物価高が歯科医療を直撃しています。
歯科衛生士不足だけではありません。受付・助手の採用さえ、国内の人材不足のあおりを受け、思うように進まない。その結果、人件費や採用コストは上がり続け、歯科医院経営は、まるで真綿で首を絞められるように少しずつ圧迫されています。
そんな状況だからでしょうか。最近、歯科医師と話をしていると、こんな言葉を耳にする機会が増えました。
「もう歯科医院経営は厳しいですよ」
「人が採れません」
「患者さんは価格ばかり見ています」
「自費予防なんて広がりません」
「この診療報酬ではやっていけません」
少し前まで、世の中には「日本はもうダメだ」という空気が漂っていました。
いわゆる「日本サゲ論」です。
私は今、その空気が歯科業界にも広がっているように感じています。
私は勝手にこれを「歯科サゲ論」と呼んでいます。
もちろん、現実には多くの問題があります。
人口は減っています。
歯科医院は全国にコンビニより多く存在します。
歯科衛生士不足は深刻です。
材料費も人件費も上がり続けています。
誰が見ても、楽な時代ではありません。
しかし、ここで少し立ち止まって考えたいのです。
本当に歯科業界は、そんなに悪くなったのでしょうか。
私は30年近く歯科業界に関わってきました。
振り返れば、今より良かったとは必ずしも思えません。
当時は「予防歯科」という言葉そのものがほとんど理解されていませんでした。
定期メインテナンスで来院する患者さんは少数派でした。
歯科衛生士が主役となって活躍する診療所もほとんどありませんでした。
歯周病のリスク評価やう蝕管理を日常的に行う医院も限られていました。
それでも、昔のほうが儲かっていたように見える理由があります。
私は、その一つは経営環境の違いだったと思っています。
30年前は、現在ほど労働環境やコンプライアンスへの意識が高くありませんでした。
有給休暇や残業代の取り扱いも、今では考えられないような医院が少なくありませんでした。
もちろん、それは歯科医院だけではありません。当時の社会全体がそういう時代だったのです。
つまり、現在のルールで昔の利益率を比較すること自体、少し無理があります。
一方で、現在はどうでしょう。
予防歯科という言葉は一般にも浸透しました。
定期メインテナンスに通う患者さんは確実に増えています。
歯科衛生士が専門性を発揮できる環境も増えました。
口腔と全身疾患との関係も社会的に認知されるようになりました。
決して後退ばかりではないのです。
それでも歯科サゲ論はなくなりません。
1981年から1997年の16年間で、医師と歯科医師の所得比は100対100から100対52.5まで縮小しました。
それから約30年が経った今も、開業歯科医師の所得は医師のおよそ半分という構図が大きく変わっていません。
この現実を見れば、不満が出るのも理解できます。
しかし、ここから先が重要です。
現状を語ることは比較的簡単です。
「人が来ない」
「患者が減った」
「国が悪い」
「若い世代が悪い」
こうした話は共感を得やすいものです。
しかし、本当に難しいのは、
「では自院は何を変えるのか」
そこを考えることです。
私は予防歯科の世界で長く仕事をしてきました。
その中で一つだけ確信していることがあります。
成功している医院ほど、業界の愚痴を言いません。
もちろん悩みはあります。
問題もあります。
しかし、話題の中心はいつも患者さんです。
スタッフです。
地域です。
そして、
「次に何をするか」
です。
一方で、停滞している医院ほど、業界論に多くの時間を使います。
診療報酬。
人口減少。
競争激化。
どれも事実です。
しかし、その議論だけでは患者さんは増えません。
スタッフも育ちません。
医院も変わりません。
私はもう一つ思うことがあります。
「昔は良かった」
本当にそうでしょうか。
歯科医業が非常に恵まれていた時代は、高度経済成長期からバブル期にかけての、ごく限られた期間だったのではないでしょうか。
その時代を基準にすれば、今は凋落しているように見えます。
しかし、100年という長い歴史で見れば、あの時代のほうが例外だったとも考えられます。
もしそうだとすれば、今必要なのは昔に戻ることではありません。
今の時代に合った歯科医院の価値を、もう一度つくり直すことです。
私が最近少し気になっているのは、予防歯科の世界にも歯科サゲ論が入り込んできていることです。
「日本人には予防は根付かない」
「患者教育は難しい」
「スタッフがついてこない」
そんな声を耳にすることがあります。
しかし、本当にそうでしょうか。
私はそうは思いません。
予防を軸に地域から支持されている歯科医院は、日本全国に数多く存在します。
最初から理解されていたわけではありません。
最初から患者さんが予防の価値を理解していたわけでもありません。
長い時間をかけて患者さんと向き合い、スタッフを育て、地域との信頼を積み重ねてきた結果なのです。
業界を下げることは簡単です。
未来を悲観することも簡単です。
しかし、歯科医療は、人の健康と人生を支える仕事です。
そんな仕事に携わる私たちが、自分たちの業界の未来を信じられなくなったら、患者さんに何を伝えられるでしょうか。
歯科サゲ論が広がる時代だからこそ、必要なのは楽観論ではありません。
現実を直視しながら、それでも「では自院は何を変えるのか」と考え続けることです。
私は30年近く歯科業界に関わってきました。
成功している医院に共通しているのは、業界を語ることではありません。
「次に何を変えるか」
それを考え続けていることです。
私はこれからも、歯科サゲ論を語る歯科医院ではなく、患者さんの未来を語る歯科医院と仕事をしていたいと思っています。

