誰もが簡単に確実な方法で年商1億円歯科になるために

「金がすべてに優先する」という考えは、歯科業界の原則的立場になりつつあるようです。経済的基盤がなければ、歯科医師は医療者として社会のために生きようとはしません。

世の中の多くの人は社会正義のために生きているわけではありません。令和の今、それは社会保障の担い手の歯科医師にとってもあたりまえなことなのです。グローバル、グローバルと、市場原理主義が歯科業界にも浸透しだしてから20年あまり、ついに歯科医師は経済的基盤としてではなく、ためらいもなく人前で銭金の話をするようになりました。

最近、知人の歯科医師の記事を読むために、歯科雑誌のページをめくっていると、黄色に縁どりされた「1億円歯科医院の作り方」という記事が目にとまりました。歯科雑誌に掲載されるこのたぐいの記事はビジネス書の焼きなおしが多く読みながしていますが、それにしてもこの記事の内容の薄さ軽さは特筆もので、歯科業界の凋落を象徴しているようでした。

年商1億円を目標にしてコンプレックス広告をネットで拡散し、その費用を稼ぐために審美歯科という美名のもと治療を繰りかえす歯科医師の職業倫理の希薄さ、そしてそれを業界の最先端をゆく人のようにあがめる歯科雑誌の矜恃のなさにも、歯科業界の劣化が内包されているようで気もちが悪くなってきます。

「金が欲しいので、本当は効果が確かでない治療をする」「金が要るので、本当は肯定していないことを記事にする」、どちらも歯科業界は市場経済制度の中に存在しているとする合理的言明です。つまり「金がすべてに優先する」ことが歯科業界の原則的立場ということになります。

ところで、「年商1億円」というタイトルで読者の願望をあおっているつもりでしょうが、見る人から見れば日本の産業構造や市場経済について何もわかっていないことが一目瞭然のタイトルに過ぎません。

というのも、年商1億円程度の規模の会社や商店は世の中にゴロゴロしており、その売上規模はいつ潰れてもおかしくない事業者レベルに過ぎないからです。それにも関わらず、1億円の売りあげを目標にして、私立歯科大に2〜3千万円の学費を投じ、開業初期費用に6〜7千万円をかけて、年商1億円歯科医院をつくって何がうれしいのでしょうか。市場経済システムの中ではあきらかな失敗です。

こういうことを言うと「そういうことはその歯科医師や出版社のように稼いでから言えよ」と冷笑され、そして金もうけを批判するやつは嫉妬しているだけだ、という考えかたが現在の歯科業界には蔓延しています。

いつの間にか自らの経済基盤のよって立つところの承認など、どうでも良いとする業界になってしまったようです。歯科医院の経済基盤を確保するためにも、ここで立ちどまり考えてみる必要があります。

もうかるビジネスに参入者が少ない場合、その仕事の多くは他者の承認を得られない汚れ仕事と見なされているからです。職業倫理が歯どめとなり参入者が少ないからこそ汚れ仕事はもうかるわけです。欲望という底なしの需要に対して供給が限られれば、当然そこには超過利潤が生まれます。品質が高いからもうかるのではなく、その背後には市場原理の必然があるのです。

ところが歯科業界では汚れ仕事への参入者は少ないどころか、増加傾向に拍車がかかっています。しかも歯科雑誌も、歯科コンサルタントも、ネット業者も、こぞって汚れ仕事の需要喚起をビジネスにしています。歯科業界の誰もが他者の欲望のうちに自己の欲望を直観しビジネス化するという構図の中に生き、職業倫理などはどこ吹く風といった感じです。

他者の承認を得るもっとも簡単で確実な方法は、自分の価値観を他者と同じにすることです。
韓流スターのような白くきれいな歯ならびになりたい人の欲望を、タワマンに住み輸入車に乗りたい歯科医師の欲望が汲みあげ、それを金もうけや華やかな世界に憧れて集まったネット系ベンチャーが吸いあげていく。こんな欲望のループに巻きこまれていく歯科医師の群れを連想してみてください。

しかし、もっとも簡単で確実な方法で経済基盤を得ようとする歯科医師のことを誰が非難することができるでしょうか。専門家のことは専門家が批判するしか業界の浄化作用は望めません。倫理観や使命感のある人が過半数を割ると、どの業界も劣化してゆくといわれています。令和の今、浄化作用の効かない業界に歯科はなりつつあります。

市場経済社会では、人々は他人の望むものを手に入れてコミュニティーを形成します。元読売ジャイアンツの清原選手のような真っ白な歯の若者も、恵比寿あたりの雑居ビルの審美歯科医も、渋谷のネット系ベンチャーも、みんなで欲望のループを形成しています。

欲望は、私たちの社会で価値があるとされるどんなものにも置きかえられてきました。歯科医師の欲望は他人の欲望であり、ネットベンチャーの欲望は歯科医師の欲望です。つまり歯科医師の幸福は他人の幸福なわけです。と、すると歯科医師自身の価値はどこにあるのでしょうか?

あらゆる経済活動は恒常的な交換サイクルを創りだし、それを維持することを通じて人間の成熟を支援するしくみです。歯科医師自身の価値もそこに見出すことができます。治療・再診・メンテナンス・リコールといった価値交換機会をサイクルとして数多く持つ医院ほど歯科医師(院長)の価値が高く成熟しており、一方で新患獲得にやっきになる医院ほど問題を抱えているものです。

交換活動において安定的で信頼できるプレイヤーとして認められるためには、約束を守る、嘘をつかない、利益を独占しない(もうけすぎない)といった人間的資質=倫理観をそなえている必要があります。

しかし、市場原理を規範にした社会を目ざし始めた2000年以降、日本では金もうけの能力と人間的成熟の間のリンケージは切れてしまいました。頭でっかちのベンチャーでも詐欺師まがいの半グレでも強欲なエゴイストでも勢いに乗れば経済的に成長することができます。その延長線上に「1億円歯科医院の作り方」という記事はあります。

歯科医師も読むに足らない記事を読まなくても年商1億円の歯科医院なんて簡単につくることができます。1.立地に最大限の時間と資金を投じ2.初診集めの広告宣伝費として300万円程度を集中的に投下して3.予防風歯科で患者にお愛想を振りまき継続的に通院させることです。医療者の使命や倫理観などしちめんどうくさいことを考えずに、この3点だけで誰でももっとも簡単で確実な方法で金もうけだけならできるのが、市場原理社会での歯科医院経営なのです。

最後に小むずかしい注記をしておきますが、ヘーゲルの言葉を借りれば歯科医師は社会的承認を「個人(歯科医師の)の生存・幸福・権利が、万人の生存・幸福・権利の中に編みこまれ、それを基盤として、この連関のうちでのみ現実的になり、証される」 この美しい言葉の中にこそ歯科医師が市場原理主義から脱却して、社会に幸福に存在し医療者の権利を認められて年商1億円の歯医者になれる力が宿っていることを念のために付けくわえておきます。