英国のZ世代と、ウェビナーで学ぶ若い歯科医師 ――太宰治の人気から考える「師匠のいない時代」

英国のZ世代の間で、太宰治が読まれているという。フレッディ美香子氏の記事によれば、その背景には若者の孤独があるらしい。英国では「親しい友人がいない」と答えた若者が、2014年には100人に1人だったのに対し、現在では20人に1人にまで増えているという。この数字には、少し驚いた。いや、目から鱗だったと言ったほうがよい。

太宰治が描いた疎外感や自己否定、生きづらさが、時代も国境も越えて、英国の若者たちの感覚と重なっている。百年近く前に日本語で書かれた文学を、SNSを使いこなす英国の若者が、「これは自分のことだ」と受け止めているのである。太宰が現代的なのではない。現代の若者の孤独が、太宰の時代に近づいているのかもしれない。

この記事を読みながら、私は現在の若い歯科医師のことを考えていた。これから歯科界の中心に入ってくる若手の多くも、英国の若者と同じデジタルネイティブの世代である。SNSを通じて多くの人とつながり、必要な情報にはすぐにアクセスできる。しかし、つながっていることと、親しい人がいることは同じではない。そして、この違いは、歯科医師としての学びにも表れているように思う。

現在は、歯科医師向けのセミナーもウェビナーが中心になった。遠方まで出かけなくても著名な講師の話を聞くことができ、見逃し配信を倍速で視聴することもできる。必要な情報だけを効率よく得るという意味では、実に便利な時代になった。その一方で、「誰から学ぶか」「誰と学び続けるか」という関係は、以前よりも生まれにくくなった。

ウェビナーでは、術式やエビデンスは学べる。しかし、講師が何に迷い、何に失敗し、患者とどのように向き合ってきたのかまでは、なかなか伝わってこない。画面上には整理された成功例が提示されるが、その結論に至るまでの葛藤や試行錯誤は見えにくい。そして、終了ボタンを押せば、講師との関係も、そこに集まった受講者との関係も終わる。

かつてのスタディーグループには、少々面倒で、暑苦しい人間関係があった。同じ場所に集まり、症例を出し、批判され、ときには反発し、それでもまた顔を合わせた。セミナーが終わった後に酒を飲み、予定された講義とは関係のない話をしながら、講師の成功だけでなく、迷いや失敗も知っていった。効率だけを考えれば、無駄な時間だったのかもしれない。しかし、その無駄な時間のなかで、若い歯科医師たちは、先に臨床を歩いてきた人たちの考え方や姿勢に触れ、同じ時代を生きる仲間と出会っていったのだと思う。

それは、知識や技術の習得だけではなかった。歯科医師としての青春だったのではないか。職業人にも青春はある。若い時期に誰と出会い、誰に憧れ、誰に反発し、誰と臨床を語り合ったのか。その経験は、技術を身につけた後にも残る。年齢を重ね、立場が変わっても、同じ言葉の意味や、同じ臨床の景色を共有できる人たちがいる。専門職として長く仕事を続けるうえで、それは成長の基盤であると同時に、ある種の癒やしでもあるのだと思う。

孤独な職業人にとって、自分がどこから来たのかを知っている人がいることは、それだけで救いになる。ただし、先に歩いてきた人がいれば、すべてがよいという話でもない。一人の歯科医師や、一つの考え方の存在があまりに大きくなれば、その言葉は次第に問い直されなくなる。影響力を持つ人の権威が強すぎれば、周囲の人たちは自分で考えることをやめ、集団のなかには思考停止や閉鎖性が生まれる。「同じ人から学んだ」という仲間意識が、いつの間にか「同じ考えを持たなければならない」という圧力に変わることもある。

尊敬する人から学ぶことと、その人の考えに従属することは違う。必要なのは、先に歩いた人の答えを守り続ける関係ではない。その人が投げかけた問いを受け取り、ときには異議を唱えながら、世代を越えて臨床を語り合える関係である。先に歩いた人を超えるとは、その人を否定することでも、忘れることでもない。教えられたことを、自分たちの時代に合わせて問い直すことなのだと思う。

私自身は歯科医師ではない。それでも、長く歯科医療の世界に関わってきたなかで、先に歩いてきた、ある歯科医師の存在から大きな影響を受けてきた。その人から学んだのは、歯科医療の知識や技術だけではない。歯科医療をどのように捉え、患者とどう向き合い、社会に対してどのような責任を負うのか。そうした問いを、長い時間をかけて見つめる機会を与えてくれた人である。

もちろん、すべての考えに納得していたわけではない。意見が違い、反発し、距離を置いて考えたこともあった。その人を中心とした強い思想や結束が、ときに思考停止や閉鎖性を生んだことも、振り返る必要があると思っている。ただ、それをその人だけの責任にすることはできない。私自身も、その関係性や空気のなかにいた。教えを受け取り、広め、ときにはその権威を利用してきた側でもあるからだ。尊敬しているからこそ、功績だけでなく、その周囲に生まれた問題も含めて考えなければならないと思っている。

一人の人物を偶像にしてしまえば、その人から学んだことまで、やがて古くなる。反対に、その考えを問い直し続けることができれば、その関係は、本人が目の前にいなくなった後も続いていく。私にとってその歯科医師は、答えを与えてくれた人であると同時に、今も問い続けるべき課題を与えてくれた人でもある。

ウェビナーは、知識を与えてくれる。しかし、先に歩いた人たちと、同じ時代を学ぶ仲間は、歯科医師として生きる時間そのものを与えてくれる。デジタルによって、知識への距離は驚くほど縮まった。しかし、人との距離まで縮まったわけではない。むしろ、知識を一人で得られる時代になったからこそ、誰と学び、誰と迷い、誰に反発し、誰と年月を重ねるのかが、これまで以上に重要になるのだろう。

若い歯科医師たちは、これから誰と出会い、誰と臨床を語り、誰を自分の仕事の基準としていくのだろうか。影響力のある人が身近にいない時代だからこそ、私はそのことが少し気になっている。

――バイアス、かかっています。
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