クレセルブログ_歯科経営セミナー私の視点

歯科経営セミナー・私の視点

30代前半、会社を起こそうと決めたとき、多くの起業家と同様に法人設立の方法から経営者の成功物語まで多くのビジネス書を読みあさりました。当時ほど本を熱心に読んだことは人生でもそう多くはありません。しかし、今になってみると、読んだものがほとんど役にたっていなかったことにがくぜんとします。熱心に読んだこととその時間が仕事の糧となることとは別のことと自覚して、今になって冷静に考えてみると、当時、読んでいたものが本当にそのとき必要なものだったかも疑わしいのです。

何も残らなかったのも当然なのかもしれません。この人のように成功したい、そんな空想の中にいたときの私は、無意識のうちに自分自身の欠点や問題点に目を閉じていました。あのころは、先行者から何かを学ぼうとしていたのではなく、他者の成功物語を読むことで自分と向きあうのを避けていただけで、自分の力を推しはかることをしていなかったのです。今、思えば未熟で愚かなことですが、独自であろうとしながら、その方法を他の誰かの真似をすることにしか求めていなかったのです。

30代前半はそのような日々を送っていましたが、ある時を境にしてビジネス書のたぐいに急に興味が失せたのです。一つ一つの本で書かれている事柄は違うのですが、しばらくするとどれもこれも似たような印象しか残らないのです。小説でたとえるなら登場人物のキャラクターは違うものの、ストーリーはどことなく同じ。また、その内容に嘘は書かれていないけれども、閣僚の国会答弁のように言わないという形の虚偽に気づく本もたくさんありました。

そして決定的に成功者を自認する人の本を手にしなくなったのは、成功を語る人は、常に会社の規模、売上高を誇るなど量的な実績を声高に語り、ほとんどは質的な実感に関心を払っていないことも共通していたからです。早く効率的に事を成しとげることを、エクセレントと信じこんでいる米国的思考も、皆おかしなくらい似ていました。そしてもっとも大きな違和感は、成功を語る人が成功とは何か、その成果を改めて考えなおしてみる、私にとっては当たり前のことをしていないと感じたことです。そして、成功とは結果ではなく、大切なことを継続的に成しつつある状態を指すという考えを持ちあわせていないことも違和感を増幅させていきました。

彼らの成功とは、いかに効率的に多くの金銭を手にすることで、働くことと金銭を深く結びつける思考回路には辟易しました。私もこのダークサイドにいた時期があります。いつもいかに儲けるかを考えていると、成功とは継続的な状態であることを忘れがちになるのです。ひとつところで長く働きたい、ひとりの人を喜ばせたい、人と人の間の精神的、物理的な深い関わりを意味するケアという関係性、そんな素朴なことを真摯に思う気持ちが失せていき、「今だけ・金だけ・自分だけ」に傾注していきます。

どんなに多くの金銭を手にしても、どんな規模の大きな仕事をしても、どんなに生産を効率的にしても、働きつづけることへの敬意が持てなかったとしたら、その人は仕事を通じて豊かな人格を築くことはできないと思うのです。

仕事を通じて豊かになるとは、成功して立っている場所を、手にした成果を問いなおしてみて、自分のいる世界を作りなおし続けることではないでしょうか。時として何も生産できなくとも働きつづけることで、自分の中に理性や感情、自信、そして良識を育ててくれるのが仕事というものです。

ところが、歯科経営セミナーの多くは、今まで書いてきたことと正反対のことを喧伝しています。ここで述べていることと違えば違うほど盛況を呈しているようです。規模の拡大、業務の効率化、売上の多寡を追いもとめる一方で、歯科医師の価値観は理性的なもの、質的なもの、継続的なこと、ていねいなことなどから離れていき、歯科医療という仕事そのものが劣化してきています。その結果、歯科大学は凋落し、歯科衛生士学校の定員割れを引きおこしているように、若い人から見むかれない業界になっているのです。

歯科医師のビジネス本好きも出版社はおりこみ済みで、歯に関する特集をビジネス本は連発しています。そんな本を熱心に読んだり、経営セミナーに熱中したりしたところで、それは暗がりに逃げこんでいるだけで、自立して堂々と生きる歯科医師になることはできません。時代が変わっただけで、コロナ禍を経験しているだけで、歯科業界が浮上するような言説も散見します。そんなはずはありません。くさいものの蓋を開け、自分の現実から目を背けず、歯科業界の多数派からズレることを恐れずにいる、そんな歯科医師が増えることでしか歯科業界はよみがえらないと思います。そんな動機づけを真髄とする経営セミナーが今の歯科業界には求められています。