医師が思うほど多くはありません。ましてや口腔内の清潔な人が多いために修復治療の需要も少ない地域です。予防ベースのかかりつけ歯科以外はニーズがないために、P歯科の経営は低迷する期間が続きました。P歯科でも、湯浅さん退職後に、何人かの歯科衛生士を雇い入れましたが、院長の有吉先生の予防歯科への関心が低く、意識の高い歯科衛生士は長続きせずに退職する始末。そうかといって勉強不足の歯科衛生士を束ねてワクワク系歯科を展開するタイプでない有吉先生は、湯浅さん退職後3年余りで、閉院を検討するほどの窮地に立たされることになります。

そんな時期に、私が中部地区のデンタルショーを見学していると、G社のブースで洗口剤の説明をしている湯浅さんに出会いました。湯浅さんはP歯科退職後、一般歯科医院2軒に勤務しましたが、どちらの医院も自己都合で退職をし、G社の歯科衛生士に落ち着いていました。当時の有吉先生といえば、審美修復を金科玉条とするスタディーグループから距離を置くようになり、予防歯科の勉強をはじめだしていた頃です。そのことを湯浅さんに話すと、「ようやくですか」と嬉しそうに話す湯浅さんに、「カムバック賞を出すように有吉先生に伝えておくので、P歯科に復帰したら」と冗談を言い、G社のブースを後にしました。

そんな湯浅さんとの会話も忘れかけていた頃、有吉先生から「カムバック賞って、なんのことでしょう」と電話が入りました。まさか湯浅さんがP歯科へ連絡を入れるとは思ってもみなかった私は、有吉先生に事のあらましを話し、「メインテナンス専用の個室でも作って、三顧の礼を持って迎える準備をしないと、安定したメーカー歯科衛生士を辞めてまで個人歯科医院には戻らないのでは」と、発破をかけ電話を切りました。すると翌週に有吉先生から連絡があり、日曜日に湯浅さんと医院を個室化する相談をするので来て欲しいとのこと。「資金はどうするの?」と思案しながら、打ち合わせに出向くと「カムバック賞はメインテナンススペースの個室化ということで、湯浅さんに戻ってきてもらうことになりました」と話す有吉先生、その傍で「どうやら本気のようです」と湯浅さん。「歯科衛生士の信頼を得るためには、この程度は当たり前でしょう」と、資金調達の目処も立っていないのに妙に自信ありげな有吉先生。ですがその自信とは裏腹に、P歯科は湯浅さん復帰後も1年半あまり低迷しました。しかし、そこから約4年で、P歯科は歯科衛生士が8人在籍する中規模医院にまで成長しました。湯浅さんは私との「デンタルショーでの再会で婚期を逸した」と言いながらも、P歯科で新しい形の終身雇用制度をつくりあげ、現在も歯科衛生士として活躍しています。

ホームカミングデイの設置

いったんはP歯科を飛び出しただけに「戻るかどうか悩んだ」という湯浅さんの4年ぶりの復帰は、退職後もつながりがあったP歯科の患者Aさんとの会話に後押しされてのものです。パート歯科衛生士が欠勤して、有吉先生が代役としてAさんのスケーリングをし終えた時、「湯浅さんのような人が早く見つかるといいですね」と言われて、「湯浅さんのような歯科衛生士は1,000人に1人いませんよ」と、有吉先生は話したそうです。そのことをAさんから伝え聞いた湯浅さんは、居ても立ってもいられずにP歯科にメールを入れ、その時の有吉先生とのメールのやり取りから「かつて自分が在籍したP歯科にはなかった医院改革への意識」を感じて、これまでとは違うP歯科ならば、自分も新たな歯科衛生士としての挑戦ができるかもしれない。そんな思いから湯浅さんは「出戻り」を決断したそうです。自分の使命は「P歯科の歯科衛生士の働き方に新風を吹き込むこと」と湯浅さんは自覚しています。それは、いったん外の世界に出たからこその視点からのP歯科への貢献と言えるでしょう。その成果の第1弾がホームカミングデイの設置です。

ある時「カムバック賞を制度化できませんか?」と湯浅さんから連絡が入りました。「自分の実力を試したくて飛び出したのですが、転職を繰り返して自分にはP歯科が一番合っていると気づきました。きっと私のように感じている歯科衛生士は少なくないはず」と、湯浅さん。続けて、「私は有吉先生の好意で戻れましたが、それでもなんとなく肩身が狭い気持ちが復帰後にありました。カムバック賞を退職者への制度にすれば、そんな気持ちにもなりづらいですし、戻る人も多いと思います」と話します。実際、転職した歯科衛生士の多くから、「今振り返ると元いた医院は働き方を含めて自分には合っていた」と言う声をよく聞きます。中には戻りたい気持ちはあるけれど「肩身は狭い」との本音もちらほらと混じります。出戻りに踏み出すには、「肩身は狭い」という本人のバイアスを制度で取り除いてあげることが何よりも大切です。一方の歯科医院でも「一度退職したスタッフを再雇用したことがある」と話す院長は意外に多く、出戻りを制度化すれば、多くの医院で歯科衛生士不足解消の一助となるはずです。

湯浅さんの経験からも、退職した歯科衛生士が出戻りを決断するには、元在籍した医院との繋がりを維持することが第一のポイントというこがわかります。多くの歯科院長は案外気がついていませんが、退職者は元勤務先のスタッフと普通に連絡を取り合っています。しかし、こういったやりとりは医院では公にできないために、プラスに転じるコミュニケーションではありません。そこで、あえて退職者との交流を医院公認のものとして、退職者とのコミュニケーションを生かしていくという逆転の発想をしてみました。と言っても簡単なことで、暑気払いや忘年会を現役スタッフと退職者との交流の場と位置付けただけです。そして、その日を「ホームカミングデイ」と命名して、年1回懇親を深めながら転職先医院や他業種の情報を得る機会にしました。これによって、退職者の復職のきっかけになることはもちろんのこと、現役スタッフが退職者の現在の勤務先の話などからP歯科を評価し直す機会ともなり、離職率が下がるという副次効果も出てきました。

ホームカミングパスの発行

ホームカミングデイを設けて退職者との絆を維持しているP歯科ですが、ホームカミングデイに参加できるには「1年以上在籍して労働問題を起こさなかったこと」という簡単な条件を設けています。その上で退職者には「ホームカミングパス」を発行して再雇用を制度化しています。

「ホームカミングパス」の概要は、

  1. 1年以上在籍して退職後5年以内。(復職するまでの期限を定めたのは、辞めてから長期間経過すると、組織が大きく変わって出戻りスタッフとしての活躍が難しくなる場合もあるため)
  2. 退職後2年以内は同一部署(仕事内容)同一賃金で復職。
  3. 退職後2年以上は退職後のキャリアで部署(仕事内容)や賃金を決める。
  4. 再雇用は2回まで認め、それ以上は面談の上決定する。

上記のような内容が書かれたサーティフィケートを退職時に渡しています。

簡単にできることですが、その効果は大きく、P歯科でホームカミングパスを退職者に発行してから、2人の歯科衛生士を再雇用しています。有吉先生は「医院の文化などを理解したうえで戻ることを決めてくれるので、退職前よりも愛着を持って業務に取り組んでくれる」と言い、さらには、採用・教育コストが激減した上に即戦力として活躍してくれます。また、ホームカミングデイなどで交流があったため、現役スタッフとのコミュニケーションもスムーズにとれるとのことです。

ホームカミングパスを利用して、エステティシャンから復帰した歯科衛生士からは、「本当に使えると思っていなかったのですが、制度があったので、別のことに挑戦する時に踏み切りやすかった。もう一度歯科衛生士をやり直したいと思ったときは、P歯科に無性に戻りたくなった」と振り返っています。また、他院から復帰した歯科衛生士は「一度、医院を去ったことで、快く思わない人もいると思いましたが、ホームカミングパス制度があるため、みんなが「おかえりなさい」とあたたかく迎え入れてくれました。P歯科に貢献することで私の存在価値を認めてもらおうと思います」、そう意気込んでいます。このように復帰する歯科衛生士が増えることでP歯科は活性化していますが、スタッフの平均年齢が高くなり賃金比率も上がるという問題も発生しています。しかし採用コストとその労力を考えると、「些細なこと」と有吉先生は話しています。

若年層を中心に起業や転職へのハードルが低くなりつつあるとはいえ、まだまだ日本社会には「終身雇用」の慣行が色濃く残っています。歯科衛生士が母校に帰るような思いで復帰できる制度を用意することが、歯科医院でも取り組みやすい新しい形の終身雇用ではないかと思います。

歯科を取り巻く顧客満足という呪文

患者減・収益減で歯科医院経営は苦しくなるばかりとメディアは報道し、歯科コンサルタントは物知り顔でその解決策を喧伝しています。曰く、コミュニケーションが足りない。曰く、患者心理が理解できていない。曰く、接遇レベルが低い等々、呪文のように顧客満足の秘訣を唱えています。挙句には予約サイトを設置して自費の目玉商品をつくり敷居を低くすることが、最善策となる始末。そうでもしないと供給過剰な歯科では、「顧客満足」が得られないという理屈です。

「顧客満足」というスローガンを呪文のように唱える歯科医院が、“便利で安くて感じがいい”競争に走る歯科界は、10年ほど前にエコノミストの浜矩子氏の論考「ユニクロ栄えて国滅ぶ」を彷彿とさせる状況になってきました。それでも当時のユニクロやニトリといった少数の勝利者は、デフレを持ち出してエクスキューズとしたりはしていません。消費者の価値を学び、その変化を先取りすることで、自社の消費者を育てながら生き残ってきました。一方、歯科医院の“便利で安くて感じがいい”競争は、安価な仕事に繋がり続け、休まないで仕事をすることに通じていきます。このような状態では、真っ当な歯科医院ほど競争力を失い続けて、「愚者栄えて歯科界滅ぶ」にまっしぐらといった感じです。

患者減・収益減と言われて久しい歯科医院ですが、いつと比べてのことでしょうか。ひょっとしたら、70代以上の歯科医師には国民皆保険制度の施行後のこと、60代以上の歯科医師ならば高度成長期のこと、50代以上の歯科医師ならばバブル期のこと、40代以上の歯科医師だったらITバブルの時代と比べてのことではないでしょうか。そんなに今は異常な時代なのでしょうか。現在のデフレを異常と捉え、“便利で安くて感じがいい”体制を築き、異常とされる今を凌ごうとすれば、歯科医院の成長は止まり、体力のない者から破綻への道を突き進むことは、他業界から見てとれます。

中国を見るとわかりやすいのですが、大きな国内市場を持つ国が急激に経済発展をするように、歯科も地域に大きな需要、人口があれば誰でも成長することができたのです。高度成長時の日本でも、自動車や電気製品を誰もが欲しがって、作れば作るほど売れる時代に、ある程度の経済力があり腹を空かした子供が大勢いるところで飲食店を開けば、絶対に失敗はしなかったように、歯科医院もたいした考えもなくやってこられたわけです。そんな時代の方が歴史的に見て異常なのです。

現在、メーカーでも小売でも成功している企業は、高度成長時のビジネスモデルの方が異常であることを認識しています。製品やサービスが売れないのは、デフレのせいではなく、需要が少ないからだということをはっきりと認識しているのです。需要が少ない中で持続的に成長していくには、できるだけ良質のものをできるだけ良いサービスでできるだけ安く提供することしかないことを、他業界が教示しています。ノキアもハイブリッド車もその延長線上にあります。然るに歯科医院は、便利さと安さだけで市場と繋がろうとすれば、最初はよくても疲弊していくだけです。

こんな時に顧客満足を図るためには、徹底して生活者の側に立つ必要があります。ですが、これほど難しいことはありません。生活財がほとんどそろってしまった成熟社会では、生活者の側は何が欲しいのかわからなくなっているように、DMFT指数が急激に改善されてきた歯科では、「歯科検診のために」あるいは「通り一遍の予防の説明」では、歯科医院にわざわざ行く理由が生活者にはわからないのです。

平成年間に歯科を取り巻くいろいろなところでパラダイムシフトが起き、歯科医院は淘汰の時に立っていると考えるのが正しのだと思います。今の時代、上面に顧客満足を呪文のように唱えると寂しい価値観に染まっていきます。それよりも、患者の過去・現在・未来を通貫して考えることが顧客満足へと繋がっていくように思えてなりません。

設備投資と国民皆保険制度の美味しい関係から歯科の未来を考える。

近年、多くの一般歯科医院は、自院ですべての設備と機能を持とうとする傾向があります。ハイテク医療機器によって医療の質が向上したかのようですが、このことを歯科界全体や地域歯科単位でみると、過剰で重複的そして非効率な設備投資を重ねているのが現実です。ミクロな歯科現場を見ている私には、過当競争な都市部ほど設備投資による医療の質の向上には疑問符が付きます。加えて専門医との連携も、患者とのやりとりも建前上は増えてきましたが、仕組みを持った連携とはいえません。要するに近年の歯科は、ハイテク医療機器を搭載したスタンドアローン型の歯科医院が乱立して、機能分化もしないでバラバラに競争しているだけの状況なのです。

そのため設備投資費用を回収できない歯科医院が、過剰な保険診療や自費誘導的な体制をとることで、歯科医療の質を落とす悪循環を引き起こしています。というのもCTやCAD/CAM、マイクロスコープなどを、広告材としている歯科医院を散見するようになったからです。ハイテク医療機器で患者を集めて囲い込み、すべての治療を自足しようとする発想の歯科医院です。このような発想は自費に傾注するのではなく、むしろ出来高払いの国民皆保険制度に極度に依存しているのです。このことを寿司屋とその客に例えてみましょう。

カウンターに腰掛け「今日は何がオススメ? 適当にお願い」と客のサラリーマンが言うと、寿司職人は客の服装と雰囲気を値踏みしながら《初診カウセリング》ネタを握っていく。酔いがまわってきた客は、高いネタを気にする風もない。一通りのネタを味わった客は「おあいそね」といい、伝票《レセプト》の確認もそこそこに支払いを済ます。そこでの客の支払いは実際の会計の3割。月給36万円(2017年の日本の平均給与)のサラリーマンは、高い寿司でも7割引に満足して足繁く通うようになる。正規料金(10割負担)なら日本のサラリーマンは、そうそう寿司屋に立ち寄らないであろう。寿司屋としても、余程のぼったくり《架空請求》をしなければ会計の残りの7割を“誰かが《国民》払ってくれたお金”をプールしていた保険者から受け取ることができる。客は寿司屋に通えば通うほど《リコール》“知らない誰かが払ってくれていた”会計の恩恵にあずかることができる。このように国民皆保険制度は寿司屋と客の両者にとって美味しいわけです。

こんな寿司屋と客の関係ですから、寿司屋も客も寿司の味《医療の質》に対しては大まかになり、寿司職人は腕とネタを見る目を《技術と診断》磨くことよりも、客の値踏みと腹一杯食べさせるためのお愛想《医療以外のサービス》に磨きをかけるようになる。そして足繁く通ってもらう客にPRするために毎年初競りで大間のマグロ《ハイテク医療機器》を最高値で競り落としたりするわけです。このように寿司屋と客の関係に設備投資と国民皆保険制度の潜在的関係を投影してみると、ハイテク医療機器を揃え困窮したスタンドアローン型の歯科医院が、国民皆保険制度に依存して、保険制度改定の度に「か強診の握り」や「SPT巻き」をお品書きに加え、収入の最大化を図る姿が浮き彫りになります。

ここに“設備投資と国民皆保険制度の美味しい関係”が成り立つのです。その背景の一つには、患者が医療機関を選ぶ際に、「医療の質」と「評判」は定数化しにくいのですが、ハイテク医療機器の保有や医療以外のサービス(アメニティー環境・マンパワーなど)は、ホームページなどで情報が入手しやすい上に、素人でも判断しやすいことがあります。とりわけ患者はマンパワーで医療機関を評価する傾向があり、歯科衛生士在籍人数や歯科医師のキャリアは、ハイテク医療機器の保有よりも患者へのPRにはより有効です。しかし、それでも歯科医院がハイテク医療機器を保有するのは、売り上げが下振れした時も、公定価格の国民皆保険制度のもと価格競争をすることなく、歯科医院経営が機能していける見込みがあるからです。つまり国民皆保険制度を担保に、ハイテク医療機器を保有することで患者獲得競争をしているのです。さらには広告規制にしばられ情報が制限されて、患者が「医療の質」と「評判」を把握しづらいがために、ハイテク医療機器で患者を集めて、国民皆保険制度で患者を囲い込み、すべての治療を自足しようとするゆがんだ形で非価格競争を繰り広げることになります。

確かに国民皆保険制度と広告規制が、歯科を不要な競争から遠ざけて標準的な医療を提供している面もありますが、一方で歪んだ状況も生み出しているわけです。「駅前の歯科がCTを買った」「となりの歯医者はマイクロスコープを買った」、「だからウチもハイテク化しなければ」という競争心理が起き、そして「せっかく買ったハイテク医療機器だからどんどん使って元をとろう」という心理が働きます。これは社会的観点からすると医療費の無駄づかいをしている上に、ハイテク医療機器による医療の質への効果も疑問符がつきます。というのも一定地域の歯科医師の数と残存歯数には相関はなく、ハイテク医療機器を使用した専門的治療を提供する歯科医院が多くなると、医療の質はむしろ低くなるというデータが米国にはあります。日本にも残存歯数の向上は、公衆衛生と生活習慣の改善によるところが大きいとするスタディーが存在しており、ハイテク医療機器の普及が、医療の質を上げることには疑問符が付きます。もちろん歯を残すことだけが歯科医療の質ではありませんが、いずれにしても設備投資は「医療の質」にも歯科医院の経営戦略にもあまり効果的ではないようです。

このような医療にも経営にも曖昧な効果しか期待できない設備投資をして、国民皆保険制度で穴埋めをする歯科医院が増えるよりは、「医療の質」と「価格」で公平な競争をする歯科医院が増えていくことの方が健全な歯科界の姿ではないでしょうか。近年、国民皆保険制度は国民の医療を受ける権利以上に、歯科医師としての力量がない人を救済するための命綱として機能しており、その制度に依存して生きながらえたり、制度を悪用して儲けたりしている向きが目立つように感じます。何よりもこのような歯科医師が増えることで、優れた歯科医師の向上心は削がれ、歯科界の進化のスピードが停滞することに危機感を覚えます。

歯科の競争原理をハイテク医療機器に求めるのならば、院内は元より歯科専門医や他科との連携においても、診療分野を分担し合う水平統合と診療過程を分担し合う垂直統合を行い、診療目的を共有することが最低限必要になってきます。これによって歯科医院は、重複的で非効率な設備投資を見直せ、「高コスト・収入最大化」を目的とする体制から「高コスト・高品質」の体制へ、さらに管理費用などのコストを最小化しながら「医療の質」を上げる体制に変わっていくことが可能になります。それには診療目的を共有する歯科医院がグループ化して、全体を管理するホールディング・カンパニーのような本部組織を持ち、診療データや財務データなどを吸い上げ、プロセス管理や労務管理などのフィードバックをグループ歯科医院に対して行うことで「低コスト・高品質・高管理」な歯科医院が可能になってきます。歯科医院の「存在価値」や「志の高さ」といったレトリックとは無関係に、端的に「医療の質」と「管理の質」を明白にするためのICT活用への設備投資が歯科の未来の扉を開くのではないでしょうか。

慢性期歯科医療のカウンセリングの常識

カウンセリングは歯科医師の専権事項

欠損補綴カウンセリング事例

日々の臨床でよくある事例として、下顎6番の欠損補綴を挙げてみます。

はじめに私は、歯周病、接着歯学、クラウンブリッジ、デンチャー、インプラント、予防歯科、顕微鏡歯科などの臨床系セミナーを主催したり受講したりした経験が一般的歯科医師よりは多いのではと思いますが、体系的に歯科医学を学んだことのない浅学な歯科の素人です。その私の見解は以下のようになります。

下顎6番の欠損補綴には、一般的には「ブリッジ」「1本義歯」「インプラント」「部分矯正」、そして消極的選択として「何もしない」という5つの選択肢があります。各選択肢で使用する歯科材も考えるとさらに多くの選択肢があります。
このケースでインプラントを選択した場合、将来、臨在歯が欠損したり反対側が遊離端欠損になった場合、その箇所もインプラントが埋入されるケースが多くなる傾向があります。しかし、このケースでは、5番や7番、対合歯の歯根膜負担、粘膜負担、オッセオインテグレーション、これらの咬合力負担域が混在することの是非を考えインプラントを選択しなければなりません。一方、現状の体調、服薬、既往歴などからリスクファクターとなる全身疾患がなく、口腔内に他に大きな治療が必要な部位もなく、将来に渡っても口腔の衛生管理がしっかりできると思われる患者さんで、経済的にも恵まれていると判断したならば、インプラントを最適な治療として勧めるのが合理的カウンセリングと思います。つまり6番の補綴を考える場合、5番・7番と反対側の状態を考えた上で総合的に判断しなければならないのです。

一般的歯科医師も上記と同様の見解を示す方が多いと思います。治療計画を説明するコデンタルスタッフにも、同程度の歯科の総合力が必要とされることになります。

カウンセリングに求められる知識

先の事例を考え患者さんにカウンセリングするには、歯科に限らずさまざまな知識が必要になります。一般的歯科医院でカウンセリングをする場合、「歯周治療や歯内療法などの基礎工事的治療は健康保険を適用して補綴は自費で行う」ことを目的とする場合が多いようです。この場合健康保険の治療順序に準じていないと、保険請求できないこともあります。補綴材料と治療費をカウンセリングする場合、そこに至るプロセスと治療順序を理解して説明することが多く、健康保険の制度についても熟知しておく必要があります。

臨床に関しては、X線画像をはじめ各検査画像の読影が必要になります。これができなければ患者さんに的確な説明ができないだけではなく、歯科医師との打ち合わせにも支障が生じます。また、歯内療法、歯周治療、外科などの臨床系の学術も基本的事項を理解していないと患者さんに合理的な治療説明はできません。最終段階の補綴に関しては、補綴材料とその見た目と費用だけではなく、歯科技工的知識として機能や構造力学も求められます。

さらに歯科診療が急性期から慢性期医療へ変わるに伴い、全身疾患との関連から生理学や薬剤の知識も必要になってきます。このように挙げていくと、コデンタルスタッフがカウンセリングするにも、歯科医師と同程度の知識が必要になってきます。そうなると、必然的にカウンセリングは歯科医師の専権事項ということになります。

カウンセリングの教本やセミナーでは、合理的説明を患者さんにするための歯科知識を学ぶ以前に、コミュニケーションや信頼感を築くことの重要性を説く傾向があります。それは受講者が歯科で働くコデンタルスタッフで歯科知識があるという前提だからでしょうが、現実は治療計画を立てられる幅広い知識を持ったスタッフは限りなく少ないと思います。医療では確実な知識や経験を身につけることなく、患者さんとの信頼関係を拠り所に治療計画をすることなどコンプライアンスの点からありえない行為です。心臓外科や他科でしたら犯罪的行為なわけです。

かたや歯科が生活医療であるということを割り引いても、カウンセリングセミナーや教本で、カウンセリングを導入する理由は、「患者さんにとって最善の治療を提案するため」と説明し「その結果が自費補綴になる」と結論付けているようですが、詭弁に過ぎません。

その証左として、初診患者の多い医院の治療の7~8割は、感染根管処置不備から歯冠修復の再治療で来院している現実があります。どれほど自費で修復物の材質と審美性(一応)をよくしても土台の治療を簡略化すれば、その歯の予後は予想以上に悪くなることはあっても良くなることはないのです。真に「患者さんにとって最善の治療を提案する」のならば、保険では採算ラインに乗らない根管治療を十分行うために、根管治療の自費を勧めるべきです。根管治療に自費を勧めない理由は、根管形成と充填の処置時間が予知しづらい上に、一連の治療に保険が使えなくなる事情が見え隠れします。

「結果としての自費補綴が最善治療とするカウンセリング」も補綴までの過程の歯周病治療や歯内療法などが簡略化されていれば「患者さんにとって最善の治療」になる道理がないのです。「患者さんにとって最善の治療を提案し、その結果が自費補綴になる」、この文脈は、詭弁にすぎないと歯科医師ならば誰しもわかっているはずです。

そういったカウンセリングを支持する背景には、歯科医師が治療内容に関して「これで良い」とするレベルに大きなバラツキがあることが挙げられます。このバラツキは各医院の技術の自己評価と倫理観によるもので、その上に、高額化する医療機器などへの設備投資、立地競争による高額な地代家賃、人手不足により上昇する採用・雇用費用などの経営的負荷が加わり、治療の「提供基準」ができています。その中で、設備投資・地代家賃・人件費などの経営的負荷が高い医院ほどカウンセリングを容認して、所定の手順を踏まない簡略化した不確実な診療を行うケースが多く、それが保険行政から標準的な歯科診療と見なされ、保険診療が低点数に固定されていく負のスパイラルに陥っていく一因にもなっているのです。

基本的なカウンセリングの流れ

基本的にはカウンセリングは、診療室における治療の流れに準じて行われます。

1初診来院→2口腔内検査→3治療計画立案→4現状説明→5治療計画説明→6治療計画決定→7治療→8メインテナンス

上記が歯科カウンセリングの流れで、この流れは一般的歯科診療に準じたカウンセリングの流れです。あまり頻繁なカウンセリングは患者さんにも医院側にも負担が大きくなりますが、1~2回のカウンセリングで補綴までの治療計画を決定することは、現代歯科医療の診療の流れからも、患者さんの理解度や心情からも無理があります。

この流れをSTEP1~4に分けて患者さんには説明していきます。

Step1 初診来院→Step2 口腔内検査/治療計画立案→Step3 現状説明/治療計画説明→Step4 治療計画決定/治療/メインテナンス

各STEPのポイント

STEP1

  • 予診票から患者情報・ライフスタイルを読み取り来院理由を明確にする
  • 予診票に記入した文字の大きさ丁寧さや文字量などに注目する
  • 患者さんの受け答えの声のトーンに注意する
  • 家族構成とライフスタイルに留意して治療計画を立案する

STEP2

  • 歯科医師とコデンタルスタッフに対する患者さんの態度の違いを観察する
  • 健康保険、歯科治療、口腔衛生、予防歯科、一般医療に関する幅広い知識が求められる
  • 患者さんにも歯科医師にも説明できる検査画像読影力と診断能力が求められる
  • 初診時に壊滅的な口腔内の患者さんにも丁寧に説明して治療計画を立てる

STEP3

  • 現状説明では患者さんの治療に対する本気度や個性を観察する
  • 今回の治療に関係ない部位の自費補綴物を入れた状況を聞く
  • 歯科医師の治療計画の代弁者というスタンスを崩さない
  • 患者さんが治療計画を保留にしたり断れる逃げ道をつくる

STEP4

  • 治療が必要だが患者さんの希望で今回治療しない部位も、善管注意義務の点から「要処置部位」であることを伝える
  • 自費治療の支払い方法や補償制度があれば説明する
  • メインテナンスの適正期間と、セルフメインテナンスとプロフェッショナルメインテナンスの両立の説明
  • 高齢化社会では、治療終了から患者さんと歯科医院が新たな関係を築いていくことの大切さを説明する

上記の各ステップのポイントを踏まえた上で、コミュニケーション能力をつけていくことが医療機関としてのカウンセリングの常識と考えます。このようなプロセスをカウンセリング専任のコデンタルスタッフに教授して理解させることは非常に難しく、業務プロセスの上でも合理的とは思えません。何よりも患者利益を真剣に考えるのならば、受付スタッフと各プロセスにおいて歯科医師と歯科衛生士が分担してカウンセリングを行うことが合理的な方法ではないでしょうか。

コンサルタントにご用心!
地域1番?スルガ銀歯科にならないための人材教育

操作心理学は医院精神を貧困にする

仕事柄、様々な会社からメールやFAXが入ってきます。先般は、「歯を救うだけでなく患者の人生も救うカウンセリング」と銘打ったチラシが送付されてきました。チラシを裏返すと、随分と尊大なコピーに対して、スーツ量販店の店員風だが講師とおぼしき歯科医師5人がコーラス並びをしている写真、そのアンバランスさに思わず吹き出してしまいました。「人生を救う」って、5人が5人とも一見してプロとして一人前の面構えができておらず、自分を知らないにも程があるというものです。

このチラシを親しい若手歯科医師に見せて感想を聞いてみると、「内容はさておきスタッフに自費で稼ぐ意識を持ってもらわないと、求人にも金がかかり人件費も上っているので、このセミナーに参加する歯医者の気持ちもわからないではない」とのこと。

そこで首都圏の歯科医院では、どれほど採用コストと人件費が歯科医院経営に影響があるのか調べてみました。2015年の総務省の労働力調査によると、働く女性の56%が非正規雇用です。そのうち約半数が35歳~54歳で年収250万円未満が約70%を占めています。歯科界はどうでしょうか。都内では歯科衛生士の有効求人倍率が約15倍もあるにもかかわらず、歯科衛生士養成学校18校のうち14校は募集定員割れしており、完全に需給バランスが崩れています。圧倒的売り手市場のため、新卒歯科衛生士の年収は、300万円(都内歯科衛生士養成校調査)あまりが相場になっています。

歯科医院では職場内の給与バランスをとるために、新人歯科衛生士の好待遇に引っ張られ既存スタッフの給与も上昇する傾向にあります。その結果、歯科医院では、膨らむ人件費に見合う働きをスタッフにも求めることになり、教育・研修は利益に直結する内容になる傾向があるようです。この7~8年はスタッフ向けの「増収増患」「自費補綴誘導」「継続来院」を目的とした心理学まがいの対人対応訓練セミナーが目につきますが、医療人として「働く意味」をわかっていない人材に、患者心理の読み取りスキルを研修するリスクを院長たる者、認識して欲しいものです。

技術から始めない、「仕事の基本姿勢」を教える

もちろん医療人としてプロを目指すかぎり、スキルやテクニックなどの技術的な要素は必要です。しかし、プロとしての教育・研修を、「技術」を学ぶことから始めると、視野が狭くなり医療機関で働く人としての素養を身につけることなく、日々の仕事に流されていきます。なぜなら技術を学ぶことは、比較的早く具体的な効果や周囲の評価を実感でき、自分がプロとして力をつけたと錯覚する魔力があるからです。このことをしてコンサルタントは“○○日で成果がでるセミナー”と訴え、歯科医師も期待をするのでしょうが、世の中にそんな安直なことはなく、そんな歯科セミナーの常連ほど小金稼ぎの二流留まりがいいところで、決して一流の医院にはなれません。

技術優先の学び方は、思い通りにいかない仕事は避ける、他のスタッフの仕事には無関心、患者の本当の気持ちをわかろうとしない、そうした壁に突き当たります。それは、なぜでしょうか。ただ「仕事の技術」を身につけているだけで、その奥にある最も大切な「働くことの本質」を理解していないからです。

「仕事への基本姿勢」を身につけていないと、人は「あさましい価値観」に染まります。その代表的なものが、歯科界に跋扈する「操作主義」です。『患者心理を知り自費率を上げる』といった類の広告がインターネット上に溢れています。目の前の患者を、あたかもモノを扱うように自由に、意のままに操り、自費へと誘導できるという発想。そんな操作主義に染まってしまうと、営業マンとしては優秀かもしれませんが、医療機関で働く人としては一流にはなれません。

操作主義に染まった医療機関で働く人は、自分の心の奥にある歯科医療に対する勉強不足という劣等感や本来あるべき姿の医療人に対する卑小感を解決しないまま、いっぱしのプロになった気分になるので始末が悪いのです。さらに操作主義と一対なのが「患者は医療のことはわからないから意のままになる」といった「おごった患者観」です。「おごった患者観」は、医療機関の価値をその規模や売上でしか見なくなる傾向に繋がっていきます。こうした「操作主義」や「おごった患者観」に染まった瞬間に、スルガ銀行の行員が偽装説明したように患者にカウンセリングをするのです。

医院が一流に近づくほど、操作主義にまみれたスタッフは医院にとっては足かせになります。そんなスタッフの偽装的カウンセリングに一度は騙されても、それを信じ続ける真っ当な人(患者)はいないからです。偽装は補綴コンサルなるものの教材を見れば明らかです。歯の寿命を保つための歯内療法と歯周病の説明はほとんどなく、人工物の審美性・機能性・耐久性そして経済性に終始します。そもそもどんな材料で修復しても人工物は生体ではないので、病状の回復と共に良くなることはない事実を教えていなのですから、医療のカウンセリングではなく、20年前の悪徳歯科の代名詞だった貴金属商人のセールストークに近いのです。歯科医学を体系的に学んできた歯科医師ならば、こんなカウンセリングは噴飯もののはずです。スルガ銀行ではまじめな行員ほどすぐに退職していったように、貴金属商人がいる医院では、真っ当な患者ばかりか真っ当なスタッフも離れていくために一流の医療機関になれるわけがないのです。

「目に見えない報酬」の価値を伝える

「仕事の報酬とは何か」という問いも、スタッフに「仕事の本質」を定めるためには大切です。仕事の報酬には「目に見える報酬」①収入や②職位があります。「目に見えない報酬」には、①働き甲斐②キャリアアップ③人間的成長④人との出会い、があります。一流といわれる人は、「目に見えない報酬」を大切にしています。収入を働くことの最上位にするスタッフは、医院全体の事、他のスタッフの仕事を理解する姿勢が不足しがちです。「仕事の報酬は仕事」とよくいわれますが、働き甲斐自体を素晴らしい報酬と考えることができないのです。

技術も高く知識もあるけれど、医院運営の基礎になる仕事を引き寄せることができないスタッフがいます。なぜでしょう。そういった人は自分の収入を多く獲得する「ゼロサム報酬」には執着するけれど、医院全体で力を合わせて増やしていく「プラスサム報酬」に関心がないために、全体評価の仕事から見放されていくからです。もし、院長が「ゼロサム報酬」に執着するスタッフを評価し続けるとしたら、まじめなスタッフから医院を去っていき、二流留まりは間違いありません。歯科界でコンサルタントと組んで講師や教材モデルになっている歯科医院(歯科医師)のほとんどは二流です。二流を模して一流になれるはずもなく、十把一絡げが定席です。

「プラスサム報酬」とは、働き甲斐・能力・成長・巡り会いといった「目に見えない報酬」です。「プラスサム報酬」を上位に意識付けすることで、スタッフ全体が生き生きと働くようになります。売上が個人に還元される「ゼロサム報酬」は医院に一時的競争意識をもたらしても、医院全体に働き甲斐をもたらすことはないからです。「目に見えない報酬」を上位にすることで医院評価が上がり、結果として個人の「ゼロサム報酬」も増えていくことを理解させることがスタッフ教育・研修では優先されることです。

一流を目指す医院ならば、「働く意味」と「仕事の報酬」を知らしめ仕事の基本姿勢を徹底するべきです。心理学まがいのカウンセリングを導入したり、売上コンテストのような「ゼロサム報酬」に依存したりするべきではないでしょう。成果をあげ成長していく医院は、コンサルタントから学ぶのではなく一流の歯科医師から直接学び一流になっていくものです。スルガ銀歯科にならないために、コンサルタントにご用心!です。

(クレセル・UPDATE vol.8 より一部引用)

次代の歯科医師はあなたの歯科医院を買うだろうか?

歯科医師の発想を変えるための医院評価

歯科医院の譲渡について相談を受ける機会が増えてきました。以前は譲受人からその医院の評価を求められることが多かったのですが、最近では団塊世代の歯科医師が引退の時期を迎え譲渡人となり、自院の評価を求められることが増えています。

こういった相談を持ちかけられる度に、改めて歯科医院は“40年一代限りの事業”なのだと感じます。構造不況業種とされる歯科医院が、いつまでも同じ形で始まり終わっていく流れを見ていると、終わる歯科医院が終わり方を変えないと、歯科医院の始まり方が変わることはなく、構造不況業種から歯科医院が抜け出すことはできないと思います。新規開業は以前にも増して設備投資がかかり、今では患者を集めるのにも従業員を集めるのにも費用次第で経営リスクは高まるばかりですが、歯科医院は従来と変わらない形で開業しており、業界全体が思考停止に陥っています。“引退歯科医師の終わり方が変わると、開業歯科医師の始まり方が変わり、歯科界は効率的になってくる”こんな発想を持つ業界に変わりたいものです。

歯科医院が“40年一代限りの事業”になる理由は、修復治療中心の診療形態であることが最大の理由として考えられます。すべてが一院長の知識と技術に委ねられている診療所では、院長は唯我独尊になりがちで、誰が事業継承したとしても診療方針が継承されることは難しく、別の歯科医師が中古車のように歯科医院を買い、“40年一代限りの事業”を新たに開始したにすぎない結果を繰り返します。前任歯科医師が築いてきた人(従業員や患者)や広めてきた考え方を継承するわけでなく、単に設備などのモノを中古で安く買う継承形態が、歯科医院がヘルスケアを基盤にしてプロフェッショナル化できないでいる一因と思います。

ヘルスケア時代の歯科医院は、前任歯科医師の従業員や患者、診療方針に賛同した別の歯科医師が“新たな40年を積み上げた80年事業”へと継承されていくことで、効率的に骨太経営になり、臨床データもエビデンスとなり、診療品質も向上すると思います。そのためには、継承する医院の実態が、次代の歯科医師が目指す歯科医療が行える患者層であり、診療圏であるのか、判然とする評価基準がなければなりません。しかし、従来の譲渡医院の評価には定まったものはなく、譲受人はできるだけ評価を低く(安く買いたい)、譲渡人はできるだけ評価を高く(高く売りたい)する算盤勘定に走り、仲介業者にも定まった評価基準がなく、その時の状況によって変わる水物です。また、譲渡医院を扱うことは敗戦処理的なイメージからか、開かれた情報の上で継承されない傾向があることも、譲渡医院の評価をブラックボックス化させる一因になっています。

そのため、今までの修復治療中心の医院の継承では、譲受人も譲渡人も患者さんや地域に根づいた自院の理念を継承する意識が希薄で、設備や営業権の売買といった経済活動が主となっていたのです。現役を引退して自院を譲渡する多くの歯科医師が、引退する時まで「地域医療に貢献するためにも患者さんのためにもいい後継者を」と言いながら、最終的には自院を少しでも高く売却するための方策に走るケースもあります。自らの仕事の最後に、こういった矛盾した行動を行うのは虚しいものですが、現役時代に店仕舞いのための資金を十分に確保できない業界という現実もあるからでしょう。こんな歯科界の現実に気がつき、業界全体が継承医院への視点を変えることが大切です。

この20年で歯科医師は開業するだけでなく、閉院するのも難しい時代になってきました。それは経済の停滞、人口減少といった歯科の外部環境の変化もありますが、業界内部の問題も多分にあります。修復から予防へ歯科臨床の背骨が変わった割には、歯科医院経営の背骨をモノからヒトへと変えられていないことが一番の問題ではないでしょうか。本来なら臨床形態が変われば経営形態も必然的に変わるはずですが、人材不足、資金不足など諸々の小事、そして何より歯科医師の発想不足により、歯科医院は根本的変化ができないでいるのです。歯科医師の発想を少し変えることで、歯科医院の未来は明るくなると思います。医院継承においても同様です。従来の修復治療医院の評価からヘルスケア時代の医院評価に変えていくことで、開業する歯科医師も引退する歯科医師も幸せになれるはずです。

次代を担う歯科医師のためにも、継承歯科医院の評価について考え、現役歯科医師の発想を変えていきたいと思います。これまでの流れから、継承医院の全てを有効活用することが、歯科界を効率的にするようですが、継承歯科医院に価値がある場合は少ないと思います。冷たいようですが、社会の変化に即応した発想で医院構造を速やかに構築することが、歯科界全体を効率的にする道ですから、新たな評価基準に合わない医院は、速やかに退出してもらう以外手立てはないと考えています。大切なことは、継承する医院と退出する医院を明らかにすることです。

1.情報経路からの評価

私は歯科医師から居抜き医院の評価を軽く打診された時は、いちいち診療圏や患者層から評価するような面倒なことはしません。情報経路から推察することで十分だからです。下記のCクラスは70%が、Dクラスは90%が(市場)退出案件と踏まえた上で、譲渡金額が300万円以下で、築年数が20年以内の案件であれば、期待せずに検討してみてはとアドバイスしています。本来、検討の余地があるのはA・Bクラスまでで、それも譲渡金額は保険収入の6ヶ月分程度(30~40坪のテナント開業の場合)であり、それでも継承後に自分の診療方針を堅持しつつ半年後に盛業する歯科医師は50%程度ではないでしょうか。

情報経路からの譲渡物件評価

  • Aクラス 譲渡医院からの直接の打診
  • Bクラス スタディーグループや地域歯科医師会からの打診
  • Cクラス 歯科材料店やメーカーからの情報
  • Dクラス 不動産情報や居抜き業者情報

2.歯科営業権を算定する

譲渡物件の歯科業界の評価は、医療機器と内装の減価償却残(または簿価)+営業権(保険点数・レセ枚数/月間+自費売上/月間)が多いようですが、これも営業権の評価の仕方が慣わし的なものにすぎません。営業権は、患者層の年齢と保険点数とレセ枚数のバランスで、0~8ヶ月程度で評価します。私は、自費の評価は前任歯科医師の評価と考えており、継承後のやり直し治療もあり、リスクにもなるため評価はしません。
営業権の評価で忘れがちなことは、譲渡医院の主たる歯科医師と歯科衛生士の存在です。C・Dクラスの医院の営業権は、レセ枚数が多く保険点数が高くとも継承後の診療リスク高いため0~2ヶ月程度で、A・Bクラスの医院は歯科衛生士の患者管理状態を加味して評価します。

在籍医療従事者による評価

  • Aクラス 主たる歯科医師は開設管理者の歯科医師
  • Bクラス 主たる歯科医師は雇われ院長
  • Cクラス 主たる歯科医師は代々雇われ院長
  • Dクラス 歯科衛生士が在籍していない医院

3.物件・立地の必要条件

譲渡物件は新築建物でないため、設備と環境の確認は必須です。開業すれば、どこでもある程度は盛業した70~80年代に開業した歯科医師の譲渡物件は、ヘルスケア型歯科医院を展開するには難しいケースが多いのが実態です。
例えば、天井高が2450cm以下、電灯容量が100A以上増やせない、床下配管の老朽化など、インフラが標準的でない場合も少なくはありません。建物構造から高齢化社会に対応できなかったり、長期的運営が難しかったりする場合もあります。

建物・立地のマイナス評価

  1. 建物築年数が用途・工法に準じた耐用年数の1/2以下の場合
  2. 1階が標準で2階以上はエレベーターがない場合
  3. 子供・女性・高齢者が安心して行ける場所でない場合
  4. 建物周辺にパーキングがない場合
  5. 診療日数×1.0~1.3人の新患がいない場合

4.譲渡医院の相場

さて、実際の居抜き譲渡医院の相場はどの程度なのでしょうか。首都圏にある居抜き歯科医院専門業者の最新譲渡物件50医院をサンプルとしました。平均的譲渡歯科医院のサイズは(A)にある通りです。面積とユニット数を見ると首都圏の平均的歯科医院のサイズと変わりません。譲渡歯科医院のうち高齢による引退や傷病による廃業する医院は34%ですから、その他66%の医院は凡例にある理由のように経営環境に関することでの廃業です。首都圏の普通の歯科医院は、いつ廃業予備軍になってもおかしくないわけです。また、そもそもこのサイズの歯科医院が首都圏に多いために、譲渡物件として流通する確率も高いのですが、「30坪ユニット3台」の医院は、歯科衛生士の退職が繰り返させるサイズのために、患者の顧客化が進まないことも、廃院予備軍となる理由かも知れません。

(A)譲渡医院の平均サイズ

面積 26.7坪
ユニット数 2.9台
保険収入 1,980,000万円/月
希望譲渡価格 9,087,755円

(図1)譲渡医院の平均面積

※平均:26.7坪

(図2)譲渡医院の平均ユニット数

※平均:2.9基

(図3)譲渡医院の平均保険収入

※平均:198万円

(図4)譲渡医院の平均希望売却価格

※平均:9,087,755円

5.廃院の最大理由は人材不足

今までの歯科流通小売が主体となってきた歯科開業の設備投資は、現代社会状況とは逆行していて、不幸な歯科医師を作り出す要因となっています。歯科流通小売の歯科医院のプロモーションを簡単にいえば、歯科医院への設備投資の拡大を起爆剤にして、需要を増大させ、医院経営を成長期から安定期へと導くものでした。しかし、この需要拡大のメカニズムは高度成長期の遺物であるという産業界の常識は、個人事業主が主体の歯科では経営情報が集約されないためか、おざなりにされてきました。しかし、(図5)からは、廃業する歯科医院の最たる理由は人材不足であることがわかります。ここに歯科流通小売の手法を持ってくると、医院運営をする人材がいない施設にいくら設備投資をしても、設備は遊んでいる状態で減価償却の対象になるだけで、なんの経営貢献をしていないことになります。つまり、現代の歯科医院は設備の陳腐化や患者減少から採算が悪化して廃業するだけではなく、人材不足から医院の生産能力そのものが低下して廃業する傾向もあるのです。かけるべき費用の優先順位を変えることが必要です。

(図5)譲渡医院の主な譲渡理由

6.人口動態と来院者年齢分布

(図6)診療圏の人口動態

ヘルスケア時代に盛業している歯科医院の来院患者分布は、修復治療中心の医院に比べ診療圏の人口動態に相似しています。以前の修復治療中心の医院の来院患者の年齢分布は、院長の年齢を頂点として左右に傾斜していきます。院長が高齢になればなるほど、若年層の来院者の集団は少なくなるのが一般的です。こういう医院の継承医院としての評価は、譲受人の年齢が若かったり、診療方針が予防型であったりする場合は高くはありません。さらに、継承医院の診療圏が高齢化した逆さピラミッドのような人口動態であれば、継承してもヘルスケア型の歯科医院としての将来性は低いでしょう。

(図7)来院患者年齢の分布

サンプルの人口動態と来院患者年齢分布は、首都圏の私鉄沿線医院の資料です。
サンプル医院の院長の年齢は65歳で、予防歯科に力を入れてきたという医院です。この医院の診療圏の人口動態は、労働力人口も多く日本では数少なくなった樽型のような形です。それに比べて来院患者年齢分布は、60代を頂点に高齢者中心で40代以上の来院者が約70%を占めます。来院患者年齢分布を見れば、従来の修復中心の歯科医院そのものです。こういう医院の継承は、診療圏の人口動態に近い来院患者年齢分布に戻すまで時間がかかるため、譲受人は十分な運転資金を有する必要があります。

このような診療圏と来院者の年齢ギャツプが大きい傾向を持ったまま、継承時期を迎えた予防型歯科医院は少なくありません。1900年代後半から2000年前半にかけてヘルスケアの潮流を受け、修復治療中心から予防型医院へと方針を変えた40歳以上の院長の医院がそれに当たります。予防歯科の啓蒙、体制の構築をしてきたものの、従来の修復治療の患者さんが混在しており、予防歯科として成長が遅く成熟を待たずして引退の時期を迎えてしまった歯科医師です。このような医院の場合、“40年一代限りの事業”として区切りをつけて継承したり、廃院したりするのは予防歯科普及にとっての後退につながります。

平成28年

年代 患者数 累積和
60代 804 20.0%
50代 726 38.1%
70代 687 55.3%
40代 574 69.6%
30代 401 79.6%
80代 344 88.1%
20代 297 95.5%
未潤 96 97.9%
10代 79 99.9%
90代以上 4 100.0%
4012

このような医院を明確に評価し、次代の歯科医師に繋いでくことで業界は前進するのです。また、新規で予防型歯科を開設した場合、中高年の患者が少ないため治療が必要なケースが少なく、収益が上がらないことが経営リスクになる場合が多いようです。こういうケースも40歳以上で予防型歯科へ取り組んだ医院を継承することで、開業当初から治療が必要な中高年の患者を確保でき、“新たな40年を積み上げた80年事業”へと継承されやすくなり、予防型歯科医院として成熟していくのではないでしょうか。

さて長々と書いてきましたが、あなたが心血を注いできた医院を評価して、次代の歯科医師はあなたの医院を買うでしょうか?

サラリーマンから見た医療費の話し

健康保険制度が破綻の危機に瀕していると言われて久しい。超高齢化社会に突入して、大幅な保険料の引き上げと自己負担率の上昇は避けられないと言われている。

高齢者が増えれば医療費は増大する。しかし、厚生労働省のデータより、風邪や生活習慣病で外来を受診する高齢者が増えたからといって、すぐに保険財政が破綻するわけではないことが見てとれる。患者一人当たりの比較では、老人医療費はさほど高くなく、保険財政が悪化する原因は死亡する前の高額医療費にある。
先進国の中でも病院死が最も多い日本人は、減少傾向とはいえ80%弱が病院で亡くなる。終末期の医療費は月額100万円以上と高額で、高齢者施設での看取りや自宅死が飛躍的に増加しなければ、医療コストは数千億円規模に膨れ上がることになると予測されている。実際に、1ヶ月の医療費が1千万円を超えた患者のうち、その半数以上が数ヶ月以内に死亡していることからも、これがどれだけ不合理なのかは説明できる。もちろん医療は合理性だけで計れないが、国民皆保険制度が平等な医療サービスを提供する以上、このままでは国民に等しく終末期医療費が掛かり、保険財政破綻の引き金になることは間違いない。

この問題解決に対して、識者から医療コストを患者が自分ごととして捉える必要があるという意見をよく聞く。なるほど正論である。しかし、保険証は年収1千万程度のサラリーマンならば、月額約5万円の健康保険・介護保険料を支払い得たライセンスで、使わなければ掛け金は戻ることなく、実態は所得に準じた税金だ。保険証を使わない健康な給与所得者は、医療コストを減らすことに貢献しても自らの生活コストが減ることはない。それだけにサラリーマンは医療コストには厳格な状況に置かれている。

それに比べ、従業員が社会保険に加入していない施設も多い歯科は、医療費のコスト感覚は明らかにサラリーマンより希薄だ。例えば、内覧会業者を使うこと、口コミ予約サイトを使うこと、これらは患者を意識誘導することで医療費が発生しており、個人の収益のために社会コスト(医療費)が増えることになると、サラリーマンなら考える。このことだけでは大した影響はないかもしれない。しかし、介護保険では要介護度に応じて月額のサービス費用が決められており、ケアマネージャーが利用者のケアプランを作成する。ところが、ケアマネージャーのほとんどは介護サービス事業者の従業員である。事業者が利益を最大化するには、ケアマネージャーに保険給付枠いっぱいのケアプランを作らせればいい。費用の9割は介護保険から支払われるので、これは利用者にとっても有利な提案だ。その上、この制度には保険料支出を抑制する仕組みがどこにも存在しない、親方日の丸のドリームプランだ。しかし、こんな杜撰な制度がいつまで待つかわからないと、サラリーマンなら考える。案の定、事業者の利益のために介護保険の赤字はすでに4.5兆円を突破しているという。歯科のトリートメントコーディネーターもケアマネージャーの要素を含んでおり、社会コストを浪費させる懸念は拭えないと、大手新聞社医療班から取材を受けた。介護を他山の石としなければならない。医療費に関していえば、現物支給されるサラリーマンの方が現金支給される医療者よりもコスト意識も高く、見苦しくないように思う。

こんな実態であるにも関わらず、医療費に関する議論は、国民の自己負担率と保険料の引き上げ、さらに患者の医療コスト意識で解決しようとしているが、患者を素人扱いする弥縫策に過ぎない。日本の人口動態を見れば、ちまちました改定や意識改革では健康保険制度が破綻することは中学生にでもわかる。問題の核心は、健康保険の制度設計から50年以上経ち現在の実態とかけ離れていること、医療費の約半分が上位約10%の患者に使われていること、そこに踏み込めないことだ。

医療制度改革が遅々としては進まない核心は、「既得権益によって生きている人」が「既得権益を破壊して生きていこうとする人」よりも多いことに尽きる。議論は問題を解決するために行うものだが、医療費に関する議論は、政府も国民も医療者も「既得権益者」が少数派にならないことには解決しないとわかっていているだけにサラリーマンの会議のように虚しい。

平成歯科セミナー考

参加者の90%が満足する歯科フィロソフィーセミナーとは

インターネット上で露出するセミナー会場でのVサインポーズの歯科医師の姿を、「あれって、いったいなんなの」とBS-TBSのディレクターに聞かれました。軽い冗談のつもりで、「あれね、Vは歯を抜く時のペンチで、歯医者が感激した時にとるポーズ」と返すと、「歯医者って未だ歯を抜くのが生業なんだ」と思わぬ展開になり慌てました。

Vサインポーズの露出も、平成の歯科セミナーがワークショップ形式で行われることが多かったことも一因と思います。受講者が自ら参加・体験し、各医院との相互作用の中で学びあう形式には、異論はありません。しかし、です。この手のセミナーのベースはビジネス書「もどき」で、そのほとんどは1930年代のアメリカのビジネス書『Think and Grow Rich』がタネ本になっており、金持ちになる方法を説いています。この本のタイトルは胡散臭い感じがしますが、ビジネス書としては良書と言えます。この本は、日本の著名なビジネス書作家たちのほとんどが引用しまくっているのですが、そこからさらに歯科コンサルタントたちがパクリ、歯科セミナーのフレームになっています。

例えば、私が『Think and Grow Rich』の一部をフレーム化すると、

  1. 実現したいと思う願望を明確にすること
  2. 願望を達成するためのトレードオフを決めること
  3. 願望を達成するための期限を決めること
  4. 詳細な計画を立てすぐに行動に移すこと
  5. 以上の具体的な願望・代償・期限・計画を紙に詳しく書くこと
  6. 紙に書いた宣言を声に出して毎日読み、自分に信じ込ませること

こんな感じになります。

「半期で黒字経営に転換するには」、「予防歯科を根付かせるためには」などとお題を変えながら、1~6の項目に沿って論理展開していくと、歯科医師は、一応は論理立て問題解決の方法を知ることができ、わかった気になりVサインポーズが飛び出すという結果になります。知ることと自ら考えて出来ることは全く次元が違うことに気がつかず、ビジネス書「もどき」セミナーにはまっていき、熱に浮かされたようにはしゃぐ画像がインターネット上に氾濫し、歯科医師の幼稚化を世間に晒すことになります。

少なくとも私にとって彼らは、ビジネス書「もどき」のセミナーは「成功」にはまったく役に立たないという定説さえも気にすることもなく、「だれでも」などということは、まっとうな大人が考えればウソに決まっていることを顧みないこと自体が、異次元な存在です。さらに、歯科医師にとっては「経済的成功」だけが人生の中心的目標になりえず、あくまでも付随的結果にすぎないとするべきことを、あからさまに人生最大唯一の目標とするのは、恥知らずな特異な医療人のすることだからです。そして、Vサイン歯科医師に対して何よりも危惧することは、「願望」や「成功」の元になる基本的な人間性と医療観が、どれほど歪んでいるのかということです。

そんな現状に一石を投じたのが『若い歯科医師のためのプレ・オーラルフィジシャン・セミナー(=Pre OP)』です。このセミナーは、90%の受講者が満足と回答しています。

私がPre OPを支持するのは、このセミナーの講師陣や集まる歯科医師が、世の中に生存している生物として、ただ食べて、眠って、死んでいくのではなく、世の中に貢献するためのフィロソフィーの価値を知っているからです。目先の願望に右往左往する歯科医師とは対局の価値観を持っています。そして、社会に貢献するためには、何か新しい価値を生み出し、社会を良くしていかなければなりませんが、歯科界に染まりきることなく新しいコンセプトを生み出し続けることをレゾンデートルにしていることを、評価せずにはいられません。
なぜなら、彼らは経済的成功だけを目指すならば、簡単に成し遂げる力量を持った歯科医師にも拘らず、そこを第一義としていないからです。そのため、社会の大きな枠組みを知る大手企業から歯科の本質を求める歯科大生・若手歯科医師まで、Pre OP歯科医師に対する評価は非常に高く、一般的歯科の社会評価とは雲泥の差があります。

Pre OPセミナー受講者の評価


2018年6月17日開催時アンケート結果より

そして、歯科医師としての時間は有限ですから、時間が潰えた後もいかにして自分たちが生み出した価値を社会や歯科界に残すかというところまで含めて考えています。例えば、一定レベルの歯科医師の臨床データをきちんと記録・統合・伝承することで、社会や歯科界の未来を照らし続けられるかもしれないことを本気で考え、歯科界の枠を超え企業に働きかけたりしているのです。この機運を次の時代に繋げるためには、技術を磨くことや経済的成功を図ること以上に、社会的価値の高いアイデアをつくり、どのようにして伝え残していくかということを考える歯科医師を、私たちが評価し、支持し続ける了見を持たなければなりません。

こういうことを書くと、「なに絵空事を」と言われますが、それ自体、すでに終わっている歯科医師の反応です。本当に何かを創造したい、何かに貢献したいと思っている若い歯科医師が、あなたのような歯科医師の周りには現れないだけで、実際は意外と多いのです。彼らを社会と大きく繋がり評価される歯科医師にすることが、平成年間に下がり続けた歯科の社会評価を上げることに繋がるはずです。

ここで冗長な説明をするよりも、先日東京で行われたPre OPセミナーを受講した若い歯科医師の目と身なりを見てもらえれば、歯科界に未来を感じるはずです。
このような若い歯科医師の目を見て感じたことは、彼らの心の中にはPre OPセミナーの内容がもともと宿っていたということです。人が何かを本当に理解したとき、人は無意識に「わかった」と過去形で表現します。こうした行為からも人が理解するべきことは、すでに自分の内に用意されていることがわかります。若い歯科医師は「わかった」だけではなく、そこから「自分が変わること」をPre OPセミナーに求めているのです。それが真剣な目線の理由ではないでしょうか。

幡野先生、成功を祈ります。

日吉歯科診療の勤務医をしていた幡野先生が、静岡市の駿府城のお堀端で5月9日開院しました。
医院名は「このは歯科医院」http://www.223-ohc.comです。
開院前の4月下旬、幡野先生の陣中見舞いに向かう車中で読んでいた日経新聞「大機小機」の「教育国債の摩訶不思議」の解説文に、少し引っかかりを覚えましたので引用してみます。

「戦争もない平和な時代に日本は借金をここまで積み上げてきた。少子高齢化が原因といっても、それは急におこったわけではない。時間があったのに、ほとんど何の対策も取られなかった」とあります。

駿府城公園のお堀

この一文、どなたも自らを省みて、思い当たる節はあると思います。
歯科界もそうです。
50年後まで見通した将来人口推計で人口減が明白で、社会保障の危機をわかりながらも、歯科医師数を増やし続けてきたわけですから、無策の謗りを免れないでしょう。

開業する歯科医師も同様です。
ほとんどの地域で患者減少がわかりながらも、従来通りの開業をする思考停止。
修復補綴処置が少なくなったと感じながらも、従来通りの診療を続けている頑迷さ。
転職率の高い年齢の女性スタッフを抱えていながらも、事が起きるまで対策を打たない優柔さ。

歯科医師に限らず、優秀とされる日本の官僚ですら、将来起きると予測される社会問題に対して、平穏な時には何も対策を取らないのですから、人は往々にして不穏な動向を考えたくないものなのでしょう。
我が身に危機は起こらないと信じたいのかも知れません。

しかし、祈りのような先送りを続けていては、展望は開けていきません。
どうしてこのような決断の先送りは起こるのでしょうか。
物事を決断する「知識」と「思想」が無いからだと思います。

リーダー(歯科院長)には、情報・知識・思想が必要です。
日々の出来事である「情報」、情報がある程度、整理・普遍化された「知識」、それらを素材にした大きな方針である「思想」。
これらを獲得、更新するためには、歯科医師は学生時代、勤務医時代をいかに過ごすかが重要と思います。

SNSの普及により、熟慮したものでなく思いつきの情報が氾濫している時代。「情報」が「知識」「思想」まで修練されることなく、小手先の方策で将来展望を図る歯科医師が増えたように感じます。

「情報」を取捨選択して「知識」に、そして「知識」を反復して「思想」にまで修練した歯科医師を社会が必要としていることを、業界外の人と会うたびに感じています。

幡野先生、社会に求められる歯科医師としての成功を祈ります。

幡野先生(左)と伊藤

これからの歯科医院のサイズ

都心の原宿でもオーバーストア現象

3月中旬に原宿の日本看護協会に用事があり、表参道を挟んで協会の前にある表参道ヒルズのパーキングに車を止めて歩いていると、ヒルズ1階路面店舗でテナントを募集していて、「まさかこの場所で?」と、しばらく気になっていました。先だって早慶戦を神宮球場で観た帰りに表参道ヒルズに立ち寄ると、件の店舗は未だ空室でした。私の知る限り、かれこれ3ヶ月以上この立地での空室状態は、ディベロッパーや商業施設のリーシングを知る者にとっては考えられないことで、ディベロッパーにとっては恥と言ってもいい程のことです。

2020年の東京オリンピックを前にして建設業界は活況を呈していますが、表参道ヒルズの状況を知る現在、実はこの活況はオリンピックバブルではないのか、という懸念が頭を過ぎりました。商業施設店舗が歯抜け状態になっていく状況は、およそ5~6年前に首都圏近郊の多くのショッピングセンターで見てきました。その時は、テナント賃貸料を50%前後もプライスダウンしてテナント誘致していたようですが(現在の地方都市近郊GMSの賃料相場は坪単価1万円前後)、表参道ヒルズともなると、ブランドが邪魔してプライスダウンを空室解決の糸口にはできないでしょう。

飲食・物販などの都心中心部での店舗のオーバーストア現象は、原宿だけではなく銀座でも見え隠れしています。銀座2丁目のカルティエの並びの洋服の青山の出店は、オーバーストアをプライスダウンではなく、地域ブランドの破壊によって解決した事例です。このような事例は都心各所で散見するようになってきています。

歯科大学のある地域や政令指定都市での歯科のオーバーストア現象は、開業医の約20%を占める60~70代歯科医師がこの10年で引退・廃業することによって多少は緩和されるでしょうが、人口減少の速度に追いつくものではなく、さらに世帯構成の変化と人手不足から、歯科医院の施設規模の縮小は余儀なくされるでしょう。歯科は例外との幻想を棄て、将来に備える柔軟な思考が求められます。

生産年齢人口に影響を受ける歯科経営

各地域で少子高齢化による人口の減少問題を抱え、生産年齢人口は過去20年で1100万人も減少し、2030年にはさらに720万人も減ると予測されています。そんな中にあって、私の事務所のある東京都文京区は、平成10年を底に人口が増え続けている数少ない地域です。その要因は人口動態を見ると明らかで、25~49歳の若年子育て世帯(=生産年齢)の流入にあります。若年子育て世帯が文京区に流入しているのは、筑波大学附属小学校を初め国立大学附属小学校が3校存在する「お受験」に由来しています。

少子化によってお受験熱が高まった若年子育て世帯が増加し、ブランド力のある公立小学校のある地域は、東京文京区に限らず他府県でも同じ傾向がみられます。(歯科経営を考えるに子育て世帯(=生産年齢)の動向は抑えておくべきポイント)文京区は同じ副都心の渋谷区、新宿区に比べてコンサバティブな地域のため社会変化の顕在化が遅いのですが、25~49歳子育て世代の関心が文京区に集まると、ファミリータイプのマンションや戸建住宅の建設が進み、続いて新たな店舗が増えてきています。この傾向は魚の捕食習性を想像してしまいますが、歯科・皮膚科・小児内科などの医科でも、子育て世代の増加に伴い30~40代の医師の開業へと繋がっていきます。

小型化する店舗と大型化した歯科医院

文京区の新たな店舗を見て気がつくことは、飲食、理美容、介護、コンビニ、医療機関など業種に違わず小型化が顕著なことです。この2~3年で開設した文京区の歯科医院7件を見ても、推定20坪前後の小型な施設ばかりです。

歯科医院とよく比較されるコンビニはどうかといえば、現在54,000店超に達し、1店舗当たりの商圏人口は減少の一途で、完全にオーバーストアな状況です。(コンビニ跡地に歯科を誘致している業者がいますが、適否は別としてオーバーストアな立地であることを前提に考える必要あり)現在、コンビニ業界はマイクロマーケット戦略を推進して、小さな店舗で小さな商圏の市場の寡占化を目論んでいます。その最たるものが、病院や駅ナカなどで設置されている小型店舗やコンビニ自販機です。

銀行も小型化が顕著です。先般、見学してきた「りそな銀行セブンデイズプラザ新宿西口店」は、生き残りをかけて大手銀行もここまでやるのか、と衝撃的な変化でした。通常店舗の1/10の20坪の面積でカウンターは4席のみ、営業時間は平日の営業は午後1時から9時まで、土日は午前10時から午後6時までにして、効率化を極限まで高めることで来店客の減少に備えています。

このように人口減少社会に備えて、あらゆる業種で大型化から小型化へ舵が切られてきています。翻って歯科はどうでしょうか。社会変化の中で「これからの歯科」を考える視点が欠如しているように思います。人口減少による患者減少は必然なこととして、その備えが自由診療か保険診療かの二項対立思考で乗り越えていけるのでしょうか。さらに平成時代に大型化した歯科医院は、その患者数と施設を維持する労働力の確保が新たな課題となることは避けられないでしょう。

労働力の確保と働き方の変化が課題

周知のように日本の人口は2008年ごろから減り続けています。先にも述べたように、とりわけ総人口のうち生産年齢人口の減少が加速度的な現状は、日本全体の経済力・国力も衰えていく可能性が高いことを意味しています。足りなくなる働き手を小規模零細な歯科医院が、いかに確保していくのかが新たな課題です。

現実の歯科医院においても人材確保は、喫緊の課題となっています。これまで働く意欲がありながらも仕事ができなかった人たちや仕事をしていなかった人たちに歯科医院で働き手として加わってもらう必要があります。平成が終わろうとしている現在、歯科医院の経営課題は患者数確保から働き手確保にとって変わったのです。

外国人労働者が就労できない医療機関では、中高年女性の就業率を上げることが基本的な対策です。女性の就業率は、結婚・出産の時期に低下して、育児が落ち着く頃に再び上昇するという特徴があります。ですから未だにスタッフに社会保障を付与していない医院は論外として、女性が育児と仕事を両立しやすい環境をつくれば、意欲と能力のある働き手がブランクなしに歯科で仕事を続けられることになります。

次に着目すべきは、現在、非正規労働者の割合が労働者全体の4割近くに達し、非正規で生計を立てている人も多くいることです。歯科医院も労働力不足を解決するには様々な働き方を受け入れていくことが必要です。望んで非正規でいる人には、副業を認める制度などの整備を、正社員採用がなく非正規でいる人には正社員への道を示すことが望まれるでしょう。

社会の変化に社会制度のリニューアルが追いつかない現在ですが、歯科は小規模零細の強みを生かし、変化する速さで「これからの歯科医院」を構想しなければならないでしょう。

歯科経営の折り合い

「人生100年時代」、「100年住宅」と世の中は100年の形容詞で溢れ、歯科にも「100年続く歯科医院」と銘打ったセミナーや書籍がある程です。これらの内容は知りませんが、歯科大学で最も歴史のある東京歯科大学の母体の創立が1907年ですから、実際の歯科医院の100年経営はほとんど前例がないことになり、ずいぶんと遠大なテーマを掲げたものです。ちなみに、日本の全産業で100年以上続く企業は約26,000社、その中で売上50億円以上となると69社存在しており、日本は世界一の長寿企業大国といわれています。

100年以上続く長寿企業のほとんどは、非上場の企業であり、創業者の哲学を守り通して、顧客の信頼第一を旨として経営されてきた企業です。株主利益や株価などに左右されず着実に続けてきたからこそ、信用も蓄積され生き残ってきた企業ばかりです。ところが、この四半世紀の情報化の進歩は、こういった日本的企業の在り方を大きく変えてきました。同様に私たちの生活、そして歯科医院の経営も変わりつつあるのは、やはり情報技術の変化の影響と言えます。

ITによる集患やサービスなどが歯科医院に与えたインパクトは大きく、とりわけネットの世界では、歯科医院の実態や歯科医師の考え方を伝えることよりも、どれだけの多くの人に見られているかに高い価値が置かれています。そのため歯科医院経営でクールなことは、上位表示されるホームページを有すること、YouTubeに再生回数の多いビデオを投稿すること、多数の「いいね!」がつくFacebookアカウントを持つことになっています。歯科界ではITによる安易な成功が持て囃されているわけですが、ITで歯科医院の根本を変えることができるはずもなく、ましてやITを主軸に「100年続く歯科医院」など構想すらできないと思います。

くだんの本のように歯科医院経営に100年の未来を求めるのならば、最初に歯科医院がどういう道筋を歩んできて現在があるのかを問い直すことから始めるべきでしょう。歯科医院経営の根本は、創業者哲学が脈々と続く長寿企業の原形同様に家内工業的であるゆえに、その実践は院長の見識に100%委ねられています。つまり、院長が根本経営体そのものなのです。ITによるクールな経営からはかけ離れる仕業となりますが、歯科医院経営を考えるには、根本である院長自身の思考のあり方を考えることが求められます。

常々感じている歯科院長のタイプを大雑把にいえば、2種類に分かれます。このことは歯科特有のことではありませんが、「自分の利益しか考えていないタイプ」と「みんなまとめて面倒見ようというタイプ」に大別されます。市場原理で歯科医院経営をしていると「自分の利益しか考えていないタイプ=利己主義」の院長が増える傾向があります。人は自分の利益を最大化するための合理的な方法を常に考えて動くという思考の持ち主です。時間を節約するためにお金が必要な場合もあるように、日常的に金銭を問題解決の道具とすることを合理的な方法と思っているタイプです。例えば患者数ですが、患者が減ってきたからといってはPPC広告を繰り返したり、やたらに予約サイトに登録したりすることに金銭を使う院長がいますが、それは単にリセットを繰り返しただけで、患者が来院しない根本的問題を解決したことにはなりません。短期的には合理的なようでも、長い時間の中では不合理なことがわかっていないのです。

歯科医師は概ね45歳前後から肉体が劣化しはじめて、自分の肉体の機能がいかに日々の臨床に影響があるものかを実感すると、これから先、歯科医院経営は歯科医師ひとりの技量ではジリ貧になることが見えてきます。その時になって利己主義の限界を悟り、金銭で辻褄合わせをしてきた経営を悔いても時遅し、利己主義の習慣が足かせになって、惰性で50代、60代を過ごし廃院していく例は少なくありません。

こういうと、「みんなまとめて面倒見るよ=相互扶助主義」的な院長が理想のようですが、そうとも言い切れません。場当たり的に相互扶助主義を繰り返していく院長は貧乏になる典型で、家族には迷惑がられスタッフは去っていき、挙句の果てに患者も減少していく歯科医師人生を送る例を多々見てきました。それではどうすればいいのでしょうか。「利己主義」と「相互扶助主義」の2つの志向を折り合わせることが、小規模零細な歯科医院経営には必要なのです。どちらの志向がよいとかすぐれているとかではなく、歯科医院とは常に相反する2つの焦点(志向)をコントロールしながら経営していくものなのです。院長自身の思考の中にも、利己主義と相互扶助主義という相反する価値観が共存しています。この2つの焦点がせめぎ合うとき、折り合いをつけることで真っ当な大人として社会生活ができるように、歯科医院経営をしていくうえでも、様々な矛盾する二項の折り合いをつけることが重要なのです。

歯科医院の価値観と社会の価値観は、しばしば乖離するために患者が減ることもあります。そんなとき、利己主義だけで測ると歯科医院は脆弱な存在に感じるかもしれません。しかしそんなときでも、スタッフと患者の信頼第一を旨とした相互扶助的思考を持っていれば、歯科医院は逆風も強くしなやかに乗り切れます。業界が幼稚化してくると、利己主義的経営が主流となってきますが、どちらか一方の物差しでは歯科医院経営は継続しないのです。院長の見識や組織の性格によって、どちらか一方が強く出ることはあっても、二者択一ではなく、二者のバランスをとることが大切と思います。なんだか渋沢栄一の「論語と算盤」のような話になってしまいましたが、大型連休中に二番煎じの歯科コンサル本やDVDに時間を割くくらいならば、古典的経営書を読まれてはいかがでしょうか(天に唾吐くとは正にこのことです)。

歯科衛生士の離職トリガー

実業界では、入社後3年以内に中卒7割・高卒5割・大卒3割が離職する「七・五・三」現象がよく知られるところですが、歯科界では、歯科助手7割・歯科衛生士5割・歯科医師の3割が、採用後3年以内に離職する傾向が「七・五・三」現象と言えるかもしれません。

特にこの数年の歯科衛生士の採用・雇用の状況を考えると、そこに矛盾と限界を感じます。矛盾とは、歯科医院が採用に努力すればするほど、求人エージェントは増え雇用条件は釣り上がっていき、高賃金の情報が増えることで離職率が加速する状況になっていること。限界とは、今のままの採用の仕組みでは、歯科衛生士の採用コストと賃金は上がり、歯科衛生士の採用・雇用の繰り返しが歯科医院経営を疲弊させること。その結果、歯科衛生士も帰属する歯科医院経営が不安定になり、将来設計が立てづらい業界になりつつあります。

電車に乗れば、大手転職エージェントのデジタルサイネージからは、「入社1年以内に会社を辞めても、まったく問題ない。」、さらには「3年は我慢しろというのは間違い。3年は長い。我慢してやる気がさらに下がるくらいなら、早く辞めて次の仕事に就くほうが幸せになれる可能性が高い。」等々、自分の齢も立場も忘れて「なるほど!」と納得してしまうような、早期退職を促すメッセージが世の中に溢れています。

こんな空気の中「院長、退職したいのですが…」とあっけらかんと切り出す歯科衛生士の言葉には、未練もなければ悪意もない。そこにあるのは、次の職場への「ささやかな希望」。やっと採用した歯科衛生士からの退職の申し出に、院長は頭の中が真っ白となり引き留める言葉も出ない、精魂を使い果たした、という感じです。大企業と違い小規模組織の歯科医院で、院長自らが引き留めたり、理由を聞いたりするかと思いきや、ほとんどの院長が引き留めをしない理由は、歯科衛生士の職場への「ささやかな希望」をつかみ切れていないことに一因があります。

転職エージェントが積極的に転職を促すのは、歯科医院が歯科衛生士の採用に汲々としているからに他なりません。しかし、転職エージェントに費用を払いやっとのことで採用した歯科衛生士を、数年で転職エージェントに戻し、また転職エージェントに費用を払い、どこかを辞めた歯科衛生士の採用を繰り返す。採用→辞める→採用→辞めるという負のスパイラルを断ち切らなければ、歯科医院の安定経営はなく、その先にある顧客満足度の高い歯科医療も夢物語です。今こそ歯科医院は、歯科衛生士が持つ「ささやかな希望」、つまり職場に何を求めているのかを考えることが求められています。

2020年までは景気は依然右肩上がりで、超売り手市場の世の中といわれています。すでに歯科の人材、とりわけ歯科衛生士は、医科や介護などの他業界に流失している現状で、歯科医院はどのように歯科衛生士の採用・雇用に向かい合っていくのでしょうか。

まず、歯科衛生士が辞めることでの医院リスクを整理してみます。

  1. 採用コストがかさむ
  2. 教育研修や引き継ぎのロス
  3. 事業展開のスピード鈍化
  4. 職場の雰囲気と倫理観の悪化
  5. 顧客満足の低下

以上のように、歯科衛生士の離職は歯科医院にとって想像以上のダメージになります。にもかかわらず、歯科医院は、歯科衛生士を辞めさせないための努力や工夫は二の次として、根本的要因を探ることなく、転職エージェントに頼る場当たり的な対策に終始しています。

「そんなことはない」と言う医院が行っている福利厚生の充実、セミナー補助費、資格取得支援、育児環境の整備など、歯科医院にとっては出血大サービスな対策も、歯科衛生士にとってはガス抜き効果にはなるものの、離職率の低下や医院業績の向上にまでは至っていないケースが多いようです。これらは、歯科業界の思い込みや歯科医師の決めつけによる対策にすぎず、逆にコストと時間を無駄にしている場合もあります。ここまで状況が悪いのですから、急がば回れ、まずは、根本的な要因を把握してみましょう。

かくいう私も5年前までは、歯科衛生士の離職対策は、歯科業界の決めつけの枠の中で考えていました。ところが、私の決めつけは、日本能率協会が調査した第1回「ビジネスパーソン1000人調査」を見てガラガラと崩れていったのです。その調査によると「仕事内容と職場環境のどちらを重視するか」という問いに対して、20代などの若手社員は職場環境を重視する割合が高いのに対し、年齢を経るごとに仕事内容を重視する割合が増えています。これを歯科医院に置き換えると、「理念」や「診療方針」の重要性、診療の質を示すことが、若く有能な歯科衛生士への効果的なPRと決めつけ、職場としての楽しさや若い人材のライフスタイルを考慮しない昭和気質な発想で対策をしているということです。つまり、平成生まれの20代新人気質のストライクゾーンを見誤っているのです。また、「個人裁量の職場かチームワーク重視の職場のどちらの職場で働きたいか」という問いに対しても、若者世代(20代)の方が「チームで仕事」することを好む比率が高くなっています。これに対しても、それまでの私は歯科衛生士個々のキャリアデザインを重視しすぎ、チーム医療のベースとなる職場での人間関係の築き方まで踏み込んで考えていませんでした。

このような経験を踏まえて歯科衛生士の離職トリガーを挙げてみます。

  1. 「見て覚えろ」スタイル
    少人数の歯科医院では、教育の優先順位が低くOJTが確立していなため、「見て覚えろ」スタイルが主流になっています。そのため、新人歯科衛生士が仕事を覚えられないケース。
  2. 勉強会などが長時間労働を助長
    業務効率や診療の質を上げるための改善策や院内勉強会を業務時間内で行わない。スタッフ個々の裁量に任せ、その結果、新人歯科衛生士ほど残業時間が増えていくケース。
  3. 目的を示さない業務指示
    目的を説明せずに「何々やって」と指示する、いろいろな先輩が指示するため、目的がバラバラになり、新人歯科衛生士が混乱してモチベーションが維持できないケース。
  4. 教える先輩スタッフが決まっていない
    手が空いている人が教える医院。新人歯科衛生士は誰に聞いていいかもわからず、遠慮しながら謝りながら教えてもらうケース。
  5. 教育スタッフの評価が低い
    新人教育担当スタッフの評価を正当に行わないため、教育担当スタッフが患者対応や実業務を優先し、新人歯科衛生士の教育に積極的に時間を使わない。その結果、新人は教育担当スタッフの横にいて仕事を見ているだけの状況になるケース。
  6. 院長が約束を守らない
    医院に入ったばかりの新人歯科衛生士は、まだ医院への帰属意識が高くなく、「この医院で将来も仕事を続けていけるだろうか?」と値踏みしながら働いています。院長は軽い約束のつもりで「今日は忙しいから…」と約束を反故にして、信頼を落としているケース。
  7. 承認や賞賛がない
    新人歯科衛生士は誰もが自分の評価を気にしています。診療業務に忙殺され新人の業務評価や労いの言葉がないと、新人は不安になります。「仕事が合わない」、「成長できない」など漠然とした理由で離職する新人の多くは、院長から評価されなかったと思っているケース。

福利厚生の充実、セミナー補助費、資格取得支援、育児環境の整備などの制度の充実やリクルートエージェントに頼る前に、1~7にある医院風土に根ざした根本的な改善を行うことが、採用→辞める→採用→辞めるという負のスパイラルから抜け出す採用・雇用の「急がば回れ」ではないでしょうか。

ひとかどの歯科医師のキャリアデザインとは?

年度末3月は不思議な月でした。というのは、この業界で私の歯科医師を見る目を養ってくれた恩人ともいえる、そして今ではあまり連絡のない3人の歯科医師から、続けて連絡をいただいたからです。

1人目は90年代前半に、歯科メーカー・材料店と組んだ歯科版サブプライムローン的な手法によって、銀座・原宿・横浜などに十数軒の分院展開をしていた歯科医師です。この医療法人の後始末を法律事務所と行い、歯科小売・流通が主体の開業のゴールは、結局は物売りが目的と学びました。当時は時代の寵児のように取り上げられた、その歯科医師の晩年は、人も資産も残らなかった現実、総じて言えば歯科業界の闇を学んだ歯科医師でした。歯科医師のキャリアデザインとしても寂しい感は拭えません。

2人目は、物書きの歯科医師としては秀逸で、毎日新聞社賞も受賞されている方です。入れ歯や歯科医院経営に関する業界書籍は多作で、総義歯に対する知識と歯科医院経営の実態、そして多くの歯科医師にとって入れ歯は鬼門になっていることも学びました。今でも折に触れ、経営に関する文書などを送ってくださり、ご意見を聞かせていただいています。総義歯を通じて歯科界の中で、後進の指導をしてきた歯科医師人生でしたが、歯科界から離れても各方面で活躍できるキャリアデザインを積み上げています。

3月31日開催・千葉県市川歯科医師会主催「中村先生の教授ご就任をお祝いする会」にて講演をする中村光夫先生。

そして3人目が本稿の主役、中村光夫先生です。
当時順天堂大学系列病院の歯科部長をしていた中村先生との出会いは、大手化学工業製品メーカーの(株)トクヤマから紹介され、病院内での歯科部門の拡張の相談を受けたことが始まりでした。歯科理工学や歯科材料にはさしたる関心もなく理解もできない私に、東京医科歯科大の略称「材研(現・医用器材研究所)」の中林宣男先生の教室でスーパーボンドの開発に携わっていた中村先生は、ことあるごとに医局でお茶を勧めてくださり、各歯科メーカーのレジンや接着剤の説明を熱心にしてくださったものです。化学的な理解は朧ながらも、門前の小僧のように歯科医師の臨床の質を使用材料から評価する目を養うことができました。一般的歯科医師の使用材料は、生体親和性や耐久性などより保険点数に左右されることを知り、その時に保険診療の限界を学びました。

そして何よりも中村先生からは、現状の歯科医療のリカバリーとしての予防歯科のあり方を学びました。矯正用のダイレクトボンディング材からスタートしたスーパーボンドが、象牙質にも高い接着性が確保されるようになると、補綴・保存修復用途にも用いられるようになりました。さらに生体親和性の高さから歯髄の保存、歯周病関連ではエムドゲインやGTRメンブレンの併用による臨床応用がこの30年余りで進んできました。予防歯科を包括的に考えると、第2次予防の発症後のMIや第3次予防の機能回復には、スーパーボンドを代表とする接着歯学の予防歯科への貢献は非常に大きいと思います。つまり、私が発症前の第1次予防を踏まえながら、第2次・3次予防まで包括的に予防歯科を捉える目を養えたのは、中村先生から受けてきた接着剤談義があったからこそです。

中村先生は歯科材料の研究者でありながら、前述した病院で歯科部長を務めておられ臨床家としても優れていたと多くの歯科医師から聞いています。歯科部長を辞めた後も、自宅敷地内に診療所を開設しながら、歯科材料の開発やクリニカルレポートの執筆で歯科業界に貢献しています。中村先生の歯科医師としてのキャリアデザインを見て思うことは、研究者としての能力は臨床家としての実務によって磨かれてきたことです。近年、産業界では業務の多角化、専門化により「Off-JT(現場を離れた知識・技能)」の重要性が喧伝され、歯科界も習う向きがありますが、中村先生を見ていると、歯科界は伝統とも言える現場経験を生かした「OJT」が、歯科界のキャリアデザインには依然と大切なことと思います。

3月をもって臨床家としては引退される中村先生は、4月1日より日本大学歯学部臨床教授、三井化学グループ・サンメディカル(株)の顧問に就任されるとのこと。歯科界でのキャリアデザインとして、臨床家からメーカー研究者へ、大学教育者へと転出することで、診療所・大学・メーカーの共有知が形成され、新しい文化が歯科界の中にできてくる期待が膨らみます。中村先生のような「ひとかどの歯科医師」にとって、次なるステージは、新らしいキャリアデザインを後進に示すことと思います。

歯科雑誌の憂鬱

毎月第2土曜日の午前中を歯科臨床医向けの月刊誌を読む日としています。それは、週末仕事としている新聞各紙・各雑誌をスクラップする時間に比べて、歯科雑誌を読む時間は私には退屈なため、一度も開くことなく溜まる一方の時期があったためです。これでは仕事上困ることもあり、そのままにしておくと歯科雑誌は重い上にかさ張り保管場所も限られるため、第2土曜日の午前を歯科雑誌の断捨離の日と決め、知識の上でも実在の上でも整理をつけています。

生来不精な上に育ちの悪い私は、雑誌に限らず活字は寝転びながら読むのが習慣になっています。しかし、加齢に伴う筋力の衰えからか、歯科雑誌は仰向けに寝転んで読むことが辛くなってきました。10年ぶりの改訂で140ページ増え3,216ページになった『広辞苑』は、厚さが変わらず軽くなったというのに、230ページ前後の歯科雑誌はますます重量級化している感があります。広辞苑と比べて印刷紙の品質が劣り重いのは致し方ないとして、歯科雑誌は臨床系学術誌と銘打っているにも関わらず、一般商業誌と比べても広告ページが際立って多く、このことが充実して筋肉質になった広辞苑に比べ、散漫に重量級化する原因になっているように思えます。

各歯科雑誌230ページ前後のうち約100ページが広告です。広告の平均ページ単価が約23万円ですから、広告収入だけで各紙月間約2,300万円あることになります。その収支はさておき、代表的歯科月刊誌の公表部数は、『歯界展望』25,000部、『日本歯科評論』17,000部、『ザ・クインテッセンス』21,000部、『デンタルダイヤモンド』17,500部、『アポロニア21』13,000部で、総計93,500部発行されています。この数字は、およそ歯科医師1人につき1冊購読していることになるわけですから、内容の如何に関わらず、歯科雑誌の影響力の大きさを伺い知ることができます。

歯科雑誌の内容は、歯科大学関係者の疫学的見地や各分野からの学際的ものよりも圧倒的に臨床家による経験値からの原稿が多く、その執筆者の多くが所謂スタディーグループを主催していたり所属していたりしています。歯科雑誌の広告主といえば、表紙の後のカラーページは歯科器材メーカーが多く、雑誌の後半はスタディーグループの講演や講習会が占めています。これらの内容をみると、その多くが保険診療に取り入れるのは難しく、もし歯科雑誌の熱心な読者が日々の臨床にその全てを活かそうとすれば、その歯科医師は非保険医になるに違いないと思います。歯科雑誌に出稿している講習会に参加したり、記事を読んで研鑽をしたりすればするほど、その成果を日々の保険臨床に活かすことはできなくなり、保険医でいることが難しくなる、この矛盾を歯科医師はどのように折り合っていくのでしょうか。真摯な歯科医師にとっての憂鬱です。全般的に勉強する歯科医師ほど経営が苦しくなり、疫学に基づく臨床をするほど貧しくなるような経営環境の中で、歯科雑誌は今後どのような方向性を見出していくのでしょうか、出版社にとっての憂鬱です。

翻って、歯科雑誌読者の選択眼はどうでしょうか。歯科雑誌に出稿している講習会に話を絞ると、講習会の内容や演者をみる限りでは、読者の歯科医師は選択眼を磨く必要があります。内容や演者に疑問符がつくものが多く、特に予防歯科系の講習会は学術誌で扱うとは思えない自己啓発的なものが散見され、出版社でフィルタリングできていないのが実態のようです。

分野は違いますが、文芸評論家の中村光夫氏は「時代を超えて生きることは、1世紀に10指にみたぬ天才だけに許された例外であり、大部分の作家は、彼の生きる時代との合作で才能を開花させ、時がくれば席を譲る。しかも、これだけのことを成就するためにも、衆に抜きん出た才能と努力と職業的誠実と、さらに多くの幸運が必要なのは、われわれの周囲をみてもわかることである」(引用)といっています。中村光夫氏の慧眼は、真に学ぶに値する人(モノ)は滅多にいないものだと、現代の私たちをいましめています。歯科界に天才までは求められないでしょうが、中村光夫氏の言を反芻することで、大衆化した講習会の選択眼を磨くことになると思います。

歯科医院の業績不振が叫ばれて久しくなりますが、大半の医院は危機に瀕しているというほどの劇的な苦境ではないと思います。しかし、それだけに歯科雑誌に掲載される記事や出稿される講習会に定見なく救いを求めると、いつの間にか歯科医師の知性も医院の体力も失っていくだろうと、第2土曜日の午前中、どうにか歯科雑誌を見終え、私は憂鬱な気分になるのです。

予防歯科のモヤモヤ

「予防歯科」表記はダメだが「予防治療」ならば問題ない。首都圏の地域医療機関冊子へ出稿する歯科医院への行政指導です。「予防・治療」では、と問い返すと、「・」は入らない「予防治療」です、との見解を聞いて、「なんだかな」とは思わずにはいられない返答でした。つまり「予防歯科」という存在は認められないが「予防治療」という行為は認めることができるということになり、存在がないのに行為があるという不思議な話になります。釈然としないこの理屈を突き詰めていくと、1960年当時の社会的要請から、疫学の重要性を二の次にして官主導で作られた医療制度という強固な岩盤に突き当たります。

日本で治療中心の医療体制が強固な理由のもう一つは、医療者も患者も医療保険制度に甘えていることにあります。まず何よりも、医療者の診療報酬が出来高払いで、より多く治療を施した方が儲かる仕組みに問題があります。支払いの大部分は医療保険で賄われるため、患者の懐も痛めない。それゆえ、過剰治療になりがちで、予防を標榜しながらもその実態が形式的になることは容易に想像がつきます。患者側にも問題があります。患者は医療費のごく一部を負担するだけでほとんどの治療を受けることができるのですから、実際どれだけの治療費がかかっているのかという意識が希薄になります。もちろん貧富の差に関係なく国民が医療を受けられる制度自体は素晴らしいのですが、それを差し引いても医者も患者も馴れ合ってしまうこの制度で、商業化した医療機関とお客様化した患者にコンプライアンスを求めるのは無理があるように思います。

行政が予防治療の表記を「よし」とするのは、SPTによる予防のガイドラインができたことにも関係しているのではないでしょうか。この制度によって予防治療と予防管理に線引きがされたこと、さらに歯冠修復、欠損補綴から派生した非医療的な保険制度から疫学ベースの医療的保険制度に舵を切ったことは評価されて然るべきです。しかしそれでも、この制度によって予防歯科のモヤモヤを解消することをできないのは何故でしょう。むしろ予防を標榜する歯科医院にとっては、数ヶ月毎に初診に戻す古典的な予防管理手順に加え、SPTという保険財政の蛇口が増え、新たなモヤモヤが加わった感じさえします。さらに困ったことに、予防治療はSPTという印籠を与えられたため、患者と共に健康を守る一体感に支えられて違反や不正に対して医療者も患者も無自覚になる傾向も否めません。「なんだかな」と言いたくなる制度にならないことを願います。

高度成長期前後につくられた「なんだかな」と言いたくなる制度は他業界にも山のようにあります。昨秋発覚して全容が明らかになりつつある日産自動車やSUBARUでの無資格検査問題もその一つです。この自動車メーカーで起きた不正は、歯科の予防制度を考えるにはとても示唆的です。先に挙げた自動車メーカーの不正に対して国土交通省は「適切な完成検査を確保するためのタスクフォース」を設立したと発表しましたが、これに対して自動車業界からは「制度自体が古いので、現状の作業にあっていない」といった声も出ています。この事件は、企業の品質管理体制に批判が集中しましたが、現状行われていることは、警音器の聴音検査、ハンマーによる取り付けの緩みや亀裂の打音検査、窓ガラスの視認検査といった60年以上前に定められた検査方法です。期せずして、歯科の基本検査と変わりないこの検査方法は、各工程で完成度が高くなった自動車産業の現場では意味のない検査と認識されていたようです。私の知る限りでの判断では、この検査不正の本質は、メーカーのコンプライアンスにあるのではなく、時代遅れとなった古い規制を維持しようとするばかりで、この検査体制自体が必要か否か踏み込もうとしない監督官庁と自動車産業の体質にあるように思います。翻って歯科の基本検査の在り方とその算定も画像診断等の技術が進んだ現在、医療者の経験と感覚に任せていていいはずがない、と思うのは早計でしょうか。

歯科も自動車産業も「コンプライアンス」が徹底された現代では、何か問題が表面化すると、事実の中身や背景、原因などよりも、法令や制度に違反したかどうかが問題にされる風潮があり、違反者や不正者は、マスコミを筆頭に世の中から袋叩きにされ、世の中は事の本質を突き詰めようとしない思考停止に陥ります。歯科の予防表記やSPTガイドラインに対する批判も同じです。そもそも法令や規制は、何らかの社会的要請に応えるために定められるものであり、内容が社会の実情に適合し、医療者や患者がそれを遵守する意識が定着していれば、その機能が十分に発揮されると思います。しかし、歯科における予防制度は、社会的要請や歯科医師と患者の意識に合致しているのか疑問です。適合していない法令や規制には、歯科に限らず人が準じなくなるのは世の中の常です。

予防歯科のモヤモヤを晴らすのは、鬼平のような技官ではなく、歯科医師であって欲しいものです。

10年ぶりの熊谷崇先生セミナー所感

制度依存的予防歯科からの脱出

先般、日吉歯科診療所で開催しているオーラルフィジシャン育成セミナーを、およそ10年ぶりに聴講する機会に恵まれました。本セミナーは、“予防歯科を目指す歯科医師に、データと臨床に基づき疾患の発症予防、再発予防、最小侵襲治療を実践する診療所作り”を提唱するセミナーです。本セミナーは、職人的技術を持つ歯科医師がもてはやされていた1990年当時から28年間続き、約2,100人もが受講しているロングランセミナーです。予防セミナーの上、特にPRをしていないにも関わらず、長期間にわたり多くの歯科医師に支持されてきました。それは、本セミナーが時代に応じてアップデートされてきたこと、そして熊谷先生が単なる治療技術のスペシャリストではなく、歯科医療の未来像を示す理念的指導者としての魅力ゆえと思います。

以前の内容を思い起こしながらセミナーを聴講していましたが、バイオフィルム感染症のデータとメインテナンスを基本とした軸は変わりませんが、予防から予測へ、患者個々のリスクアセスメントの分析へと進歩しており、以前に増して医療的内容になっていました。

大きく変わったのは、患者情報管理と理解にクラウドを導入したことです。これは単に診療情報管理の変化という表層的なことにとどまらず、医療機関では難しい「営利と社会正義の調和」の道筋を、クラウドを利用することで示していました。とりわけ社会性を問われる予防型歯科医院では、現在に至るまで営利と社会正義という異なった概念を結び、その調和を図るための明確な論理の構築ができていませんでした。それは、歯科医院が予防の収益源にコンプライアンスの問題を抱え、報酬の線引きですっきりとしない状況が現在に至っても続いているからです。

このような状況の中、クラウドを利用して診療情報を患者と共有することによって、患者の品質判断力を高め、品質を担保できる歯科医院は「営利は歯科医院が患者(社会)に貢献した結果の報酬」として自由診療を公明に打ち出し、制度に依存しない報酬として制度に制約される保険収入との線引きを可能にしています。

歯科界も薬品・電力・農業など社会的制度に依存し制約されている分野と同じように、品質を上げようと突出するものを阻む平均値的文化を作り上げてきました。その結果、「低コストで中品質な歯科医療」「国内制度の視点に縛られ、世界基準の欠如」「経営の保険制度への依存体質」などの傾向が顕著になり、これらのことが業界の活力を奪い、世の中の本質的な歯科需要を低調にしてきた要因になってきたように思います。

今まで歯科医院の品質と競争力を高めてきたのは、臨床現場の歯科医師よりも、歯科理工学の進歩や保険制度の政策転換でした。しかしクラウドは現場の歯科医師の行動によって品質と競争力を高めることを可能にしています。その結果、歯科医院自身の革新から業界活力を上げ、歯科市場の開拓を進めることもできます。実際にその効果は、この1年で本セミナーを受講した中核歯科医院を取り巻く経営環境が、自業界と地域中心から、他業界と社会へと広がる動きからも明らかになってきています。

本セミナーを10年ぶりに聴講してみて改めて感じることは、歯科の進歩と品質の向上は、結局は日々の臨床データの集積と分析につきるということです。患者は自分自身のデータを他の人の平均値と比べられることで、自分の健康管理への意識が高まり、修復受診以外のモチベーションにもつながります。さらにデータベースを匿名化することで、ヘルスケア歯科への新しいインフラになるのだと思います。歯科医療は情報産業化することで革新し、ブルーオーシャンを見つけるのではないかと妄想を抱きながら、このセミナーの聴講を終えました。

図らずも熊谷先生は「8020は患者の努力で達成できるが、KEEP28(すべての歯を守る)は歯科医療にイノベーションが必要」とセミナーで語られていました。
38年にわたる日吉歯科診療所での取り組みから発せられる熊谷先生の言葉は、「10年たった今でも含蓄深い」と、年の終わりに感じています。

過労死症候群の歯科医院

電通の新入社員の高橋まつりさんが(享年24)、過労のためうつ病を発症し、「働くの、つらすぎ」「眠りたい以外の感情を失った」と言葉を残して昨年の11月に自殺してから1年が経ちました。

この事件をきっかけに厚労省で過労死防止対策白書なるものが毎年発表されていることを知り、平成28年度版の過労死白書の数字を追ってみました。過労死ラインとされる1ヶ月の残業時間80時間越え、つまり週労働時間60時間以上の雇用者数は、2015~2016年をピークに穏やかに減少しています。それでも週60時間以上働いている雇用者は全体の7.7%に当たる429万人もいます。

それ以上に私が着目した点は、週労働時間60時間以上働いている法人役員が9.3%、自営業者は13.6%いることです。この13.6%に含まれる歯科院長も少なくないはずです。労働時間だけを見れば、雇用者よりも雇用主の方が日本では過労死の瀬戸際に追い込まれているように思えますが、一概にそうとは言えません。

電通の高橋さんの自殺前のツイッターの書き込みにも「男性上司から女子力がないと言われるの、笑いをとるためのいじりだとしても我慢の限界である」とあるように、上司からのパワハラやセクハラなど職場での人間関係のストレスが、雇用者の長時間労働の疲労感を増幅させているのです。その結果、雇用者は長時間労働に加えストレスが、過労死へと追い込まれていく一因になっていると考えられます。

この点、雇用主の歯科院長は自分の裁量で仕事ができるために、長時間労働を避けられる立場にいます。また、過労死のもう一つのファクターである労働環境も自らの才覚で変えることができます。そのため、週労働時間60時間以上の割合が雇用者(7.7%)よりも遥かに多いの雇用主(13.6%)が、過労死ラインに存在しているにも関わらず、問題化されないのでしょう。しかし、最近の歯科医院を見ていると、そうとも言えない自縄自縛の状況になってきています。

医業収入が停滞する現在、歯科では予約サイトや内覧会業者を導入しなければ、経営が不振になるという風潮から、利便性を求める患者を受け入れるサービス体制にコストを投下して、医院が疲弊していくケースが散見します。集患のための経営計画が、知らず知らずのうちに過剰サービスとなり、労働環境の悪化を招き、雇用が不安定となる傾向が目立ちます。その結果、院長自身の雑務も増えるというオウンゴールによって、医院全体に過労のシグナルが点滅しています。それにも関わらず、利便性に突き進む医院は、まさに思考停止状態の過労死の前兆に踏み込んでいるように思えます。

過剰サービスが労働問題に発展した事件として記憶に新しいところでは、宅配便業者の当日配送や時間指定配送、無料再配達などによるセールスドライバーの労働環境の劣悪化です。「年々苦しくなってきて、あと30年これを続けることが想像できなくなった」と、宅配便ドライバーは吐露しています。「働くの、つらすぎ」と言って亡くなっていった高橋まつりさんと同様に無気力状態に追い込まれているわけです。歯科院長の思考停止状態は歯科を宅配便業界と同じような道に貶めるように思えてなりません。

宅配便業界と同じ轍を踏んでいる一例が、キャンセルする患者の際限のない再予約です。さらには一定のキャンセルを見越して、同時間帯にネット予約枠を入れたりすることで、アポイントは過密になり、予約時間通りに診療が始まらない、すると今度は予約時間通りに始まらないことを見越して患者が来院してくる。こんな歯科医院だからキャンセルするのも気にならない患者が増えてくる、といった悪循環に陥るのです。それもこれも便利さを求めるコンプライアンスの低い患者を、コストをかけて集める過剰サービスに端を発しています。集荷率を上げるため時間指定配送と無料再配達をすることで、自社ドライバーは過労死寸前にも関わらず、不正をして事業を存続させた宅配便業界と、歯科医院の集患計画は同じ次元と言えます。

過剰サービスに慣れた生活者が患者に変わる時、歯科医院は電通や宅配便業界のようになり得ることを学ぶべきです。生活者にとって当たり前になった過剰サービスをそのまま歯科医院に呼び込むことは、院長・スタッフ全体で過労死症候群への第一歩を踏み出すことになります。医療の本質とは関係のない過剰サービスによって、歯科医院が乗っ取られるような過酷な働き方を当たり前にしてしまっているのです。また、医療の本質以前に利便性ばかりが優先されることは、歯科医院そのものが自殺するに等しいのではないでしょうか。

高橋まつりさんの自殺の後、元電通のコピーライターの前田将多さんは、「恐ろしいのは電通でもNHKでも安倍政権でもない。どこにでもいる普通の人たちだ」と、言っています。戒めにしたいものです。

獣医栄えて歯医者廃る

最近、居抜き譲渡されている歯科医院を見る機会がありました。譲渡理由は「院長の病気のため」とのことですが、多くの場合のそれは建前にすぎません。

居抜き医院の外壁はひび割れ、待合は薄暗く、古いユニットが4台並列に置かれ、壁紙は黄ばみを帯びていました。この陰鬱な雰囲気を好んで通院する人はいないのでは、と思いながら一度外に出ると、ガムテープで補修された医院看板には、かすれた文字で「健康保健医療機関」「新患随時受付」と書かれていました。

フッと歯科医院の前方道路の向こうを見ると、車庫入れしているメルセデスと駐車中のレクサス。その背後のコンクリート打ち放しのモダンな建物には、大きなフィックスガラスからこれ見よがしにアルフレックス風ソファのあるロビー広がっています。動物病院です。

一方ひび割れた看板さえも新調できずに廃院していく歯科医院、通りを挟んで犬猫が高級車に乗って運ばれてくる動物病院との格差は、以前では想像すらできませんでした。しかし、人を診る歯科医院が廃れペットを診る動物病院が栄える理不尽な構図は、起こるべくして起こっている現実と捉える必要がありそうです。

その理由の一端は、動物病院は自由経済のビジネスであり、歯科医院は統制経済のビジネスだからです。動物病院の獣医は、ペットの健康のためならば支出を惜しまない飼い主に快適な施設と医療の品質を提供する一方で、治療費を払えない飼い主のことなど気にとめる必要もないわけです。

それが、治療の対象が動物から人に変わると、すべての国民は安い費用で医療サービスを享受できる国民皆保険制度に規制され、自由よりも平等が優先されるようになります。その結果、多くの歯科医院は健康に関心のない人を診療していても生計はなんとかなるために、医療の品質や快適な環境のことなどに関心が薄れていきます。考えるだけ無駄だからです。それでもなんとかやっていけてしまうことで、医療者としての成長と人生設計の思考が停滞することが、国民皆保険制度の怖さです。

50年前は最新鋭空母カールビンソンだった皆保険制度は、今では中国空母遼寧にそして将来は泥舟になりつつあります。国民の高齢化により労働人口が減れば保険財政の歳入も減る、さらに高齢者が増えれば一人当たりの医療費の増大が加速化し、このまま行けば国民皆保険制度の財政破綻が避けられないのは自明の理です。皆保険制度破綻の先延ばし策として、国は歯科医療機関への支払いを渋り、買い叩き、財源減少の調整弁としてきたわけです。

劣位の調整弁から優位な歯科医師になるには、今のところは自由診療を拡大していくことが順当な考え方と言えるでしょう。すると歯科医師は、保険適用外の治療や最新医療機材に関心がいきがちですが、それは二の次です。獣医のように、自由診療にお金を惜しまないペットの飼い主の気持ちを学ぶことが優先されます。

あるいは、ペットの飼い主の心理よりも「お受験」をさせる親の心理の方が、自由診療を選択する患者心理に近いかも知れません。「お受験」ならば、歯科医師も想像に難くないでしょう。その心理を整理すると、

  1. 高学歴とりわけ有名大学卒の生涯年収の高さを見込んでの「投資」
  2. 衣服やバッグのように子供の学校をブランドとする「自己実現」
  3. 公立校や底辺校での子供のヤンキー化やイジメを避けるための「安全保障」

大きくこの3か条を挙げることができます。

「投資」「自己実現」「安全保障」の3か条は、そのまま健康観の高い患者が歯科医院に求めることに当てはまり、とりもなおさず近い将来の歯科医師の人生設計の基本形になります。この50年あまりの歯科医院の経済的な問題は国民皆保険制度の含み益によって解決することができましたが、これからの十数年ですべての前提が劣化する可能性が高くなったわけです。そのため歯科医師は人生の再設計を考え、患者本位の歯科医療を捉え直す必要に迫られることになるのです。さもなければ、ひび割れた看板と共に歯科医師人生を終えていくことになるでしょう。

しかし、この状況をいたずらに悲観する必要はありません。時代の大きな変化は、歯科医師に新たな可能性を与えてくれるからです。

「診療科目を売るのが広告」?

「こんなチラシが送られてきたのですが、どう思いますか?」と、尋ねられることは少なくありません。夏季休暇前に歯科医師から送られてきたチラシを見ると、キャッチコピーに“自費戦略で増患対策”とあり、「自費患者が月に30人以上増えました」と笑顔の写真入りで歯科医師がコメントをしていました。

この手のチラシやメールにうんざりして、効果に半信半疑な歯科医師も多いと思いますが、ネット印刷会社の調査からは需要は年々倍増していることがわかります。

このような「物売り広告」は、表現だけが騒々しく華やかですが、生活者の気持ちを動かす力はなく、実に幼稚で子供っぽい感じがします。総じて流通小売業界の二番煎じで中途半端な代物なのですが、この15年余りで何がどう間違ったのか、「診療科目を売る広告」が歯科界の主流として定着してきました。

しかし、年々増加している歯科医院の物売り広告の70%以上は、無駄遣いに終わっているように思います。70%という数字には根拠はなく、何となく大まかな予想に過ぎませんが、本心を言えば90%は無駄、としたいぐらいです。

そんなことを言えば、「現実に新患が増えた」、「増収になった」という反論があるかもしれません。確かに、そのようなことは一時的にありますが、患者の大半は他の医院で不満を持っていた、とりあえず今の不都合さえ解決すればいい、などの来院動機の低い人です。少なくとも、医院の診療方針などを理解して来院したかどうかは非常に疑わしいのです。

歯科医師に限ったことではありませんが、人はしばしば間違いを犯します。それは仕方のないことですが、色々な間違いの中で一番やっかいな間違いは、物事を始めた時の間違いです。歯科医院では、開業した時です。この時期はまだ十分な知識やチェック機能がないために、間違っている認識がないまま、いつの間にかそれが既成事実化して医院の体質となってしまうためです。このような危なかっしさが、歯科医院の広告(ウェブサイトも)には潜在しています。

大半の歯科コンサルタントや経営的歯科医師の書物を見ると、「こんな表現だと自費に繋がります」、「こんなキャッチなら患者が増えます」など、総じて広告は商品(診療科目や利便性)を売るためのコミュニケーション活動のようなことと語っていますが、それは全くの間違いです。彼らは広告(アドバタイジング)とプロモーションの違いを理解していないのです。ついでに言えば、厚生労働省の『医療広告ガイドライン』は、正しくは『医療販売促進ガイドライン』とするべきです。彼らの不勉強はさておき、これからの歯科医師には広告の真髄をぜひ知っておいてもらいたいと思います。歯科医院運営の骨格になるのが、広告なのです。

少し理屈っぽい話ですが、全日本広告連盟の『広告綱領』には、「広告は商品やサービスを正しく人に伝えるとともに暮らしを生かすアイデアを提供し、快適で充実した生活の実現に役立てる。広告はまた、企業の経営理念・活動と社会的使命を人々に知らせることにより企業への理解と信頼を増進する。広告はさらに、コミュニケーションの手段と技術を通じて高い文化性を生み出しよりよい社会の実現のため貢献する」とあります。まさに社会の中で歯科医院のあるべき姿を言い表しています。

つまり、広告は診療科目を売りにするものではなく、患者や連携医療機関、ステークホルダー、そして地域との信頼関係をつくるものです。さらには、歯科医院が長期に渡って存続していくために必要不可欠な信頼関係をつくるコミュニケーションなのです。マーケット・シェアばかりを意識するのではなく、マインド・シェアを高めることが広告の真髄です。

患者や地域のマインド・シェアを高める歯科医院って、素敵だと思いませんか。ぜひ、広告体質の歯科医院を目指して欲しいと思います。

日野原重明先生へレクイエムを

綿菓子のような優しい笑顔の日野原先生と一緒に

著名人が亡くなると、故人の教えや思い出をblogでしたり顔で語る輩が出現し、図らずもインターネット社会の浅はかさが露見します。かく言う私も日野原先生の訃報を知り、日野原先生の社会性の高さを伝えることで厚顔の誹りを免れませんが、レクイエムの代わりとしたいと思います。

日野原先生に関心を抱いたきっかけは、当時社会を震撼させた赤軍派による「よど号事件」の人質の代表となった若き日の日野原先生の正義感の強さにあります。日野原先生を人質にして北朝鮮に亡命した事件の当事者が、日野原先生の訃報を知り弔意を産経新聞に寄せていますが、この内容を読むと日野原先生の人間力の高さが伝わってきます。

産経ニュースサイトへリンク

日野原先生の医療人として評価の高さは、常に社会に繋がりその時々の社会問題を自分の正義を持って判断し、解決してきたことにあると思います。

「よど号事件の人質代表」や「地下鉄サリン事件における聖路加国際病院の解放」などの事件への対応然り、「成人病を『生活習慣病』と改称して予防意識の普及」や「医師と患者の対等意識の喚起」然り、「総合的健康診断『人間ドック』の開設」や「看護師教育の充実と看護師業務の拡大」などの医療問題へのアプローチ然り、総てが社会正義と社会貢献に裏打ちされています。

医療人として常に社会と向き合う、“世のため人のための”実践者だったと思います。振り返って歯科界には、未だ業界利益を気にする内向き志向が蔓延しています。しかし、“世のため人のための”を本気で願う歯科医師も出現しつつあります。

日野原先生からすれば大抵の歯科医師は小学生のようなものです。濁りきった精神の私には、小学生に向けた平易な文章だけに余計に鮮烈に感じますが、本気の歯科医師の方は、日野原先生の「いのちの授業」最後の連載には勇気づけられるはずです。

「君たちのまっすぐな心で世の中をよく観察してほしいと思います。そして、正しいと思うことをしっかりと行動に移してください。自分の心に恥じない生き方をつらぬいてほしいと希望します。」

と、あります。

WELQと週刊現代から学ぶもの

顧客website アンケートに寄せて

新聞、TV、雑誌、インターネットなどの情報媒体を通じて、私たちは健康医療情報や特集を目にしない日はありません。私たちを取り巻く情報のトレンドは、身近な交通広告からも見て取れます。駅舎からホームにかけての看板の広告主は教育産業と健康産業、そして医療機関が大勢を占めています。電車に乗れば中吊広告やデジタルサイネージから発信されているのは、政治経済・芸能ネタを制して水素水、糖質制限、芸能人のガン闘病記など、健康医療情報に数多な関連情報が加えられて発信されている状況です。こんなことからも健康医療情報は、多くの人の関心を集めるキラーコンテンツであることがわかります。

『週刊現代』歯科特集から学ぶ

健康医療情報に取り囲まれた現在、長くにわたり歯科医院現場を見てきた私からは、メディアの医療情報には、針小棒大、脚色過剰で、眉をひそめたくなる内容も少なからずあります。その最たるものが、11/5号の『週刊現代』の医療キャンペーンです。週刊誌の持ち味は、一言でいえばセンセーショナリズムですが、その前提は確かな論拠に基づき、メリットとデメリットを踏まえて報じる姿勢が求められます。しかし、『週刊現代』の歯科特集は、デメリットばかりを強調することによって、歯科医療知識の乏しい生活者の関心を煽るばかりではなく、歯科関係者をも煽動して雑誌の購買数を上げるという手練手管が、一読して見え隠れしていました。

案の定、何人かの歯科医師が自らのblogでこの記事に対し言及して、まんまと講談社の『禁じ手』に乗っかっていました。というのは、『週刊現代』の歯科批判を歯科医師自らがネットを通じ拡散して、週刊誌の販売促進にひと役買うお人好しを演じたことになるからです。全くもって気が滅入ってくる話です。話は横道にそれますが、出版社は一般人からの購買よりも全国10万人余りの歯科医師のひんしゅくを買うことで、歯科医師の購買意欲を刺激できると、そろばんを弾いていたわけです。歯科医師はblogを書く暇があったら、編集部に抗議電話の2~3本も入れて憂さ晴らしをするしかありません。翻って、歯科医院のwebsiteでも『週刊現代』まがいの「それは健康によくない」「健康保険では・・」といった表現で科学的知識が乏しい生活者をカモにしているようでは、信頼性を置き去りにしいる『週刊現代』と同じ穴の狢ではないでしょうか。

DeNAも歯科医院もSEO対策は同じ

『週刊現代』の歯科特集のような論拠薄弱な情報が、新聞・TVよりも野放しにされているのが、インターネットであることは誰もが知るところでしょう。11月に上場企業のDeNAが運営している月間ユーザー数2000万人の健康・医療情報サイトWELQが休止に追い込まれたのは耳目に新しいところです。このことは、改めてインターネット情報の危うさを浮き彫りにすると同時に、健康医療情報への生活者の関心の高さを社会に示す結果となりました。TVの視聴率、新聞・雑誌の発行部数にあたる数字が、インターネットでは検索順位になります。健康・医療のまとめサイトWELQは、掲載記事の信頼性を問う声が以前から聞こえてきましたが、今回の休止騒動で図らずも検索結果を人工的に上げるSEO対策にも非常に力を入れていたことが露見しました。私は仕事柄、医療用語などをよく検索するのですが、必ずといっていいほど、厚生労働省サイトやメルク・マニュアルよりも上位にくるサイトがWELQでした。そうするとWELQの病症説明をなんとなく読んでしまうのですが、「なんとなく」では済まない長文に出くわすことが度々でした。しかし、メルク・マニュアルでは同じ病症説明でもWELQの1/5程度に簡潔に説明されています。ですから、WELQサイトを訪れる気はさらさらないにもかかわらず、検索すると必ずメルク・マニュアルの上位にくる鬱陶しさには閉口したものです。

WELQ休止で付随して報じられているWELQのSEO対策への執着を知って、WELQの饒舌な長文説明文は、Googleの検索上位対策の肝だったことがわかりました。WELQに関する一連の記事で専門家がSEO対策に言及していますが、それをまとめると以下のようになります。

リンクの基本原則

  • ○他の多くのサイトからリンクされている
  • ○優良またはその分野専門サイトからリンクされている
  • ×関連性のないサイトからのリンク
  • ×意図的に作ったサイトからのリンク

コンテンツの基本原則

  • ○サイト内容の十分な専門性
  • ○内容に添った文章量が多いこと
  • ×他のサイトのコピー文書
  • ×文脈に関係ない単語が羅列されている
  • ×閲覧した人がすぐに退出すること

何のことはありません。誰もが知っていることばかりです。WELQはSEOの基本原則を徹底したことに加え、一般的なwebsiteでは不可能な超長文を用意した結果の検索上位だったわけです。しかし、このことによって冗長な文章を書き流して、生活者が最後まで読まない文章や理解されないようなコンテンツを作っていては、本末転倒と言わざるを得ません。言い換えるとwebに限らず世の中ものは全て、ヘッドラインではできていないためキャッチーな見出しでは信用を得ることはできないのです。つまり歯科医院でしたらコンプライアンスの高い患者に来院してもらうには、何よりも文脈が重要ということです。

顧客医院websiteアンケートへの所感としては、即時解決できない辛口のコメントになってしまいました。生涯顧客として患者に寄り添うには、科学的視点に立って、患者と歯科医院の文脈をwebsiteで展開していくことが重要です。クレセル顧客のwebsiteがwebsiteのスタンダードとなり、歯科界の主流となることを願っています。

予約制と新患随時の矛盾

「完全予約制」と「新患随時受付」の二律背反する併記。こんな書き出しに「なぜ二律背反?」と思う歯科医は、少なくないかもしれません。そんな向きでも、「借りすぎに注意」と注意しながら「いつでもどこでも手軽にキャッシング」と謳う大手銀行の広告には、「なに都合の良いことを言って」と思うのではないでしょうか。しかし同じような矛盾が、歯科医院の受付ではまかり通っています。

歯科医院の案内やウェブサイトでは、「完全予約制」と「新患随時受付」の併記は当たり前になっています。歯科医から依頼があれば、私の事務所でもパンフレットやウェブサイトを、特に気に留めることもなく「完全予約制」と「新患随時受付」を併記して制作しています。時として「完全予約制」と「新患随時受付」も入れておきましょう、とアドバイスさえしているかもしれません。

ところがこのアドバイス、親切でも何でもありません。と言うのも「キャンセルが多い」「アポイントが守られない」「昼休みがない」「残業が多い」といった歯科医院で頻発する初歩的問題は、「完全予約制」と「新患随時受付」の併記に因を発しているからです。無自覚にも私たちは罪深きアドバイスをして、大手銀行のように抜かりなく仕事の種蒔をしていることになります。

残念なことに「予約制」や「完全予約制」の併記は歯科医院の常識となっています。常識化した背景には、「応召の義務」の名残だった「新患随時受付」が定着した歯科医院に、欧米の自由診療歯科の影響と予防の定期管理化による「予約制」が普及したことにあります。予約制が定着して形骸化した「新患随時受付」は、それでも患者獲得のため歯科医院に表示され、「完全予約制」と「新患随時受付」併記が常態化したわけです。このような矛盾は、歯科医院数の過剰とDMFT指数の向上による患数の減少を因とする医院経営のご都合主義から発生しています。

それでは歯科医院にとって、新患数はどのように経営に影響を与えるのでしょう。新患数を積み上げてきた結果、月間レセプト枚数250枚を超えて300枚に届かんとする頃、多くの院長は翌週のアポイントの埋まり具合を気にすることなく寝床につけるようになり、「一山越えた」と実感する時期です。すると次に「キャンセルが多い」「残業が多い」という問題が寝付きを悪くさせます。先に述べたように、この問題は表記しようとしまいと「完全予約制」と「新患随時受付」の両立は、成り立つ道理がないことを行う経営上の情実が原因です。「情実」と表現するのも、それが原因とわかっていても止むに止まれず「新患随時受付」を行っているからです。

「新患数は?」「新患来た?」「新患減った?」と歯科医がラッパーのように発する新患数の実態は、いったいどの程度なのでしょうか。歯科医院の平均新患数は診療日×1.3人といったところです。この計算からすると月間20日稼働の医院の新患数は26人程度になります。この月間26人の新患数を多いと感じるか少ないと感じるかは、医院の立地や診療体制によるところになります。ちなみにGMS規模の商業施設では月間新患数は100人超が平均的ですし、10万人程度の地方都市のGP医院の場合は、月間新患数は20人を切るのが普通です。ユニット数が約4台前後の歯科医院新患数は1日約1人と思っていいのではないでしょうか。つまりかように歯科医院にとっては、新患は貴重な経営資源なわけです。ですから、「飛び込み新患」に対して受付が、「当院は予約制ですから・・・」などと、素っ気なく断りを入れる声が治療中の院長に聞こえようものなら、タービンを持つ手が震える気持ちもわかります。しかし、「飛び込み新患」は、情実入学した学生同様に出来が悪いのが常です。既往患者の診療時間を遅らせてまで診療しても、その後のリピーターになるどころか遅刻・キャンセル・中断患者となる可能性が極めて高いのが「飛び込み新患」です。

このような立地頼りの新患集めをする診療体制の象徴が、「完全予約制」と「新患随時受付」併記なのです。この体制は、受付がよほどマネジメントに長けているか、あるいは院長が患者の診療経過と予後に無関心でなければ、中長期的には成立しません。それよりも新患受け入れを制限して、既往患者をできるだけ早く完治に至る診療計画(=通院計画)を立て、既往患者が通院のたびに満足する診療体制で迎え信頼関係を築き、早期の完治から定期管理への流れを作ることが、医療者も患者も満足できる本来の歯科医療サービスの在り方です。新患も既往患者も八方美人的に受け入れて、待ち時間が長く待合室は混雑して、再診は1ヶ月後なんていう歯科医院は昭和40年代の遺跡です。こんな医院は、一見患者本位の医院で流行っているようですが、新患にも既往患者からも少しずつ満足度を奪っていって、時間とお金に不自由で健康観の貧しい患者にしか人気がなくなり、院長の体力低下に伴い衰退する歯科医院の典型です。「完全予約制」と「新患随時受付」の併記には、このような暗い未来予測しかできません。それよりも「不便な患者に便利な歯科医院」にならないために以下のことを実施してはどうでしょうか。

  • 「新患随時受付」の表記を止める
  • 最短完治を目指し予防管理を定期的に行う医院方針を伝える
  • 初診時に医院方針をきちんと伝える時間を持つ
  • 来院時の歯磨きをすることを受診ルールとする
  • キャンセルは医院方針と逆行することを伝える
  • 医療側も患者側も双方時間を守ることを伝える
  • 医院からの情報を読み保管することを伝える
  • 新患受け入れまで数ヶ月かかる評判をつくる

上記のことを徹底すれば、「完全予約制」の医院ができあがり、患者もスタッフも院長も満足度の高い歯科医院になること、間違いありません。

文京区小石川の歯の神様

弊社より徒歩4~5分のところにある源覚寺は夏目漱石の小説にも登場する「こんにゃくえんま」で有名ですが、実は知る人ぞ知る歯の神様「塩地蔵」が境内にまつられています。
その名の通りお地蔵様の周りにはもとの姿がわからないほどに”こんもり”と塩が盛られています。お地蔵様の体に塩をつけてお祈りすると同じ部分の病気が治るのだとか。
歯科の「完全予約制」が浸透することで、歯でお困りの方が減り塩地蔵のお役御免の日が来ることをお祈りしてまいりました。

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歯科の医療広告ガイドライン

脱毛や脂肪吸引などの美容医療の受診トラブルが頻発していることは、メディアの報道からも周知のことです。美容医療のトラブル相談は、内閣消費者委員会によると2011年度約1600件から、2014年度約2600件と急増しており、このような事態を受けて、厚生労働省はホームページ(以下HP)の広告規制の検討会を立ち上げることになりました。現在は、利用者が自ら検索して閲覧するHPは広告規制の対象外となっており、医療機関の自主規制に任せられています。

次に、歯科医院HPで医療広告ガイドラインに抵触しながらもよく使われている具体的な例や表現を列挙してみます。

  • 加工修正した術前術後の写真の掲載
  • 著名人との関係の強調/○○プロダクションと提携
  • 「絶対安全なインプラントを提供します」
  • 「他院で断られた難しい症例も成功します」「1日で全ての治療が終わります」
  • 「当院は○○研究所を併設しています」「○○センター」
  • 「○○研究会最高顧問」「○○学界認定(活動実績のない)」
  • 「○○実績日本一」「No.1」「最高」「○%の満足度」
  • 「当院は県内一の歯科医数」「インビザライン、日本有数の実績」
  • 「無料相談された方に○○をプレゼント」「ただいまキャンペーン実施中」「○月までホワイトニング50%オフ」「○○し放題プラン」

上記表現以外に医療機関は、薬事法、健康増進法、不当景品類及不当表示防止法、不正競争防止法によって規制されます。

このような法規に照らして、最近ではインプラント以上に苦情件数が多いとされる矯正歯科のHPを検証してみました。検証の仕方は、HPのトップページ/コンセプト(相応)/スタッフ紹介(経歴等)/治療についての4ページに限定して、上位表示されるある矯正歯科ポータルサイトのランキング1位~3位の11医院のHPを対象としました。

11医院の広告規制抵触表現の平均数が約4.5、上位ランクのHPほど違反数が多い傾向にありました。判断は私の主観に左右される部分もありますが、4ページ限定でも多くの違反と思われる表現があり、他のページやブログ、貼られているバナーなどを検証していけばさらに違反箇所は増えることはまちがいないと思います。今回検証したHPは誘引性と誇大表現の塊にも関わらず、SEO対策を施していることから上位表示されています。このようなHPが、生活者の眼に留まることで歯科医療トラブルは増えること傾向は否めないでしょう。

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因みに最高裁の公表データによると、2010年の医療訴訟件数は896件で、そのうち72件が歯科ですから、全体の8%を占め、内科、整形外科、産婦人科につぐ多さです。医療訴訟と聞くと、「治療ミス」を想像される向きも多いと思いますが、歯科の訴訟で多いのが「説明義務違反」の事例です。よくいわれる「情報の非対称性」により、歯科医師は患者が適切な治療方法を決定するために十分に情報を提供する「説明義務」を負っています。しかし、美容医療同様に患者情報の窓口となるHPが誘引と誇大表現の塊では、真っ当な患者説明などできるはずがありません。

医療訴訟全体はゆるやかな減少傾向にあるに拘わらず、歯科は徐々に増加傾向にあります。歯科医師とともに私たち歯科関連事業者も多いにこの数字を恥じ、生活者の理解を助け深める情報発信をしていかなければ、歯科の社会的評価は凋落していくことでしょう。

内覧会を考える

内覧会業者の実態

昨今の歯科医院開業では、ほとんどの医院が内覧会を行います。その中で、内覧会業者を使う医院は6割程度で、内覧会業者も雨後のタケノコのごとく「歯科専門」と称して存在しますが、その実態はいかがなものでしょうか?

例えば、自称リーディングカンパニーの内覧会業者の社長は、都心部の集客施設で、数件の歯科医院を運営していた医療法人に在籍していたはずです。その法人のマーケティング手法は、立地優位性の高い場所で出店すること以外これといったものはなく、最後には分院を居抜きで売却して繋ぎ資金として、約10年前に破産しています。
内覧会業者はこの会社に限らず、歯科のマーケティングや医院運営に長けているわけではありません。その多くは、マンションや介護施設向けの内覧会業者が直接、あるいは他業種の傘下で、歯科へ参入してきているのが実態です。

そういった内覧会業者の実際の内覧会現場を見ると、歯科経営のノウハウがあるように見せてはいますが、ほとんどは実態がないと感じられます。

内覧会業者の功罪

内覧会業者を使った場合の成果は、なんといっても新患の予約にあります。
多くの業者発表とは違うと思いますが、私の知る十数件の医院が、内覧会業者を使用した数字を平均すると、内覧会の参加者数は、主に土日2日間で130~200人程度、予約数は30~60件程度です。新規開業の医院にとって、この予約数が大きな魅力であることは間違いありません。

ショッピングセンターなど商業施設での開業では、内覧会業者を使用しないと、開業1ヶ月後の新患数は100人前後です。
商業施設等での開業で内覧会業者を使用すると、内覧会を開催した日に新患予約が集中しますが、開業1ヶ月後の新患数は、内覧会業者を使用しなかった場合と、ほとんど変わらない傾向があります。
このことから、認知が弱い立地の医院の方が、内覧会のメリットがあるように思われますが、立地の悪い医院は予約数もあまり期待できないことも付け加えておきます。結局は、内覧会の成否の多くは、開業地の立地に左右されているのです。

次にマイナス点をあげます。予約は取ったがキャンセルが多い、あるいは問題のある患者が多いなどの声を聞きます。このことは、誘導的に予約しているわけですから、コンプライアンスの低い患者が多くなることは、当然の結果といえます。また、内覧会開催時に、パンフレットに食べ物を添付しているなどと同業者ないし近隣から、強引に予約を取られたなどの患者からのクレームが保健所へ寄せられることも少なくないと聞きます。

内覧会の意義と価値

歯科の内覧会は20年以上前から行われており、決して新しいマーケティング手法ではありません。内覧会を行う意義は、生活者の医療機関への敷居を低くすることと、自院のあり方を伝えることにあります。

私の経験から、地域の生活者は、来院経験がなくとも4~5軒の歯科医院を認知しています。開業早々に来院してもらえなくとも、まずは地域の生活者の記憶に残ることが大切です。その後、生活者に歯科が必要になった際に思い出してもらい、過去に通院した医院と比べてもらえる契機と、自院の取り組みを伝えることが、内覧会を開催する意義です。

しかし最近では、内覧会業者が介在することで、内覧会の意義は「知って理解してもらうこと」から「予約を取ること」に変わってきています。歯科医院側が短期的な成果を求めることに、内覧会業者が呼応した結果、「予約数◯件」が業者のPRとなり、目的となったからでしょう。

20年前と比べて、内覧会の企画と内容自体は大きく変わっていませんが、成果を出すための医院の装飾が派手になり、集客手法が強引になったことは危惧されます。極論すれば内覧会業者の強みは、“客引きの度胸”だけで、その他のマーケティング的な試みは陳腐化しているように思います。

歯科医院、特にヘルスケアを標榜する医院は、その地域の景観や文化を大切にする姿勢が求められます。業者主導の内覧会の表現自体が、歯科医院の理念伝達をさまたげ、イメージを壊してしまう危険性を考えなければなりません。
ただ、業者の“客引き度胸”は歯科医院スタッフにはないもので、一朝一夕で身につくものではありませんから、内覧会業者を使う価値は、その点においてはあると言えるでしょう。逆の視点から見れば、それ以外のことは自院が主導することが、内覧会を行う価値を十分に引き出すポイントといえます。

現在多くの歯科医院では、全てを内覧会業者任せにする傾向があります。これではせっかくの1)医院組織の意識統一 2)地域エリアマーケティング 3)スタッフ研修の機会 を放棄することになります。この傾向は、内覧会を行う真の価値に歯科医師が気づいていないことによるのでしょう。
内覧会の価値は大きく分けて1)地域への自院の認知と集客 2)医院の組織固め にあります。どちらも大切なことはいうまでもありませんが、多くの医院は2)の要素をおざなりにしがちです。中期的な視点からすれば、1)よりもむしろ2)の方が大切であることを付言しておきます。

内覧会へのアプローチ

ここで内覧会の準備と手順を確認してみましょう。以下で紹介する段取りは、弊社が医院独自の内覧会を勧める時に提示するスケジュールです。

  1. エリアマーケティング 1)徒歩診療圏 2)ドライブ診療圏 3)1)2)における公共施設・幼稚園・塾・調剤薬局・商店会などの調査
  2. Webマーケティング 1)地域ユーザーの検索ワードの調査 2)地域歯科医院の診療志向調査
  3. 1・2の調査を踏まえた内覧会運営企画と広告媒体選定
  4. 内覧会運営にあたる医院の意識統一と役割分担・準備
  5. 具体的な準備
    01)開業挨拶や内覧会などのリーフレット制作(配布用)
    02)院内掲示用の、診療体制と医療機材の説明ポスター・POP作成
    03)内覧会開催認知ポスターの制作
    04)医院名刺・診察券・診療圏歯科医院への挨拶状(封書)作成
    05)患者教室と院内の催し企画
    ※食べ物の提供は保健所からは禁じられている。
    06)自院Webサイトへの内容公開
    07)患者説明会・イベント受付の手順書作成
    08)来院者の誘導・院内説明・予約までの手順書作成
    09)来院者への記念品と院内装飾品の発注
    10)補綴物など展示品の準備などを取引技工所やメーカーへ依頼
    11)新聞折り込み・ポスティングの業者への依頼
    12)所管警察への道路使用許可申請
    13)各施設・商工会などへの挨拶と説明
    14)新聞折り込み・ポスティングの実施
  6. 地域人口動態・患者特性・医院システム・機材説明・接遇の院内勉強会とロールプレイング
  7. 内覧会の実施
  8. 予約および記帳した来院者へのメールや手紙での対応
  9. 内覧会の総括
    内覧会で得た、地域特性と生活者への歯科への関心を文書化

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内覧会費用

一般的な内覧会業者の2日間開催の費用は、100万円前後のところが多いようです。これに新聞折り込み・ポスティング費用やパンフレット制作費用などがかかるのが通常のようですから、実際は130万円前後かと思います。

それでは自院開催をした場合の費用はどうでしょうか。印刷物はオリジナルで訴求力のある開催リーフレット・ポスター・診察券・名刺などを制作して、装飾品・記念品を購入し、新聞折り込み・ポスティング費用(部数による)なども含めても、総額50~60万円程度で準備できるでしょう。 内覧会業者が介在した場合との費用の違いは、

  1. 各施設・商工会などへの挨拶と説明
  2. 所管警察への道路使用許可申請
  3. 患者教室と院内の催し企画
  4. 医院システム・機材説明・接遇の院内勉強会

 

にかかる人件費と歯科材料店などへの紹介リベートなどが、上記の準備品目などに加わってしまうため高額になるのだと思います。また、内覧会業者が作成する広告材では、歯科医院の理念・質感やオリジナリティーが十分に表現できないマイナス面も指摘しておきます。

このように考えてみると、内覧会は時間があれば、自院で企画・運営し、オリジナルの印刷物も準備して、医院への誘導(客引き)は内覧会業者に依頼する形式が、最も合理的といえるでしょう。これからの歯科医院は、内覧会を自院主導で開催して、1)医院組織づくりの基礎として、2)地域患者の傾向を知る契機に、3)そして開業前の接遇の見直しの機会とした上で、地域の生活者に自院の理念・方針、歯科医療の本来のあり方を伝える場にして欲しいものです。

予防型歯科の文脈を考える

ある歯科医院を訪問すると、“聞き流すだけで予防型定期管理のハウツーが理解できる”と、英会話教材のような宣伝文句が施されたDVDを見せられた。気が進まなかったが後覚のためと思い、件の歯科医師の勧めで一緒に聞いてはみたが、最初の4~5分でうんざりとして聞くことをやめた。

冒頭「メインテナンスが3ヶ月1回必要な理由が医院内で一貫性がないと、予防型定期管理は定着しない」と説く。3ヶ月1回のメインテナンスが必要な一貫性の根拠は、予想通り保険算定のルールに求め、患者の健康管理を根底にしない旧態依然の予防歯科そのものだった。巧妙に理由付けをして患者を納得させ、保険制度を使い金儲けするハウツーが、このDVDの全てであった。
DVDの製作者は、人はビジネス上の損得や効率だけで生きているわけではなく、医療や教育は損得や効率という用語では語りえない最たるもののひとつだという常識が欠落しているのだろう。

誰しも後戻りは、好んで行おうとはしない。歯科医師にも国民皆保険制度が施行された1961年以前に戻り、予防歯科を考えるべきとは言わない。しかし、2014年の医療施設に従事している歯科医師総数は10万965人になり、人口10万人対歯科医師は81.8人で、1970年の35.2人から大幅に増加している。国際的には必ずしも人口対比の歯科医師数は多くはないものの、現行の保険医療制度の下では、歯科医師数の増加に準じた歯科医療費の増加は、現在も将来も見込めないことは明らかなことである。然るに、患者の健康を踏み台として健康保険制度の蛇口を全開にするようなDVDを疑問に思うこともなく必要とする歯科医師の姿勢は、社会ビジョンに逆行しており世の中に認められるわけがない。

現在の保険医療制度の状況からすれば、遠からず予防歯科の文脈を替えるしかない。過剰な保険請求をして、その余沢で医院経営を潤すといった価値観を、予防歯科の本義へ価値観自体を変更するしか予防歯科の存在する方向はないと思う。このことは社会正義といった高所からだけではなく、むしろ経営的視点からも自明の理であると思う。

果たして保険医療制度に浸かりきった歯科医師は、その価値観を変更できるだろうか。たぶん、価値観を変えることも、自らの生活を変えることも難しいだろう。そして最後まで難問として残るのもこのことだと思う。

歯科医師が自らの価値観を変える一助として、栃木県鹿沼市で開業されているチョコレート歯科医院の加藤大明先生が、デンタルハイジーンに寄稿した小論を一読することをお勧めする。
http://www.sat-iso.net/message/index09.html

メッセージのある勉強会

バブル経済が崩壊して、株、土地、個人金融資産など1千数百兆円が失われたといわれていますが、私は、年功序列という日本的経営の根幹が失われて、長幼の序や仕事への誇りが失われてきたことの方が、大きな社会的損失だったと思います。

この影響は歯科にも顕著で、従来の年功序列的な人事システムに代わって、にわか仕立ての実力主義の導入が広がりました。元来、歯科ではスタッフの在籍年数も短く院長の寿命が組織の寿命のため、年功序列はあってないようなものでした。そのためか、スキル、マネジメント、コミュニケーションなどで給与待遇を決める能力主義を通り越し、一足飛びに年功の関係しないアウトプットを評価するふんわりとした成果主義が主流となりました。

ものの本には、成果主義は数字を正しく評価して賃金に反映させることで、スタッフのやる気を引き出し、組織を活性化させるとありますが、歯科での現実はどうでしょうか。成果主義を導入する歯科の眼目は、人件費の抑制とスタッフ教育の放棄にあるようで、スタッフのやる気や医院の活性化よりも、「スタッフ教育などの無駄を省き効率よく稼いでもらうこと」という本音が透けてみえます。それは、成果主義にした医院の人事システムから明らかです。医院の成長を前提として、頑張れば頑張っただけ給料が上がるシステムではなく、誰かの給与が増えれば誰かの給与が減る、ゼロサムゲームが殆どだからです。

このような成果主義の医院の勉強会には、「患者心理を踏まえたカウンセリング」とか「ユニット○台でナン億円稼ぐには」などという営業研修のラインナップが揃う傾向があります。医療人のモラルと科学的思考を学ぶのではなく、商人(アキンド)精神をスタッフに注入する勉強会の趣です。働いて金を稼いで生活するという経済的側面だけを掘り下げていくのですから、スタッフの患者や医療に対しての思いも、院長の生活のためだけの医療感が自ずと反映されないわけがありません。

最近の歯科雑誌などで取り上げられる医院や盛況なセミナーのモデルケースは、成果主義から派生した金権体質な医院を範としていることが多いようです。こういった金儲けに成功する勉強会とは一線を画す勉強会を見学させてもらいました。
志を一つにするアップルデンタルセンターOPひるま歯科 矯正歯科鶴見歯科クリニックの合同勉強会です。
病因論などを各医院の院長が教授する座学、カリエスに対しての概念形成の過程を各医院の歯科衛生士の代表が発表し、それに対してのグループワーク、さらには歯科分野に限定されない「学び方の方法論」ともいうべき特講などを朝9:00から昼食を挟んで17:00まで行われ、その後に懇親会というスケジュールです。

アップルデンタルセンター 畑慎太郎院長

詳細は3医院のオリジナルのため割愛しますが、この勉強会の特徴は、スタッフが医院から引き継ぐべき考え方を、全体構成を通じてメッセージしていることです。技術や経営論議よりも、まず医院の考え方、医療のあり方をやんわりと伝えているところが、各医院の院長の人柄が表れていました。

「何を思う?」OPひるま歯科 矯正歯科 晝間康明院長

鶴見歯科クリニック 鶴見和久院長

グループワークの様子

勉強会全体を通じて「人は働くことによって築かれていきます。それは働いて金を稼いで生活するという経済的な意味だけではなく、働くことで自己実現を果たしたり、働いて社会の役に立つことで、生きる悦びや実感を見出しましょう。」といったメッセージが発信されているようでもありました。「人は働くことで人生を生きるのです。あなたはなぜ当院で働くのか、そしてどんな働き方をしたいのかを考えてください。」と、問いかけている感もありました。成果主義医院の勉強会とは、スタッフの能力の引き出し方の濃淡が全く違い、「これぞ本気の勉強会!」のあるべき姿でした。

勉強会に参加した3医院の先生・スタッフの方々と伊藤

入れ歯の大御所からの葉書

村岡秀明先生から季節の葉書が届きました。
笑っているような筆跡の軽妙な文章と入れ歯をモチーフにしたイラストが相まって、村岡先生から季節の葉書を頂く度に、思わず「クスッ」と笑ってしまいます。

村岡先生のイラストの特徴は、アイロニーな感じは全くなく、初代林家三平の落語のようなナンセンスさにあります。しかし今回のイラストは、金属床レンジャーらしき者が予防歯科の象徴の歯ブラシを武器に持ち、「入れ歯大好きの敗者」と自虐的なコピー、実にシュールな仕上がりです。

思えば、村岡先生にお会いしてから25年余りが経っています。当時、歯科界では「補綴を制するは歯科を制す」などと言われ、予防歯科も関心が高まりつつありましたが、まだまだ入れ歯全盛の時代でした。今でこそ私は予防歯科の普及に取り組んでいますが、当時、新参者の私は補綴を入り口にして歯科界へのネットワークを広げていました。同時期に歯周病の勉強会を企画し、日本大学歯学部教授の伊藤公一先生にスピーカーとして何回もセミナーをお願いしましたが、村岡先生の入れ歯セミナーの方が歯科医師の関心度が高かったと記憶しています。

村岡秀明先生からの葉書

当時の私は医療マーケティングが関心事のいわゆる広告屋に近い存在ですから、売って欲しいと言われた診療科目の価値や社会性などは問うことはありませんでした。それは職責の内に入っていないし、広告屋に倫理など無かったわけです。今、流行の内覧会業者と同類項でした(もう少し真っ当でしたが)。人々の欲求や欲望を読み解き、それに添って医院の広告戦略を考え付随して医院シシテムを構築するのが仕事なわけですから、有権者の歯科医師が関心の低い歯周病や予防では仕事にならなかったわけです。

ですから当時は、入れ歯の大家といわれた歯科医師には、多々セミナーをお願いしていましたので、門前の小僧よろしくデンチャーにはかなり詳しくなり、受講者のサクラとして質問もしたことがあったくらいです。それから約25年経ち、今では予防は歯科医療の基盤となり、私は予防歯科の普及に取り組んでいます。入れ歯のセミナーも約20年前に一切やめて、予防セミナーしか開催しなくなって20年経ちます。全ては約20年前に聞いた熊谷崇先生の講演がきっかけでした。ひょっとして「入れ歯大好きの敗者」のコピーは、裏切り者の私に対する御年70歳になられた村岡先生の20年振りのカウンターパンチなのでしょうか?

イヤイヤそうではないでしょう。村岡先生が日吉歯科診療所に伺い熊谷先生にインタビューする歯科雑誌の企画がありましたが、雑誌掲載後、熊谷先生に村岡先生の印象をうかがったところ「彼はとにかく人柄が素晴らしいから」とお話しされていましたから。

求人条件は「建物」を基準に

歯科医師の話を聞くことが私の仕事ですが、1日に4人の歯科医師と会って、2時間おきに求人難についての相談となり辟易とした覚えもあります。それほどまでに、どこの医院でも求人には苦労しているわけです。

ほとんどの求人企業が、

  • 社会保障があること
  • 公定休日が診療日でないこと
  • 18:00終業

を、求職者が歯科へ集まる3要件としています。その他の条件として、残業が少ない、駅近、家族経営でないことなどが続きます。要は、丸の内OL待遇を低学歴でも認めてあげなさいと言うのが、求人企業の言い分です。

仮に低学歴高待遇を認めたとしても、このアドバイスに合点のいく歯科医師が何人いるでしょうか?超売り手市場の歯科労働環境の中で、丸の内OL待遇は既に当たり前となり求人のプロの答えとしては、お粗末にすぎる感は否めません。それと言うのも、不承不承認めざるを得ない高待遇でさえも、求職者の琴線に触れることはないことを、求人がルーティーンとなった歯科医院では、身を以て感じているからです。

話は横に逸れますが、先の3要件全てを満たすことのない歯科医院こそが、実は中小企業の一員として真っ当な判断をしているわけです。しかしその結果、求人費用はドブに金を捨てるが如くのアンビバレンツな状況に歯科界はなっています。その結果、事業内容と規模に準じた健全な雇用条件で求人活動する医院が、求人広告を出す以前に、医院の存続も含めて体制を考え直す時代を歯科界は迎えていることになります。

話を戻します。それでは求職者が求める最上位の雇用条件とはなんでしょうか?院長の人柄がよく、学べる環境が備わっていて、給与も良いなどと言うユートピアな話ではありません。

おおよそ千数百人の歯科スタッフから聞き取りした経験から、求職者は先の3要件よりも職場の「建物」に潜在的に惹かれ、最上位の就職条件としています。こんなことを言うと、「そんなことはない、やはり待遇がポイント」と、たいていの歯科医師から反論されます。しかし、待遇といっても、よっぽど悪かったり飛び抜けて良かったりする歯科医院は、情報化社会の中ではほとんどなく、たいていはある一定範囲に入ってくるため待遇は第一条件にはなりません。それよりも、求職者の感性に訴える建物がポイントになるのです。

明るくて清潔で少しオシャレな建物であったり、都市部のインテリジェントビルの中に存在していたりして、少し歩けば商業地域に出られる場所にある歯科医院ですと、先の3要件なんかは霞んでしまうのが求職者の習いのようです。
地方の医院でも同じことで、理想的な建物がその地域での理想的な場所にあって、ある程度以上の規模(ここが肝心)の歯科医院であれば求人には断然有利になります。

これは経験的にも言えることなのですが、特に若い頃は規模の小さな組織(会社)で、少人数で狭い場所で働いていると、世間の風に吹きさらされているような気分になってくるものです。そういう気分を救ってくれるのが建物の魅力なのです。会社の10年後を信じていない求職世代が、それでもなぜ大企業志向かと言えば、毎日来て働く場所の建物(と立地)の雰囲気を潜在的に重要視しているからに他なりません。あまり大っぴらに「建物が気に入って就職しました」とも言えないだけのことです。

歯科医院も企業と同じです。築35年の雑居ビル4階にある25坪の歯科医院に、求職者が「毎日来てもいいや」って気持ちなるでしょうか?平均給与より1~2万円高い報酬であっても、若い人ほど、そんな気持ちにならないのが自然なのです。

今までの地域歯科医院の給与水準を基準に求人条件を考えていては、歯科医院はいつまで経っても茹でガエル状態を抜け出すことはできません。
医院方針、待遇、教育環境も大切な条件ですが、それらすべては建物(インテリア・立地)に大きく影響されることを前提に求人条件と広告を考えてみてはいかがでしょうか。

むし歯0から1の価値を生み出す

デフレからの脱却を謳うアベノミクスから4年、雇用指標は改善傾向にあるものの依然として消費拡大に繋がる気配がありません。総務省の資料を見ると、食料品や衣料品などの個人消費が停滞し、モノが売れないデフレ状況に変化はありません。

歯科はどうかと言えば、国民総医療費に対する歯科医療費の割合は、平成28年は前年を下回り、平成12年以降の横ばいトレンドが続いています。生活の基本である食品と衣料の消費が低下する中、とりわけ国民医療費に含まれない自由診療に活路を見出すことは、下りのエスカレターを駆け上がる程度の運動神経と体力が必要になってきます。

それでも、歯科医療費の総枠拡大が見込めないために、個々の歯科医院が自由診療に突破口を見出さざるを得ません。このような状況を反映して、歯科医院では「顧客満足」というスローガンを呪文のように唱え、「ネット予約」と「自費の安売り」が織りなす“量”の拡大の狂想曲が響きわたっているように感じます。

どうでしょうか、「ユニクロ栄えて国滅ぶ」という論考がありましたが、デフレや歯科医院の過剰をエクスキューズにして、「便利さ」や「安さ」ばかりから顧客満足を追求すれば、歯科医院はますます劣化していくように思います。

本来顧客満足度を高めるためには、徹底的に生活者の側に立ち“質”を追求する必要があります。簡単そうですが、これほど難しいことはありません。数多の理由の一つとして、この20年余りで口腔内の状態は向上し、12歳児のむし歯は1歯を切り、これから先に生活者が歯科医院に何を欲しているのかがわかっていないことが挙げられます。

しかし、確実なことは歯科医院も社会の中に存在している限り、顧客満足の在り方が量から質への変化が訪れていることです。これは感覚的な言い方ですが、歯科の仕事は1本のむし歯治療を膨らませて10の仕事を作ることから、むし歯0から1の価値を生み出すことに変わってきているのです。

人は人が集まる様子を見て集まってきます。「便利さ」や「安さ」に満足を求める人の集まりには同じような人が集まってきます。健康な人の周りには生活の“質”を大切にする健康感の高い人が集まってきます。感情は目に見えませんが、健康感の高い人が集まる歯科医院は、健康な人と穏やかに繋がり、人々に健康の連鎖を促し、「便利さ」や「安さ」がなくとも社会と繋がっていくように思います。

現在、歯科には穏やかな淘汰が起こっています。淘汰の時代、歯科医院はむし歯0から1の価値を生み出す仕事をするべきではないかと思います。

歯科衛生士の賃上げ1万円時代に突入か!?

会社から歩いて数分の播磨坂さくら並木の河津桜は満開です。しかし暦の上では立春を過ぎましたが、まだまだ寒い日は続いています。さてアベノミクスは、暦通りに暖かさを日本経済に運んでくるのでしょうか。今のところ輸出主体の企業は満開の様子ですが、円安の恩恵に無縁な歯科には、芽吹きの気配さえ感じません。これから春闘本番を迎え、歯科も従業員の昇給に頭を悩ます季節になりそうです。

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昨年末、安倍首相は「最低賃金を年3%程度引き上げ、全国加重平均で時給1千円を目指す」と表明しました。現在の全国平均最低賃金は798円で、安倍首相の表明通りに賃上げが進むと23年には1千円に届く計算になります。衛生士不足の歯科で、戦力とされる助手の現在の全国平均時給は900円程度、地方では800円程度ですから、阿部首相の言うところの時給1千円を達成すると、助手の全国平均時給は1130円程度に上がる計算になり、現在の衛生士の全国平均時給とあまり変わらなくなります。

さらにデフレ脱却を目指す安倍政権では、「2%の物価上昇目標」を掲げているため最低賃金を3%程度引き上げしなければ、実質賃金は減ることになります。歯科でこの賃金3%アップを達成することができるでしょうか。15年の医療経済実態調査によると、賃金の3%アップをクリアできたのは衛生士だけで、前年と比べて3.3%アップで平均年収2,748,568円でした。因みに院長が−2.2%で12,715,798円、勤務医が2.4%で6,016,058円、助手が0.8%で2,587,178円です。歯科医院の従業員平均賃上げ率が約2.16%対して、医業収入の伸び率は0.4%です。その穴埋めの一端が、院長収入の−2.2%減に現れています。歯科の収益伸び率からアベノミクスの賃上げ率を達成するには、収益増が見込めない現在、院長収入(法人利益)減と設備投資期間の長期化といった経費減で賄っていかなければ、他の産業と伍して人材を確保することは難しくなる計算です。

かくして歯科従業員の賃金アップを支えたとしても、所得税や住民税についての定率減税が半減され、さらに廃止されていきますから、従業員には毎月数千円も増税になります。様々な所得控除が廃止されることによって、収入の中で課税される金額が増えています。年収300万円の衛生士の場合を試算してみると、ひと月約7,000円以上の増税になります。さらに厚生年金の保険料も毎年値上がりしていますから、衛生士の生活水準を維持していくためには、毎年約8,000円の賃上げが必要になります。

15年の「中小企業雇用状況調査」によれば、中小企業全体の40.9%が2,000~5,000円の賃金上げ、11.6%の企業が2,000円未満でした。この数字に対して昨年の衛生士の平均賃上げ金額は約7,000円と高くなっています。平成28年度から「かかりつけ歯科医機能強化型診療所」の新設によって、衛生士の配置は医業収入に関わる比重が高くなってきます。衛生士はますます争奪戦となり、賃上げは毎年10,000円程度しなければ衛生士を確保できなくなるかも知れません。これからの安倍政権下での「賃金」「税金」「保険改定」では、予防型歯科医院は今まで以上に経営力が問われることになるでしょう。

患者診療情報のイノベーション

日吉歯科診療所「土蔵」から富士通「クラウド」へ

日吉歯科診療所の訪れた人ならば誰しもが、3万人のカルテを保存した『土蔵』を前にして、「オッ」と声を漏らすような素直な驚きを覚えることでしょう。私も「これがカルテ庫か!」と驚きを禁じ得ませんでした。この土蔵の存在が、「酒田市民の口腔の健康状態を世界一にすること」という途方もない夢のような日吉歯科診療所の理念を、現実的で酒田市民にとって求心力のあるものとしてきたのです。その理念は、患者診療情報のクラウド化を通じて、各地域で予防型歯科医院による企業の健康経営支援への取り組みへとつながり始めました。

予防型歯科の知的資産の価値

多くの歯科医師が、日吉歯科診療所の理念に魅せられて予防歯科を志し、その基盤作りに着手してきました。そして、口腔内情報を得る機材を揃え技術を修得した途端、一端の予防型歯科医院になったと錯覚する傾向があります。この段階で忘れていることがあります。目の前の患者診療情報を生きた情報とするには、過去の患者診療情報の蓄積と管理が重要です。エビデンスという言葉を予防型歯科医院では頻繁に耳にしますが、エビデンスとは過去の患者診療情報が素になっていることは言うまでもありません。エビデンスを得るには、予防型歯科医院としてのそれ相応の年月の積み重ねが要るのです。日吉歯科診療所では、過去36年の患者診療情報を蓄積してきた土蔵の存在が、エビデンスという知的資産を生み、生きた患者診療情報を患者に提供することを可能にしたのです。その知的資産が患者にも歯科医師にも求心力を発揮し、類まれな予防型歯科医院となったわけです。知的資産の求心力とは、ブランド力と置き換えてもいいでしょう。
予防型歯科を自称する多くの医院には、レセプトという財務資産はありますが、未だ知的資産を生み出すまでには至らないようです。その理由は、歯科医師の意識と予防型歯科としての年数の問題もあるでしょうが、過去の患者診療情報を蓄積する環境の問題もあるのではないでしょうか。過去の患者診療情報が、古新聞同様の扱いや法規に則り5年で処分されているケースさえ見受けられます。片や日吉歯科診療所の土蔵は、36年分の患者診療情報を財務資産から知的資産へと価値転換させています。
日吉歯科診療所の土蔵は、耐震性・堅牢性・高度なセキュリティーを有する現代のクラウドと言って良いかもしれません。

図書館のように患者診療情報を管理する

患者診療情報がどれほど予防型歯科医院に価値を与えているのか、図書館に例えてみると理解しやすいでしょう。図書館の管理方法には開架と閉架の方式があり、開架の場合は、一般利用者が自由に書籍を取り出すことができる書架に並べられています。これは歯科医院の現在来院している患者診療情報に当たります。閉架の場合、蔵書は一般利用者が立ち入れない書庫にあり、利用者が依頼すると司書が書庫にある数十万の蔵書の中から「日本分類十進法」に拠って速やかに持ち出してきてくれます。これが歯科では現在動いていない過去の患者診療情報に当たります。図書館の価値は、開架・閉架の蔵書数と管理に有り、利用者に評価されることになります。
一般的な予防型歯科医院では図書館でいう開架は機能していますが、閉架は機能していない傾向があります。日吉歯科診療所の価値は、閉架も開架同様に機能しているところにあります。熱心な利用者が、古い書籍を5年で処分したり、読みたい本の取り出しに時間がかかったりする図書館に価値を見出すでしょうか。このことは、歯科医院に対する意識の高い患者にも当てはまります。
数十万の蔵書の蓄積と管理には、確立された分類方法と何よりも広さが必要とされています。歯科では「患者を生涯顧客とする」といわれて久しいですが、例えば1万人の生涯に渡るカルテ・X 線画像はもちろんのこと規格性のある写真、各検査結果を管理できる広さが、歯科医院にあるでしょうか。
あるいは十分に保全されたサーバー環境で管理することができているでしょうか。特に都市部の100㎡程度の歯科医院では、過去の患者診療情報の蓄積と管理は物理的に不可能なため、収益を生まない患者診療情報は古新聞扱いされることになり、真の予防型歯科医院へと展開できない理由の一つになっています。繰り返しになりますが、レセプト(財務資産)が多く盛業していようとも、規格性のある患者診療情報を長期間に渡り管理して知的資産化できていなければ、真の予防型歯科医院とは言えないのです。

クラウドが変える患者と医院の関係

患者診療情報を知的資産とするために、日吉歯科診療所のような土蔵を造ることは現実的ではありませんが、クラウドを利用することで解決することができます。しかもICT(情報通信技術)によって、患者コミュニケーションには不可欠な即時性と直接性といった強みも加わります。生活者が自分の欲しい情報を即時に直接得られることが常識となりつつある現代社会で、医療だけが例外とされる理由はどこにもありません。
クラウドで患者診療情報を管理することは、コミュニケーションを創り出すイノベーションと言えます。従来の院内で患者診療情報を管理し提供する方法は、歯科医院が患者に情報を一方向で提供していたにすぎません。一方、患者診療情報をクラウドで管理することは、歯科医院のクラウドへ患者自身が情報を取りに行ける双方向のコミュニケーションが可能になるのです。さらに患者診療情報がその人に対していつでもオープンにされるということは、歯科医院が自院の診療とメインテナンスに対して自信がなければできないことです。それは自院の予防型歯科医院としての矜持とも言えます。
情報がオープン化される社会になると、生活者の学習機会が増え評価力が上がってくるために、情報に求められる質が高くなってきます。従来の予防型歯科医院ならば、患者診療情報を画一的に並べておけばよかったものが、そこに患者にとってどれだけ的確な『提案』が盛り込まれているかが、患者にとっての価値となってくるのです。
患者が求めているのは、患者診療情報という媒体ではなくそこにある『提案』そのものになってくるのです。

予防型歯科に求められる「提案力」

そういった成熟した患者に対してクラウドの仕組みから得られたデータをもとに、患者診療情報をプロファイリングしていくことで、的確な提案ができることまで将来的に視野に入れておくことが必要になってくるでしょう。
ごく限られた予防型歯科医院でしか適切な予防処置やメインテナンスができないようでは、国民の口腔の健康は遅々として進みません。ある地域の優れた予防型歯科医院の存在は、手の届く範囲の生活者にとっては素晴らしいことですが、その恩恵に浴することができない生活者が多すぎるのです。
その解決のためにも予防型歯科医院の『提案基準』(図書館でいう分類・安全衛生でいうリスクアセスメント)がオープンリソース化すれば、多くの生活者の口腔の健康は向上し、健康寿命を延ばすことが可能になるでしょう。予防型歯科医院のイノベーションをさらに進めたいと思うのは、QOLの向上、地域と企業の活性化につながると信じるに足る日吉歯科診療所という根拠があるからです。
『土蔵』から始まった患者診療情報のイノベーションは、富士通のクラウドサービスを通じて、QOL向上、地域活性化、企業の健康経営に還元できることが、予防型歯科医院の存在意義ではないでしょうか。

夢も希望も年の暮れ

正月まで後2日。例年、新年の挨拶を考えるこの時期になると、きまって登場してくるのが、成田山、佐野厄除け大師、川崎大師といった初詣での寺院のCM、そしてデパートや商業施設の福袋の広告です。この2つの広告宣伝を見聞きしていると、新年を前になぜかうっとうしい気持ちになってきます。最近の歯科も「何か似てきたなあ」と感じることがあります。

人の信心の中にずかずか入ってくる宗教CMの無神経さは、患者の中に歯科の価値観を押しつけがちな最近の歯科界に一脈に通じるものを感じます。もう少しゆるやかに歯科の価値観を育てて欲しいですよね。正論は押しつけられるとうっとうしいものです。

次にゆゆしきことは、福袋。

実は福袋しか売るモノがなくなったデパートの状況にも、歯科は似てきました。福袋は具体的なモノを売っているわけではなく、お客さんには「何かいい『コト』があるに違いない」と期待させて、『モノ』ではなく『コト』を売っているわけです。歯科医院も同様で予防や自由診療に対して、患者は、「これできっと快適になる『コト』だろう」に期待して(買って)いるわけです。決して白いつめ『モノ』を買っているわけではありません。デンタルショーは、売る『モノ』がなくなった歯科を象徴しています。デンタルショーに行けば、「何かいい『コト』があるだろう」と福袋化しているわけですから。しかし、実際はどうでしょうか。2016年もこんなたわいもないことを考えながら終わろうとしています。

今年一番感動したことはオバマ米大統領の広島訪問、反対に嫌な感じだったことは安倍首相の真珠湾訪問でした。

2017年は、業界から離れた第三局から歯科に光りを当てることに全力投入していきます。どうぞご期待ください。

熊谷崇先生に見るリーダーシップ

『プロフェッショナル』『カンブリア宮殿』とTV放映に続き、ついに熊谷崇先生のノンフィクション本が発刊されました。これ程までに社会ネタとして取り上げられた歯科医師は、熊谷先生をおいて他にはいないでしょう。その本のタイトルは『歯を守れ!予防歯科に命を懸けた男』と、ドキュメント番組のようで期待感が高まります。

本著を斜め読みしてみると、歯科医師熊谷崇を知る上で目新しいものはないように感じていました。しかし、改めて熊谷先生が何を考えて行動してきたかを確認しながら本著を読み進めると、歯科医師の器を超えたリーダーとしての熊谷崇像が鮮明に浮かび上がってきます。歯科医師の中からリーダーらしき人を探すのは難しく、さらに真のリーダーを挙げるとなると困難を極めます。それは、優れた臨床家や研究者、小粒なカリスマ的歯科医は数多存在していますが、社会ネタとなる幅を持ち合わせた歯科医師がいないからです。その結果、歯科医師で社会に影響を与えたリーダーとなると、「熊谷先生をおいて他にはいないのでは」と、思いを深くするわけです。

リーダーを選ぶ基準に確たるものはないのでしょうが、私は、「何を成し遂げ社会にどのような影響を与えたか」によって、真のリーダーかどうかが決まると思っています。いくら志が高くどんなに人格が立派でも、道半ばで倒れて何も成し遂げられなければ、真のリーダーとはいえません。真のリーダーは「結果と影響力」が全てだからです。歯科界になぞらえてみましょう。臨床家としても優れ誠実な人柄でも、自院の経営が赤字続きでは、医院のリーダーとして認められることはありません。あるいは、学会の中心的存在でも、社会に対して影響力を持ち合わせなければリーダーとはいえないのです。反対に、技量や言動に多少難があったとしても、何事かを成し遂げて社会に影響力を持っている人は、真のリーダーとして評価されるのです。

熊谷先生はどうでしょうか。歯科界で予防歯科の概念を一新し、予防歯科の潮流を確たるものとしたことには異論を挟む余地はありません。さらに前述したようにマスメディアにとりあげられ、広く社会に影響を与えている歯科医師として唯一無二な存在です。また、歯科医師としての力量に加えリーダーとしての魅力が、各界の人を惹きつけてやまない事実からしても、熊谷先生が真のリーダーであることは明らかなことです。

歴史上のリーダーは、たいてい過去のリーダーのなし得たことを実によく学んでいたように、熊谷先生も北米やスカンジナビアの歯科データや先人の成功事例をロールモデルとしてよく学んでいます。その学びは理念となり、自院の患者から地域へ、歯科界から社会へと広まっていきました。そして最近では企業の健康経営と結びついて、大手企業にまで広がりを見せています。本著では酒田市の成長企業(株)平田牧場の社長とのやりとり、ITサービス国内首位の富士通の武久氏との取り組みが描かれ、他業界の人を巻き込んでいく様からも熊谷先生のリーダーとしての真骨頂が伝わってきます。

最後に本著では深く掘り下げられていませんが、リーダーのカリスマ性だけでは国が長続きしないのと同様に、歯科界から社会へ流れ出た予防歯科の潮流も熊谷先生のカリスマ性と力量だけで成し得たわけではないことを付言しておきます。熊谷先生を慕う山形県の有為な歯科医師たち、日吉歯科を巣立っていった俊英な勤務医たち、全国の意欲的な歯科医師たちといった取り巻きが、ある種のボランティア組織となって予防歯科の潮流をつくり、熊谷先生の言動が社会に影響を与えるまでになってきたのだと思います。

著名な歯科医師を取り巻く集団をいくつか知っていますが、熊谷先生の集団の歯科医師は、「誠実・知性・夢」この3要素を他の集団の歯科医師に比べて格段に高いレベルで持ち合わせています。その一例として、本著にアップルデンタルセンターの畑先生が描かれています。しかしその反面、前述した3要素が高い集団だけに、離脱していく歯科医師も少なくないことは事実です。それにも関わらず、「世界水準の歯科医療で患者利益を追求する」という目的を達成するために、優秀な歯科医師がボランティア組織化して「誠実・知性・夢」といった規範性の高い集団を形成していくのです。その集団のリーダー熊谷先生の考えと行動は、歴史書の中のリーダーを見るような思いにかられます。

本著は熊谷先生の達成してきた「結果」を縦軸に、その「影響」の広がりを横軸にして、リーダーシップ論として読むのも一興かもしれません。

“自由診療の値付け”高くする努力をしよう

患者にとっても歯科医師にとっても“本当の利益”をきちんと追求する姿勢が求められる

インプラントや補綴処置などの自由診療の値付け(価格決定)は、材料費・技工料や人件費などの原価計算をして決定することが一般的です。しかし、材料も技工料もほとんどかからないメインテナンスとなると、健康保険診療報酬を基準に自由診療の“値付け”がされている場合が多いようです。

特に自由診療メインテナンスの場合は、単に名目だけは自由診療といった感じは否めません。その内容たるや保険診療のSPTそのもので、患者データとチェアタイムに少しばかりのお愛想を加算されて現金での支払いが求められます。要は、同じ内容で健康保険であればSPT、自由診療だとメインテナンスと呼び方が変わるだけです。補綴の場合は原価計算による一応の合理性で、“値付け”への納得感を得られることはできます。しかし、自由診療メインテナンスの場合は、求められるものが納得感から満足感へと高くなるにも関わらず、未だに歯科医院の“値付け”は健康保険を基準にしている状況です。

このような健康保険基準の“値付け”は、歯科医師の高度経済成長期の頃から引きずる古びた価値観によるものだと思います。高度経済成長期の初期に発足された国民皆保険制度は、広く国民に健康を安価に向上させてきました。それ以前は国民の1/3が無保険者だったため、皆保険制度の普及により健康な労働力が増えて生産性が向上し、高度経済成長の一端を支えてきたことは容易に想像できます。歯科医師の価値観は、この時期まで遡り現在の“哲学なき値付け”へと繋がってくるのだと思います。

健康保険制度が国民生活に広く定着すると、“よい品をどんどん安く、より豊かな社会を”を企業理念とするダイエーを始め薄利多売の流通店舗が台頭して発展してきました。時を同じくして歯科医師も黄金時代を迎え、歯学部・歯科大が16校(学部) も増えた時期です。健康保険制度の発足→国民の健康増進→生産性の向上→経済の活況→飽食な生活→齲蝕の増加→歯科医師増員政策といった流れがこの時期にできあがりました。医療も経済も日本全体が量の拡大に躍起になった時代。「大きいことはいいことだ」とチョコレートのCMが流れる時代背景の中で、大量のむし歯を健康保険で安価に治療する歯科医師が、国策として大量に作り出されたわけです。連続経済成長率10%以上を背景に、国民も歯科医師もそして国までもが、健康保険制度の財源は尽きることない泉のように思っていた時代です。この時期から“健康保険でより良い治療をより安く”といったダイエー同様な価値観が、自然と国民にも歯科医師にも染みついたとしても不思議ではありません。

安売りによる大量消費をスローガンにしたダイエーの崩壊は、時代の先行きを読み間違えた“哲学なき値下げ”が原因といわれています。このことは、歯科医院の“哲学なき値付け”に対しても示唆的です。患者のむし歯は減り、増えたのは歯科医院ばかり、予防予防と言われても歯科衛生士は集まらない、経済成長率の鈍化で社会保障は危ぶまれる。こんな時代に“健康保険でより良い治療をより安く”だけでは、歯科医院が存続する道理がないことは、歯科医師ならば誰しもが、うすうす気がついているはずです。

しかし、それでも歯科医師は変われないのです。経営を健康保険制度に依存しているために、健康保険制度の変更によって変わることには慣れているものの、歯科医療の価値観を掲げて自らの意志で変わることには臆病なのです。ダイエーは “より良い品をより安く”という古びた価値観に縛られ破綻しました。歯科医院も制度設計が古くなってきた健康保険制度に縛られていては、ダイエーと同じように時代の“茹でガエル”状態になることは明らかです。

現行健康保険制度の価値を認めない人はいないでしょう。しかし、健康保険制度を基準に自由診療の“値付け”をすることは、古びた価値観で、未来を切り開こうとしているようなものです。高度経済成長期を通過して量が充足された現在、さらに「より良い品をより安く」というスローガンは、「何かおかしい?」と感じるはずです。良いものは価値が高いから値段も高いというのが、市場経済の原理原則です。

歯科も同様です。むし歯洪水は遠い昔となり、市場経済の中で位置づけされる歯科医院の価値は、“健康保険でより良い治療をより安く”ばかりではないはずです。歯科医師は、健康保険制度に合わせて治療やメインテナンスをする無理な努力からそろそろ脱するべきです。市場経済の中で高い価値を自由診療として提供し、その“値付け”に気持ち良く応じてもらう努力をしていってはどうでしょうか。大切なことは、古びた価値観に縛られることなく、目先の金銭的な価値に流されずに、自由診療の“値付け”をすることです。それには、歯科医師が、患者にとっても自分自身にとっても“本当の利益”をきちんと追求する姿勢を持つことが求められていることは言うまでありません。

手抜きスタッフのMI治療とホープレス処置

「医院は手抜きで満ちている」と、感じている院長は多い。一旦スタッフがサボっていると思い込んだ院長は、どんどん疑心暗鬼になり、組織崩壊まで行き着くケースさえあります。スタッフへの過剰な期待が、院長の心をかき乱すのです。スタッフに接するときの肝は、最初は60点程度で目をつぶることです。良く知られている「2・6・2」の法則があります。どんな組織でも、良く働き優秀な集団が2割、普通の集団が6割、仕事をしない不良な集団が2割といわれています。不良集団の2割は不測の事態に備えた遊軍と考えることです。マネジメントする立場の院長にとって、目をつぶることは大切な技術なのです。不良集団の2割を戦力にしようとするよりも、“腐った林檎”となり組織全体が腐敗しないように段階的に手抜き対策を実践することがスタッフマネジメントの技術です。

処方箋1~手抜き人材の傾向を知る~

歯科医院でのスタッフ採用は、面談と職務経歴書で行うことがほとんどです。要は勘に頼った選考です。これでは手抜き人材を排除することは難しいでしょう。手抜き人材は「勤勉性」「協調性」「共感性」が低い傾向があると言われています。このような性格特徴、能力、職務適応性などの判断材料を面接だけで判断するのは経験の浅い院長ほど難しいものです。そこでリクルート社の適正検査テストSp13 などは、人材判断のデータサイエンスとして1名から利用できるため歯科医院でも活用するといいでしょう。クライアント先の中規模歯科医院6件で、Sp13を実施したところ、すべての院長が採用後に感じていたスタッフ個々の特性を客観的に示しているとの評価を得ています。

処方箋2~罰を与える時は能力を見極める~

「罰を与える」ことが、スタッフの不良行為を防ぐのには効果的と思っている院長も少なくありません。しかしそれは罰を与えるスタッフのレベルによって効果が違ってきます。学習習慣がなくパフォーマンスの低い人材には、努力評価の罰が効果的に作用します。一方、能力と自尊心の高い人材にとって、努力評価の罰は不安や無力感、疑念などのネガティブな情動を触発し、意図しない悪い結果をもたらす傾向があります。能力と自尊心の高い人材には成果評価の罰が効果的です。スタッフ個々の能力とは無関係に与える罰は、組織全体のモチベーションを下げる結果になってしまいます。採用の段階で能力の標準化を図れない歯科医院では、スタッフ個々の能力を把握して罰を与えることが鉄則です。

処方箋3~全体評価だけでは“できるスタッフ”が腐る~

運動会の綱引きは経営の綾を表しています。自分は力一杯頑張っているのに、いつの間にかズルズルと引かれ負けてしまったり、逆に自分は適当にやっているのに、グイグイと引き寄せて勝ったりします。このように綱引きは個人の貢献度が見えない競技です。歯科医院経営も綱引き状態の場合が多く、個人の貢献度を可視化しづらいのです。この状態が続くと、一生懸命なスタッフのモチベーションは下がり、手抜きスタッフがはびこる組織になります。そのため歯科医院の中で個人がどの部分を担っていて、全体の目標達成にどの程度貢献できたかをわかるようにする内発的動機を高める仕組み作りが必要です。

処方箋4~スタッフ数と売上は比例しない~

1人の引く力が10kgの人が10人集まれば合計の引く力は100kgになるはずですが、10人の集団で引く力が90kgにしかならないケースがあります。リンゲルマン効果といわれ、集団全体のアウトプットが個人のインプットを加算したものより少なくなり、集団が大きくなるほど両者の差が大きくなることを明らかにした社会実験です。スタッフを増やしても、残業時間も減らず売上も上がらないことは、歯科医院ではありがちなことです。医院の中でリンゲルマン効果が発生しているのです。リンゲルマン効果が発生するメカニズムは、1)自分以外の誰かがやるだろうという動機の低下 2)仕事のチームワークや引継ぎの不全、綱引きでいう「オーエス」というかけ声を出すタイミングのズレが発生。このような医業収入の低下の大部分は、スタッフ個々の無意識のメカニズムに基づいているため、売上の低下や手抜きの存在を組織全体に意識化させることが必要です。

処方箋5~集団目標を叩き込む~

歯科医療サービスの質を右肩上がりにしていくには、メインテナンス率の設定や5Sから顧客満足の達成など医院全体の目標設定をする必要があります。活力がみなぎっている歯科医院は、医療者だけの力量を測る目標ではなく、医院全体の力量を測る目標が設定されているケースがほとんどです。全体目標を設定することで、歯科助手・受付の目線を上げ、医院全体が上方比較する集団になるのです。反対に全体目標がない医院は、スタッフ同士の下方比較が始まり、コ・デンタルスタッフが“腐った林檎”になる土壌を抱える傾向があります。

処方箋6~リーダーシップの型をつくる~

リーダーシップには、「業務処理型」と「変革型」に分けることができます。業務処理型のリーダーは、スタッフが高いパフォーマンスを示せば多くの報酬を与え、不良の場合はペナルティーを与えるといった外発的に動機を高める手法で組織をマネジメントしていきます。変革型のリーダーは、スタッフの内発的動機を高め、将来を見通してさらに高い目標に向かっていく組織づくりに向いています。そのためには、院長自身がスタッフの尊敬を集める言動と結果が求められ、スタッフを鼓舞してやる気を引き出し、スタッフの創造性や知的な面を刺激する、時には個々のスタッフを思いやる姿勢が求められます。早い時期に、院長は自分のリーダーシップのスタイルを確立することです。

処方箋7~“腐った林檎”の早期発見早期処置~

不良スタッフが1人でも出たら直ぐに排除することです。箱の中の一つの林檎の腐敗は、より悪質で連鎖的な腐敗を招きます。歯科医院の集団サイズによりますが、下方比較するスタッフが全体の1/3を超えてしまうと、その医院は手抜きで満ちて、顧客満足どころか通常の業務さえおぼつかない状況になります。“腐った林檎”を見つけたら、早期に取り除かなければなりません。その時は、いきなり解雇するのではなく、不良スタッフと話し合い、訓告などを重ねコンプライアンスに準じて進めることは言うまでもないことです。この時忘れてならないことは、他のスタッフも院長の対応の仕方を観察しているということです。

使えそうな人材は採用しない

相変わらず歯科医院の求人は困難を極めています。複数の求人媒体を利用しても効果が上がらないという院長の声を日常的に聞くようになっています。こういう状況で医院側ができることは、安易に採用して悪循環の基となるスタッフを採用しないことです。

スタッフ採用時の基準を「即戦力」「見た目」「感じのよさ」などをポイントにして、いわゆる「優秀に見える・使えそう」を基準にしている歯科医院が一般的です。このような求人側にとって「優秀に見える・使えそう」といったイメージは、転職を繰り返す人は経験と共に処世術として身に着けていき、採用後一変して不満分子の急先鋒になるケースもあります。

このような不満分子は、時として社外労働組合や弁護士法人と結託して、禿鷹のように歯科医院を食い尽くしていきます。そこまでいかなくとも、医院の労働体制やコンプライアンスの不備を逆手にとって、労働監督暑や所轄保健所などに通報を繰り返して、外部の圧力をもって自らの権利を守ろうとします。院長の身から出た錆なのですが、外部から指導によって組織体制を変えられた院長とスタッフの溝は、なかなか埋まるものではありません。

院内の不満分子と院外の圧力から自院組織を守るために、院長はスタッフ採用、労務、評価を再考する必要があります。トラブルを防ぐ採用ポイントは、優秀な人を雇おうとしないことに尽きます。随分と後ろ向きな姿勢と思われるでしょうが、優秀な人材は優れた組織に自然と集まるものです。平均的賃金より多少上げてみたところで、賃金にしか動機がない人材が集まるのが関の山です。そんなことよりも医院の採用基準を「問題を起こしそうな人」を雇わないことに軸をおくことが肝要です。

1.人手不足の時に採用しない

職場でトラブルメーカーになる人の多くは、退職者の入れ替えなど人手不足の時に採用した人が多い傾向があります。採用を焦るあまり、つい応募者の気になる悪い部分に目をつぶってしまったりするからです。また、採用選択をスタッフに任せる医院も見受けられますが、よほど医院文化を理解しているスタッフでないと、そのスタッフに都合の良い人を採用して、不満分子を増やすために採用したなんていうことになりかねません。以下2~4に該当する求職者を採用しないだけでも大方の雇用問題は未然に防げるものです。

2.健康な人を採用する

スタッフ=労働力を買う以上、健康な労働力かどうか確認するのは当たり前のことです。持病のあるスタッフを雇ってしまい急な欠勤を繰り返されて医院が混乱するケースもあります。病気があることを知らずに採用することは、スタッフにとっても医院にとっても不幸なことです。現在、採用時にメンタルヘルスに関する質問をすることに国は何の規制もかけていません。直近の1~2年に限って病歴を確認することは合理的なことです。

3.転職3回以上は採用しない

女性の場合、結婚・出産などの時期に退職・転職するケースが多いことを念頭にして、退職・転職をしている時期を確認します。結婚・出産以外の時期に転職を繰り返す人は要注意です。また、同業種の職場を1~2年短期間で転職している人は、本人はキャリアアップのつもりでも、社会性に問題を抱える人が多い傾向がありますので、採用を見送る方が無難です。

4.職歴照会を積極的に行う

労働法では、経歴詐称を理由に解雇を認められることがあります。特に医療関係など学歴や資格などを重視される職種ではなおさらでしょう。このことは採用する時に職歴を重視してもよいという司法からの示唆と言えます。歯科医院にある経歴書を見ると、“○○歯科医院勤務~退職”とだけあって、所在地がはっきりしない場合が多く、まずこの点を質すべきです。また、職歴照会をためらうケースが多いのですが、同業者の歯科医院の場合、親身に応じてくれる場合が大半です。そして退職した経緯、前職場での勤務態度、人間関係などの経歴書や面接ではわからない情報が入手できることもあります。職歴照会によって、前職場で組合活動をしていたスタッフを採用しないで済んだこともあります。


(本ブログは弊社発行「UPDATE」のリライトです)

自由診療を勧める前に保険診療を考えてみよう

自由診療を患者に勧める前に、なぜ歯科治療費が高いと思われているのか? 保険診療とは何か?を考えてみる必要があるのではないでしょうか。

最近はトリートメントコーディネーターと称するスタッフが在席する医院が増えてきました。トリートメントコーディネーターの協会もある時世になり、歯科コンサルタントも自由診療の導入を仕事の糧としています。事の是非は別として、その内容たるや、操作心理学まがいなことをコミュニケーションの教材として、歯科材料の質や耐久性の違い、審美性や機能性が優れていること、そして治療時間や精度が保険診療に比べて優位であることを強調する手法は浅はかとしか言えません。

その様は90年代の金属床を勧める常套句と同じで、対象が予防処置や根管治療へと変わっただけです。歯科医院のこういった患者説明は、歯科材店の歯科医院へのセールストークであって、患者に向けてのものではないはずです。100歩譲って材料店トークを是としても、患者説明の根底に保険診療ではカバーできない医学的な見地からの臨床が、自由診療という確信が歯科医院には必要です。全ての診療を健康保険でまかなうことが良心的な歯科医療ではなく、患者の状況に合わせて医学的見地から自由診療を提供することは、良心的な歯科医療であること。保険診療に比べての自由診療は「ぜいたく治療」ではなく「良心的治療」という確信をもって治療説明をすれば説得力も増すと言うものです。

歯科治療費が高いと思われている一因は、確信なき歯科医師の自由診療説明と厚労省の現在まで至る一連の保険歯科診療に対する発言にあります。歯科医師側の問題としては、同一医師が同一症例にいくつかのレベル別治療法を提示することをインフォームドコンセントとする傾向です。それも材料店トークに偏していては、患者は寿司の松竹梅と変わらない説明を受けるわけですから、歯科治療費は時価=高いと思うのも致し方ないことです。風邪の治療に松竹梅は存在しないように、本来歯科医療もインフォームドコンセントの根底には最善の歯科診療をするための患者への説明と患者の理解がなければならないはずです。

歯科医師の非医療的な患者説明の背景には、過去、公式非公式に伝えられる厚労省の「家の造りにプレハブもあれば木造も鉄筋も総檜もあるように・・・・歯科なら木造でまあまあだ」発言から端を発して「通常必要な歯科診療は健康保険ですべてまかなえる」へと通じてくるわけです。「通常必要な歯科診療」の「通常」とは、「歯科なら木造でまあまあだ」の「まあまあ」を意味し、「保険歯科診療=木造=まあまあ診療」で「自由診療=鉄筋=ぜいたく診療」という図式が歯科医師に植えつけられてきました。そして「歯科治療費は高い」という患者意識は、一連の厚労省発言と歯科医院の自由診療説明の仕方によって最終的に日本社会の常識と化してきたのです。

内科に「まあまあの保険診療」が存在しないように、歯科にも「まあまあの保険診療」は存在しないことが、本来あるべき歯科医学的診療です。しかし、現在では常識となったMI治療をしようとすれば、「定期検診」「予防処置」といった医療行為がなければ成立しないわけですが、どれも健康保険内で行うことはできません。健康保険内で行えば「痛い」「腫れた」「穴があいた」といった手遅れになった患者にしか対応できなくなる原始的な歯科医療に近いのが歯科保険診療になります。歯周病も歯内療法も然りでほとんどの歯科治療が、制度上これを「仕方ない」とするのが保険歯科診療で、それは歯科医学的に肯定されるものではないわけです。

こういった保険診療の不備と厚労省の見解(財源論はさておき)の矛盾を解決するものが自由診療です。自由診療は歯科医師の矜持です。歯科医師の矜持が、健康保険制度が空気のようになってしまった60歳以下の患者に、自由診療の価値を理解させるのだと思います。機材を介在させて患者心理を操作して、自由診療の価値を高めることはできません。

歯科医院の自由診療化は、保険財源からしても必然で、歯科医学的な見地からも必要なものと思います。しかし、それにはトリートメントコーディネーターが展開する表層的なものでは、自由診療の価値は上がることはなく、とりもなおさずその歯科医院の価値も上がることはないのです。「保険診療とは何か?」という原点回帰こそが、自由診療と歯科医院の価値を上げることになるのではないでしょうか。

勤務医は岡崎慎司を目指せ

「『下手でも必ず点を取ってくれる選手とうまいけど点をとれない選手どちらがいい?』クラマーコーチ(日本サッカー界初の外国人コーチ)が聞くと、『下手でも必ず点を取る選手』釜本邦茂選手(元サッカー日本代表エースFW)は応える、クラマーコーチは頷いた。」(「朝日新聞・人生の贈り物」から改変)。この朝日新聞のインタビュー記事を読み、私の“岡崎慎司好み”も欧州サッカーの一流どころから晴れてお墨付きをもらった気分です。

と言うのも、サッカーには贔屓チームもなく、海外で活躍する日本人プレーヤーを知っている程度ですが、その中でも大向こう受けしないレスターシティーFCの岡崎慎司が好きだからです。素人目からも彼の技術は海外で活躍する日本人プレーヤーに比べ華がなく、フィジカルも平均的日本人とそう変わらない、足も速くは見えない、そして容姿も地味でスター性はないように感じます。その対極に位置する海外日本人プレーヤーはACミランの本田圭佑でしょうか。人気やマスメディアの露出では本田に軍配はあがるのでしょうが、使いたくなるプレーヤーは岡崎です。

サッカーの監督ならずとも組織の長ならば、本田ではなく岡崎を使いたい(部下に持ちたい)はずです。それは、下手でショーマンシップがなくとも、結果を出し組織に貢献できるのが岡崎だからです。岡崎はメディア受けするプレーヤーとは一線を画して、地道に監督の信頼を糧にして成長してきたプレーヤーのように思えます。私はそんな岡崎の職人的気質に惹きつけられます。

岡崎のプレーヤーとしての魅力を挙げてみます。

  • ボールを持った相手DFを小学生のようにしつこく追いかけまわす
  • セーブできそうもないライン際のフリーボールを必ず追いかける
  • 味方がボールを持ったら一目散にパスが出そうなスペースに走る
  • 味方のシュートには必ずゴール前に詰めてこぼれ球を狙う
  • ゴール前のどさくさには必ず顔を出しボールに絡む

一言では言えば「愚直」、この徹底した愚直さが、監督には「一途」と評価され信頼を生むのではないかと思います。こう書くと岡崎は技術も人気もないようですが、そういった評価では計りえないワールドスタンダードプレーヤーが岡崎なのです。日本での鈍臭いプレースタイルを海外でも押し通し、日本では下積みも長かった岡崎が海外のスポーツビジネスの世界で実力も評価も上がったことが何よりもの証左です。

翻って、歯科勤務医はどうでしょうか?海外での本田圭佑のように表層的に見えて勝負弱い勤務医が多いように感じます。医療ですから勝った負けたではありませんが、院長や患者の信頼や評価を勝ち取るよりも、患者に愛想よく対応する術や先端的技術や知識を持つことが主眼になっているような気がします。
そういった類の歯科医師は、CTもあるマイクロスコープも揃え、接遇セミナーも受け開業したけれど、経営は上手くいかない。こんな話は巷に転がっているのが現在の歯科界です。こんな歯科医は、勤務医時代に医院に数字を残すには何が必要か考えてこなかった人です。院長に「まじめだけど頼りない」と思われていたことに気がつかずに勤務医時代を過ごしてきた人です。

院長や経営者が求めるのは、クラマー氏曰く「下手でも必ず点を取ってくれる選手」です。技術も知識もあるけれど数字を上げることができない、患者からの信頼も少ない勤務医は、院長からすれば本田圭佑みたいな存在なわけです。院長から信頼される勤務医でなければ、技術を研鑽する機会も減ってくるでしょうし、将来開業医として必要とされるビジネスセンスも磨かれることはありません。医療ですけれど、開業は実業として数字を上げながら医療サービスを提供することです。臨床家として成功するためには、勤務医は岡崎慎司を目指すべきでしょう。

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勤務医が上手くなるには何が必要か

先般、「失敗から学ぶ35歳からのキャリアプラン」と銘打った歯科医師の経営勉強会のセミナーに参加する機会がありました。講師の歯科医師が独立開業して現在の成功に至るまでに重ねてきた失敗談を、開業前の歯科医師と歯科大学生に講演形式で話して、そこから何かを学んでもらうという企画です。バラエティー番組「しくじり先生」を模倣して歯科版に仕立てたセミナーです。実は、歯科D1グランプリのようで、講師として参加するのは、なんだか気恥ずかしかったのですが、参加して新たに学ぶことがありました。

当日、私は一番手で登壇したため、その後に続く各講師(開業医)の話をじっくりと聞くことができました。各講師それぞれ失敗談を熱演(?)され面白可笑しく話を聞いていたのですが、この内容がどれほど開業予備軍の歯科医の胸に響くのか、フッと疑問を感じていました。しかし、セミナーで居眠りしている歯科医師の姿を見慣れた身には、真剣に話を聞き入る受講者の姿は、実に新鮮でもあり意外でもありました。

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会場の真剣さから、受講者の関心は捕まえていると思ってはいましたが、この内容が本当に開業予備軍にとって学びになるのかは、まだ半信半疑でした。しかし、セミナーアンケートからは、受講者の真剣さを反映するかのように、ほとんどの歯科医がセミナー内容に対して高評価なのには、改めて驚かされました。この上々の結果を突きつけられると、開業予備軍歯科医師のレベルに対しての私の認識は甘く(もっと意識も力量も高いと思っていた)、主催者の認識が的を射ていたと認めるしかありません。私が数多くの開業疑似体験をしてきて耳年増になっているからでしょうか、それにしても今回の内容から学ぶことがあるようでは、「まだまだ幼い、開業なんか考えてはいけない」と悔し紛れに一くさり言いたくなります。

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このセミナーで、私は開業予備軍と歯科大生のレベルを再認識することができたことは、先に述べたように新たに学び直すことができ、主催者には感謝しています。と感謝しながらも、受講者の「どうすれば上手く(技術)なれますか?」という幼稚な質問には、頭痛がしてきました。この質問はナイでしょう。開業前とはいえ、同じ国家ライセンスを持った立場、プロがプロにそんな質問をするべきではないのです。例えて言えば、2軍のプロ野球選手が1軍のプロ野球選手に「どうすれば打てるようになりますか?」と聞くでしょうか。少なくとも「内角球をさばくにはどのように左肘を畳んで打つのですか?」と聞くのが、2軍とは言えプロのレベルの質問です。また今回のセミナーでのことではありませんが、勤務医がよく「モチベーションが上がらないよね」などと口にするのを聞くたびに思うのは、プロ野球選手が打てなかったことを、いちいちモチベーションを理由にしていたら、翌年の契約は解除されるでしょう。かように今の開業予備軍の歯科医師は幼いのです。

話は戻ります。「どうすれば上手くなれますか?」というストレートな質問に対して、不意を突かれたのか気後れしたのか、講師の歯科医師たちも、セミナーやスタディークラブの活用法といった類の回答が目立ちました。しかし、この答えには少し物足りなさを感じます。歯科医師が臨床家として上手くなる(一角の歯科医になる)には、テクニカルスキルとヒューマンスキルがバランス良く向上することが大切なのは言うまでもないことです。セミナーなどのデモ用画像を座学することは、ドライビングシミュレーターを操縦しているようなもので、実際の公道を走るのとは次元が違う話です。ハンズオンセミナーも作られた環境で行われるドリル効果を求めるものです。歯科医師が上手くなるには、公道を走ることです。つまり名医でなくとも社会性のある院長の元で最低5年は勤務することが、上手くなることの最短距離だと思います。

5年は長いと感じる向きもあるかも知れませんが、自分の治療結果の3年・5年経過を知らずして、治療の成否を知ることができるでしょうか?また1~2年の在籍期間で、自分の技量の何を評価できるのでしょうか。それこそ痛みをとって被せて目の前の結果ばかり求められる便利屋的歯科医になるのが関の山です。一般企業では勤続10年がなんらかの役職につく目安とされます。一つ所で、それだけの職務経験と人生経験を積むことが、技能と良識を身につけるには必要とされているからです。

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このことは歯科医とて例外ではありません。しかし、勤務医の労働契約は2~3年を基本にしていることから察するに、年々勤務医の在籍年数は、短くなっているように思います。これではいくらセミナーやスタディークラブに参加したところで、上手くなるのは難しいのです。なぜならば、繰り返しになりますが、生活医療である歯科はテクニカルスキルとヒューマンスキルが一体となって、初めて患者から評価されるからです。テクニカルとヒューマンは補完し合う関係で、車のタイヤの空気圧と同様に左右前後適正でなければ機能しないものなのです。開業予備軍が、技術と良識(社会常識)を一体で学べる場は、一般開業医の診療所しかないのです。勤務医にとって勤務先歯科医院こそが最高のセミナー会場なのです。

本セミナーのテーマ「失敗から学ぶ・・」ことで一番大切なことは、勤務先選びではないかと思います。開業予備軍の歯科医師は、給与や院長の有名無名、そして立地で選ぶのではなく、院長の社会性と通院している患者さんの傾向を見て判断することを勧めます。

アマゾンの長老に学ぶ

月末は地方の歯科医院や歯科医師との仕事が多くなり、移動時間に本や資料を読み過ごす時間が多くなります。5月末の移動では、十数年前にスクラップした経済学者宇沢弘文氏(故人)の「地球問題の論理的意味」を再読して、当時印象に残った一文が、十数年経ってさらに身にしみて感じ入ることになりました。

この小論は全体として、近代的科学技術を盲目的に信頼する生き方と資本主義経済を批判的な視点で捉えており、アメリカの製薬会社が開発する新薬の75%がアマゾンの熱帯雨林の周縁に居住する小数民族部落の長老やメディシィマンからの伝承的医療を基にしているエピソードを通じて、現代文明(主に資本主義)の病理的現象を見事に浮かび上がらせています。とりもなおさず、この現象は近年の歯科医院経営のあり方への警笛のように聞こえてきます。

そのエピソードを要約すると、長老やメディシィマンの中には、アマゾン熱帯雨林の中に生息する動植物・微生物や土壌・鉱物などを材料にした疾病・傷害の5千種類におよぶ治療法を知っている人もいるといいます。製薬会社の専門家は、これらのサンプルを持ち帰り、ラボラトリーで化学分析をして、人工的に合成し、新薬として売り出すそうです。近年、アメリカの製薬会社の多くは巨額な利潤を享受していますが、その大部分は、このようにしておこなわれている新薬開発によるものといわれています。

この状況を知ったブラジル政府は、製薬会社からアマゾンの長老たちに特許料を支払う制度をつくったそうです。資本主義経済にどっぷりと浸かった私たちからすると、当たり前の制度であり、新薬の開発情報をネコババ的に搾取している製薬会社の姿は、大航海時代のヨーロッパ人が、未開地から香辛料などの地産品を搾取していた時代の写し絵のように見えてきます。

話を戻しますと、現代の私たちなら当然の権利として特許料を受け取るでしょうが、アマゾンの長老たちはこぞって、特許料を受け取ることを拒否したそうです。それは、自分たちの持っている知識が、人間の幸福のために使われることほど嬉しいことはなく、その喜びを金にかえるようなさもしいことはしたくないとの理由からだったそうです。

翻って見て、利潤を追求してやまない資本主義的企業の末端にある歯科医院とそれに関わる流通小売・情報産業・コンサルティング業などのあり方と、アマゾンの長老たちの清々しい生き方とのあまりに鮮明な対照に、恥じ入るばかりです。実のところ利益を追求するためにホスピタリティーという言葉を頻発したり、患者利益としたり顔で語ったりする私たち医療関係者は、アマゾンの長老たちに医療の真髄を学び直さなければならないでしょう。

メンテナンスを勧める理由を30あげられますか?

生活者の本質を知ることなく「メンテナンスは常識」と思っている歯科医院のスタッフでは、「メンテナンスを勧める30の理由」を考えることは、困難なことでしょう。10個程度まではスラスラと口をついて出るでしょうが、そこから先は「メンテナンスは常識」と思っているスタッフほど難しいと思います。さらには、予防歯科に真剣に取り組んでいる医院であるほど、門外漢である患者さんに対してメンテナンスの価値を理屈ではわかってもらえているけれど、腹の底から納得してもらえる説明ができない傾向があります。そして、そんな衛生士が「よく磨けています。このままがんばってくださいね」と常套句をメンテナンス毎に伝えていると、メンテナンス4回目頃には、約50%の患者は自然と離れていきます。

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生活者が歯ブラシ代にかける年間費用は500円弱です。歯科医院で販売している歯ブラシ代金からすると、「そんなに少ないはずがない」と思うでしょうが、これが一般人にとっての常識なのです。年間500円程度しか歯ブラシを消費しない生活者に、健康保険であれ自由診療であれメンテナンスの費用と時間を年間3回余り負担してもらうことは、歯科医院側が考えているほど容易なことではありません。その結果、メンテナンスの価値をなかなか理解できない患者に対して、「あの患者さんはデンタルIQが低いから」と患者側の意識に「解」を求めるとすれば、その医院は歯科の風土病に感染しています。

歯科医院側が生活者の実態を知っていれば、患者さんに「メンテナンスを勧める30の理由」を持つことは比較的容易になってきます。画像ソフト・口腔内写真・位相差顕微鏡・唾液検査など、患者説明や動機付けをする道具はたくさんありますが、それだけでは患者さんの生活背景や意識にまでメンテナンスの価値を結びつけることは難しいでしょう。

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「メンテナンスを当たり前にする コミュニケーション」セミナーのご案内

今回のセミナーの目的は、「メンテナンスを勧める30の理由」を参加者相互から学びとり、患者さんとのコミュニケーションを豊かにしてもらうことです。来る6月12日(日)のセミナーは都心の飯田橋駅から徒歩3~4分の距離に位置した歯科医院を会場として、チェアサイドで実際の現場に即して歯科スタッフにメンテナンス時のコミュニケーションを経験してもらいます。きっと、座学での学びをチェアサイドでの行動に移すことによって学びの深さを実感できることと思います。

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看板は歯科医院の文化

都内某所を歩いていると「痛くない歯科」と銘打った看板が目に飛び込んできました。この看板を見た瞬間、なぜか郷愁を覚え、「中国人の気持ち良い耳そうじ」と書かれた古びた床屋の看板を、不思議な思いで見ていた子供の頃にタイムスリップしていました。

そして、医療法広告云々以前に、その歯科医院に“切なさ”を禁じ得ない思いに到りました。少し離れたところに目を移すと、「CT・マイクロスコープ完備」とデカデカと書かれた看板。ここまでくると痛みとか技術は問題ではなく文化が違い、コンサバティブな私には、その医院に入るのはずいぶんと勇気がいります。

歯科医院の設備水準が向上しているのと同様に、都市の街並みや施設の整備も進み、床屋の看板を不思議に見ていた60年代東京オリンピックの頃とは都市の景観が違ってきています。もはやサイン計画は都市空間の公共性が問われるのが普遍的になった現在、この歯科医院のサインはいかにも自らの医院の価値を下げていると同時に歯科界の評価を貶めているように感じます。

「景観とは人間を取り巻く環境の眺めに他ならない」という東京工業大学名誉教授で景観工学者の中村良夫氏の定義があります。私流に解釈すると「人が感覚や置かれている立場によって環境を検証し、文化によって解釈するシステム」となります。したがって人は景観を都市美の視点で解釈したり、人が違えば、件の歯科医院のように経営の観点から景観を構築したつもりで破壊したりするわけです。

そういえば、この歯科医院「審美歯科」とも、ことさらに表記していました。なるほど、恐いもの見たさに一度は来院したくなる歯科医院かも知れません?!これが歯科雑誌に取り上げられる看板マーケティングの力(恥?)というものなのでしょう。

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「歯周病の拡大解釈」とは

去る17日NHK「クローズアップ現代」が終了しました。キャスターを務めてきた国谷裕子さんの健全な批判的視点からのコメントが聞けなくなり、とても残念な思いです。前後して高市総務相の放送局への電波停止命令発言には、唖然とさせられました。中国政府のようなことを言ってのけ、「自由主義政権の総務相とは思えない見識の低さ」とノンポリティカルな私でさえも思った次第です。高市発言と「クローズアップ現代」の終了は、時代の綾でなければ良いのですが。

さて、「クローズアップ現代」での国谷裕子さんと菅官房長官の「集団的自衛権」のやり取りを記憶されている向きもあるかと思います。菅官房長官は「集団的自衛権」の解釈変更の正当性を、「外的要因の変化」と「国民の生命保護」を拠り所としており、その説明に釈然としない私は、あろうことに健康保険制度下でのメンテナンスの保険適用を正当化する歯科医を思い浮かべていました。

「集団的自衛権限定的変更」と「歯周病メンテナンスの保険適用=予防」は、事例解釈を持ち込むことで、どちらも論拠の原理原則が見えなくなっている点が同じです。「集団的自衛権」ならば、憲法9条の理念を前提に解釈されるべきですし、「予防歯科」でしたら健康保険制度下で適用の可否を判断することが真っ当な論理だと思います。

4月からは、歯周ポケット4ミリ以上の限定的算定要件とSPTⅡの新設に加えて「かかりつけ歯科医機能強化型歯科診療所」の施設基準が設置され、本来ならばこれで今まで以上に保険のSPTと自費メンテナンスの使いわけが可能になると思います。これを契機に以前のような保険制度下での歯周病の治療とメンテナンスの意図的な混同をやめることが、今後の予防歯科の患者理解と国民的拡大へと繋がるはずです。

話しは前後しますが、時の政権が電波停止命令をチラつかすのであれば、精神的自由権の中でも最も高次の「信教の自由」がそれ以前に制限されて然るべきですし、「集団的自衛権」を解釈変更するならば憲法9条を改正することが、国民に大義を説くことになると思います。論拠の原理原則を曖昧にして話しを進められると、浅学非才の私には、事の是非以前に、高市さんや管さんの件の発言に“胡散臭さ”を感じてしまうわけです。

予防歯科も同様です。
メンテナンスが保険か自費かで汲々としている歯科医の説明が、「集団的自衛権の解釈変更」さながらメンテナンスは「歯周病の拡大解釈」のように国民に感じられて、理解が深まらない元凶となっているのではないでしょうか。

この事態を見て国谷裕子さんでしたら、「メンテナンスは疾患でないので自費治療になるのが原理原則、このことを初診時に患者にはっきりと伝え納得してもらわないから、国民に予防歯科が浸透しない」とコメントされるのではないでしょうか。

国谷さんの再登板を期待します!

歯科医院は壮年期女性を積極雇用しよう

車を運転しながら国会中継を聞いていると、女性議員のいささかヒステリックな声で、保育園に申し込み落選したブロガーのブログを読み上げる声。車を止めてTV画面を見ると、件の議員が待機児童に関する質疑を安倍首相としている一幕でした。この質疑は、待機児童問題を解決する具体的内容にまで掘り下げられることなくタイムアウトになりました。待機児童が解消しない原因は、労働条件の悪さから保育士のなり手がいないこと、保育士雇用政策に問題があることは、厚生労働省資料から見てとれます。保育士の雇用は国庫からの助成金に頼る施設が圧倒的に多く、根本的に歯科衛生士不足とは様相を異にしています。

安倍内閣は女性の活躍推進を成長戦略の中核として、民間企業における役員への登用促進や、女性国家公務員の採用をより一層拡大し、積極的な登用を推進したりして、女性の社会進出のムーブメントづくりをしています。しかし、この雇用政策は、キャリア志向には厚く中間層には薄いことが、朝日新聞社が行った非正規で働く35歳~54歳の独身女性の実態調査からも垣間見ることができます。(グラフ参照)さらに2015年の総務省の労働力調査によると、働く女性の56%が非正規です。そのうち約半数が35歳~54歳で、年収250万円未満が約70%を占めています。先に挙げた保育士35歳の平均年収は約214万円(厚労省調査)ですが、都内の新卒衛生士の年収が約300万円(都内衛生士養成校調査)ですから、歯科衛生士は他業種で働く女性に比べて恵まれています。

歯科衛生士の有資格者243,377人(平成25年)に対して就業者数108,123人ですから、50%以上が未就業者になります。未就業者の全体の約53%、25歳~39歳では約70%が再就職を希望していますが、再就職は進んでいない状況です。その理由の大半は、「勤務時間」と「自分のスキルに対する不安」にあります。この点を解決できれば、再就職が可能なわけですから、他業種で働く女性に比べて恵まれています(甘えている)
(数字は日本歯科衛生士会資料による)。

いくつかの衛生士養成校で聞き取り調査をしてきましたが、就職希望事業所の順位は、社会保障と福利厚生がしっかりしている公的機関、企業歯科、大規模医療法人、さらに医療介護事業者と続きます。有効求人倍率15倍の現在、中規模歯科医院(売上約8千万まで)以下では、新卒求人はノーチャンスなのが現実です。然るに人材・転職エージェントに費用を払い、むやみにアプローチしている歯科医院がなんと多いことでしょうか。

中・小規模歯科医院の歯科衛生士・受付・助手求人は、壮年期(31~44歳)の女性にターゲットを絞り込むことが合理的な求人戦略です。その上で、

  1. 仕事と家庭を両立・調整できる職場環境の構築
  2. 復職・転職支援のPR
  3. 教育/研修の実施

を確立していけば人材確保の見通しはつくはずです。少なくとも、先に挙げた他業種で働く非正規の有能な女性、保育士を受付・助手の人材として確保できるのではないでしょうか。

中・小規模歯科医院は、国の政策や歯科医師会の衛生士復職支援、そして人材・転職エージェント、求人求職サイト頼みから脱して、壮年期女性の積極採用を今すぐにでも始めるべきでしょう。

都心患者層と受診目的の変化

都心部の歯科医院から、この数年患者層が変わったと相談を受ける機会がありました。相談を受けた医院の立地は、80年代後半から90年代にかけて、「箱崎・八丁堀・新川」のオフィスビル開発が活発だったエリアにあります。現在このエリアは2000年代以降の湾岸開発地域「勝ちどき・月島・晴海」地域の東京駅方面からの入り口に位置しています。

開業して10年になるこの医院の患者層は、当初はオフィスビルで働くサラリーマン・OLが主体でしたが、ここ数年この地域のオフィスは、「豊洲・東雲・有明」「品川・大井町」といった2000年以降開発が進んだ湾岸エリアへの移転が目立ち、オフィスワーカーの患者が減り、地域住民と思われる患者が増えてきた感じがするとのことでした。確かにこのエリアの外部環境は、キリンビール本社跡地が高層マンションにとって変わったように、オフィスビルの立地にマンション建設が進んでいます。それに伴い患者層も変化しています。

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このような医院立地の外部環境→患者層→診療内容までの一連の変化を、医院アンケートから見てとることができます。オフィス街が住宅地化することによって、大きな流れとして「治療から予防へ」と患者の来院目的が変わってきたことが、2011年と2016年の患者アンケートの比較からも読み取れます。むし歯の治療が減り、検診やメンテナンスの目的の来院者が増えています(グラフ参照)。また、他院での治療の再治療が増えたのは、他地域からのマンション移住者による需要と予測されます。

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次に医院のPR環境の変化として、2011年当時この医院のwebサイトはスマートフォン対応ではありませんでした。しかし、デスクトップパソコンを主として使用するオフィスワーカー中心の患者層には、スマートフォン対応としていない影響は少なく、来院者の22.4%が医院webサイトを認知経路の一つとして見ていました。しかし住宅地化した同地域では、スマートフォン対応でない同医院のwebサイトを見た来院者は、5.0%に留まっています。スマートフォンの普及と同時にオフィス街と住宅地の生活者では、webサイトを見る媒体が違うと感じざる得ない数字です。もちろんこの変化は端末の問題だけではないでしょうが、大きな要因と予測されます。

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このように都市部の歯科医院は外部環境の変化によって、患者層そして最終的には受診傾向も変化してきますから、院内での“肌感覚”だけで医院経営を考えていては、見当違いの設備投資やPRになる可能性があります。

住宅地化によって治療の流れも2000年当初の

う蝕→修復→抜随(2次う蝕)→クラウン→抜歯→ブリッジ→義歯

から現在は

う蝕→修復→予防処置→2次う蝕の減少→メンテナンス

へと変化しています。

その流れに沿った設備投資や情報発信でなければ、生活者から必要とされない歯科医院になってしまうでしょう。

この地域、江戸時代は水運の中心地として栄え、江戸の経済を支えてきました。現在はオフィス街から住宅街へと大きく変貌してきたように、歯科医院の患者の気持ちも大きく変わってきたようです。江戸時代も現在も変わらないのはカモメの気持ちだけのようです。

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日吉歯科診療所汐留スタイル

一昨日、東京汐留で3月30日に開院する日吉歯科診療所汐留を見学する機会がありました。現在、歯科界では1歯科医院の患者数は1日あたり約14人に減少し、生活者の高齢化も進み、マーケットリサーチをしないで開業は成立しない状況です。そういった点から、歯科医院のデザインはより商業建築的要素が色濃くなり「デンタルクリニックらしくない」という部分にポイントが置かれ設計・デザインすることが主流になってきています。

日吉歯科診療所汐留は、東京においても山形県庄内の本院のインテリアデザインをほぼそのまま移植するイメージと聞いていましたが、さてどうだったでしょうか。私は仕事柄、歯科医院建築やインテリアデザインを辛口に見る嫌いがあり、一定の基準を持って評価しています。

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歯科医院の平面プランニングの必要諸室・コーナーを3つに分けて、それぞれの目的と機能が明確でなければ、いくら商業デザインとして優れていても医療機関のデザインとしては評価していません。まず患者だけの動線(駐車場・階段/スロープ・入り口・待合室・手洗い洗口・トイレなど)、医療従事者だけの動線(院長室・スタッフルーム・消毒滅菌室/コーナー・技工室/コーナー・トイレなど)、そして患者と医療従事者が混在する領域(診療室・レントゲン/CT室・カウセリングコーナー・オペ室など)、このような諸室・コーナーの効率性と感染予防対策が十分に施された上でプライバシーも守られていて、照度700ルクス以上の居心地の良い空間が、医療機関インテリアデザインとしてあるべきだと思っています。このような私的な基準は、都内の歯科医院はほとんどクリアしないのですが、日吉歯科診療所汐留は軽々とクリアしていました。

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診療室は5箇所あり全て個室、個室の広さは保健所の施設基準5.4㎡(ユニット1台当たり)の約2倍あり、採光は十分で眼下には汐留イタリア街が広がるロケーション。消毒滅菌室も他の諸室から確立された個室。そして汐留診療室の眼目は医院内の通路幅の広さ、特に待合から診療スペースへ移動するスロープ幅と空間雰囲気は医院の安定感を感じられてとても気に入りました。カラーリングの基調色は白、キーカーラーは和色のえんじ、待合室とフローリングは木目調で、落ち着いた感じで仕上げられていて、平凡にして非凡といった感じです。

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日吉歯科診療所汐留の施設のインテリアデザインの特徴をまとめると、

  1. 待合室は過剰に広くはないがシック
  2. 万全な感染予防対策
  3. 十分な医療廃棄物スペース
  4. チェアユニットは広い個室
  5. 確立された患者・医療者の動線
  6. 患者のプライバシー保護
  7. バリアフリー仕様
  8. インフォームド・コンセントが受けられる

これらのことが挙げることができます。昨今、歯科医院は、サインがなければ歯科医院と気がつかないようなインテリアデザインが持て囃されています。方や日吉歯科診療所汐留のインテリアデザインは、商業建築的要素も取り込みつつ、医療機関であるプライドと清潔感、安定感にも配慮し、幼児から高齢者まで違和感なく安全に利用できるインテリアデザインでした。開院前ですから画像では紹介できませんが、これから開業や改装を考える歯科医師には、不易流行「日吉歯科スタイル」は参考になるはずです。

エマニュエル・ムホー プロデュースの歯科医院を見たい

大寒も過ぎ明日は節分、続いて立春。寒の水よろしく寒の風に身をさらし、たるみきった肉体と精神を腐らせないように足で情報収集、エリアマーケティングの今日この頃です。

寒風の中を町歩きしていると、銀行と歯科医院は界隈の敵の様に見えてきます。街並みにおいて極めて不作法な業種は、銀行と歯科医院といって間違いないでしょう。銀行は圧倒的な資金力と財務省傘下の威に物言わせ、界隈の一等地に不作法で広告的な建築をつくったあげく、3時になれば預金者が経済活動真っ直中というのに、シャッターを下ろしても平気の平左衛門。紳士然として庶民を見下し、さらには街並みまで分断するわけです。

歯科医院はといえば、2000年当初に武富士などが経団連に加盟して、隆盛を誇ったころのサラ金の看板を彷彿させる有り様です。図体に比べてやたら大きく下品な看板を出しまくり、町歩きの気分をズタズタにされます。「何がヘルスケアだ。歯医者の看板が一番メンタルヘルスを悪化させる」と一席ぶちたくもなります。

銀行も歯科医院も広告的ファザードや看板を展開しておいて、「心のふれあい」やら「ホスピタリティー」などとよく平気で言えたものです。当の歯科医が思おうと思わざるとに関わらず、生活者から歯科は、公益性が高い職業と思われているわけです。生活者が期待するコモンセンスを大切にすれば、医院経営は成功すること間違いないはずです。

「うちの看板、まだ小さい?」そんな歯科医師の疑心暗鬼を吹き飛ばすように、コモンセンスとホスピタリティーを店舗に具現化して、繁盛している(たぶん)銀行が、巣鴨信用金庫です。歯科医院の内装もずいぶんとモダンになってきましたが、巣鴨信用金庫志村支店に比べると、まだまだ物足りません。歯科医師の間で人気のあるデザイナーのプロデュースする歯科医院を訪れてみても、エマニュエル・ムホーが手がけた建築や空間に比べると「まだ居たい。長く居たい。」といった気持ちまで高めてくれることは決してありません。

どなたか、カラフルでオープン、そしてコモンセンスとホスピタリティーを供えた歯科医院をエマニュエル・ムホーに プロデュースしてもらい、日本の歯科のカルチャーを変えてみませんか。

http://www.emmanuelle.jp/

巣鴨信用金庫志村支店

巣鴨信用金庫志村支店

巣鴨信用金庫志村支店
巣鴨信用金庫志村支店

2016年文化的歯科医院がなぜ必要なのかを伝えていきたい

新年明けましておめでとうございます。
正月三が日は好天に恵まれましたが、なんだか目の前はもやもやした感じの歯科界です。

年末年始の休暇に入り、目を通すことなく山積みになっている業界誌を整理することが、ここ数年の習いになっています。子供の玩具整理同様に片付けの手は止まり、いつの間にか業界誌を読み入っています。ページをめくりながらこの10年余りの間、歯科医院の診療とサービスの質は格段に上がってきたと感じます。しかしその割には、歯科医院への生活者と国の評価は、一向に上がることがありませんでした。メディアに到っては常に歯科を批判の標的にしてきた10年でした。

この間を振り返るとCT、3D光学ミーリングマシーン、マイクロスコープなどに代表される医療機器と歯科材料の接着材や陶材が、歯科診療の質の底上げを先導してきました。つまり歯科理工学、大きな括りでいえば文明の利器によって歯科医院の質は向上してきたことになります。文明(歯科理工学)は、より速く・より精密に・より効率的に、歯科医師の手足に代わり良質な歯科医療をつくりあげてきたことになります。その反面、行きすぎた文明が人類を滅ぼすように、先行した歯科理工学によって、歯科医師は臨床においても経営サービスにおいても、あらゆる局面で物事を掘り下げて考えなくなり、医院文化が育たない10年間だったように思えます。

医院文化は文明(歯科理工学)とは正反対に位置して、より遅く・より深く・より非効率で、我慢や不便なものを乗り越えて成り立っています。だからこそ歯科医師は臨床力がつき、賢明になり心も豊かになり、良質な医療サービスを提供できるようになるのだと思います。こういった文化を感じることができる歯科医院が少なくなったことが、取りも直さず世間からの低評価に通じているのではないでしょうか。

そんな業界評価の中にあって、文明を取り入れながら揺るぎない文化も育ててきた医院もあります。先端の歯科医療を提供しながら、医療人としての考えや心構え、教養を深めるといった文化をしっかりと根付かせ、さらに後進の目標にもなっています。その代表格が酒田市の日吉歯科診療所と福岡市のつきやま歯科医院です。両医院は、単に職人的技術力を誇示したり、先端医療機によるサービス財をPRしたりすることなく、積み上げられたエビデンスと優秀な人材が医院文化を築いているために、生活者に留まらず同業者からもメディアからも評価されています。

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この両医院に関する仕事に、2015年から2016年にかけて多少なりとも携わらせていただいて、文化と文明のバランスの取れた医院を間近で見ることができ、文化的歯科医院の在り方を学び直す機会になりました。2016年は、この経験を多くの歯科医院に伝えていくことが、私たちの使命であり仕事の価値だと思っています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

審美歯科には象牙色

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ぶらり一人で出歩く時には、都心部やベイエリアにある外資系ホテルにはどうも足が向かない。クリスマスイルミネーションが煌めき出すこの時期は尚のことだ。オオクラの本館が閉館した今、立ち寄るホテルは、江戸川橋・椿山荘と神楽坂・アグネス、お茶の水・山の上ホテルと皇居の鬼門に偏っている。中でも山の上ホテルは、今では有名な『てんぷら近藤』店主の若かりし職人時代、一席分を揚げ終わる都度に油を床下の容器に流す姿を「もったいないな」と貧乏臭い了見で、カウンタ−越しに見ていた時分から通っている。

私のコンサバティブな嗜好は、歯科医院のインテリアにも一脈通じ、デザイナーズ歯科医院と称されるインテリアが、なんだか軽薄な感じがして、居ること数分で疲労感に襲われる。この手のインテリアは『商店建築』で見れば十分で、何回も通う気にはなれないのは、私だけではないだろう。定期管理型歯科医院は、避けるのが無難なインテリアに思う。

同様にゴージャスな煌めきのイルミネーションにも食傷気味で、山の上ホテルの暗闇を引き裂くようなイルミネーションの方が、格段に洒落て感じる。審美を標榜する歯科医院も真っ白なインテリアを信奉して、真っ白な歯を最上とするばかりでは、頭の中まで真っ白と勘ぐられても仕方ない気がする。デザインに余白、イルミネーションに暗闇が必要なように、日本人の審美歯科医なら、透写されるアイボリーの美しさに気付いて欲しい。外資系ホテルのようなゴージャスな歯科医院はもう充分な気がする、山の上ホテルのような文化の香りを感じる歯科医院の出現が待ち遠しい。

上野駅中央コンコースに思う

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上野駅中央コンコースを通るたびに、今は亡き恩師の歯科医が、酔うと口ずさんでいた「ああ上野駅」が聞こえてくる。東京駅丸の内コンコースに比べ、薄暗く垢抜けない感じだが、高度成長期の昭和の匂いを残していてホッとする。
朝6時54分人影もまばらな中、クリスマスツリーと酉の市のポスターそして巨大なおかめの熊手、この異質なものが調和して存在できるのがこのコンコースの懐の深さだろう。それは、自らの存在をことさらに主張しない器の魅力ともいえる。

駅舎の売店の新聞は、一斉にパリでのテロを報じている。国家レベルの戦争も個人の喧嘩もそしてテロも、対立が形を変えたものである。
対立は自らの存在が脅かされるところに、その根本的原因がある。私たちは「差別化」という言葉を良く使う。それは「自己の存在意義」を「他者との差別化」から見出し、「他者からの承認」によって成立させている。
私たちは習いとして染みついた「差別化」を、往々にして「あなたとは違う」という言葉に代えて、自己の存在を主張しがちだ。

この「あなたとは違う」を繰り返すことで、知らず知らずに他者の存在を侵害している。
世界も組織も個人間も上野駅中央コンコースのような存在になるには、異質な者同士が優劣競う前に相互理解が必要に思う。

異質な者同士が生きるためには、上野駅中央コンコースで「ああ上野駅」を口ずさむのも悪くはない、と思いながら米沢に向かった。

落ち葉に見る組織

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事務所から歩いて7~8分の処に全長約400m 全幅約40mの桜並木が美しい播磨坂があります。
その播磨坂を事務所へ行く途中に通ると、前日からの夜来の風、冬の到来を告げる木枯らし1号が、並木坂の端っこに桜の葉を吹き寄せていました。吹き溜まった桜の葉を見ると、まだ緑色のものもあれば、紅赤、真紅、黄金色、黄土色と様々な色が織りなしています。

最近は組織論やリーダーについての本を読む機会が多いせいか、様々な色の落ち葉の美しさは、理想の組織の在り方に見えてきます。青葉も枯葉も美しく、組織における年代ごとの輝きの様を見るようです。どの色も主役であり脇役である落ち葉の吹き溜まりのような組織、理想ですね。

織りなす落ち葉の色に触発されてか、再び荻生徂徠の為政者(リーダー)は、人材はどう選びどう扱うかという芳賀徹氏(静岡県立美術館長)の文章が頭の中を反芻し、徂徠の卓越した見解が腑に落ちました。

 “人を雇うなら暴れ馬を採れ。初めからおとなしい秀才ばかりそろえたってだめだ。どこかで抵抗してくるような度胸や野心のある人間を取り立てて、その荒馬を乗りこなせ”と徂徠は上に立つ者の力量をも問いているわけです。

およそ300年の月日を越えて徂徠から現代のリーダーに突きつけられた言葉です。
徂徠の言わんとしていることは、現在の日本のリーダーにも、歯科界のリーダーにも、そして小組織の歯科院長であっても、リーダーには不変に求められることと思います。

医療経団連(仮称)決起集会レポート

IMG_0171.JPG去る5月31日に「病院がトヨタを超える日」などの著者で医療法人KNI理事長の北原茂美医師が主催する医療経団連の決起集会が丸ビルホールで開催されました。

当日、日吉歯科診療所の熊谷崇先生、株式会社オーラルケア代表取締役大竹喜一氏と参加してきました。

他業界からの参加者は医師、薬剤師など医療関係者に留まらず、IT関連企業、農林水産業、広告業、住宅メーカー、政界、法曹界、教育界など約250人(推定)と多岐に渡り、来賓として内閣官房医療戦略室参事藤本康二氏も出席されていました。

当初準備不足を懸念されていましたが、本会のコンセプトを共有するという基盤強化は達成できたのではないかと思います。

歯科から見た、医療経団連の意味

SKMBT_C28015060910050.jpg2030年には医療産業への就業者が944万人となり、国内最大の労働者人口になると推計されています。

しかし、国民皆保険の限界、医療費抑制政策、診療報酬制度という統制経済の縛りなど、医科・歯科が抱える問題は未解決のままです。

現在でも過重労働と低収入、社会・労働保険の未加入などの理由から人手不足の歯科ですが、今後診療報酬はさらに圧迫され、雇用状況が悪化することは明らかです。

歯科の政治的窓口の歯科医師連盟は、不透明なロビー活動により再び東京地検に摘発され、歯科への利益誘導は期待できない状況です。

この閉塞した現状に対して旧来の方法論で望むならば、歯科の収入減少には歯止めがかからず、それに伴い就業者の確保はますます難しくなり、日本社会全般に先行して歯科の二極化が進んでいくでしょう。

国も産業も格差から衰退が始まる傾向は歴史が証明するところです。

この傾向は他業界も同様ですが、労働基盤が脆弱な歯科は、各産業に先行して格差・衰退が進行していくと予想されています。

SKMBT_C28015060910061.jpgそれではこのような状況にある歯科が、医療経団連に参画するとどのような改革がなされ、どのような取り組みが求められるのでしょうか。

第一に、停滞する社会状況を歯科の括りだけではなく地域社会から見直し、歯科の立ち位置を歯科医師会や歯科流通機構といった旧体制から地域産業構造の中に移す意識が必要です。

つまり旧体制のネットワークから地域産業を主体とした広域ネットワークへと軸足を移すのです。

そして広域ネットワークを織り上げる多業種の人達(地域住民でもある)の活動を組み込むことで、歯科は国の制度で保護されている医療から独立独歩の生活産業へとシフトする環境に位置することができます。

産業化された歯科には多様な人材、進歩的な考え、先駆的なシステムが集まってきます。

同族化が進んだ旧体制の歯科では、院長の寿命が医院(会社)の寿命でしたが、多様な人材の流入による視点・環境・経営基盤の変化が、医科・歯科の企業体としての寿命を延ばします。

つまり医科・歯科の産業化の基盤が、歯科業界以外の視点から確立されてきます。

そして医科・歯科が広域ネットワークの中で医療サービスを提供する存在になると、旧来の国の加護の元での収入基盤に加え自由マーケットによる収入基盤を得ることになるでしょう。

ここで言う自由マーケットとは、例えばジルコニアをどのように説明してどのような値付けをするか、といった些末なHow Toでないことは言うまでもありません。

広域ネットワークの中で、医科・歯科はかつての自動車産業のように地域産業を取りまとめる横串になる産業に位置することが命題とされた自由マーケットです。

歯科はそこで多種多様な立場の人が集まる共感市場を形成する中核産業になることを目的とするのです。

共感市場の中で歯科は国民皆保険制度などの旧体制への依存から抜け出し、自立した医療サービス産業へと成長する道筋を得ることができるのです。

SKMBT_C28015060910040.jpg医科歯科の産業化へのロールモデルとして、医科では北原茂美先生の八王子国際病院と東京都八王子市との関係を挙げることができます。

そして既にそのモデルをカンボジア、ラオスへ『生活産業としての医療』として輸出するビジネス的な試みは、各界から注目を集めています。

歯科のロールモデルとしては、山形県酒田市・日吉歯科診療所の熊谷崇先生を挙げることができます。

酒田市民の口腔の健康を向上させたことに留まらず、旧態依然とした歯科の概念を変え、全国の歯科医院に新たな道筋を知らしめ、さらに庄内をベースに地域産業や大学などを取りまとめて地域を活性化させています。

このような取り組みは、従来の医療のイメージから逸脱しているかも知れませんが、旧体制の医療に比べて『幸せにできる人の総量』が圧倒的に多いことは言うまでもありません。

旧体制の医科・歯科に比べ、北原先生の病院、熊谷先生の診療所は、患者はもちろんのこと地域全般、周辺企業、医療関係者以外にも幸せを与えてきています。

それに比べ検察に摘発された歯科医師連盟のロビー活動に使われたお金は、歯科医師自らの幸せだけを求めた結果、歯科は反社会的な存在とされつつあることを忘れてなりません。

IMG_0172.JPGこのような先駆的な取り組みをしてきた北原先生は、医療経団連での医療の在り方を『いかにして人が良く生き良く死ぬか、その全てをプロデュースする総合生活産業』と再定義しています。

歯科においても『一本の歯を守る』ことから、『一本の歯を守ることで、人が良く生き良く死ぬかをプロデュースする』まで文脈を伸ばすことで、歯科は社会性を得て生活医療から生活産業へと市場を広げることができるのではないでしょうか。

新年あけましておめでとうございます。

歯科医師は「歯科村を捨てよ、町へ出よう」

 この数年、仕事で定期的に羽田空港発三沢行きの一便を利用しています。この便の搭乗者は、航空自衛隊と米空軍関係者、そして日本原燃などの原発関連企業関係者が大半を占め、日本の国策に日常的に関与している人の利用率では、おそらく国内便で一番ではないかと思います。だからといって離陸前後の機内は特別な緊張感があるわけではありませんが、三沢空港への着陸便から空軍兵士の敬礼のお出迎えを見る頃には、にわか国士の気分になっていきます。三沢空港の手荷物ゲートを出た右手には、ほぼ常設で寺山修司のコーナーが開設されていて、寺山の等身大のポスターの前を行き来する軍人と原発企業人の模様は、前衛と最前線が混じり合い緊張感が満ちてきます。

 寺山といえば、演劇好きでなくても「書を捨てよ、町へ出よう」のフレーズを誰しも聞いたことがあると思います。寺山や戯曲に関心がなくても、このフレーズから新しいものや人に出会い、いろいろな経験をしようという強いメッセージを感じることができます。ところが現在、こういったマインドを持つ人が私の周りには少なくなっています。それは、私自身が年をとり現状維持の意識が強くなったことも一因ですが、それにしても歯科業界関係者には、超安定志向が大勢を占めています。過去20年におよぶ業界の凋落傾向も、このあたりに原因があるのではないかと思います。

 歯科は法人といえども個人経営にすぎないため、大手企業に比べ経営は不安定で2~3ヶ月先の見通しも明るくはありません。だからこそ、いつも軍人と国策企業の最前線意識と寺山の前衛意識を内に秘めて、活気に満ちていなければやっていけないのではないでしょうか。停滞する日本経済の中で、今日でも起業家と呼ばれる人は、軍人や国策企業人同様の意識と寺山的マインドを持って試行錯誤と失敗を乗り越えて、事業を軌道に乗せています。凋落傾向の歯科業界の中にあって、もはや不測の事態などはなく、不測が常態になった環境の中で、前線・前衛意識を持って経営を楽しむぐらいの気持ちがなければ、歯科医師はとても続けられない職業になったのです。私自身も前線・前衛意識を持って、歯科医師の経営に深く関わるコンサルティングの原点に立ち返る2015年としていきます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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OP倶楽部発足会レポート

初島に志とエネルギーの高い歯科医師が集まる

OP倶楽部とは

歯科界の次世代を担う”知識と技術・心と感性”を備えたリーダー輩出するために、各界の有識者やリーダーをゲストに迎えての対話集会、Oral Physician 歯科医同士の意見交換の場として熊谷崇先生の発案で栃木県開業チョコレート歯科医院院長加藤広明先生が代表となりOP 倶楽部(おーぴーくらぶ)が発足しました。そのOP 倶楽部リーダー・ミーティングの発足会が、熱海のグランドエクシブ初島倶楽部にて、代表者の加藤先生、熊谷先生はじめ60名が参加し、開催されました。

私の挨拶

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倶楽部設立の趣旨を私が簡単に説明しました。少し長くなりますが、「歯科界の過去の繁栄は、経済成長と国民皆保険が原動力になってきたもので、歯科界や歯科医師会の努力の結実というよりは時代の産物であったことは、この20年間の低迷に手を打てていない状況を見れば明らかです。この膠着状態を打ち破るには、歯科村を飛び出して”強いリーダーシップと早い決断”ができるリーダーを輩出する会になって欲しい」といった内容のお話をさせていただきました。

詐欺師化する歯科界に一石

昨今の歯科界には、マイケルポーターの亜流のそのまた支流といったマーケティング手法が跋扈しています。流行の手法は「自由診療への誘導」「ITを使った集患」「キッズのビジネス化」などのアプローチで、いかに巧妙に患者を騙すかに執心しています。こういった狡知を考え出すコンサルタントも確かにワルには違いありませんが、それを加速させたのは本質を見失った歯科医師かもしれません。

コンサルタントの片棒を担ぐ歯科メーカーや出版社も含め、歯科界全体が詐欺師化の方向へ進んでいます。詐欺的なマーケティング手法の横行は、縮小した市場を前時代的意識と臨床体制で患者獲得競争に一石を投じるリーダーが歯科界にいないからだと思います。縮小市場に新たな市場を創造することは、歯科界の命題であることは自明のことですが、そのリーダーとなるべき人材の見極めが肝心なことは言うまでもありません。

しかし、価値をお金だけに置き、オレオレ詐欺のように巧みな心理操作で自由診療への誘導が上手い歯科医師を、勝ち組と賛美しているのが現在の歯科界です。こんな恥ずかしい状況を鑑みても、今回の次世代のリーダーを養成するOP倶楽部の発足は意義深く、期待は膨らむばかりです。そんな煮詰まった気持ちがあったからでしょうか、当日の演者と集まった歯科医師の声を聞いていると、澱んだ歯科村に涼風が吹き込んだような思いでした。(余談ですが、私のシニカルな発言にいくら批難を浴びても避難しないで歯科村に残る覚悟も涌いてきました)

ようやく予防の価値が歯科臨床に根付きつつある現在、マーケティングと歯科医療の本質を見極めることのできるリーダーを輩出して、歯科界はパラダイムシフトの1丁目1番地に立ったと言えるのではないでしょうか。

日吉歯科診療所理事長 熊谷崇氏のお話し

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歯科医師でない私から見た熊谷先生の魅力は、”強いリーダーシップと早い決断”、そしてダンディズムに尽きます。当日の挨拶も熊谷イズムを発散して、会場の歯科医師の気持ちを一気に高揚させていました。

その挨拶の中で印象的だったのは、「改革を促す者はその当事者と膝を交えて話し合い経過をフォローしなければならないが、その点が私には欠けていた」と仰っていたことです。

また、「予防を広めることはできたが、保険で行ってきため予防そのものの価値を上げることができなかった。

今年から予防を自費に切り替えてみて、今まで保険で予防を提供してきたスタッフの意識の在り方が変わった」という趣旨の発言は、健康保険制度の方向性を見極め、先件の明があると感じました。

30分程度のお話しでしたが、歯科医師を世知辛い歯科の現状に染まることなく、歯科の現状を高みから見る気持ちに導く様は、流石です。

OP倶楽部代表の歯科医師加藤大明氏の紹介

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軽妙洒脱な進行の中にキラリと光る一本どっこの精神。チョコレート歯科と命名する覚悟は決して甘いものではないことが、日経ビジネスオンラインの慶應義塾総合政策部教授上山信一氏との対談“歯科治療で始まるコペルニクス的転換”を読めば一目瞭然です。

今後の会の企画、運営には加藤氏の存在は欠かせません。当日の自己紹介で、MTMを都市部で実現することが大変と発言していた参加者(実は私もそう思っていましたが)に、間髪入れずに反論していた姿は印象的でした。

当日の演者・芳賀歯科矯正歯科クリニック院長芳賀剛氏

演題 「近況報告 ~改善と改革~」

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歯科大生の頃ユーラシア大陸放浪の旅をしながら”何でも見てやろう経験してみよう”とする沢木耕太郎ばりの学生時代の経験が、歯科医師芳賀剛さんの歯科医師としてのバックボーンになっています。東京に居る私からすると、郊外というよりは人がどこにいるのだろうと思う田舎で開業して、今では総勢16人のスタッフ体制の中規模歯科医院に発展。開業=場所と考えるステレオタイプな歯科医師には、ぜひ芳賀さんの話を聞いて欲しいものです。

当日の演者・岡山大学歯学部4年宇野修平氏

演題「なぜ私は年収1200万円をすて、歯科医師の道を選んだか」

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外資系大手企業での年収1200万と安定した将来を捨てて、歯科医師になった動機に、私たちの希釈された仕事魂は、打ちのめされました。忘れかけていた仕事の価値を見直す契機になった歯科医師も多いはずです。

宇野さんのような人材が歯科界に今後増えれば、既存の歯科医院の危機は単なる歯科医師過剰から、市場からの力量評価にステージが上がること間違いありません。

当日の演者・つきやま歯科医院理事長築山雄次氏

演題 「つきやま歯科医院の歩みと改革」

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いわずと知れた西の予防歯科の雄の築山先生が、「過去の私の予防はコミュニケーションの予防でした。もっとエビデンスを明確にした予防歯科が大切です」

と、仰った時は何とも言えない感動が押し寄せてきました。十分根拠のある歯科臨床を展開してこられた築山氏の謙虚に学ぶ姿勢には敬服です。

講演の内容では、産業歯科医として予防に取り組み、医療費を削減したお話は、秀逸でした。医療経済を考えるお役人を相手に、ぜひ講演をしていただきたいものです。

歯科ポイント制の浅ましさ

正月明けのネタ枯れの7日朝、朝日新聞1面に「歯科医院ポイント導入」「歯科医必死の囲い込み」の見出しが踊りました。すでにご存じのように、メディカル・コミュニケーションズ社が運営する「歯科に行こう」が、患者の囲い込みのために、口コミを書いた患者にポイントを与え商品券などと交換できる仕組みのことです。そのポイントの原資を歯科医院が買うという飲食店や小売店ではおなじみの手法を、歯科に持ち込んだわけです。

以前発覚した、国内最大規模のグルメサイト「食べログ」のランキングの不正操作を思い出します。複数の業者が特定の飲食店に対して好意的な口コミを投稿して報酬を得ていた構図と同じです。つまり、患者に気づかれないように歯科医院が集団でステルスマーケティングをおこなったわけです。これに対する朝日新聞の論調を要約すると、「来院促進して過剰診療による公的保険財源の無駄遣いをする歯科医院を許していいのか」といった内容でした。

是非論で言えば、保険医療機関の療養担当規制第2条の4″ 保険医療機関は、その担当する療養の給付に関し、健康保険事業の健全な運営を損なうことのないよう努めなければならない。 (特定の保険薬局への誘導の禁止)”に抵触し違法行為で直ちに行政指導すべきです。

さらに違法性以前に、たかだか400/10,000医院とメディカル・コミュニケーションズ社の利益のために、この口コミサイトによって、99,600件の歯科医院がアウトローなイメージを重ねられたことに怒らなければなりません。

しかし怒れる99,600医院の救いは、「携帯電話で料理の写真を撮ることをためらわない輩の品性」と同じ次元で「歯科に行こう」の口コミを書くアンダーな患者が来院しないことでしょうか。負の連鎖臭を感じる患者は、400/10,000医院に任せておいて、アッパーな患者との関係を築いていきましょう。

年賀状大賞 2014

私の学生時代の先輩で、現在は東京のお茶の水で”さかなステュディオ”というデザインオフィスの経営者兼デザイナーの金子氏の年賀状です。金子さんはサッカーも天才肌、学力も東大まちがいなしと言われていた文武両道の生徒で校内では故・中村勘三郎さんと並ぶ有名人でした。現在はやはり早熟の才の辿る定石通り・・・子供の頃の煌めきを残しながらも堅実にデザイン事務所を経営しています。歯科のデザインもWelcomeですから、ご希望の方は伊藤までどうぞ。

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城南信用金庫に学ぶ

9連休だった歯科医院の皆様、仕事始めが待ち遠しかったのでないでしょうか。弊社も9連休とさせていただきましたが、私は大学OB会、メンター歯科医師の忘年会、歯科関係者とのゴルフコンペ、事務所での資料整理といった具合で、まったくのフリーの日は2日間でした。

休暇中に民族学者の宮本常一さんの著書を再読しましたが、今の私たちの恵まれた生活の源流となった人々の在り方を知りある種の神聖な気持ちにさせられました。また宮本さんのフィルドワークによる資料の裏付けの取り方には、正に”行動する知識人”の凄みを学ぶことができます。

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その他に原発関連の本を3冊、中でも「城南信用金庫の”脱原発”宣言」(写真)は、企業の社会貢献、公益への取り組みを具体的に知る上でとても参考になる小冊子です。原発事故を起こした東京電力が、ぬけぬけと嘘をつき白を切り続ける法人の鉄仮面さを見せるのとは対照的に、城南信用金庫の取り組みは、法人も人の集団で血潮が通っていることを教えてくれます。

その結果、城南信用金庫に惹きつけられる人々の姿に、マーケティングの原理を垣間見ることができます。保健医療機関として公益性の高い歯科医院ですが、低迷する経営状態から商魂むき出しの現在、民間の金融機関の公益性に根ざした取り組みを描いたブックレットから、本来の医療サービス業としての在り方とその打ち出しの仕方を学ぶことが多々ある1冊でした。地域に根ざす歯科医院経営を目指す歯科医師の方にお勧めの小冊子です。

新年あけましておめでとうございます。

今年は小社の体制も一新、有望な新人も加わりさらに皆様のお力になれることと確信しております。日々クライアント医院様には、理念と使命をうかがっています。年頭にあたっては、私の信条を明らかにすることで、新年のご挨拶とさせていただきます。写真は山形県酒田市から見た月山の夜明けです。この地はNHKの朝ドラ”おしん”にも出てきた母の生家酒田屋があり、私のターニングポイントとなった歯科医師との出会いの地でもあります。
本年もご指導の程よろしくお願いいたします。

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私の信条

  1. 死ぬ時を想い、10年先を考え、5年先を見て、行動しろ。現在に翻弄されていては未来がない。
  2. 早くやれ、失敗さえも早くしろ、できない言い訳を考えていると、チャンスは二度とやってこない。
  3. 相手を感激させろ、相手の笑顔を見たければ、相手に真に役立つことを真剣に考えろ。
  4. 仕事は自ら創れ、世に撃って出ろ、与えられた仕事をしているようでは生きる価値がない。
  5. プライドを捨て、さらに学べ、そして志を高く持てば、新しい価値が見えてくる。
  6. 根拠を持て、根拠なき主張は、賢者には通用しないばかりか、再挑戦の意志さえ生まれない。
  7. 取り組んだら離すな、最後まで手を抜くな、手抜きは自らの達成感とともに周囲の信用さえも失う。
  8. 努力に満足するな、結果に歓喜しろ。

市川浦安地区セミナーとフィアー広告


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先般、市川浦安地区の歯科医師会の先生方に、「歯科医院成功のレシピ」といういささかビジネス書もどきの演題でお話をさせていただきました。このように”成功”というフレームで話をすることは、非常に難しく不可能なことと思います。それは、歯科医師個々が人生の中心に何を置くかで、成功の在りようがいかようにも変わってくるためです。コンサルタントの常套句、”成功法則の○か条”など、まったく愚の骨頂です。と、思いながらも敢えて”成功”を銘打ったのは、同地区でこの数年

 

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個々の価値観が違えども、成功するには守るべきルールがあり、それによって実践すべきレシピが見えてくると、当日はお話ししました。常々広告には肯定的な立場でお話ししていますが、医療に携わる者が、生活者を脅かしたり不安にさせたりするフィアー広告で医療需要を喚起することはルール違反だと思っています。それに、この手の広告に一端手を染めると、歯止めが効かない覚醒剤中毒患者のごとく商人道まっしぐら、ハゲ・ダイエット・シミ・むだ毛などを扱う業者クリニックへと医院を変貌させていき、広告費を捻出するために医院経営をしているような状況に成りかねません。

 

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最近、歯科で目にあまるルール違反は、「歯周病は生活習慣病です。しかも命にかかわるかも知れない」と、フリーランス歯科衛生士が企業広告サイトでタイトル打ちをしているものです。これが循環器系医師の話ならばニュースの範疇ですが、生理学上の判断も定かでない、さらに生死の行き交う現場を経験したこともない歯科衛生士が”命”を大上段に掲げたキャッチコピーをつければ、フィアー広告になるのが広告の常識です。広告とは想像の世界ではなく、実体験に裏打ちされた表現でなければならない責任があるのです。医療サービスに携わるものならば、なおさらに守るべきルールです。

 

私が患者でしたら、この手の衛生士からメンテナンスを受けるのはごめんです。P処は薄毛対策にも効くなどと、まことしやかに耳元でささやかれそうですから。かくして、歯科医師はフィアー広告を打たないルールを守ることで、患者の信頼を集め、盛業へとつながってくるのです。とりも直さずこれが成功するためのレシピでもあるのです。な~んだ、と思われる向きもあるでしょうが、所詮そんなうまい話はころがっていません。

本年の方針

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要件のやり取りを終え電話を切る間際、「ところで伊藤君の今年の方針は」と、K先生から不意に聞かれ、そう言えば最近は新年の挨拶をサイトに載せていない。これといった深い理由はない。言いたいことは山ほどあるが、歯科業界で話してどうこうなる話でもないし、かといって食べ物屋の料理の写真をブログに起こすほど無粋ではない。そんなこんなで新年の挨拶も含めブログに起こすことなくやり過し、新年をオーバーランしてしまった。

「そうですね。歯科医院の開業の流れを変える元年にしたいです。60歳で新たに設備投資をして、70歳で患者と設備といった資産を譲渡してリタイアできる医院経営を提唱していきます」と言った内容をお話しすると、「東京の歯科医院は元気がない。僕が東京で開業したら今の2倍の診療室にしているよ。アメリカ経営誌に歯科医師が全米NO1.の職業と評価されている記事があったから、原文で送るから読んでみて」とK先生は言われ、電話は終わった。う~む。私の新年の方針を聞きながら、最後にはご自身の意見でクロージング。

相変わらずsomething now.

この流れを作れることが、成功する医院経営の秘訣ですね。

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因に新年らしく熊手は、私のオフィスデスクの上のもの。毎年、浅草鳳神社から元の職場の後輩が届けてくれます。毎年少しずつ大きくなって、今では会社の業績を上回ってきて追いつけません。もう一つは、私の自宅デスク前の、神田明神の”勝守”、シンプルなデザインと”勝守”のコピーが好きで20年来、デスク前が定位置。今年は、私の好きな作家の焼き物の写真を露払いにしています。

それでは、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2012年9月19日 東京歯科大同窓会市川浦安支部講演会

IMG_3585.jpg一昨日「縮小均衡市場を生きる歯科医院の原理原則」という長ったらしい演題で、東京歯科大同窓会市川浦安支部の先生方に歯科医師会館でお話しをさせていただいた。学術講演を銘打っている場で、私の街場の経営論を展開して良いものか否かいささかためらいがあった。しかし依頼主は、私が歯科界に頭を突っ込んだ頃、歯科臨床には基礎系・歯科理工学の素養の大切さを教えてくださった中村光夫先生、お断りできるはずもない。

IMG_3547.jpg当時中村先生は順天堂系列の病院で歯科部長を務めていた。その頃接着歯学の祖、医科歯科大材研の中林教授の片腕として、臨床研究に明け暮れ、数々の論文を発表なさっていた。診療後の医局には、常にサンメディカル・GC・トクヤマ・クラレなどのメーカーが列をなして、中村先生に自社の歯科材評価依頼に来ていたことが思い出される。そんな中、門外漢の私にも発表前の論文を説明してくださり、その上柳橋・日本橋・銀座などの美味しい処で度々ご馳走してくださった。

IMG_3576.jpg当時の中村先生から教えを頂いた接着歯学によって、歯科臨床評価の標準値が私の中ででき、中村先生にはとても足を向けては寝られない。予防歯科が常識になっている現在、8020の目標を大きく上回る数字は、1次予防の効果とともに、接着歯科がもたらした2次予防への貢献が大きいことはもはや常識である。予防歯科の影の功労者、中林教授、アポロニアで文筆をふるっている安田登先生、日本接着歯学会副会長 高橋英登先生、そして中村先生の論文に触れてみることが、予防を標榜する医院の良識ではないだろうか。

 話を講演会に戻すと、①少子高齢化による生産者人口の減少が問題 ②設備投資と収益バランスの悪い歯科 ③拡大成長を前提とした歯科経営は破たんする ④来院5回の壁を乗り切る仕組み作り ⑤治療終了後2年以内に患者を顧客化する 以上5ポイントについてお話しさせていただいた。

診療終了後のお疲れの中、受講者の先生方には、私の雑駁な話を最後まで熱心に聞いていただき、ありがとうございました。懇親会でも、歯科の黄金期を知る中高年の先生方から若手の先生まで、とても熱心に経営談義に花を咲かせ、明日への活力になっていたようです。それでは、来年はリクエストにお答えして市川・浦安地区での実践的経営スキームをお話しさせていただきます。

「2012年問題」と歯科経営

昨日6日、仕事はじめでした。昨年の暮れに立て続けに3件新規開業のプランが決定、そのため大手商業施設、ハウスメーカー、不動産ディベロッパーの各担当者とやり取りをしていて、どうにか仕事を一段落つけたのが、夕方の6時過ぎ。

年末にもかかわらず各大手ハコモノ業者が、リーシングにやっきになる背景には、「2012年問題」がある。商業施設や大規模ビルの供給過剰、オーバーストアによって、今までは相手にされていなかった歯科にもお鉢がまわってきた訳です。これによって歯科の業界地図が如実に変わるでしょう。これまでは、大手設計事務所やデェペとコネクションを持つ一部の歯科医が、好立地のハコに出店して盛業してこれた。しかし、これからは10年前にくらべ2〜4割安で大手ハコものに出店する新規歯科医院が増えてくるので、立地的優位性だけで盛業を望むことはできないだろう。まあ、不動産屋みたいな歯科医ばかりが好立地を席巻して繁栄してきたことが、異常だったのですから、「2012年問題」は、歯科経営が健全に針を振れる契機となってくれるのではないでしょうか。
そんなこんなで慌ただしく仕事に一段落をつけ、学生時代の友人と、年あらたまる淑気を迎える儀式?のためサウナへ心身を清めにいった。例年なら2時間待ちのマッサージが、待ち時間ナシ、肌を通して日本経済の停滞を感じるとはこのことでしょう。年もあらたまりサウナを後にタクシーから見る繁華街は人も三々五々、心なしか暗く静か、というよりは静謐とした感じ。所々の暗闇に連なる人々の向かう先は、神社。こんな光景は数十年前の子供の時以来。3・11の影響でしょうか。
「2012年問題」でチャンス到来の普通の歯科医、しかしサウナで肌で感じタクシーから目の当たりにした光景から、歯科医院経営は依然不透明。
確かなことは 、 YES,you can. You can if you want. ということです。
それでは、今年もよろしくお願いいたします。

ランキング情報の信頼性

「調査方法・集計処理でも、客観性を徹底的に追求。学術的にも公平性が高く信頼できるランキングです」。オリコンCSランキングに対する、慶応義塾大学で応用統計学を専門とする鈴木秀男准教授のコメントである。歯科にランクインしている医院を見ると、鈴木氏の見識を疑う。口コミサイトやランキングサイトの内実は、PRサイトである。一端の人であれば周知のことなので、批判するのは大人げないと、承知している。

しかし、この慶応義塾大学鈴木先生の論、統計学をもって医療を評価するときの、評価者と評価基準の選定の失敗例である。『ミシュラン東京版』以上のでたらめぶりだ。『ミシュラン東京版』のでたらめは、食の評論家(?)山本益博氏の暗躍によるものともっぱらだが、オリコンランキングのでたらめは鈴木准教授の後押しによるものとなりかねない。

そのでたらめぶりの一端。例えば審美歯科ランキングは、11の評価項目からなる。『治療結果』の項目を見ると「駅前で便利でした。先生もやさしく、スタッフの対応も親切。治療も早く終わりました」と体験者のコメントがある。恣意的にこのコメントを選んだわけではない、どのコメントもこの程度の散漫な感じだ。このコメントの何をもって『治療結果』10段階評価で9の医院なのか不思議である。また他の評価項目『利便性』や『スタッフ対応』とどうやって評価の選別をしているのだろうか。全く理解できない。
まあ、オリコンランキングの影響力やブランド力は、ミシュランの足下にも及ばないので、目くじらたてることはない。それにしても情けないのは、このランキングに載るために、アルバイトや業者を使って口コミを書かせる自作自演する歯科医院が少なからず存在すること。こんなランキングサイトに汲々とする歯科医院が増えるに従い、歯科大学の入学難易度ランキングは急下降している現実。某大学相撲部と変わらない偏差値の歯科大が増えて、歯科界の『玉石石石混合』状態は確実。儲かるのは広告代理店ばかりで、ますます真っ当な歯科医院の経営は難しくなってきた。

 

 

歯科医師は、街を捨て地方に行こう

 昨日は羽田への最終便が霧のため飛ばず、青森県三沢に留まった。野球少年だった私は、空港からタクシーで三沢高校に向かった。夜8時過ぎ人影もなかったが、かつての甲子園のヒーロー太田幸司が白球を追ったグランドを見られただけで十分だった。その足で寿司屋に向かい、カウンターに座る。横から聞こえてくる津軽弁は、抑揚なく朴訥に語る作家寺山修司を思い出させる。三沢は、太田幸司、寺山修司という日本の高度成長期を代表するヒーローを生み出した土地だ。そして現在は、日本の政治経済の暗部、米軍基地と原発処理施設が地域の基盤になっている。

 この地域の歯科医院からは、これからの医院経営の在り方が見えてくる。三沢では女性専科として美を追求する自費歯科医院が成り立ち、ある医院では車で30分かけて自費治療に通院する患者も少なくない。これといった産業が無い土地だが、原発マネーの関係か?三沢に隣接する六ヶ所村の平均年収は大手企業部課長クラスである。この地域の生活者は、歯科にかけるお金は十分にあるようだ。クライアント医院もそんな市場性に準じてCTとセレックがあり全て個室だ。過疎が進む地方の歯科医院とは思えないストラクチャーである。

 三沢に限らず地方医院を見る度、都市部の自費主体医院が発する「質」には、疑問を感じる。医療の質の追求は「失敗しない質=安全性」→「ばらつきが無い質=標準化」→「卓越した質=技術力」の順で成り立つ。その中で、安全と標準化は一定の『広さ』を担保にする。『広さ』というコストを犠牲にする都市部の医院が、「卓越した質」を売りにするには無理がある。技術力は安性全と標準化の先にある質だからである。

審美歯科やインプラントなど技術を売りにする歯科医師は、今後地方で開業してはどうであろうか。2時間もあれば大抵のところに行くことができる日本、消毒滅菌も技工も在庫もスペースが混在した診療室に見切りをつけて、本来の質を追求することができる。その上、無理な誘導も過剰な広告費もいらない。

かつて寺山修司は「書を捨て街に出よ」言った。

歯科医師は、街を捨て地方に出る時代が来た。

まずはスピードありき

新潟のある市での開業プロジェクトに携わって1年近くになる。開業は数ヶ月先だが、この医院は必ず成功すると確信が持てる。その理由は一点のみ、開業歯科医が機会損失をしないスピード感を持っているからだ。これは歯科以外でも、経営者ならば誰しもが感じることだが、ビジネスをしていて何がストレスになるかといって、機会損失以外にない。失敗でも構わない。スピード感がない人は、失敗することにも時間がかかる。

停滞気味の歯科医院を見ていると、じわじわと成功のステップを踏んでいるつもりで、じわじわと失敗していくことに安心しているだけの医院もある。経営に延命処置を持ち込まないのが、私の主義だ。早く失敗して、失敗を繰り返す機会が多いことが、経営はもとより人生設計において大切と思うからだ。
私は、教員、サラリーマンを経験して、現在は零細な会社を経営している。これまであらゆる「できない人」を見てきた。「できない人」の共通項は機会損失を繰り返すことだ。では、機会損失をしないためにはどうすれば良いのか?当たり前のことだが、スピードをあげることだ。スピードアップは、仕事時間×集中力の結果だ。人の能力には大きな違いはないと思っている。私の知る「できない人」は、単にスピード感を持って働いていないだけの場合がほとんどだった。「できない人」の時間消費方法は、仕事もどきに使う時間が長いことだ。つまりは仕事をしていないのだ。
停滞気味の医院の院長は、自己啓発セミナーや訳の分からない経営セミナーに参加して、仕事をした気になって、肝心な診療に携わる時間が少なくなっている。やはり「できない院長」も単に仕事をしていないだけである。「できないスタッフ」の特徴は、歯科医ならばやり直し治療に時間を使い、DHならば取り残しの歯石のためのメンテナンスに追われる。つまり「やり直し」をすることが仕事になって、機会損失をしているのだ。
経営とは、機会損失を無くすスピードを手に入れることだ。

歯科医の言葉と文書

歯科医院のパンフレットやホームページの文章を読む機会が仕事柄多い。時として、この先生はカウンセリングの時どのような言葉を使っているのだろうか、とても気になる。それというのも、患者が読むホームページなどに難解な医学用語を平気で使っているからだ。気がつかないというよりは、医学用語や専門用語を使うことで、ある種の権威付けを意識している節もあるのだから考えが浅い。

ドアノブ•クエッションという言葉がある。初診患者が最初の診察と会話を終えて、医者の説明が理解できずに帰り際ドアノブのところで立ち止まり、先生、私は「○○○」でないですよねと、不安げに訪ねる様を指していう。誰しも経験していると思うが、医者の診断を受けて、はやりの「風邪」を「感冒」などと言われると、何かタチの悪い病気にかかったのかと思う時さえある。さすがに歯科の場合は、専門用語の羅列で深刻な気持ちにはならないであろううが、重い気持ちには変わりない。
私が経験した例で、若い歯科医師が、患者に対してスタディーグループで使いまわされる「予知性」「侵襲的」「審美性」「進行性」「不可逆性」などの言葉を連発して患者にカウンセリングをしていたが、患者の表情を見ると、いかにも不思議そうな顔をしながら、最後に「良くわかりませんが、保険でやってください」で終わった。こんな空しい思いをしないためにも、パソコンに入力する文字が正しく変換されない専門用語は、患者には通じないと思い対話するべきである。
以前、コピーライターの糸井重里氏が、「この香水はウンコのような香りはしない、すばらしい香りです」という文書があったら、論理的にはこの香水はとてもすばらしい香りと伝えているのは理解できても、生理的に「ウンコのような」ばかりが目や耳に入ってきて悪いイメージしか残らないでしょうと、話していた。歯科医師の専門用語の連発もこれに近いものがあり、平易な言葉で話さなければ、意図するQOLやホスピタリティーの向上も生理的に伝わりづらくなる。
歯科医師は文書を書くとき、言葉を発するとき、「意味で考え、生理でチェックする」ことが
大切である。

商業施設と歯科医院経営

杉並区の顧問先コンサルティングが昼過ぎに終わり、駅に向かっていると雲間から薄日が漏れてきた。急遽、千葉郊外の開発地域のマーケティングに向かう。現地調査は、お天気次第の進捗になるので、梅雨時の晴れ間は特に貴重だ。予定外のため、電車で最寄りの駅まで行き、レンタカーを借りる。

1980年代終わりから90年代にかけて、大手ディベロパーから総合スーパーへの歯科医院への出店のオファーがあり、多くの歯科医院を紹介した。当時は商業施設としては、総合スーパーは先端をいった存在であった。しかし、20年あまり経過した現在、総合スーパーは衰退傾向にあり、現在はテナントミックス建屋とスーパー本体で構成するSCが全盛だ。調査地の千葉市北東部もSCと中規模スーパーの出店が目につく。高齢化社会になって、東京の都市圏が10キロ程度縮小して30キロになった現在、この地は旧都市圏の40キロとの中間に位置する微妙な商圏ではあるが、平日の昼間で商業施設の駐車場は30%程度埋まっている。まあまあイケル感触だ。
しかし都市圏の縮小が進む状況で、郊外出店による「立地独占」という戦略はいつまで続くかわからない。SCのマスマーケティングに相乗りする歯科開業も、その効力頼みでは立ち居かなくなる日は遠くはない。経済条件の高いSC内での歯科医院経営はどうして行けば良いのだろうか。答えは、既存患者の活性化に集約される。つまり、いかに既存患者との関係を強化し、自院医療サービスを繰り返し提供していけるかにかかっている。今後、商業施設内歯科医院経営は、①ブランド構築による認知度向上のため広告宣伝と②一度来院した患者に対して継続的かつ適切なアプローチを行い、自院医療サービスの継続的利用を働きかけていかなければならない。
現実、顧問先のSCのレジ通過数は減少傾向にあり、それに伴い医院の新患数も減少してきている。商業施設のマスマーケティングに頼った医院経営や焼き畑農業的な経営手法から脱却する時期が、高齢化社会とともに医院経営にも押し寄せて来ている。


現実を見切る力

3.11震災から2カ月余り、岩手県内に来た。新幹線の車窓から震災の影響は感じられなかったが、A駅に降りると、日本赤十字のつなぎを着た40人程の男女から、非常事態の緊張感が伝わってくる。その姿を見て、「人の力では世の中を変えることはできない」と、思った。赤十字のつなぎ姿の人々の無力感を揶揄しているのではない。世の中は、人の力の及ばない力が作用しないと状況は変化しないものだ、と実感したのだ。

医院経営を変えるのも「院長の志」よりも、「人口が減った」「近隣に歯科医院ができた」という、院長の力が及ばない力が作用した場合がほとんどだ。非常事態にならないと、経営者たる院長の覚悟が決まらないので、スタッフも本気で動こうとしない。当然、支援者も現れない。院長の覚悟が決まらない最大の理由は、現実を見ようとしないからだ。コンサル先の歯科医の大半が、来院者の年齢や地域、キャンセル率、リコール率などを把握していないし、医院経営に関する数字に関心が薄い。

「なんだか患者が減ってきた」とは感じてはいる。しかし、現実を見ようとはしない。見ているつもりでも、都合の良いように見ているだけの場合が多い。何がないから、体調が悪いから、年だからと仕事のできない人間は、常に言いわけを用意しながら現実を見ている。これは、経営が悪化してきている院長が現実を見る目と同じだ。

「あるがままの現実を見る」ことは、経営者として稀有な資質である。作家の塩野七生氏は「ユリウス・カエサルが有史以来最大の政治家である理由は、彼が見たくない現実を見た唯一の政治家だからだ」と言った。反対にできない院長は、見たくない数字を直視する前に、やたらと崇高な「志」を掲げたりする。そのため、医院の経営方針がブレてばかりで、決め打ちが出来ない。

帰りの新幹線の中、今回の原発事故への対応も同様で、菅総理は一国のリーダーとして、見たくない現実を見切ってから打ち手を打たないため、後手の対応に終始しているのではなどと、「郡山」のアナウンスを聞きながら考えていた。

「見たくない現実を見切ること」が、院長が経営者となることだ。

Think global , Act local

新潟へ向かう車窓に雨しずくが流れだした。昨日の山梨のエリア観察も雨だった。どちらの歯科医も親子継承から独立に切り替え、開業する案件である。親子継承の難しさは、親子の診療スタイルの違いに結びつけられるが、実際は親の時代と子の時代では、地域環境が劇的に変化していることが原因な場合が多い。つまり、Think の違いではなく、 local の違いだ。

どちらの歯科医もメーカーが器材選定とマーケティングをしている。しかし、だ。これが、問題な場合が多く、開業時のCTやマイクロなどへの初期過剰投資を引きずっての開業計画になりがちなのだ。開業時の初期投資の肥大が、初期経営期間に与えるインパクトの大きさがわかっていない。過大な設備投資は、歯科医が経営者として「歩けるようになる前に、全力で走らせること」を強いるようなものだ。まずは、一歩一歩を確実に歩けるようになることが優先されることは、人の子を例にするまでもない。

CTなどの設備はグローバル基準の診療を目指すには必須なものであることは、理解しているし、そうあるべきと思う。しかし、当たり前のことだが経営とは単年度があって、中長期がある。確かに開業時の短期だけを考えていては、歯科医の情熱は冷え持続的医院経営も見えてこない。だからといって、長期的展望ばかりを考えていては、短期をマネジメントできない。開業時は短期に比重を置き、患者母数の拡大を図り、2~3年目からは中長期に比重を置き、設備投資による診療の質の向上を考える、つまり「歩けるようになってから、走ること」が、医院経営の鉄則である。

グローバルスタンダードな診療を念頭に置き、地域医療のマーケティングに注力する。グローバルなスタイルは、地域に信頼が根付いていない医院では成功しない場合が多い。それは、どんなグローバルスタンダードな医療でも、それを施すのも人で受けるのも人だからである。

歯科医院経営には、Think global , Act local 、グローバルに考え、ローカルに行動することが、成功へのベストウェイだ。

開業は情熱だ

大田区で開業して2ヶ月経過した医院のコンサルティングを終えて医院を出ると、急に雨が降り出してきた。この医院の院長のほとばしる情熱の汗のような雨だ。一見、優男風なDRだが、短期•中期•長期に目標を時限設定していて、その目標達成に全精力をかけている。開業後、毎月50〜60人の新患が来院してきて順調だが、手綱さばきに弛みはない。

そういえば、一昨日開院した練馬区の医院も新患予約が約30人と好スタートを切った。この医院の院長も長身の好男子だが、目標設定が明確で、即決即断のリーダータイプ。この二人のルーキー院長に共通していることは、40代になった時の歯科医としての自分の在り方が明確なことだ。だからこそ、情熱を胸に厳しい今を戦える。このところ開業支援をしている若手歯科医は、見かけは草食系だが実は肉食系の好漢が多い。逆風が吹く歯科界にあって、成功するには肉食系の情熱が何より重要だ。
「情熱」という言葉は今日的でなく、「情報」という言葉に取って代わられた。巷にあふれる経営書にもリーダーの条件として、「情報力」「先見性」「決断力」「行動力」「コミュニケーション力」などが挙げられ、「情熱」は後じんを拝している。しかし、院長に求められる最も重要な資質は、なんといっても「情熱」だと思う。企業再生のプロ、日本電産の永守重信氏に「能力5倍、情熱100倍」という肚に落ちる言葉がある。人間の能力は上と下では5倍の違いしかないが、情熱の違いは100倍あると解釈している。零細な歯科医院経営には、ことのほか響く言葉だ。
「情熱」に火をつけることは、開業すれば火炎の勢いは違っても誰しもがすることだ。しかし、「情熱」の火を燃やし続けることは難しい。そのために時限的目標を何段階かに持つことは必要条件だが、それより大切なことは、「情熱の火を焚きつけてくれる人」の存在だ。こういった存在の人を求め出会うことが、厳しい経営環境の中で、歯科医師をライフワークとするには絶対条件だ。歯科界にいなければ、他流試合をしてでも見つけ出して欲しい。
院長には技術や知識が必要なことはいうまでもないが、それより重要なのが「情熱の火を焚きつけてくれる人」の存在だ。その存在が、歯科医院経営の正否を決するのだから。

「千と千尋の神隠し」と歯科の看板

連休の最中、夜のジュンク堂に滑り込む。お目当ての本、数冊を求めエスカレータを行ったり来たりする。戦後は、この書店のある当たりは、馬がガードを通過する電車の音に驚くので、ビックリガードと呼ばれたほど辺ぴな場所だったとされる。今でも、池袋の場末の空気が残されている。ところが、この地にここ数年で歯科医院が、雨後の筍のように乱立した。その歯科医院の看板が、節電モードの盛り場に眩いばかりに輝く様は、この書店のエスカレータからの不思議な景観となっている。

 エスカレータを行き来しながら、この景観はどこかで観たことがある、と感じつつ閉店を知らせるBGMを後に、書店を出た。帰りの車の中でも、いつか観た覚えのある景観を、思い出そうとしていた。そうだ、『千と千尋の神隠し』だ。

 『千と千尋の神隠し』の主人公の少女、千尋が迷いこんだ不思議な街は、奇妙な建物とグロテスクな看板であふれている。個々の建物や看板は、時代考察も混沌としていて、現実の街ではありえない不思議さだが、何か懐かしさを感じ映像に引き込まれていく。特に、「肉」「め」「むし」「生あります」といった直接的表現の看板が、目に飛び込んでくる。この看板の一群からは、「伝えたいことより、伝えたい欲望」が強く押し寄せてくる。この街は人間の欲望が渦まき、それがさらに欲望を刺激する。そして千尋の両親は、この街の主のいない店で異常なまでの食欲でカウンターの料理を平らげ、欲望の権化である豚に姿を変えられてしまう。

 「歯科」や「歯」は映画に出てくる眼科らしき看板の「め」に、「インプラント」「審美」「ホワイトニング」「予防」は、「人肉」と書かれている飲食店の看板にオーバーラップする。「伝えたいことより、伝えたい欲望」が強く前面に出ていて、歯科医の常套句である「審美性やQOLの向上」を感じさせるものではない。人々の生活が豊かになり、街並や施設の整備が進み、同時に都市空間の公共性を求められる今日、歯科の看板の下品さは、そのまま歯科医の品性や美意識を問われ、伝えたいことの「審美やQOL」は、見る影もない。

 歯科医は、社会から欲望の権化である豚に姿を変えられる前に、看板の持つコミュニケーションや公共性を考える時期にきている。

直感経営のすすめ

連休だ。連休前日は茨城県真壁の歯科医院へ訪問し、帰宅は深夜0時を回っていた。しかし、休日は何故かいつもより早く目が覚める。一昨日、帰りの常磐高速では、連休明けにオープンする新規医院の展望を考えていた。その医院は診療日時で利便性を図るが、自費の薄利多売はしない展開を仕掛けていく。そんなことを考えていると、開業地の診療圏を再度確認したくなり、練馬区のT駅周辺に6時34分に着く。

早速診療圏を観察して歩く。ゴミ捨て場、自動販売機、コンビニのバンズ、自転車置き場、公園のゴミ箱、洗濯物、コインパーキングなどを観察していると、その診療圏の住人、労働者の生活が頭の中でリアルに再現されてくる。早朝の街を徘徊する姿は犯罪者のようだが、現地観察をしないで医院のコンサルティングができないのは、20年来の習いとなってしまった。
首都圏では定量調査から開業地を選定し、その後の展望を考えることは難しい。だからと言って、定量調査は無駄なことではない。その地での経営展開の仮説を立てるには、必要不可欠だ。ここから先の、虫瞰(ちゅうかん)的調査で差がでる。どんな診療指針を打ち立てていけば受け入れられるのか?どんなインテリア、ファザード、サインが響くのだろうか?PRの展開は?等々、診療圏の薄皮を一枚一枚はがすように見えてくるものがある。もちろん、連休明けにオープンする医院の展開は、すでに織込み済みだ。しかし、想定が下方にブレた時のことも考えなければならないため、何度でも開業地を観察したくなる。ネット社会で非効率的な事この上ないが、机上(ネット)の推論では、単なる「閃き」でありバクチでしかない。
診療圏を歩きながら、車を流しながら、「5W1H」を繰り返す。いろいろな展開がイメージできる。WHO.WHEN.WHERE.WHAT.WHY.HOWは、ビジネスを創り上げていく上で基本の「き」の字だ。これを繰り返すことで、経営のカンが冴えてくる、「直感」だ。「直感」も「閃き」も同じようなものだが、「直感」は振り返ってみて論理的に説明ができるが「閃き」は感覚的なもので説明ができない。つまり経営が下方にブレた時、修正が可能なのが「直感」、難しいのが「閃き」となる。だから診療圏を歩き、「直感」を研ぎすます。
変化が激しく即断を求められる経営環境にいる歯科医師は、様々な情報に右往左往することなく、「直感」を磨くことが求められている。

セミナー経費は,お布施だ

以前は、スタッフに受講させるセミナー効果に対しての質問を良く受けた。そんな時は決まって「スタッフのWILL次第」と答えた。最近は、セミナー受講に対しての休日出勤とセミナー費用負担についての相談が多い。休日出勤と費用負担は相関関係にある。セミナー受講を全額医院負担にするのであれば、受講日を休日出勤扱いにして医院研修とした方がスッキリとする。その方がスタッフも「WILL BEING」になり、効果も期待できる。

話をややっこしくしているのが、受講料の半額負担という扱いだ。

「こんなでは使えない、勉強してこいよ」というスキルアップを他人任せにする甘い気持ちと、「半額ぐらいなら負担してもいいか」という仏心が、仇になる。こんなケースに限って、院長の期待とスタッフの気持ちは相反する結果になる。
スタッフに期待する前に、院長自身がセミナー受講に対してコストと目的を明確にしなければ、スタッフには響かない。セミナー受講コストを、(例えば)受講料1万円+休日出勤手当て1万5千円+稼ぐべき付加価値4万5千円=7万円/1日と認識している院長は意外に少ない。スタッフ1人に1日7万円投資するという意識があれば、医院にとって有益なセミナーか否かの判断基準が厳しくなる。そしておのずと受講するセミナー目的も明確になってくるものだ。
ところが1万円の半額の5千円を負担して、スタッフ自身のスキルアップだから休日出勤扱いはナシでいこう、などとスキルアップと経費軽減の一挙両得を狙うものだから、スタッフのモチベーションも上がらないし、医院に対しての帰属意識も薄れて行く。結果、かえって医院経営にとってマイナスになる。どんなセミナーでも、スタッフの意欲をあげて受講させなければ、モノにならない。
そもそもスタッフにセミナーを受講させるということは、そのスタッフを少しでも早く戦力化して、黒字スタッフにすることを意味する。その結果として、医院の質が上がったり、医院目標が達成できるのだ。はじめから崇高な受講目的を掲げないほうが無難だ。また、スタッフ個人のスキルアップに医院がお金を出した上で休日出勤扱いにすることが、少しでももったいないと思うのであれば、端からセミナーのことなど考えずに、どうすれば残業代を減らすことができるのか考えていた方が、医院経営にプラスになる。
セミナー受講を医院経営に結びつけるハードルは高い。しかしそのハードルをクリアするのは、スタッフのスキルアップに対する院長のケレン味のない投資、お布施である。

スタッフ自身の損益計算書を作成させてみよう

新年度になって1ヶ月、スタッフ賃金の相談が多い。この1〜2年で、DHの賃金バブルは収束してきたが、それでも以前に高値で採用したDHの賃金が、低成長時代の歯科医院経営の重荷になってきている。

賃金に対して、院長とスタッフの見解は全く違うのが常だ。業種を問わず、払う方は高いと感じ、もらう方は安いと感じるのが、賃金の特性というものだ。特に歯科のようなサービス業は、間接部門を占めるスタッフが多いため、賃金の適正が見えづらい。そのため、スタッフは「安い給与で使われている」という意識が強くなる。このことは、医院の全ての数字を把握している院長とそうではないスタッフでは、見えているものが違うのだから仕方がない。
しかし、このような状態を放置しておいては、医院はいつまで経ってもギスギスして、居心地の良い職場など望むべきもなく、顧客満足など夢の彼方だ。院長は、医院の業績を損益計算書から判断することができるが、スタッフは自分の給与明細とぼんやりとした数字やイメージからしか、自分の給与の適正を判断できない。その上、人は自分の評価はかなり甘くなりがちである。そんなこんなで、医院に対する不信感が募り募って、「院長はベンツを乗り回していながら、ケチだ」なんていう歯科医に対する定冠詞を頂戴することになる。院長は、医院の数字をスタッフに知らしめ、そして自分の給与の適を判断できるように、スタッフ自身の損益計算書を作成させてみることが、必要だ。
①スタッフの売上げ(DH、DAの売上げは医院売上げの貢献度から自己評価)
②売上げ原価(材料や技工代など)
③付加価値(①−②)
④給料手当
⑤法定福利厚生費
⑥その他の経費(スタッフ数で割る)
⑦経常利益 ③ー(④+⑤+⑥)
⑧労働分配率 ⑦×40%
①〜⑦でスタッフ個々の損益計算をし、⑧で労働分配率を出し、自分の賃金が医院経営に対して黒字か赤字か認識させることから、スタッフに経営参加意識が芽生え、自らの仕事をプロ化していくのだ。
院長のウデがいくら良くても、はやりの真っ白な内装にしてみても、スタッフの賃金に対するわだかまりをなくし、経営意識に目覚めたスタッフを増やしていかない限り、医院は成長しない。歯科医院は正社員率10%のユニクロ的経営ではなく、80%のZARAを目指すべきである。

歯科セミナー考

震災後、鉄道の復旧がまだ追いつかず東北地方のクライアント医院に伺うことが出来ない状況が続いている。東京にいる私は、新幹線が復旧しないことには、お手上げ状態だ。しかし、私が制約されるのは、せいぜい月1〜2回、当地の在来線の多くは復旧の目処がたたないことを思えば、不便を口にするのは全て東京中心に物事を考える奢りであろう。

東北地方のクライアントの訪問が延期され、少し時間にゆとりができたので、歯科雑誌をパラパラと流し読みをしてみる。不勉強な習いの私は、滅多に歯科雑誌を読まない。歯科業界に入った当時、総山孝雄先生の「歯学概論」と飯塚哲夫先生の「歯科医療とはなにか」を繰り返し読んだ。しかし、月刊の歯科雑誌は各論で構成されているため仕方がないが、編集コンセプトが希薄なため、退屈だ。雑誌巻末のセミナー広告を見ていた方が、歯科界のトレンドがわかって、まだましだ。
セミナー広告は、矯正とインプラント、そして世相を反映して経営セミナーが目につく。クライアントからも、スタッフ教育について「どのセミナーを受講すればいい」という質問を良くいただく。不勉強なため返事に窮すること度々。ひんしゅくを買うが、内心は「なんでもいい」と思っている。セミナーが実際に役にたつことなど、ごく稀なこと。セミナーは受講者のレベルや心構えで、その効果は大きく変わってしまうからだ。さらにセミナーによるインプット型のレベルアップは、受講者のモチベーションアップ以上にも以下にもならないと思ってさえいる。
以前、訪問先の医院で、モノになるのは厳しいな、と思っていたDHがいた。当時の彼女は、渋谷のセンター街で彷徨う女の子たちと外見は違わず、会話も幼稚で患者に信頼を得るような期待はできそうもなかった。しかし、度胸と積極性だけは、並々ならないモノがあり、私の関連するセミナーにも良く顔を出していた。そのうちセミナーの手伝いをしてもらい、多少の発言をしてもらうと、そのコメントがタイムリーなのだ。そんなことを繰り返しているうちに、彼女はDH対象のセミナーを主催するまでに成長した。彼女を成長させた原動力はセミナーでのインプットではなく、セミナーでのアウトプットだったのだと思う。
セミナーでインプット過剰になり消化不良を起させるよりも、アウトプットさせる場や媒体を与えることでスタッフは成長する。

インプラントとマーケティング

昨日は2軒のクライアント医院で、イプラントの話になった。その後、ある財団からは、中国の富裕層を受け入れるインプラント施設への専門医のアサインとプロデュースを依頼された。夜は夜で、ポルトガルのマロークリニックが銀座4丁目にオープンするとの話も耳に入ってきた。マスメディアからはインプラントへの風当たりは強いが、歯科業界ではどこ吹く風である。

 
個人でもチェーン展開する法人でも、インプラントを語るとき、患者QOLの向上と医療提供側との相互利益の合理性が切り口にされる。なるほど、QOLはコピーとしてはいささかインパクト不足だが、一見、生活者が納得するだけの整合性はある。一見と言ったのは、インプラントの引き合いに使われる入れ歯に比べて、インプラントはQOLの面では優れていると言われているが、そうは思えないからだ。

インプラントのコピーに使い古された「笑う、食べる、話す」ことに、QOLは集約されない。QOLは「生活」「人生」「生命」すべてを包括した質であって、「笑う、食べる、話す」は、主に「生活」の質を意味する。この一部を切り取って「QOLの向上」と繰り返しても、ますます10万円インプラトに市場を席巻されるだけだ。高齢者のQOLは、「健康」と「自立」が最も重要とされている。セルフケア可能な入れ歯は、インプラントに比べてこの点では明らかに優位で、一概にインプラントがQOLの面で優れているとは思えない。
 

しかし、インプラントの弱みこそが「伸び代」と考えることがマーケティング思考だ。首都圏では、05年から20年までに75歳以上人口が154万人増え高齢化が加速し、その10%が収容型施設に入るとされる。この人口増加層が、即ち現在のインプラント対象者層だ。入れ歯と違いセルフケアが不可能なインプラント治療は、通院が困難になる高齢者のための、メインテナンスネットワークづくりなくして、QOLを突破口に需要は拡大しないだろう。
 

インプラントのマーケティングは、オペレーションやプライスのフェーズからメインテナンスのインフラづくりに入った。

歯科医のモラル・ハザード

「新潟は桜も咲き始め、やっと春が来ました」と、昨日コンサル先の歯科医からメールをいただく。前後して『道玄坂・ユニクロメガストア』など商業施設のリーシングをしているO氏から電話が入り、メール元の新潟の歯科医のお父様と同窓であることがわかって、発破をかけられる。今、新潟へ向かう車中、十日町のあたりか、残雪に西日が反射して車窓からの景色がやけに眩しい。これから打ち合わせだが、昨日の偶然にいつになく気持ちが高ぶる。

この「高ぶる気持ち」を、多くの歯科医にも体験してもらいたい。サラリーマンでは感じることができない、雇われないで生きる緊張感。しかし、最近は開業する歯科医のモラル・ハザードが大きくなった。ひとつは歯科医院の事業性など考慮されることはなく、担保に対しての貸し付けでしかない金融機関の姿勢。そして歯科医自身が内包している独立に対するリスクヘッジだ。リスクヘッジはとても大切だが、オーナーシップに欠かせない野性の欠如にも通じる。

いつまでも開業予備軍でいることは、歯科医として楽な生き方だ。なんの責任もないし、臨床や経営へのリテラシーが増えることで、歯科医として成長している気分になれる。しかし、どこかの時点で今までの学びを生かすステージにいかなければならないのが、多くの歯科医の宿命だ。

経済情勢、歯科医師過剰、人口減少、リスクは山ほどある。多くの開業予備軍の歯科医が、状況が悪いことを理由にスタートを切れないでいる。しかし、その本質は、外部状況にはない、歯科医自身が持つ独立に対する「恐れ」に他ならない。

100%でなくても構わない。生まれてこの方、どの局面においても完璧な状況などあったであろうか。恐れで自分を止めることで、完璧な状況が揃うことはない。永遠の開業予備軍にならないために、まず第一歩を踏み出してみることだ。

きっと、「やっと春が来ました」と言える時が来る。

歯科医院の参入障壁

東海道新幹線14・15番コンコース下のカフェテリアが以前からのお気に入りだ。なんということないカフェテリアだが、震災の影響で薄暗くなった趣が、欧州の駅のような感じを醸し出し、以前に増して落ち着く。今日は、大阪へのコンサルティングだ。大阪の歯科医院の停滞は、首都圏を先行すること10年あまり、大阪経済の低調に因を発しているためか、特効薬はなかなか見つからない。 今後、首都圏歯科医院もスタッフのキャスト化やイメージ戦略では、経ち行かなくなることは、大阪を見ていると容易に察しがつく。

昨年から毎月一軒のペースで、歯科医院をプロデユースしている。開業は低調と、メーカー各社の声が入ってくるが、弊社の顧問先に関してはとても元気な医院が多い。新規開業の歯科医だけではなく、分院展開の依頼も多い。あるデータによると、売り上げ8000万以上の上位医院の業績は前年比約8%増、中位•下位医院は停滞か下降とされるが、なるほど頷ける。新規開業のマーケティングからも、既存医院のコンサルティングからも、歯科医院経営とは、参入障壁を作り上げていくことに他ならないと、実感する毎日である。

新規医院はいかにして既存医院の参入障壁を超えられるか、既存医院は新規医院に超えることのできない医院を作り上げるかが経営である。定量調査が意味をなくしつつある現在、追う立場の新規医院は、立地優位性と価格戦略に胡座をかいている既存医院が多いエリアでの開業が成功へのファーストステップだ。反対に追われる立場の既存医院は、立地と価格は中長期的な参入障壁にはならないことを認識して欲しい。新規、既存の別に関係なく参入障壁を超える手段は「人材」と「お金」である。もちろん「技術」であったり「サービス」であったり、様々な要素で医院経営に違いはでてくる。しかし、技術を高めようにもサービス水準をあげようにも、すべて「お金」と「人材」がついてまわる。

立地を担保している多くの医院には「人材」と「技術」がない、技術を担保としている医院には「お金」と「サービス」がない。歯科医院経営は、まだまだ隙間だらけである。

女性スタッフに嫌われる院長の未来は暗い

昨日も勤務医のことで相談を受けた。「いいDRいないですか」は、どこの医院でも挨拶代わりになっている。歯科衛生士がいなくなったと思っていたら、勤務医までもいなくなってしまったのが首都圏の歯科事情だ。推測するに、若手歯科医は研修先で青田買いされていること、首都圏での過当競争を避け、出身地近辺で開業準備に勤務するケースが増えたことが挙げられる。しかし、だ。こんな正論を言っていても、働き手を求めている歯科医院には何の解決方法にもならない。

 

歯科雑誌や求人誌に「歯科衛生士が選ぶ就職先の条件」なる記事がある。給与・福利厚生・休日と労働時間・勤務立地が良いことが上位にきている。そんな当たり前のアンケート結果に、「そんな好待遇ができれば、困りはしない」と一くさり言いたくもなる。しかし、歯科雑誌や求人誌の編集は意外と現場を知らないため、アンケートには表れない現象を見る力も洞察する力もないのだから仕方がない。幸い仕事柄私は多くの医院の求人に立ち会ってきて、歯科衛生士にも若手歯科医にも「影の求職傾向」があることを知っている。

 

若手歯科医も求職先を探す条件は歯科衛生士と大差はない。中には、技術研鑚のため丁稚奉公を大御所の医院で志願する者もいるが、これは例外的な存在だ。若手歯科医の求職先として人気がある医院は、女性スタッフがポイントとなってくる。女性スタッフには歯科衛生士とか歯科助手の別は特には関係はないが、できれば若く、それに美形が加わると就職率だけでなく定着率も良いようなイメージがある。と、言うのも若手歯科医師は、求人先ホームページで院長のコンセプトや技術的ウンチク、実績などロジカルな判断もしているが、それに加え色香に誘われて応募してくる傾向があるからだ。以前まったく勤務医の応募が来なかった医院のホームページと求人サイトの医院紹介ページに、美形若手スタッフを集め写真を実験的に並べたところ、以前と同じ求人条件でDRが殺到した例がある。このような事例は珍しいことではない。「鮎の友釣り」のようと嘆くことなかれ、色香を否定して慢性的人手不足に甘んずる理由はどこにもないのだから。

 

歯科衛生士の採用は、勤務医以上にイメージに左右されやすい。歯科衛生士としての働き甲斐を求めるのは当然のこととして、「おしゃれさ」「明るさ」「楽しさ」など自分自身のライフスタイルのイメージで歯科医院を選ぶ傾向があるからだ。歯科衛生士としての働き甲斐がわかっていても、感情的に好きになれない歯科医院には梃子でも就職しない。さらに院長が知っておかなければならなことは、歯科衛生士が就職先を選ぶ基準に「院長のイメージ」が大きなウエイトを占めていることだ。つまり、院長のイメージが悪いとその医院は、歯科衛生士に敬遠される傾向がある。院長の悪いイメージのNO1.は「不潔」で、続いて「自慢話」「ケチ」などを挙げる歯科衛生士が多い。まあ、これは歯科衛生士でなくとも同じ気がするが。

女性スタッフが集まらない医院には、優秀な勤務医も来てくれない。つまり女性スタッフに嫌われる院長の未来は暗い、と言える。歯科医院の求人は一にも二にも「院長のイメージ」にかかっている。

 

 

 

求む、プロ歯科衛生士

歯科衛生士の採用・雇用・待遇に関して、ゆく先々の歯科医から相談を受ける。なるほど、歯科衛生士に関する求人情報量が年々増えるのも納得できる。高度成長期当時の山谷地区の手配師よろしく人材派遣・求人企業が跋扈して、歯科衛生士の求人を情報媒体に載せている。その結果、膨大な求人情報量が、売り手市場の歯科衛生士を日雇い労働力化して、医院経営を蝕むという悪循環が起きている。

歯科衛生士の求人情報量の増加は、歯科医院経営が保存予防型へと構造変化していった結果である。物事の現象は外部と内部のバランスから発生し、悪化現象は、著しく内部が外部の変化に振り回された時に起きる。つまり歯科医院は求人情報量に錯綜された結果、実態は日雇いの「勘違いプロ歯科衛生士」をつくり、翻弄さる羽目になったのだ。

私は、約240人の歯科衛生士から基本検査、SC、SRPを受けてきた経験がある。その経験から、テクニカルワーク・観察眼・数値管理・言動・意識からプロフェショナルを実感できるのは、一医院に定着期間の長い歯科衛生士の中の一握りであって、求職を繰り返す日雇い歯科衛生士ではないという、当たり前の結論に辿り着く。しかし、多くの歯科医院は日雇い歯科衛生士の雇用に汲々として、慢性的に医院経営を悪化させているのは悲劇としか言いようがない。このような悲劇は、歯科医がプロ以前にまともな歯科衛生士を見る目を持っていないことにつきる。さらに、求人情報に左右されて目に見える報酬の給与や待遇の競り合いで、歯科衛生士を確保しようとする歯科医の姿勢もどうしたものかと思う。

一流の職人がそうであるように、真のプロフェショナルな歯科衛生士も、「腕を磨く」ことそのものを喜びとして、「腕」を磨き続けた結果、「人間」も磨かれていくものと、確信を持って言える。まず、目に見える報酬にしか反応しない日雇い歯科衛生士を、真っ先に不採用としよう。その上で、目に見えない報酬、①働き甲斐②能力の開発③人としての成長④仕事を通じての出会い、これらのことを大切にする歯科医院経営をしていると大風呂敷を広げてみることだ。

「これでは、何時まで経っても歯科衛生士を採用できない」と言われる向きもあるが、日雇い衛生士を雇っている限り、何時まで経っても「ゼロサム経営」から脱出できない。まともな(プロフェショナルな)歯科衛生士を採用して、「プラスサム経営」を目指すならば、「何時まで経っても歯科衛生士を採用できない」リスクを執ることである。腹を括れば、人は集まり、ついてくる。

歯医者が変人で何故悪い

「歯科医は変人が多い」と、世間では良く言われる。そうかな?と思い、その問いを歯科医院のスタッフに向けると「変人というより変態ね」という声が返ってくる場合もある。「変人」と「変態」は全く別物で、片や行動原理に一方は性的嗜好に根差している。が、女性スタッフの多い歯科医院では、歯科医の言動を鵜の目鷹の目で観察されていることを自覚していないと、歯科医はいつの間にか変態に祭り上げられているのだから、たまったものではない。

さて、確かに歯科医には変人が多い、と思う。しかし、これは歯科医の業種的特徴ではなく、経営者という職務からくる歪みだと思う。「いい人では経営者は務まらない」と言われるが、歯科医以上に小規模零細の経営者は、相当な変人で、その上に悪相が加わっている人さえ少なくない。経営誌に登場しているイケメンIT系若社長やダンディーな中高年経営者など、例外的事例である。多くは、その職務の歪みから言動は変人と化し、時に外見には悪相が吹き出ている。

 
歯科医院の立ち上げから歯科医に付き合っていると、歯科医の変わっていく様をまざまざと見ることになる。資金調達の段階では、歯科医は「先生」からいきなり「債務者」へ格下げされ、世間の厳しさを慇懃無礼にも突きつけられ、胃がキリリッと痛む。どうにかこうにか開業までこぎつけると、医療機材の受注を目指して足繁く通ってきた業者は、納品と同時にフェードアウト、歯科医の周りから相談相手がどんどん消えていき、人間不信になる。開業して1年余りは、アレが足りないコレがない状態で医院経営を強いられ、綱渡りのような毎日だ。そうこうしていると資金繰りの苦しさを知らないスタッフからは、「忙しいのに待遇が悪い」などという囁きが耳に入ってきて、こめかみの当たりでプッチと切れる音が聞こえてくる。これでは、変人にならない訳がない。歯科医は端から変人だった訳ではなく、経営者になる過程で変人になっていくのだ。

 
気にすることはない。給料をもらって働いているスタッフ、借金を返済してもらって利ざやを稼ぐ金融機関、材料や技工を商いとしている業者と、患者を集めて金を稼がなくてはどうにもならない歯科医とは、仕事に対するマインドが根本的に違うのだから。絶え間なく続く悩みと苦しみの結果が「変人」でもいいではないか、「経営者は変人で、孤独だ」と、誰もいない診療室で叫んでやろう。

 
こんな歯科医が本質的に抱える恐怖心を緩和してくれるのが、歯科医院に多い同族経営である。しかし、同族経営は恐怖心を緩和してくれるが、変人扱いからの脱出は望めない。歯科医院経営とは、歯科医とスタッフ、出入り業者、金融機関との間にある大いなる隔たりを乗り越えなければ、売上も利益も出ない仕組みになっている。
歯科医院経営は変人扱い、同族経営を過ぎたのちに永続的に繁栄が待っている。