最近、「Google口コミを削除します」という業者を見かけることが増えた。
最初に見た時、私は妙な感覚を覚えた。
どうやって消すのだろう、と。
なぜなら、Google口コミというのはGoogleのプラットフォーム上に存在するものであり、普通に考えれば、外部の第三者が自由に操作できるものではないからである。
もちろん、誹謗中傷や虚偽投稿など、ガイドライン違反に該当する口コミをGoogleへ申請すること自体は理解できる。実際、明らかに悪質な投稿に悩まされている医院も存在する。競合による嫌がらせのような投稿もあるだろう。
しかし問題はそこではない。
「削除できます」
「高確率で消せます」
「ネガティブレビュー対策」
こうした言葉が、あまりにも普通に流通し始めていることなのである。
ここで奇妙なことに気づく。
もし本当に、外部業者が自由に口コミを消せるのだとしたら、それはGoogleレビューという仕組みそのものが崩壊しているという話になる。逆に、自由には消せないのだとしたら、「消せます」と断定的に営業すること自体、かなり危うい。
つまり、どちらに転んでも妙なのだ。
しかも、この市場は、人間の“不安”によって成立している。
歯科医院は低評価を恐れる。
検索順位が落ちるかもしれない。
患者が減るかもしれない。
採用に影響するかもしれない。
すると、「なんとかしたい」という気持ちになる。
そこへ、「削除できます」という業者が現れる。
これは少し冷静に見ると、非常に現代的な商売だと思う。
昔の商売は、「便利」を売っていた。
しかし今は、「不安の解決」を売る。
しかも現代では、不安そのものが“市場”になっている。
人は、不安の中では合理性よりも、「安心できそうなもの」に近づいていく。
厄介なのは、この種の商売が、どこか曖昧な言葉で成り立っていることである。
「独自ルートがあります」
「特殊な方法があります」
「対策可能です」
何をどうするのかは、はっきりしない。
だが、依頼する側も、そこを深く追及しなくなる。
なぜなら、不安の最中にいる人間は、「仕組み」より「解決」を求めるからである。
ここには、少し危ういものを感じる。
もし本当に削除保証ができないのであれば、それは何に対して費用を支払っているのか。申請代行なのか。ノウハウ料なのか。それとも、「消えるかもしれない」という期待そのものなのか。
境界線が、非常に曖昧なのである。
私は時々、この種の業者を見ると、暗い場所で静かに増殖していく生き物を連想する。
別に虫の話をしたいわけではない。
ただ、人の不安や恐怖が集まる場所には、それを餌にする商売が必ず生まれる。そして、その多くは、人目につかない場所で広がっていく。
口腔ケアと衛生を扱う歯科業界の周囲で、こうしたものが普通に流通し始めている光景には、どこか象徴的な皮肉がある。
口コミを消せるかどうかより、
むしろ人は、不安の中でどこまで曖昧なものに依存してしまうのか。
本当に見えているのは、そちらなのかもしれない。

