今こそ、歯科医師に哲学を。

コンサルブログ | 2021年1月19日

宇宙、自然、歴史、芸術、法律、政治、経済など、そして医学も哲学として論じられることは珍しくありません。それはあらゆる学問や仕事を動かす根本原理であり、哲学には専門領域はないからだと思います。例えば医学は医療の知識と技術でなりたっていますが、哲学があるからこそ医療職も含めて人々の心に訴え、人を動かし、医療的成果をあげることができるからです。

歯科医療に哲学はあるでしょうか。「歯科診療とはどういうことなのか」「正常と異常の違いはどこにあるのか」「健康と病気の違いはどこにあるのか」という問い。これらはすべて、歯科医療の哲学の領域と考えています。あらゆる分野で、それを成立させるための基礎論として哲学があるのです。ところが歯科業界に関わりだしたころから今にいたるまで、歯科医療ではそこのところがほったらかしにされているように感じています。むし歯の治し方は歯科医療の知識と技術の領域ですが、「どうしてむし歯になったのか、どうすればむし歯にならないだろう」と考えることは歯科医療の哲学の領域です。哲学なくして、歯科は医療として成立しませんし、歯科医師は歯科医療の理想像を持つことができないのです。

しかし、歯科医師は歯科医療を根本的に成りたたせている問いを突きつめることよりも、もっぱらテクニカルなことや経営などの枝葉末節をうんぬんし続けています。いくら技術的にすぐれた歯科医師であっても、他の領域や業界のプロと呼ばれる人と組まなければ何ひとつ物事は成しとげることはできません。広く人を動かすのは経済的要素だけではないのです。歯科医師の考えていること、大げさなようですが哲学が人を自発的に動かすのです。こんな現象は、日経MJ(流通新聞)などを読んでみると、大手企業が中小零細他業種の考え方に動かされて協業する記事がひんぱんにでていて実感できます。一方で歯科医師はどうでしょうか、経済基盤で一連托生な歯科産業を動かすことにとどまっています。

そうはいっても「歯科医師に哲学」とは、的はずれなことを言っているのかと思う向きも多いはずです。しかしどうでしょうか、どんな仕事においても一流の人は哲学を持っています。歯科業界にも哲学を持つ一流はいるはずです。私が歯科業界に飛びこんだとき、はっきりと持っていた価値観がありました。それは「歯科医療以外の話ができる歯科医師から学ぶ」ということです。それまでいくつかの業界で、ルールの運用やハウツーを要領よく使いこなし一流と呼ばれている人とはたくさん出あってきましたが、時代や社会を見る時、総じて経営畑の人であれば経済的な側面からしか見ていないし、技術畑の人であれば技術的な観点からしか見ていないのです。自分の存在する領域や業界の枠ぐみを超えたところから全体を見わたそうとしない人の仕事は、広く人を巻きこむことができないため、時代や社会のエンジンになることはないのです。

歯科業界に人脈もなく医療の知識もない私は、大学の専門家からは臨床家の、臨床家からは専門家の評価を聞き、「この人なら社会へメッセージを発する力がある」と感じる歯科医師に講師をお願いして、セミナーをひんぱんに開催していた時期がありました。こうして歯科業界のスペシャリストと目される人のセミナーを主催して収入を得ながら、自分は門前の小僧として歯科医療全般を繰りかえし学んできました。儲けながら学び、そして歯科医師でない私が社会参加する意識を持てる仕事を歯科業界で得るには、こんなしたたかとも思われるしわざしか方法がなかったのです。

それはビジネスとして成りたっていましたが、歯科業界の中ですべてが帰結していくばかりで、次第にやりがいもなくなり自分の仕事に理想を求めなくなってきました。なぜなのか今になって考えると、門外漢の私には分不相応な優秀な歯科医師ばかりが講師をつとめてくれていましたが、その話には同時代性や社会に対する問題意識、私にとっては哲学を感じるものがなかったのです。それは講師の歯科医師からだけではなく、受講する歯科医師の姿勢からも感じることはありませんでした。このような状況は長く続き、唯一シンパシーを持つことができたのが予防歯科の講師をつとめてくれた歯科医師の話でした。もう業界に入って10年近く経っていました。

その歯科医師はむし歯の治療方法以前に、歯の自然治癒について、自然治癒できるむし歯の段階について、自然治癒の促進方法を文献と自院データにもとづき科学的に論証していました。そしてむし歯にならないための生活習慣とそのモチベーションのつくり方、さらには予防的歯科医療を展開するための方法論や組織論まで開陳していました。この予防的歯科医療を突きすすめる歯科医師の姿勢から、歯科医療の理想を求めるための哲学を感じたのです。今でこそ予防的歯科医療は常識となりつつありますが、修復補綴の自費治療セミナーが全盛の時代に、きわめて社会的なアプローチをする歯科医師の登場でした。当時の私は日本プレスセンタービル内の日本記者クラブ会員でしたが、医療保険改訂以外では、その歯科医師が記者クラブに呼ばれて講演をした初めての臨床家だったと記憶しています。それほどその歯科医師の登場は、狭い歯科業界の枠を突破するインパクトのあるできごとだったのです。

その歯科医師の言動に歯科業界以外の人も動かされたのは、「現在の歯科診療は口腔を健康にしているのか」という根源的な問いを持っていたからにほかなりません。多くの歯科医師はスタディーグループに参加したり、文献を読んだりして知識を得て歯科医療ロジックやテクニックを身につけていきますが、歯科医療で最も大事なことは「なぜ」と問うセンスなのではないでしょうか。患者をみていて「これはおかしいのでは」と問うセンスが、現在の歯科医療のあり方や社会を見ていて「これはおかしいのでは」という問いにつながっていくのです。口から人へ、人から生活へ、生活から社会へと横断的に「なぜ」を問いなおすセンスが、発症後の治療から発症の予防へと歯科業界の意識を変え、治療重視から予防重視へと生活者の健康意識をも変化させていくのです。

しかし、近年は「なぜ」と問うセンスが、人から数字そのものに向けられてきて、少しの異常を見つけては治療や予防処置をする傾向があります。こういった傾向は、検査をして病気ではないことがわかり安心する患者の気持ちを理解していないこと、そして予防歯科は検査を繰りかえすのではなく、患者の行動や家族の行動を変える教育をすること、この理想から歯科医師が離れていることから起きているのではないでしょか。

歯科医師はもっと社会の真ん中に出て行き、歯科医療の理想を哲学することが必要です。哲学を持なければ理想は語れません。今のままでは、歯科医師は社会の中で予防医療を中途半端に妙に小賢しく知っている人にとどまり、他の領域や業界の人と組んで物事をなしとげることはできません。今こそ、歯科医師に哲学を!