人々の安心構造と歯科医療のコモンズ

「安心・安全」。医療機関でよく使われる言葉です。歯科医療者は医療事故の分類でインシデントレベル/アクシデントレベルを学び、「安全」の具体的な形は知っていますが、人々の「安心」の素になっているものは何か、知っている人は少ないのではないでしょうか。ヒヤリハットの学びが医療者と患者の安心の素になっているとする教条主義的な考えもありますが、歯科医院は社会の一部分にすぎません。ですから全体=社会の安心の素を知らなければ、ヒヤリハットの学びも机上のものとなってしまいます。机上の知識は現実を常に後追いします。コロナによって人々の衛生意識は格段にあがり、歯科医院を評価する目も標準予防策への欲求も変わった現実を知り、医療者は自らの意識をアップデートしなければなりません。

これまで危機感のない歯科業界の現状は「ゆでガエル」のようでした。「ゆでガエル」の目をさますにはヘビが必要で、それはデジタル専制主義かあるいはベンチャースピリットに溢れたファーストペンギンかと業界は期待していましたが、なんとそれはコロナだったのか、と。そんなコロナ禍の中で、政治経済の動き、メディアの報道、身近な歯科院の情報を大量に眺めていくと、危機に際しての人々の安心に対する欲求の構造がみえてきました。

歯科医院の安心構造

第一層は、歯科医師自身の安心

保持することや装備することで自らを守りささえるものです。そして医院経営を維持するための経済装備や情報装備でまず自分自身と医院経営を守ることで安心をきずいていきます。

第二層は、歯科医師のまわりの安心

歯科医師のまわりにいるスタッフ・患者さん・医院関係者の健康と経済を守ることで安心をきずいていきます。

第三層は、しくみをつくる安心

地域や社会を守るためのマナーやしくみです。

たとえば、エコバッグを持つことで、自転車で通勤することで、自分たちが生きる地球を守ることになるように。家庭菜園で野菜をつくることで食料自給率をあげ、日本の地力をあげること。それが社会の安心につながるという姿勢です。歯科医院では、アポイントとアポイントの間の清掃・消毒時間を十分にとること、一人の患者さんの診療時間を十分にとること、歯科医院へ来られないときのホームケアの方法を教えること、患者さんを教育する時間を十分にとること、といった姿勢です。こんなしくみが歯科医院を取りまく地域、ひいては歯科業界(社会)への安心につながっていきます。

改めて私が集めた2020年2月からのコロナに関する情報ファイルを俯瞰すると、今までボヤっとしていた人々の安心の実像が重層的であることがわかります。

はからずもその安心の構造は、WHOの健康の定義(1948年)に似ていることに気づきます。「健康とは、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態であり、単に病気がないとか虚弱でないということではない」(Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity)に通じているのです。人々の安心もWHOの健康の定義の身体的・精神的・社会的な三層構造とほぼ同じようにきずかれているように思えます。健康とは安心をアップグレードしたものなのか、その逆であるのかは、その人の年齢やおかれた社会環境によって違いますが、近似形であることはまちがいありません。

今が歯科業界の分岐点です。コロナ禍でよくわかったことは、利潤をあげる、生産性をたかめるというデジタルやベンチャーの論理が通用しないのが健康や医療であって、しかもそれが人々にとって何よりも求めている安心の素だということです。健康と医療はデジタルともベンチャーとも正反対の価値観の世界なのです。ひるがえってみると、歯科業界はデジタルを駆使して、なんでも短時間で、能率的にやるイノベーションを待望しているようですが、それは人々が求める安心の素に立脚しているようにみえません。

14世紀にペストが流行った後に、ルネサンスがおきてヨーロッパ社会はよみがえりましたが、コロナ後に歯科業界にデジタル・イノベーションがおきたとしても、それが人々にとっても歯科医師にとって豊かさにつながるかどうかはかなり怪しい。むしろデジタル・イノベーションに対抗できる価値観であるルネサンスをみつけないと、歯科業界はよみがえれないようにさえ思えます。

歯科業界に押しよせているデジタル専制主義とベンチャーキャピタルに対抗する基軸を確立するときは、コロナ禍の今をおいてありません。「アナログ」か「デジタル」か、といった二元論などというのは狭い話で、もっと大きな枠ぐみで考えるべきなのです。例えば国民皆保険は最近マイナスばかりを指摘されますが、ベーシックインカムと解釈すれば、それはたしかに人々に安心を与える日本独自のコモンズでした。同じようにコロナ禍のいま、歯科医療者と生活者のコモンズを模索することで歯科医院に生活者は戻ってくるのです。

世界の歯科医療者と共有する基軸を確立すること、それがいままで業界になかったコモンズで、生活者が求めている安心の素もそこにあるのではないでしょうか。コロナ禍において、歯科を中心として社会の中でみえた安心を意味する写真や記事を集めて分類してみると安心の総体がみえてきます。その先にあるものが、歯科業界のコモンズになるように思えます。歯科医療のルネサンスとは1948年に定められたWHOの健康の定義に立ちかえること、人々の安心を求める気持ちに立脚することにほかなりません。コロナ禍の人々の写真は歯科医療のコモンズを教えてくれています。

※写真は、院内感染予防対策に熱心に取り組む埼玉県上尾市のホワイト歯科様提供(HP:https://www.whitedc.info/
本文の内容にはホワイト歯科様は関係ありません。