誰のためのデジタルデンティストリーなのか

誰のためのデジタルデンティストリーなのか

大多数の歯科医師は、日々の臨床やその場かぎりの収益の追求に忙しく、またおおよそ半径数メートルの身辺事項にしか関心をもっていません。医療的判断においても、それは自分が「できるかできないか」「損か得か」の判断になるほかありません。医院経営の損得勘定も、本当は、社会構造の変化、政治経済、技術革新、社会情勢や世論などとつながっているにもかかわらず、そんな複雑系を考慮することなどできません。その結果、若い歯科医師の関心事は、もっぱら最新のデジタル機器を導入してインターネットによる集客といった目の前のことに限定されてきます。そこにはいいも悪いもなく、現実はそういう方向に向かっていっています。

歯科業界の現状を見れば、そのことを嘆きたくなるものの、ただただその現状を嘆いていてもいたしかたないでしょう。問題の根はかなり深く、かつ深刻といわざるをえません。問題の根が深いのは、歯科医師を取りまく環境が「今ここでのこと」にしか関心を喚起させないことを喧伝することに、歯科コンサルタント、ネット業者、歯科ディーラーが総出となり、やっきになっているからです。そうすると若い歯科医師ほど、業界のわかりやすい威勢のいい意見に同調し、自らの臨床や労働のありかたを熟慮することなく、競合と伍していくための集客競争に巻きこまれていきます。その結果がネットで集客して最新のデジタル機器を使っての生産性向上に集約され、知らず知らずのうちに歯科医師としての可能性を失っていくことになります。

歯科医師としての可能性を失っていくもう一つの要因は、近年の歯科医療の進歩において中核的な役割を担ってきたいわゆるデジタルデンティストリーがあげられます。デジタルデンティストリーは、歯科医療の技術革新の枠を超えて、歯科医療のワークフローを根本的に変革してきました。CAD/CAM修復や光学印象の普及により、補綴歯科治療の全工程はデジタル化されつつあり、補綴物の精度・再現性の向上、品質の均一性、技工及び臨床ステップの簡便化・可視化・データの共有統合がなされつつあり、近い将来、デジタル技術による新たなワークフローが歯科業界にも確立されるといわれています。

本来、人間の労働は、構想と実行、精神的労働と肉体的労働が統一されたものです。ところがデジタルイノベーションのもとでワークフローが確立され生産力が高まると、その過程で臨床における構想と実行が、あるいは精神的労働と肉体的労働が分断されていきます。従来、歯科臨床の構想と実行の分離は、診療工程を細分化して、医療従事者を分業させるという方法が広く行われてきました。例えば、一つの充填処置をするまでに、どんな工程があるのか、各工程で具体的な作業が、どの機材を使って、どのように進められるのか、何分かかるのか、ということを観察して、歯科医師1人でやっていた作業を単純作業へと分解していくのです。資料採り・審査診断・応急処置・予防処置・技工・充填処置といった診療工程は、1980年代ぐらいまでは歯科医師1人でになえる能力を有していましたが、1990年代にはこの一連の作業を歯科医衛生士と歯科技工士、歯科医師で分業するようになりました。

ところが近年では、歯科医師と歯科技工士の業務にはデジタルテクノロジーが占める割合が増え、歯科医師がデジタル化による分業システムに組みこまれていき、個々の患者に対して診療構想する機会を奪われている労働環境になってきています。そうなると、本来歯科医師として有しているべき診断力や洞察力が身につかなくなり、治療実行の面でもかつての歯科医師のように豊かな経験を積んで自分の能力を開花させることはできなくなっていきます。つまり歯科医師がデジタルテクノロジーを取りいれた分業システムに組みこまれていくことで、歯科医師としての臨床能力さえも失っていくのです。このような臨床環境の中で何年働いても単純な作業しかできない歯科医師は、もはや自分ひとりでは診療を完了する能力がないために、デジタル分業システムの中でしか働けないので、デジタル化による分業を組織する資本を有する大型医院の指揮監督のもと、マニュアルに従いデジタル機器に従属せざるをえなくなっているのです。かくしてデジタル機器に奉仕する歯科医療者が次々に誕生していきます。

このように診療構想と実行が分離された結果、歯科医師は構想する力を失い、医療者として主体的にふるまうことができなくなっていきます。単純作業へ閉じこまれることで、歯科医師が本来持っているはずの技能という富がどんどん貧しくなっていく一方で、歯科医師が有していた富がデジタル産業へと移行していくことになります。1980年代ごろまでは歯科医師が医療機材を使っていたけれど、デジタル化された現在の大型歯科医院では、歯科医師がデジタル機器に使われるという状況におちいっています。デジタル機器に依存することによって臨床がラクになることさえ、いずれは歯科医師にとっては責め苦になってくるでしょう。なぜなら、デジタル機器が歯科医師を診療実行から解放するのではなく、診療構想から解放するのであって、診療計画の内容を理解しない臨床を強いられることになるからです。無内容な臨床、もっぱら単純作業に従事するということは、自らの手で何かを生みだす喜びも、やりがいや達成感、充実感も喪失していくことになります。その結果、誰とでも置きかえ可能となり、歯科医師の存在はますます弱められていきます。

本来、医療者の診療構想(見立て・診療計画)とは、自分で自由に考え判断する能力を意味します。ですからAIやマニュアルに従って診療していながら、自らの裁量で診療をしていると思っているとしたら、それはすっかりデジタル機器に包摂されてしまっているのかもしれません。例えばウーバーイーツは、スマートフォンを使って、好きな時間に自由に働くことができる新しい働きかた、モノやサービスを共有・交換するシェアリングエコノミーとして注目されています。けれども街中でたびたび見る彼らの仕事は、ただ携帯の画面上に出る指示を追って料理を配達するだけのことです。労働内容は、完全にウーバーのアルゴリズムと携帯のGPS機能によって決められていて、冷めないうちに料理を届けることだけを求められれています。構想を奪われた労働には、創造性や他人とのコミュニケーションの余地はどこにもありません。そこにあるものは思考停止や孤独であり、本来、労働によって何かを生みだす喜び、やりがい、達成感とは対極に労働者は位置することになります。

デジタル化により、診療時間・治療精度・患者コミュニケーション・コスト・労働環境などあらゆる面で恩恵を享受でき生産性も上がると、歯科医療の未来を語る人は多いけれど、はたしてそんなにうまい話ばかりでしょうか? 私には若い歯科医師がウーバーイーツの働き手とかぶって見えてしかたないのですが。